63 大賢者、反撃に転ずる
マンドラゴラ。
人の顔と人の胴体によく似た根茎を持ち、遙か昔より魔術や錬金術の触媒として多くの人々に愛用されてきた薬草の一種である。
しかし動物と植物の中間に位置するようなソレの扱いは、存外難しい。
栽培自体は多少心得があれば誰にでもできるのが、その難しさの由縁はマンドラゴラの特性にある。
その特性とは言わずもがな、断末魔だ。
マンドラゴラは地中でしか生きられないが故、地中から引き抜けばたちまち絶命してしまうわけだが、マンドラゴラは絶命の直前に凄まじい悲鳴をあげる。
この悲鳴というのがそれはそれは凄まじいもので、これをマトモに聞いた人間は発狂して死ぬ、とまで語られるほどだ。
私も魔術師の端くれ、誤ってマンドラゴラの悲鳴を聞き、気付けば気を失ってしまっていたことも一度や二度ではない。
実際に死んだ、という例は数えるほどしか聞かないが、ともかくこれでマンドラゴラの断末魔がいかに恐ろしいか分かっていただけたと思う。
そんなマンドラゴラの断末魔をただの騒音レベルにまで抑えた呪術科の努力には全く脱帽ものである。
少しでも声の小さなマンドラゴラを何代にも渡って掛け合わせ、徐々に断末魔の控えめなマンドラゴラを作り出してゆく。いわゆる品種改良というやつだ。
それはそれは気の遠くなるような作業だったろう。
そして私は今回、呪術科諸君の努力の結晶たるマンドラゴラを用いて、外の騒動を一気に鎮圧させる策を講じたのだ。
実に安直で恥ずかしい限りだが、要は「教学事務室内にある放送機材へ干渉し、キャンパス内全域へ音量を調節したマンドラゴラの断末魔を響かせること」である。
「何度聞いても凄まじい悲鳴だな」
私は音響魔方陣の効果により、四方八方から襲いかかってくる断末魔の洪水の最中、自らの耳を覆いながらひとりごちた。
それは硝子を引き削る音を何十倍にも膨らませたような、そんな音だ。
「――――ッ!!?」
ソユリはマンドラゴラをたまらず床に放り投げ、両手でぎゅうと耳栓に力を込めている。
丸くなった身体はびりびりと震え、全身の筋肉は見て分かるほどに硬直している。
私特製の耳栓は計算では70%以上、マンドラゴラの断末魔を遮断できるはずなのだが、それでもこの有様だ。
あらかじめ耳栓を渡しておいたソユリと先輩二人はともかく、これをなんの対策もなく聞いてしまった者はタダでは済まない。
それは凄まじい光景であった。
教学の職員たちが、抗議に集まった学生たちが。
一人、また一人とドミノ倒しか何かのように白目を剥いて声も上げずに崩れ落ちてしまう。
あっという間にこの空間の中で立っているのは、私とソユリ、アルガンを足止めしていたトルア先輩とクロウス先輩、そして――ネペロ・チルチッタだけとなる。
「ぐっ――――――――う――――ッ!!?」
ネペロは自らの両耳を力のたけ押さえつけて、苦痛に顔を歪めている。
――どうやら彼女はすんでのところでこちらの意図に気付いたらしい。
ソユリがマンドラゴラを引き抜く直前、咄嗟に耳を覆うことで、なんとか意識を保ったのだろう。
マンドラゴラの悲鳴が徐々に小さくなり、やがて息絶え、完全に沈黙した。
周りを見渡せば一転して死屍累々の惨状。
この間、僅か数秒である。
「マンドラゴラを……こんな使い方……イカレてる……」
ネペロが吐き捨てるように言う。
この数秒間を耐え切ったとはいえ、マンドラゴラの悲鳴を聞いてしまった影響は如実に表れており、彼女の足下はおぼつかない。
――全く彼女の言うとおりだ。
外から聞こえてくる音が一切消えたところを見るに一応は成功したようだが、こんな博打じみた方法はとるべきではなかった。次からは気をつけよう。
しかし、今はまず目の前の彼女だ。
「なんにせよネペロ先輩の起こした馬鹿げた騒動は止めたぞ、先ほどの口ぶりから察するに〝魔女の目〟とやらはこの騒動を止められると発動しないものなのだろう?」
「くっ……!?」
ネペロが悔しげに表情を歪める。
自らの勝利を確信していたばかりに、最後の最後で口を滑らせてしまったようだな。
彼女の大魔法〝魔女の目〟についての全容は分からないが、今の反応で改めて確信した。
やはり大魔法の発動には、外の騒動を続けさせる必要があるのだ。
だが、キャンパス内のほとんど全員が気を失ってしまったであろう今、形成は逆転した。
「ぐ……く……くそっ……!」
追い詰められたネペロは自らの頭をがりがりとかきむしり、これによって大量に取り付けられた髪留めがいくつかぱらぱらと落下する。
その顔は怒りによってか焦燥によってか、もしくはその両方か。
例の貼り付けられた笑みは消え去り、大きく歪んでいた。
「くそっ……! 一年坊が……! 一年坊風情が私の大魔法を……! 崇高なる目的をっ……!!」
「残念ながらそんな得体の知れぬものを看過することはできない――さあ観念しろネペロ・チルチッタ、あなたの大魔法とやらは成らない」
「大魔法が、成らない……?」
ネペロがぎろりとこちらをにらみつける。
開ききった瞳孔が、私を捉えた。
「くふ、くふふふ……何か勘違いをしていますねえアーテル君、私が怒っているのはあくまで大魔法の発動を邪魔されたことについてのみ、です。魔女の目は未だ開きかけなのですよ……!」
「私が――否、私たちが果たしてそれを見過ごすと思うか」
私は錬金式の刻まれた羊皮紙を数枚、そして攻撃魔術式の刻まれたメモ用紙を数枚、懐から取り出して構える。
ネペロにはゴーレムが有効だ。
ゴーレムならば羊皮紙のある限り、何体でも創ることができる。依然こちらの有利は動かない。
しかしネペロはこのような状況でも、こちらを嘲笑うように言った。
「アーテルさん、あなたが今守ろうとしている大学とは、果たして守るるに足る場所なのでしょうか?」
「なに……?」
突然の問いかけに、私は眉をひそめる。
ネペロはそんな私の反応を楽しむように、更に続けた。
「すぐに分かります、すぐに知れることです。魔女の目は全てを見通す、たとえあなたとて例外ではないのです――!」
ぞわり、と、背筋を悪寒が走る。
これは魔法の気配、ネペロはおそらく逃走を図るつもりだ。
私はすかさずゴーレムを召喚しようとして――すんでのところで止めた。
ネペロの像が空気へ滲んでいく。
そして霞のごとく、彼女は教学事務室内から姿を消した。
……ひとまず、危機は去ったのだ。
私は真っ先に職員たちの屍(死んではいないが)を躱しつつ、ソユリの元へと駆け寄った。
彼女は壁に背中をもたれかけ、憔悴しきっている。
「ソユリ、大丈夫か?」
「あ、アーテル君……これで良かったかな……?」
「ああ、上出来だとも」
私はソユリに肩を貸してなんとか起き上がらせる。
ソユリは今回の功労者だ。
あの騒ぎの中で、ネペロに気取られぬよう放送機材まで近づくなど並大抵の神経でできるものではない。
ただでさえ小動物じみた彼女にとって、それは凄まじい緊張だったろう。
それでも彼女はやりおおせたのだ。
しかし、彼女の表情は優れない。
今にも泣きだしそうな顔で、こちらを見上げている。
「……ごめんアーテル君、私なんかをかばって、雷を……」
雷、とは先ほど私の魔護符をただの一撃で打ち砕いた、ネペロの魔法のことだろう。
「なんだ、そんなことを気にしていたのか? 良い、あれが最善手だった」
もちろん大事な学友を危険に晒すわけにはいかなかった、というのはあるが、それ以上にソユリはマンドラゴラの鉢植えを隠し持っていた。
もしもソユリが雷に撃ち抜かれていれば鉢植えの中のマンドラゴラも死に、今回の計画は成功しなかったのだ。
だからあれは当然の行動だと伝えたかったのだが。
「そう……かな……」
ソユリは消え入りそうな声で言って俯いてしまう。
……彼女にも何か思うところがあるのだろうか。
残念ながら、私は彼女の心情を推し量ることはできない。
やはり私はまだまだ未熟だ、と溜息を吐き出す。
「くそ……アルガンの野郎……学生相手に本気で魔術を使いやがって……」
「ああ、二日酔いの頭にマンドラゴラの断末魔はきつすぎるよ!」
そんなことをしていると、背後からトルア先輩とクロウス先輩がやってきた。
二人ともぶつぶつと不満を漏らしているが、目立った怪我はない。
彼らの背後にはマンドラゴラの断末魔をモロに聞いて、大の字になって伸びてしまっているアルガン・バディーレーの姿があった。
さあ、反撃の準備は整った。
私は改めて彼らに語りかける。
「――ソユリ、そして先輩方の助力によってネペロ先輩の撃退が叶い、ひとまずの危機は回避された。そして今回我々が得たなによりの報酬は、時間だ」
「時間、ねえ……」とクロウス先輩が腕組みをする。
「そう、先ほどまでの我々は差し迫った状況ゆえ、対処療法的な手段しか取れなかった。だが、これでは根本的な問題の解決にはならない」
「というと?」
「我々は知らねばならないのだ」
そう、知る必要がある。
ネペロが何を成そうとしているのか?
魔女の目とは何か?
この騒動を起こした理由とは?
ネペロの言も一理ある。
今までの我々は知らなさすぎた。
だからこそ一時は後手に回ってしまったが、これからは我々が攻める番である。
「マンドラゴラで気を失った人々が目を覚ますまで僅かに猶予がある、その間――私は情報の収集を提案する」
「……つまり、大学の中を調べるってこと?」
ふむ、ソユリは理解が早い。
噛み砕いて言えばそういうことになる。
だが、それだけではない。
「大学内を直接足で回って調べるのもあるが、協力してくれそうな人間を数人、覚醒させ連れてくることも付け足そう」
文殊の知恵、というやつだ。
情報は人から集めるのが最も手っ取り早い。
「あまり手当たり次第に目を覚まさせては再び暴動が起こる可能性もある、できるだけ信頼できる人間だけを厳選してほしい、これを各々が手分けをして取りかかろう」
「て、手分け? あのネペロとかいう訳の分からない魔術を使うヤツが一人の時を襲ってきたら?」
魔術?
その不安げな物言いに一瞬引っかかりを感じたが、そうか、先輩方にはまだ魔女のことについて話していない。
これについては後で話すとして――心配は無用。
「先ほど確信した、直前で耳を塞いだとはいえ彼女にはマンドラゴラの断末魔のダメージが残っている。しばらくはどこかで息を潜めるはずだ」
「な、なるほど」
「じゃあ、とりあえずは今回の騒動について調べて、手がかりになりそうなヤツは叩き起こして連れてこい、ってことだな?」
「そういうことだな」
「はん、先輩をパシリに使うなんてふてぇ後輩だよ」
クロウス先輩は一度鼻を鳴らしてトルア先輩と顔を見合わせると、お互いに不敵な笑みを作った。
その笑みは、ネペロのものとは違う。
彼らに任せておけばなんとかなる。
そう確信させるような、信頼に足る笑みであった。
「後輩の頼みとあれば仕方が無いね、ボクたちも伊達に三年も大学にいたわけじゃない」
「俺たちのコミュ力舐めんなよ」
「頼もしい限りだ」
「わ、私も! 頑張って情報を――」
「――いや、ソユリは私と来てもらう」
勢いよく立ち上がったソユリを制した。
ソユリは「な、なんで……」といかにも不安げな表情だ。
私はその理由を説明する。
「耳栓のはめ方が若干甘かったな、足が震えているぞ」
「えっ……あ」
ソユリは言われてからようやく気付いたらしく、咄嗟に自らの膝を押さえつけた。
そう、彼女にもマンドラゴラの断末魔による若干のダメージが見られたのだ。
しかし彼女は震えを押し殺して、更に捲し立てる。
「だ、大丈夫! これぐらい! 私も……!」
「いい、気にするな、それに私もソユリも、先輩方に比べればまだ大学について詳しくない、二人一組としよう」
「でも……」
ソユリは何かを言いかけて、しかし直前で唇を噛みしめ。
「……分かった」
と首を縦に振った。
やはり彼女の表情には、若干の陰りがあるように見受けられる。
ともあれ、これで方針は固まった。
「一時間後に図書館二階の学習スペースへ再度集合しよう、そこで情報を交換し、この騒ぎを終わらせる。では――」
行こう、と続けようとしたところ、突如として天上から何か黒い影が降ってきて、私の足下へ叩きつけられた。
鈍い音がして、目線下から「ぎゃ!!」と短い悲鳴が聞こえてくる。
私たちは揃って、ゆっくりと視線を下ろした。
おそらくマンドラゴラの断末魔をモロに聞いてしまったのだろう。
そこにはぐるぐると目を回し、ぐったりと身体を横たえる柘榴色の髪をした少女の姿が。
「とりあえず一人確保だな」
「……なにやってるのおばあちゃん」
彼女の情けない姿に、私とソユリは溜息交じりで呟いた。
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