57 大賢者、閉口する
ラクスティア魔術大学一階、大廊下。
談笑する学生や、呆けた顔でひとりふらついている学生。
もしくは遅刻に怯え韋駄天さながらに駆け抜けていく学生たちで賑わっているのが常だが、もちろん例外も存在する。例えば今がそうだ。
朝――本日1コマ目の講義が始まるまでまだ幾分かの余裕があるこの時間に限っては、学生の姿もまばらである。
こんな時間にうろついているのは、よほど真面目な学生か、あるいは――
「なんでこんな朝っぱらから大学になんざ来なきゃいけねえんだ」
クロウス・ケイクライトは欠伸を噛み殺しながら、いかにも不機嫌そうにぼやいた。
昨日も日付が変わるまで酒をかっくらっていただけあり、着崩した服もさることながら、全身から気怠げな雰囲気が漂っている。
「しょうがないだろクロウス、昨日〆切のレポートがあるって、つい昨日まですっかり忘れてたんだから……」
同じく、クロウスとともに夜通し酒を飲んでいたトルアが死にそうな顔で呟いた。
人並み程度には酒に強いトルアであったが、鉄の肝臓とも評されるクロウスと一晩中際限もなく酒を煽っていたのだ。
率直に言って、満身創痍である。
事実、ここにたどり着くまでに三度吐いている。
「正確には今日まで忘れていた、だけどな、あん時とっくに日付変わってたぜ」
「そうだったかな……? ああ、くそ、おぼろげにしか思い出せない……頭が……」
「だらしがねえな、男だろ」
「性別と肝臓は関係ないだろ……クソ、クロウスが景気づけに酒を飲みながらレポート書こうなんて提案しなきゃ……こんな滅茶苦茶なレポート提出したら単位落とすどころか退学処分だ……」
「ぐだぐだ言っても仕方ねえだろ、どっちにせよ出せなきゃ落単だ、早く提出しねえと教授が出勤してきちまう」
ラクスティア魔術大学では、講義によって期末レポートの他に、課題として中間レポートの提出を求められることがある。
講義中に惰眠を貪っていようがお咎め無しの講義において、レポートは成績評価に大きく響く。
出来不出来はともかく、期日までにレポートを提出できないともなれば落単は確定。
しかし、このレポートの提出期日というのには一応の抜け道がある。
それは「教授が大学に出勤するまでに研究室のポストへレポートを放り込めば、昨日提出したものとして処理される」ということである。
すなわち〆切翌日の朝までに提出すれば、期日までに提出したこととなるのだ。
「せっかくの休日と〆切をぶつけたあの教授が悪い」
クロウスは毅然として言い放ち、再び研究室を目指した。
トルアもまた大鐘を鳴らすような頭痛に顔を歪めつつも、ふらふらと彼の後について行く。
すると、彼らの視界に不可解なものが映り込んだ。
「なんだありゃ」
クロウスとトルアが歩みを止め、目を凝らす。
彼らの進行方向――すなわち購買前掲示板、通称ギルドに人だかりができていたのだ。
「こんな朝早くからなんだい?」
「知らねえ、見たところ後輩の女子ばっかだがどこかで見た顔も……ちょっと待て、あれお前の元カノじゃねえか? あいつと、あいつと、あいつと……」
「え、嘘? ……って、キミが前に持ち帰った後輩もいるじゃないか、あの子と、あの子と、それからあの子と……」
ただならぬ悪寒が二人の背中を駆け抜ける。
しばらくして人だかりの内一人が、クロウスとトルアを見つけ、他の女子たちに何かを伝えている。
距離があるだけに会話の内容は聞き取れなかったが、途端、彼女らの雰囲気が一変したことだけは分かった。
具体的に言うと、殺気に。
「……おいトルア、お前今までの元カノとは後腐れ無く別れてるよな?」
「そっちこそ、ちゃんと手は切ったんだろうね……」
女子たちが一斉に懐からメモ帳を取り出し、自前のペンをもって何かをさらさらと書き込んでいる。
否、叩きつけるように、書き殴っている。
まるで怒りをそのままぶつけるかのごとく、まるでペン先をもって親の仇をえぐり潰すがごとく――
大学生活で培ったトルアとクロウスの中の経験が激しく警鐘を鳴らしていた。
これはヤバイ――と。
「逃げるぞトルア!!」
「同意見だ!」
トルアとクロウスがほとんど同時に踵を返し、脱兎のごとく逃げ出す。
するとその直後、背後から多彩な魔術が飛んできた。
混じりっけ無しの殺意、手加減など一切無い攻撃魔術の数々が――
「なんでだよ!!」
クロウスが逃げながら悲鳴をあげる。
彼女らは新たな攻撃魔術の式を構築しつつ、血走った目でトルアとクロウスを追いかける。
そして、誰もいなくなったギルドにて、掲示板に貼り付けられた一枚の〝新聞〟が風に揺れた。
〝恋愛相談をしてくる女はカモ!? 騎竜倶楽部部長トルア・リーキンツ、卑劣すぎる手口を語る〟
〝とうとう大台突入か? 星見の森部長クロウス・ケイクライト、またも酔い潰れた新入生をお持ち帰り〟
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「……なんだこれは」
私はソユリとともに登校するなり、我らが神聖なる学び舎の変わり果てた姿に閉口せざるを得なかった。
人が怒りに顔を歪めている。
あるところでは殴り合い、あるところでは攻撃魔術の応酬にすら発展していた。
人が狂喜に腹をよじらせている。
狂ったように笑い、のたうち回っていた。
人が悲嘆に暮れている。
ある者は涙でぐしゃぐしゃになった顔で私のすぐ傍を駆け抜けていった。
窓ガラスが割れ、備品が打ち壊されて、学生たちは知性を忘れてしまったかのような騒ぎだ。
その様を一言で表すならば狂乱。
かつての魔女の宴が、今ここに再現されているのでは無いかと錯覚したほどだ。
「……なにこれ」
ソユリの溢れる知性をもってしても、この状況は理解に難かったらしい。
私とほとんど同じ台詞を吐いて、その場に立ち尽くしている。
そんな時だった。
「――部長! この記事に書いてあることは真実ですか!?」
「横暴だ! 失言だ! これは明確なるサークル基準法違反だ!」
「新入生とキスしてただろ!」
「黙ってないでなんとか言ったらどうだ!」
「弾劾せよ! 弾劾せよ! 弾劾せよ!」
「あと新入生とキスしてただろ!」
なにやら珍妙な集団がいたので、そちらへ目をやる。
するとボードらしきものを掲げた多数の黒子に囲まれ、しどろもどろになる一人の女性の姿。
久しく再会することが叶わなかったが、私はしっかりと覚えている。
あれは演劇サークル部長、シュリィ・メルスティナ先輩だ。
なかなかにシュールな光景だが、あれは……黒子たちがシュリィ先輩を囲んで何か抗議しているのか?
一部訳の分からないことを訴える者もいるが、当のシュリィ先輩はというと黒子たちに身動きも出来なくなるぐらい詰め寄られ、涙目になっている。
「なんなのよこれーーー!!」
シュリィ先輩の悲痛な叫びが轟いたかと思えば、黒子たちの下から一枚の紙がひらりと飛んできて、私の足下に着地する。
私はこれを拾い上げ、そこに記されてある内容に目を通すと――思わず眉をひそめた。
〝演劇を成功させるためには退学もやむなし?! 非道! 現代のブラックサークル、サバト部長シュリィ・メルスティナ〟
「これは……新聞か?」
私の知るものとは大分形が異なっているが、しかし確かにこれは新聞だ。
改めて見てみると、この騒動の中心には全てこの〝新聞〟がある。
〝許されざる依怙贔屓! 学長ディヴィーナ・フランケンシュタインが特定の学生に肩入れ! ラクスティアの腐敗はもはや手遅れ?〟
〝アカデミック・ハラスメントの実態! イルノフ・ガントット教授、単位を盾に学生を恐喝か?〟
〝童顔の鬼、教学アルガン・バディーレー、シークレットブーツの値段はいかほど〟
見れば見るほど、なんとひどい記事か。
いたずらに人を煽り、人の心を惑わす、そんなゴシップの数々が飛び込んでくる。
「これがネペロ先輩の言ってた大魔法……?」
ソユリが引きつった顔で呟くが、私は心中で叫ぶ。
――否! 断じて否!
このように低俗なものが魔法であるものか!
「――アーテル!」
名前を呼ぶ声がして、私は咄嗟に振り返る。
見ると、人混みの合間を縫ってマリウスがこちらへ駆け寄ってきていた。
「おばあちゃん!? これどうなってるの!?」
「し、知らないよ! 朝早く大学に来てみたら大学の至る所に新聞が貼り出されてたんだ! これのせいでキャンパスはたいへんな騒ぎさ!」
「新聞部部長ネペロ・チルチッタ……! 間違いなくヤツの仕業だな! こんなことをしてなんになる!?」
意味も無く人々を恐慌状態に陥れ、一体何を為すつもりか!
根性のねじ曲がったマリウスであっても、こんな訳の分からない事をしたりはしない!
……いや、待て。
「マリウスよ」
「なんだいアーテル!?」
「貴様、何故こんな時間に大学にいる? 私の記憶が正しければ、お前はこの時間に講義を入れていないはず」
「……」
「――貴様! マリウスではないな!?」
私はすかさず無詠唱式の攻撃魔術式を組み、マリウス〝もどき〟に牽制の火炎魔術を放つ。
しかし、彼女がにやりと口元を歪めたかと思えば、すぐにその姿がかき消えて、火炎の魔術は背後の壁にぶち当たった。
「――ははは、残念ですねぇ、すぐに見破られてしまいました」
いつからそこにいたのか。
私のすぐ傍でニヤニヤと笑っているのはこの騒動の元凶、ネペロ・チルチッタである。
分かるに決まっているだろう!
あの怠け者に、間違っても講義の入っていない時間から大学に来るような殊勝さがあるものか!
「ネペロ先輩! 一体あなたは何をするつもりなんですか!?」
ソユリがネペロをに問い詰める。
彼女は不気味に口元を吊り上げてこれに答えた。
「これはあくまで第一段階、私の大魔法は着実に進行しております。ふふふ、楽しみですねぇ、あなたが私の大魔法を看破するのが先か、あるいは――おっと、ここからはネタバレになってしまいますので、またいずれ」
「逃がすか!」
私はすかさず無詠唱の攻撃魔術を構築するが、一手遅かった。
あとはエンドマークを打つだけ、という段になった頃には、再びネペロの姿がかき消えている。
あたりは、再び喧噪に包まれた。
「新入生とキスしてただろ!!」
歯噛みをする私の近くでは、例の黒子が再び意味不明なことを叫んでいた。
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