50 大賢者、迷子の父親と遭遇する
数ヶ月分の保存食をほんの数時間で平らげたウチの無駄飯食らいではないが、幼子の食欲というのはやはり侮りがたいものがある。
いったい、その小さな身体のどこにあれだけの食物が入るのか。
ティモラは若干の遠慮を残しながらも、実に四度目のおかわりを唱え、それすらもぺろりと平らげてしまった。
その食欲は、もはや賞賛に値する。
おかげで彼女がおかわりを唱える度に切り分けられていった私のステーキは、残すところ三分の一を切ってしまった。
ちなみに私はというと、彼女の圧倒的な食欲に恐れをなし、最初の一口以降ほとんどステーキには手をつけていない。
まさか半分以上が彼女の胃の中に収まるとは想定外だったが、なあに私は少食だ。これだけでも十分足りる。
――が、問題点が一つ。
「……」
彼女が落ち着かない様子で、残ったステーキへちらちらと目線をやっている。
さすがに引け目を感じているのか口には出さないが――十中八九、彼女の空腹は未だ満たされていないのだ! これにはさすがの私も舌を巻いた!
「……食べたいか?」
ティモラに尋ねる。
すると彼女ははっと我に返り、頬を染めた。
「でも、おにーさんのたべるぶん、なくなっちゃうから……」
食べたいらしい。
これはいかんともしがたいことだ。
「あの、ティモラちゃん? 足りなかったなら私のぶんあげるよ?」
見るに見かねて、ソユリが助け船を出してくれた。
これを受けて、ティモラはもじもじと身体をよじらせている。
人の感情の機微に疎い私ではあるが、さすがにこれは分かる。
食べたいのだ、ティモラは、肉を。
カルバ牛の柔らかな肉質にその未成熟な歯牙を突き立て、一種官能的な肉の世界に浸っていたいのだ!
私としてもいっそこれを全て差し出し、ティモラの欲を満たすこともやぶさかではないが、しかし……
一つ、革新的閃きが起こった。
「――悪いが少し待っていてくれ」
私は彼女らにそう言い残して、席を立った。
向かう先はフードコートの一角、おあつらえ向きのある店舗に目をつけ、カウンターに立つ。
そして極めて愛想の良い店員に目当ての物を注文した。
そのまましばらく待って、代金と引き換えに店員から注文の品を受け取ると、私は彼女らが待つテーブルへ帰還する。
「待たせたな」
そう言って、私は調達したソレらをテーブル上に並べた。
一つはネリカと呼ばれる白い穀物。
もう一つはモヨルの乳から分離した脂肪分を凝固させ、固形にしたマルトゥーと呼ばれるもの。
最後に、香辛料の入ったミルだ。
ソユリとティモラが、怪訝そうにこれらを見つめている。
「……ネリカとマルトゥー? ステーキと一緒に食べるの?」
「惜しい、惜しいが違う、まずはこうするのだ」
私は彼女らの疑問に答えるべく、手始めに残ったステーキを細かく切り分ける。
先ほど取り皿に分けた物より、更に細かくだ。
そしてひとしきり作業が終われば、頭の中で構築していた無詠唱魔術式へ、エンドマークを打つ。
するとほとんど冷めかけていた鉄板が再び熱を帯び、切り分けられた肉から香ばしい香りが立ち上ってくる。
「鉄板を再加熱して……それから?」
「ここにネリカを加える」
私は平皿に盛られたネリカを、ひと思いに肉の上へかぶせてしまう。
更にこのてっぺんにマルトゥーを落とし、ミルをひねって香辛料を振りかける。
普通はこれでもかと香辛料を振りかけるのだが、ティモラに合わせて気持ち控えめに。
「そして、肉汁が出ている内に、これを絡める」
ナイフとフォークを構えて、手早くこれらを混ぜ合わせる。
こうすることで、真っ白なネリカの一粒一粒が肉汁に包まれるのだ。
熱で溶けたマルトゥーと香辛料が加わったことにより、そこから立ち上る香りに変化が現れる。
具体的には、これでもかと食欲をそそる香りに。
その証拠にティモラはもちろん、ソユリでさえ、他に語る言葉を知らぬというように、この様子を凝視して唾を飲んでいる。
そしてそのまま混ぜ合わせることしばらく、ネリカの表面に軽く焼き目がついたあたりで――完成だ。
「簡単なものだが、できたぞ」
「すごい!」
完成と同時に、ティモラが思わず身を乗り出した。
これを料理と称するにはいささか抵抗があるが、柔らかいカルバ牛とマルトゥー、そしてそれら十二分に吸ったネリカ、アクセントの香辛料が渾然一体となった一品だ。
そこから立ち上る香りは、作った本人である私の胃袋すらこじ開ける、圧倒的な食欲増進効果を誇る。
遙か昔、市場にほとんど出回らず、今よりも固く筋張っていて獣臭かったカルバ牛。
これを少しでも長く楽しむべく考案された水増しのレシピだったが、私の記憶の中に残っていたのが幸いした。
「今ティモラの分を取り分けよう、熱いから十分に気をつけろ」
「ありがとうおにーさん!」
さすがのティモラもこの魅力には抗いがたいだろう。
遠慮も忘れて、年相応の子どもらしくはしゃいでしまっている。
少しだけ、勝った気分だ。
などと考えていると、ふいにソユリが自らの顔を両手で覆っているのが見えた。
指の隙間から覗く彼女の表情は、とても切なそうだ。
「……ソユリもいるか?」
「い、いいよ、二人で食べなよ!」
ソユリは慌てて切り分けたクプ魚のソテーを口いっぱいに頬張るが、どうもそれで満足している風には見えない。
それどころか、スプーンですくったネリカを頬張って身悶えするティモラを眺めて、より一層切なそうだ。
なんだか、今にも泣き出してしまいそうである。
「……ソユリの分も取り分けよう」
再度勧めると、彼女はやはり泣きそうになりながら小さく頷いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
かくして我々は十分に空腹を満たすことが叶った。
ティモラはここへ来るまでの沈鬱な様子がまるで嘘のように満足げな表情で。
一方でソユリは幸福感と罪悪感をないまぜにしたかのような、複雑な表情をしている。
なんにせよ、休憩は終わりである
「そろそろ行くか」
「うん!」
私の提案に、ティモラは力強く頷く。
すっかり心を許してくれたようで、なによりだ。
「お父さんも今頃必死でティモラちゃんを探してるだろうし、急がないとね」
ソユリは口直しの水を飲み干して席を立つ。
さて、私もティモラをおぶるという役目があることだし、早々に……
そう思って席を立ちかけた、その時であった。
「――いいから早くそれを返してくれないか!」
突然、あたりに怒号が轟いた。
何事か?
私たちは揃って、声がした方へ視線を送る。
声の主は、フードコートの入り口付近で数人の若者たちを相手取る、一人の中年男性であった。
遠目に見ても彼の背中には鬼気迫るものを感じるが、対する若者たちにはこれをマトモに取り合う気配はない。
「ちょwせんせ~~い、あんまり大きな声出さないでくださいよwマジ恥ずかしーからさwww」
若者グループのリーダー格らしき青年が、ニヤニヤと口元を歪めて言う。
不自然に方々へ尖り、毒々しい色をした毛髪が印象的である。
……はて、どこかで見た顔だ。
少し考えて、私は記憶の中から彼に一致する人物を見出した。
そうだ、彼は以前学習スペースで、やたら愉快そうに笑っていた、あの学生だ。
よく観察してみれば、彼を取り囲む一団もまた、あの時学習スペースで出会ったのと同じ顔ぶれである。
そして更に目を凝らしてみれば、リーダー格の彼は、その手にある物を抱えている。
それはごく小さな、幼児用と思わしきポーチだ。
「あれ、わたしの……」
ティモラが小さく呟く。
あれが、ティモラの無くしたと言っていたバッグか?
では、彼らはそれを手にして、一体誰と言い争っている?
「さっきから言ってるじゃないですかぁww単位くれればこれ返しますよってww」
「そんなことできるわけないだろう! 大学をなんだと思っているんだ!」
「なんで俺らが怒られてるんすかwwwあれですよ、俺らあの、善意の第三者? ってやつなんすけどwww」
「いいから返せと言っている! それは娘のものだ!」
しびれを切らした中年の男性が、リーダー格の彼に飛びかかった。
しかし、体格に差があるせいだ。
青年は闘牛士さながら男の突進をひらりと身躱した。
中年男性は体勢を崩して地べたに倒れ伏し、若者たちはこれを嘲笑する。
「ちょw先生マジ危ないってwwてかこのバッグ重てーーww娘にこんなもん持たせるなんて虐待っすよ虐待www」
そう言って、青年はポーチを放り投げる。
中空に放り出されたポーチは床の上を滑り、そしてその中身をぶちまけた。
これによりかわいらしい髪飾りやブレスレットが床に散乱したが、中でもひときわ目を引いたのは一冊の分厚い、本。
ここからではその本のタイトルを目視することはもちろんできないのだが、あいにく、私はその本を知っていた。
何故ならば、何度も読み返した本だから。
私が尊敬する偉大なる講師、その著書。
現代魔術と西洋魔女の相関性――著者、イルノフ・ガントット――
「おとうさん……?」
地べたに倒れ伏した中年男性、もといイルノフ教授を見つめて、ティモラがぽつりと呟いた。
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