53 大先輩、後輩をかわいがる
「クソ……チクショウが……!」
こんなはずでは、こんなはずではなかった。
こんな展開になるなんて、聞いていなかった。
うざったい野次馬どもを押しのけて我を忘れるほど走り、階層まで移動した挙げ句にモールさえ脱出して、人目につかない建物の陰にまで逃げ込んだ。
膝に手をつき、荒い息を吐き出す。
ひととおり息を整えると、そこで初めて、周りでひどい顔をした取り巻きどもがひいひいと情けない声を漏らしているのに気が付く。
奴らの馬鹿さ加減にはつくづく呆れさせられる。
ガキじゃあるまいしなんで全員同じ方向に逃げてくるんだ、と悪態の一つも吐きたくなったが、今はそれどころではなかった。
「舐めやがって……!」
俺の頭は煮えたぎるほどの怒りに塗りつぶされていたのだ。
なにもかもが気に食わない。
あの偉そうな教授も、涙目でぎゃあぎゃあ喚いていたガキも、俺たちに噛みついてきたあの女も。
なにより――あのとぼけた野郎が気に食わない!
俺たちはあのラクスティア魔術大学の学生だ。
大抵のヤツはラクスティアの名前をちらつかせただけで震え上がって、無言で道を開ける。
それが五人も集まって、なんだこの体たらくは!?
たった一人の生意気な魔術オタクにビビって、今じゃ岩陰の虫みたく縮こまりやがって――!
「クソが!」
怒りに任せて、近くの壁に拳を叩きつけた。
これを見て、取り巻きの何人かがビクリと肩を震わせる。
そのあまりの情けなさが苛立ちを加速させた。
こいつらも後でシメてやる。
だが、まずはあいつが先だ。
あのいけ好かない魔術オタク、もう顔は覚えたぞ。
ヤツは俺の顔に泥を塗った。
よりにもよって取り巻きどもの前で。
こういう出来事はのちのち周りの馬鹿どもを従える上で支障をきたす。
潰れた面子は報復によってしか取り返せない。
さもなくば、俺の〝大学デビュー〟計画は、あっけなく水泡に帰してしまう。
せっかく死ぬ気で勉強してラクスティアへ入学することが叶い、今までのクソみたいな繋がりを断ち切ることが叶ったんだ。
強者に媚びへつらうことでなんとかカースト上位層にしがみついていたあの頃に戻るのは死んでもごめんだ。
俺はこの大学でこそカースト最上位に立つと、心に決めたのだ。
そのためには、どんな手を使ってでも後悔させてやる。
闇討ち……いや、女の方に手を出すのもいい、あの手の馬鹿はそっちの方が効くはずだ。
ぶくぶくと湧き上がってくる残酷なシミュレーションに、少しだけ胸のすっと空くような思いがする。
俺は懐から紙煙草を一本取り出して、口に咥えた。
……そうだ、報復といえばあいつの事も忘れちゃいけない。
今回の騒動のそもそもの元凶。
どういうつもりか、俺たちにガキのバッグを手渡してきた、やたらじゃらじゃらと髪留めをつけたあの女――
「おい! 誰でもいいから火ィ寄越せ!」
取り巻きどもを怒鳴りつける。
愚図な奴らだ。見て分からないのか、こっちは無性に腹が立っている。
火の一つや二つ、俺が煙草を咥えた時点で持ってくるべきだろう。
しかし俺が声を荒げたにも関わらず、奴らの内の一人でも、そそくさとこちらへ駆け寄ってくるような気配はない。
「おい! 火ィつってんだろうが! 早くしろ!」
怒気を込めて叫び、取り巻きどもに振り返る。
奴らは相変わらずの間抜け顔を晒したまま、カカシみたくぼけえっと突っ立っていた。
どこまでも間抜けな奴らめ――!
そう怒鳴り散らそうとした矢先、俺はあることに気付いてしまった。
取り巻きどもがある一点に視線を集中させているのだ。
俺ではない、なにか、別の何かに……
「…………あ?」
背後に、奇妙な二人組がたたずんでいた。
でっぷりと膨らんだ腹には蛇腹模様、背中には申し訳程度に小さな翼がぴょこんと飛び出しており、尖った鼻の上には巨大な目玉がふたつ。
体色は、それぞれグリーンとピンクで綺麗に分かれている。
むろん、そんなふざけた生物が実際に存在するわけは無く、端的に言ってしまえばそれは着ぐるみである。
デフォルメ化された竜の着ぐるみに身を包んだ二人組が、いったいどういう了見なのか、こちらをじっと見つめているのだ。
初めはあまりの馬鹿馬鹿しさで呆気にとられてしまったが、一呼吸置くと、抑えきれないほどの苛立ちがこみ上げてくる。
「……何見てんだコラ」
二体の着ぐるみはこちらの問いかけに答えず、ただ無言のまま、そのどこを見ているのかもよく分からない巨大な目を、こちらに向けている。
とうとう堪忍袋が限界を迎え、俺は煙草を咥えたまま奴らに詰め寄る。
ちょうどいい、ムシャクシャしていたのだ。都合の良いサンドバッグがふたつ、思いのたけ殴り倒せばさぞ気が晴れるだろう――!
暗い情動に口元が歪む。
その矢先――突如、咥え煙草の先端に火が灯った。
「うおっ!?」
突然の出来事に、俺は思わず煙草を落としてしまう。
先端の赤熱したソレは、軽い音を立てて地面を跳ね、そして一筋の紫煙をくゆらせた。
これは無詠唱式の火炎の魔術……!?
「――火、欲しかったんだろ? 一年坊」
緑色の着ぐるみがくぐもった声で言った。
声が低い、男? 一年坊とは?
混乱するこちらをよそに、二体の着ぐるみは、その太くて短い腕を回し、首を取り外した。
緑の方からは短めの銀髪を荒々しく尖らせた浅黒い肌の青年が。
そして桃色の方からは、対照的に柔らかな金髪を横に流した、優男風の青年が現れる。
しばらくの降着状態ののち、俺はようやく事態を把握して、全身から一気に血の気が引くのを感じた。
何故ならば、俺はその二人を知っていたのだ。
「クロウス先輩に、トルア先輩……!?」
「お、よく知ってたね」
金髪の優男、もといトルア先輩が、わざとらしく驚いたようなそぶりを見せた。
透き通るようなその爽やかな声音に、今は恐怖しか感じない。
――知っているに決まっているだろう。
騎竜倶楽部部長、トルア・リーキンツ。
そして星見の森部長、クロウス・ケイクライト。
この二人を知らない人間がラクスティアにいるものか。
キャンパス内外問わず、共に広い人脈と高い発言力を持ち、教学とのパイプすら持つと噂される、ズバ抜けたコミュ力。
そして魔術の腕も他の学生とは一線を画し、クロウス先輩に関しては入学式で新入生代表としてスピーチすら務めたとの話だ。
それに――なにより顔が良い。
真偽のほどは定かでないが、トルア先輩に関しては街を歩いていただけで、一日の内に三度、ファッション誌のモデルとしてスカウトされたことがあるとかないとか。
とにもかくにも、彼らこそが大学における絶対強者、絶対に敵に回してはいけないまごうことなきリア充、すなわちスクールカーストの最上位――
「せ、先輩方は、こんなところでなにを……?」
俺は無理やりに媚びた笑みを作り、なんとか言葉を絞り出した。
彼らは依然微笑みを崩さない。
その不気味さに全身が粟立つ。
「見りゃわかんだろ? バイトだよバイト、着ぐるみ着て風船配ってんだよ、今は休憩時間だ」
「良かったらキミもいるかい? 魔術遺産科一年のゼノ・コーヤンくん」
トルア先輩が色とりどりの風船をこちらに差し出してくる。
しかし俺としてはそれどころではない。
「な、なんで俺の名前を……? 所属学科まで……」
「はは、当然じゃないか、可愛い後輩の名前だもの、覚えるに決まっているだろう?」
「またお前は調子のいいことばっか言いやがって、キザ野郎が」
クロウス先輩が着ぐるみの肘でトルア先輩の蛇腹を小突く。
「まあ、ゼノくんはまだ分かんねえかもしんねーけど大学に三年もいるとイキってる新入生を陰でニヤニヤ眺めるぐらいしか楽しみがなくなんだよ、な、トルア?」
「はは、口が悪いよクロウス、まあ事実だけど」
「ゼノくんには楽しませてもらったぜ? 久しぶりに一年の頃を思い出させてもらったしよ」
「そ、そんな……」
咄嗟に下手に出ようとするが、言葉が出ない。体温だけが急速に下がっていく。
二人の先輩はそんな俺のさまを心底楽しそうに眺め、そして二人同時に俺の肩に手を回してくる。
もはや敵対しようという意思すら湧き出てこず、俺は蛇に睨まれたカエルのごとく縮み上がった。
「まあ、ただイキってるぐらいなら陰で笑う程度で別になんともしねーんだけどさあ、ちょっとやり過ぎたな」
「学内で大きい顔するだけならいざ知らず、ボクらの後輩に手を出したのはいただけないね」
後輩……!?
まさか、あのとぼけた顔の男、先輩と繋がって……!
「――ところで、ボクら朝から働き詰めで疲れちゃったんだ。ここらで一服したいんだけど、火、貸してくれるかい?」
「無詠唱式火炎の魔術、できるよな? 無詠唱式で火をつけた煙草が一番美味いんだよ」
そんな無茶苦茶な理屈があるものか――とは、当然言えるはずもない。
「い、いや、俺は詠唱式でしか……!」
「まさか煙草に火をつけるぐらいでわざわざ口唱法だの書き込み法だのの魔術を使うわけないよな?」
「先輩が煙草咥えたら後輩はすぐに火をつけるんだよ、見本見せたからできるよね? ゼノくん」
「万が一ミスって前髮でも燃やそうもんなら在学中は絶対彼女ができないようにしてやるよ、ゼノくん」
右にも先輩、左にも先輩。
その爽やかで邪悪な笑顔に挟まれて、俺は自らの大学デビュー計画が僅かひと月で水泡に帰したのだと悟った。
ゆえあって半月ほど外界から隔絶されておりまして、更新大幅に遅れてしまいました……申し訳ございません……
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