49 大賢者、フードコートを満喫する
りゅー坊とりゅー子なる二体の謎生物の闖入、もとい襲撃。
多少のハプニングはあったが、とにもかくにもランチタイムである。
私は謎生物撃退用の設置型結界魔術の構築を半ばで中断し、
「りゅー坊……」と呟きながら沈んだ表情のティモラも、まるで春先に花が開くように表情を明るくした。
お互い、テーブル上に並べられたソレを前にしては抗うことなどできようはずもないのだ。
「はい、アーテル君にはこれ!」
ソレは、熱した鉄板の奏でるファンファーレとともに扇情的な白煙をまとって我々の前に現れた。
その圧倒的な存在感といえば、私とティモラが思わず同時に身を乗り出してしまうほどである。
立ち上る香りを吸い込むと、たちまち胃袋が開いていくのを感じた。
いっそ暴力的な、この食物は――
「――カルバ牛か!」
「そうだよ、カルバ牛のステーキデミグラスソースがけ、アーテル君はただでさえ少食気味なんだからこういう時ぐらい精のつくもの食べないとね!」
ソユリはそう言ってから、ややあって何かに気付いたかのように慌てて
「あっ、いや! 精をつけないとっていうのは……その……アーテル君はほら! いっぱい頭使うからね!? だからだよ!?」
「ああ、私のような者には過ぎた心遣いだ、いつもすまないな」
「ううっ……!」
何故だろう。
内からあふれ出る感謝の念を十全に伝えるべく正面から彼女を見据えて謝辞の言葉を述べたのだが、目を逸らされてしまった。
「ところで、ソユリのそれは?」
ソユリの手元には黄金色のソースのかかったやけに平たい魚に彩り豊かな野菜をあしらった一皿が。
カルバ牛とは対照的になんとも上品な料理である。
「クプ魚のソテーとシスペだよ。ティモラちゃんはさすがに一食分は食べられないだろうから、これを取り皿で分けて食べるの」
「そこから更に分けるのか? それではソユリの分が足りないだろう……」
「いいの!」
一応彼女の身を案じての言葉だったのだが、何故か強い口調で遮られてしまった。
さすがに学習したが、彼女は食事の量についての指摘を受けるとたいていは少し不機嫌になる。理由は未だ分からない。
「なんなら全部ティモラちゃんにあげてもいいもん!」
ね、ティモラちゃん? と、ソユリがティモラの表情を窺う。
しかし彼女の視線の先にあるのは平たいクプ魚ではなく、分厚いカルバ牛。
彼女は今ソユリに声をかけられたことすら気付いていないらしく、カルバ牛の表面から滴り落ちる肉汁を、さながら宝石でも見つめるかのようにしている。
そんな様を見てふと、一日中「肉肉」喚いている私の同居人のことを思い出してしまった。
「――精をつけるというのならば、彼女が最優先だろう」
私はそう言ってナイフとフォークを構えると、ステーキを細かく切り分け始めた。
ナイフを押し込む度に溢れ出した肉汁が鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる。
そして数欠片ほど切り出すと、これをティモラの取り皿へと移し、彼女に差し出した。
「君ぐらいの子どもがどれだけ食べるのか私には分からない、加えて一度に取り皿へ移しすぎてしまってもせっかくの肉が冷めてしまう、足りなくなったら言ってくれ」
ティモラはここで我に返ったかのように目を丸くしてこちらを見返した。
目を丸くしているのはソユリも同様である。
ティモラは取り皿と私の顔の間に何度も視線を行き来させ
「いいの……?」
と、恐る恐る問いかけてきた。
いいとも、私は答える。
「君は将来有望な魔術師の卵だ、粗末な扱いはできない、それに私は少食だからな」
「……! いただきます!」
ティモラはそう言うなり、一口大に切り分けられたステーキを頬張った。
その時の彼女の幸福感に満ちた表情ときたら、私の貧弱な語彙で表すことは断念せざるを得ない。
それにしてもよく出来た子だ。
よほどの空腹だったろうに、遠慮まで。
私が幼い頃はどうだっただろうか。
なにぶん300年以上昔のことなのではっきりと覚えてはいないが、私の礼儀作法などそのへんの野良犬とさほど変わらなかったような気もする。
「では、私もいただくとしよう」
彼女の美味そうに食べる様を見ていたら、私も空腹に耐えきれなくなってしまった。
私はステーキを切り分けて一口含み、咀嚼する。
ほどよい弾力が奥歯を押し返し、旨味の凝縮された肉汁が口の中に広がる。肉のぷっつりと切れる食感がなんとも心地よい。
私の記憶の中のカルバ牛はもっと固くて筋張っていた。
あの野趣に溢れた味わいも嫌いではなかったが、うむ、これは良い物だ。
肉そのものの質の高さや絶妙な焼き加減もさることながら、とりわけこのソースの奥深さが素晴らしい!
「美味いな、ティモラはどうだ?」
「おいしいよ!」
そうか、それはなによりだ。
私は次のステーキを切り分けようとして、ふと、ソユリがこちらを見つめていることに気付いた。
両の目を大きく見開き、呆気にとられたような表情だ。
「どうした? ソユリも欲しいのか?」
「い、いや、そういうことじゃなくて、なんか意外だなぁ、って思って……」
何の話だ?
その言葉の真意を問いただそうと思ったのだが、あいにく口が塞がっている。
「でも、まぁ……うん! これはとても良いことだよ! なんか安心しちゃった! 私も食べよっと!」
ソユリはどこか嬉しそうに「いただきます!」と一言、クプ魚のソテーを切り分け、口に運んでいく。
彼女の幸せそうな表情には料理が美味いという以上の感情が込められているように見えたが、私には分かりかねるところだ。
そして各々がこの素晴らしい料理に舌鼓を打っていると、途中、幸せそうにステーキを頬張るティモラを眺めながら、ソユリはおもむろに言った。
「……私ね、学校の先生になりたくて、この大学に入学したんだ」
「ほう」
それは初耳だ。
「ラクスティア魔術大学は教職課程っていうのがあってね、学校の先生になるために必要なことを教えてくれる授業があるんだよ」
「それも初耳だ、ではソユリは今まさに教職を目指して勉強中か」
「子どもが好きだから……なんて単純な理由で恥ずかしいんだけどね」
「素晴らしい目標ではないか、確かに、言われてみればこと人に魔術を教える立場で君以上にふさわしい人間はいないのかもしれない」
彼女は極めて優秀にも関わらず謙虚だ。
魔術師としての素質は十分と言えよう。
そこに加えて、人を引きつける求心力もあり、子どもの扱いまで上手いときている。
しかしソユリは、どこか自嘲的な笑みを浮かべていた。
「はは……買いかぶりすぎだよ、私、アーテル君が思ってるほどすごくないもん……」
「謙遜は美徳だが、そこまで自分を卑下しなくてもいいだろう、少なくとも私は尊敬している」
「でもアーテル君、私の魔術一回も見たことないでしょ?」
「見せてくれるのならば是非ともお願いしたい」
「うっ……」
ソユリが言葉に詰まった。
ふうむ、この流れならばいよいよ念願であった彼女の魔術を拝むことも叶うと思ったのだが、残念だ。
口には出さねど、あの日ソユリと出会ってから彼女が魔術を行使する瞬間を心待ちにしているのだが、あいにく未だ目にすることが叶っていない。
まったく、謙虚すぎるというのも考えものだな。
そんなことを考えていると、ソユリは憂鬱そうに一つ、溜息をついた。
「私も自分なりに頑張って勉強したはずなんだけどなぁ……アーテル君を見てると打ちのめされちゃうよ、上を見たらキリがないって……はは、大学で初めて知り合った友達がこれなんだもんね。社会に出たら、きっともっと途轍もない人たちがうじゃうじゃいるんだろうね。そんな中で、私みたいにちょっと前までお母さんに甘えていたような子どもが上手くやっていけるのかな……」
ソユリの笑みに力はなく、その表情には憂いの色が見える。
私は一度ナイフとフォークを置き、口元を紙ナプキンで拭った。
私のような者がソユリよりも上など冗談がきついぞ――など、言いたいことは色々とある。
しかしお互いに謙遜し合っていては話も進まないというもの。
ここはそういった謙遜の言葉を付け合わせの野菜とともに飲み込んで、私は答える。
「――まず前提として、上だの下だのという概念が現実には存在しない、まやかしであるということについて言及しておこう」
「……え?」
ソユリが呆けたように声をあげ、こちらを見返す。
私は汚れた紙ナプキンを手の内で丸めながら、更に続ける。
「月並みな言葉だが人は皆それぞれ違うのだ、上下の区別などできようはずもない。外的に定められた身分の差などはあるが、これは今ソユリの言わんとしていることとは違うのだろう?」
「う、うん……」
「能力や人格などといった本質的な部分での上下を明確に定めることはできない、つまり今ソユリが抱えている悩みというのは、現実には存在しない自分の中だけに存在するもの――まやかし、というわけだ」
「……でも、そんなこと言ったって私はアーテル君と接して実際にコンプレックスを感じてるよ」
「それは君が君自身に足りないと思っている何かを、私が持っているからだろう」
「私なんて、足りないものだらけで……」
「大いに結構、ありがたい話ではないか」
ソユリが驚いたように目を丸くした。
「私たちは自らに足りない何かを自覚しているからこそ人を羨む、卑屈になる、まやかしを見る、そして足りない何かを補おうとする。上を見たらキリがない? ――素晴らしい! まさしくソユリが向上心の塊であるということの証左ではないか!」
「か、からかわないでよ……皆が皆、アーテル君みたいに強いわけじゃないの……! 私なんて欠点だらけの、ただそれだけで、足踏みして、立ち止まっちゃって……アーテル君にはいつまで経っても追いつけないから……!」
「――ソユリは強い」
私が力強く断言すると、彼女はきゅっと口をつぐむ。
「本当に前に進むことを諦めた人間が――まやかしを捨てた人間が、そのように苦しそうな目をするものか、私は君のそういうところを心底尊敬しているよ、まやかしを抱くのは君だけではないということだ」
「……っ」
そして、それきり押し黙ってしまった。
彼女が何を思っているのか、その表情から窺うことは出来ないが、これ以上の言葉をかけるのは蛇足だろう。あとはソユリが自ら折り合いをつけるべき問題だ。
そう思って再び食事に戻ろうとすると、ふと、ティモラがなにやら落ち着きなく身体をよじらせているのに気付いた。
「どうした、ティモラ?」
「あの、その……」
ティモラはおずおずと取り皿をこちらへ差し出してくる。
取り皿の中は綺麗に空になっている。
……なるほど、そういうことか。
「あの……おにーさんが、なにかむずかしいおはなししてるから……いいづらくて……」
「難しかったか? 私も説明下手で、敵わんな」
少し待っていろ、と、私は再び彼女のためにステーキを切り分け始める。
そんな様子を見て、ソユリが思わず吹き出すのが見えた。
いよいよ第二章も終盤、第二章終了までこのまま更新ペースを上げていきたい気持ちですが……
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