55 大賢者、未知に恐怖する
「――未知とは恐怖なのですよ、総合魔術科一年、アーテル・ヴィート・アルバリスさん」
正体を現したネペロ・チルチッタは底知れず不気味な笑みを披露しながら、言った。
彼女の発散する気配は、体の内側に忍び込んで臓腑をしめつけるがごとく異質なものである。
しかし、その異質を私は知っている。私の身体が覚えているのだ。
これは紛れもなく、魔族の気――
「人一人の力など世界を包む未知の膨大さと比べればさながら大海の蟻、未知とは我々を取り囲む大いなる力そのものと言っても過言ではありません」
ネペロは演説を続けながらこちらをねめつける。
私とソユリは、さながら蛇に睨まれた蛙だ。
「結局のところ、人は原始の時代から何ひとつ変わってはいないのです。いくら魔術が発達し知恵の光を灯そうとも暗闇は未だ晴れず、恐怖の対象であり続けるのです」
「結局のところ何が言いたいのだ……ネペロ先輩」
「ああ、こんな状況でもまだ私を先輩と呼んでくれるんですか? 律儀ですねぇ」
ふっ、と何の前触れも無くネペロの姿がかき消えた。
私とソユリは目を剥き、彼女の姿を探す。
耳元から囁くような声が聞こえた。
「本当は怖くてたまらないでしょうに」
「!?」
私は反射的にソユリの手を引き、後ずさる。
振り返ると、ソユリと私のすぐ背後、手を伸ばせば届くほどの距離にネペロの姿があった。
姿を消す魔術、瞬間的に移動する魔術は存在するが、しかしこの感覚は魔術ではない!
間違いない、やはり彼女は――
「魔法を、使っているのか……!」
「ぴんぽん、ご名答です」
ネペロはこの緊迫した状況にまるでそぐわない軽い口調で私の言葉を肯定する。
その余裕が、今はから恐ろしい。
「あ、アーテル君……魔法って……? それにあの、ネペロ先輩はいったい……?」
ソユリもまた底知れぬ恐怖を感じ取っているのだろう。
さながらすがりつくように、震えた声で尋ねかけてくる。
彼女は新聞同好会もとい新聞サークル部長、呪術科二年のネペロ・チルチッタ先輩――であるはずだ。
少なくとも私の中ではそういう認識であった。
だが――
「その問いには私が答えましょう、結界魔術科一年、ソユリ・クレイアットさん」
言葉に詰まる私を嘲笑うように、ネペロが言った。
「まず現代の魔術は、かつて存在した魔法と呼ばれる技術から派生したもの、というのはご存じでしょう」
彼女はまるで教授が講義でもするように、くるくると指を回しながら続ける。
「私はラクスティア魔術大学に在学する呪術科二年のネペロ・チルチッタ、その事実に相違はありません、しかし付け加えて言うならば――私は正当なる魔法の継承者、かつて真なる魔女と呼ばれた存在に類するもの、もしくはこう言った方がいいでしょうか」
そして彼女は、私の予想を確信へと変える一言をいとも容易く言い放つ。
「遙か昔、人魔大戦において魔術師たちの手にかかり歴史から抹消されたとされている魔法使い――すなわち〝魔族〟の子孫です」
「馬鹿な!」
私はほとんど無意識のうちに声を荒げていた。
その鬼気迫るさまにソユリは思わず肩を震わせるが、ネペロは眉ひとつ動かさず微笑をたたえている。
「確かにいくら時が経てども技術は残る! 魔法のまがいもの、魔女のまがいものならば納得もしよう! しかし現代に真の魔女が、魔族の血筋が残っているはずなどない!」
「おや、まるで実際に人魔大戦を経験したかのような口ぶりですね? アーテルさん」
「くっ……!」
私が人魔大戦の終結に一役買った三大賢者の一人である、という情報は別段秘しているわけでもない。
しかし彼女が本当に魔族の子孫であるならば、おいそれとこれを明かすわけにはいかない。
何故ならば、未だ彼女の目的が見えない――
「ふふふ、やはり興味深い存在ですよ、あなたは。……覚えていますか? あなた、私と初めて会った時、私から魔法の気配を感じ取っていましたよね?」
私の中にある記憶が蘇る。
あれは先日、大学購買前の廊下で彼女と交わした会話。
――呪術科とは名前の響きから判断して呪術全般についてを学ぶ場所だと推測するが、そこではもしや“魔法”も取り扱うのか?
――……イヤですねぇ、魔法? ファンタジーじゃあるまいに、そんな眉唾をわざわざ学校で教えるわけないじゃないですか、さすがの大学でも魔女はいませんよ、ハハハ。
――しかし、君からはかつて出会った魔女と同じ匂いがするぞ。
「まさか魔法の残り香を一介の学生に気取られるとは……さすがの私も驚きましたよ。それにしてもかつて出会った魔女、ですか。アーテルさんは昔、他の魔女に出会ったことがあるんですかね?」
「……答えるつもりはない」
「それがいいでしょう、情報とはカードですから必要な時に伏せ、必要な時に切るべきです。しかしその一方で私はあなたのことがもっと知りたいのです。ですから」
その途端、大気が質量を持つかのごとく場の空気が一変した。
ただならぬ気配が全身を押さえつけ、本能が警鐘を鳴らす。
その異常事態を示すように、いつの間にか広場から私たち以外の人が姿を消していた。
「――名刺代わりに私の魔法を披露してさしあげます」
彼女は両手の人差し指と親指を立て、それを枠に見立てると、これを通して私たちを覗き込んだ。
ぴしりと、世界の軋むような音があり、その直後――
「アーテル君! 危ない!」
ソユリが横ばいから飛び込んできて、私を突き飛ばす。
私とソユリは地べたを転がり、そしてその次の瞬間、私たちがつい先ほどまで立っていた場所が異質の空間と化した。
私はこの荒唐無稽な現象を説明する言葉を持たない。
しかし、あえてありのままその光景を表現するとすれば。
――ネペロの作り出した枠に収められていたのであろうその場所が、真四角に切り取られた溶岩地帯へと変貌していた。
「これはさすがに避けますよねぇ、いやぁ危なかったです、別に私はあなたを殺したいわけではないので」
ネペロは地面に倒れ伏した私たちを見下ろして、こともなげに言う。
私はただ言葉を失うほかなかった。
何故なら私はこんなものを知らない。
魔術であれ、魔法であれ、錬金術であれ、巫術であれ――古今東西、こんな芸当は見たことがないのだ!
「しかし、こんなものは私がこれから行おうとしている偉業に比べればほんの些事です。――時は満ちました。私の大魔法はもうすぐ成ります。私のことが知りたければ明日早い内に大学へ来てください。きっとさぞ面白いものが見られますよ」
そう言い残して、彼女は姿を消した。
同時に、場を支配していた重圧が嘘のように霧散する。
赤黒い溶岩は、何事もなかったかのようにレンガ造りの地面へと戻り、人々の雑踏が聞こえてくる。
――見逃されたのだ。
「ネペロ・チルチッタ……ヤツは一体何を企んでいる……!?」
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