61 大賢者、血路を開く
新聞部部長、ネペロ・チルチッタ。
真なる魔女を名乗る彼女が扱う魔法には、いくつか不可解な点がある。
まず、彼女が頻繁に使う他者に成り代わる魔法。
本人は変装と言っていたが、あれはそんなにも生易しいものではない。
姿形だけでなく立ち振る舞いから言葉遣い、匂いに至るまでを完璧に模倣している。
オリジナルと横並びになったところで、見分けることはほぼ不可能だろう。
しかしこれほど高度な変装術は、たとえ魔法とはいえ、そう易々と行使できるものではない。
そしてなにより不可解なのは彼女が魔法の発動に際して〝儀式〟を行っていないことだ。
魔法とは世界を形作る大いなる力の、その一部を拝借する人知を越えた技法だ。
人の領分を遙かに超えた技、それゆえに魔法は大規模な儀式を必要とする。
――とどのつまり、これほど強力な魔法を連発することなど、できるはずもないのだ!
「はい、チーズ!」
ネペロが指で枠を作り、そのフレーム越しにこちらを覗き込んでくる。
私は咄嗟にソユリを抱きかかえると、無詠唱式脚力強化の魔術を唱え、飛びずさった。
直後、ネペロがフレームを覗き込む目を軽く瞬きさせ――教学事務室の一角が真四角に切り取られた氷河地帯へと変貌する。
突然の出来事に、近くに居た教学の職員が「ヒィッ!?」と怯えた声をあげて腰を抜かしてしまった。
しかしそんなのはお構いなしだ。
ネペロは私たちの姿を追って、フレームを移動させ
「では、もう一枚!」
再びぱちりと瞬き。
その瞬間、全身がふわりと浮くような感覚があった。
気付くと足下には底の見えない奈落がぽっかりと口を開けている。
「えっ、これ死っ――」
「くっ!」
私は片手でソユリを抱きかかえたまま、もう片方の手で間一髪奈落の淵に掴まり、落下を免れる。
すかさず私は口唱法の魔術で奈落の底から暴風を発生させる。
凄まじい風が我々の身体を押し上げ、私たちは地上へ帰還することが叶った。
ぞぞぞ、とソユリの全身から鳥肌が湧き上がる。
「わ、私……生きてる……!?」
「……これほどの大魔法を連発できるほどの力を持ちながら何故一度に畳みかけない!? ネペロ・チルチッタ!」
「ふふふ、別に私は貴方を打ち負かしたいわけではないのです。言ったでしょう? 全力で邪魔をすると――それ」
ネペロが瞬きをする。
その時、目に映る景色が陽炎のごとくゆらめいた。
まただ、予備動作もほとんど無しに行使されるこの魔法――
刹那、足下の地面がぱっくりと割れ、地獄の業火さながら大質量の火炎が噴き上げてきた。
私はソユリを抱えたまま咄嗟に地べたを転がり、これを回避する。
私の腕の中で、ソユリが目に涙を溜めながら震えていた。
私としてもなんとかしてこの状況を打破したいところだが、いかんせんヤツの魔法の正体が分からない!
魔法の種類は多彩極まり、儀式とおぼしき予備動作もほとんどないときている!
これだけの芸当、かつて我々三大賢者が死闘を繰り広げたあの魔女王にも匹敵するぞ!?
「ふふふ、何が何だか分からないという感じですね……いいですよ、私の好きな顔です!」
ぱちり、と再びネペロが瞬きをする。
その瞬間、凄まじい速度で頭上に暗雲が立ちこめた。
これは――
「まずい! ソユリ離れろ!」
「えっ、あ、アーテルく――!?」
私は咄嗟にソユリを突き飛ばす。
その直後、一筋の閃光が迸り――眼前が白く塗りつぶされた。
懐へ忍ばせた魔護符が一撃で弾け飛び、頭の天辺から爪先まで衝撃が駆け抜ける。
白一色の世界が消え、全てが終わった後、私の身体からはぶすぶすと黒い煙があがっていた。
「そ、そんな……! アーテル君なんで……!」
「あら、モロに食らっちゃいましたね、まあそれでも立っているとは驚くべき精神力ですが」
「……お褒めに預かり、恐縮だ」
私はひとつ咳き込み、黒煙を吐き出す。
心優しきソユリは私の身を案じてくれているらしく、狼狽しきった表情でこちらを見つめていたが、これしか手はなかった。
予備動作なしに放たれる雷撃――なんの前準備もなく、これをかわせるはずなどない。
下手に躱そうとすれば、ソユリともども雷に打たれていたことは必至だ。
だからこそ私は自らを避雷針代わりとし攻撃を一手に引き受けたのだ。
しかし、代償は大きい。
「……魔護符がやられたか」
今の一撃でダメージが許容量を上回り、魔護符が粉々になってしまった。
魔護符が無くなってしまった以上、これ以降のヤツの攻撃は全て直接私に届いてしまう。
つまりあらゆる攻撃が致命傷となりうる、ということだ。
「ソユリ・クレイアットをかばってしまったばかりに大ピンチ、といった具合ですね、これから私は適当な魔法を一度、あなたに当てるだけで勝利してしまうわけですが」
「……そのようだな」
私はネペロを睨み返す。
彼女の感情は依然読めない、ただ不気味な笑みだけが貼りついている。
そして彼女は、ゆっくりと指のフレームを持ち上げ、そのフレームの中に私を捉えた。
「さあ、ではお望み通りにもう一度痺れさせてあげましょう。ご安心ください、今度は少しだけ威力を抑えます。全てが終わるまで目を覚まさないくらいには――」
ぱちりと瞬き、同時に再び頭上へ黒雲が立ち込める。
言うまでもなく、なんの前準備もなく光速の雷撃をかわすことなど不可能だ。
だが、前にも言ったはず。同じ手は二度と食わない!
躱すのが不可能であれば、私が先ほど実行したことを、彼らに代わってもらえばいいだけのこと!
「すでに羊皮紙は接地済みだ!」
先ほどソユリを突き飛ばすのと同時に錬金式を刻んだ羊皮紙をそこら中にばら撒いていたのだ。
起動した錬金式によって教学の床がボコボコと泡立ち、数体の泥人形――すなわちゴーレムが生まれ落ちる。
「ゴーレムの身長は私より頭一つ分は高い! さぞや良い避雷針になるだろう!」
正直苦し紛れの策であるが、しかしようやくヤツに一矢らしきものを報いることができる!
どうだ、少しぐらい悔しそうな顔でもしているか――?
私は挑発の意を込めてヤツの顔を睨み返す。
すると彼女は――どういうわけか、予想を遥かに上回った驚愕の表情を晒しているではないか。
「ご、ゴーレム!? ま、まずいっ――!!」
彼女の謎の狼狽について考察する間もなく、黒雲から目も眩まんばかりの閃光が迸り、すさまじい落雷がゴーレムの脳天へ直撃する。
一瞬遅れて響き渡る爆音に、私たちはほとんど反射的に耳を覆い、身体を丸める。
何度見てもすさまじい魔法だ、即席の泥人形はもはや影すら残していないだろう。
そう、思ったのだが。
「なに……?」
私は自らの目を疑った。
何故ならば、あれだけの雷に打たれたゴーレムが、まったくの無傷でそこに立ち尽くしているのだから。
……どういうことだ?
ゴーレムの耐久性は確かに素晴らしいが、間違っても私の魔護符を上回るほどではない。
それが、まったくの無傷?
「く、くっ……!?」
私が混乱する一方で、ネペロはまるで何かを隠すかのように、慌ててフレームを移動させ、私を枠の中に収めてくる。
そして、まばたき。
私は咄嗟に叫ぶ。
「ゴーレム! 私を守れ!」
命令を受けて、ゴーレムたちが私とネペロの間に割り込む。
するとその直後、ネペロの足元からマグマによる津波が巻き起こり、ゴーレムたちを一息に飲み込んでしまう。
今はゴーレムたちがダムの役割を果たしているが、彼らが決壊してしまえば次に呑み込まれるのは私だ。
本来ならばゴーレム程度で耐え切れるものではない。しかし――ゴーレムたちはいとも容易く、これを凌ぎ切った。
急速に冷え切った溶岩が黒ずんで固まり、勢いを失う。
またもゴーレムは無傷でネペロの魔法を耐え切ったのだ。
「ぐぅっ……!?」
誰もがぽかんと呆けたような顔を晒す中、ネペロだけが先程までの不敵な笑みを、なんらかの感情によって歪ませていた。
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