48 大賢者、不思議生物に出会う
時刻は正午過ぎ。
アパレルショップ「Eden」を後にした我々一行は迷子の彼女――ティモラを保護責任者の下へ送り届けるべく、しょっぴんぐもーる一階の総合受付を目指して護送を開始した。
たかが迷子に護送とはなんと大仰な。
我が心中を吐露すれば十中八九そう思われることは請け合いだが、これは誇張表現でもなんでもない!
その二文字こそがこの状況を示す最も適切な表現であると声高に主張しよう!
まず幼児というのは兎にも角にも小さい!
間違えて踏み潰してしまいそうになるほどの矮小さだ!
我が同居人であるところのりゅーちゃんでさえ、ふとした拍子に見失ってしまうというのに、あろうことかティモラはそれ以上に小さいのだ!
加えて背丈が小さければ歩幅も狭いというのは、もはや自明の理。
要するに何が言いたいのかと言うと、我々大人は、彼女の動向に対して細心の注意を払わねば彼女はたちまち迷子へ逆戻り――ということである!
「アーテル君! ちょっと歩くの早すぎるよ!」
「む?」
またも、背後からソユリに呼び止められる。
振り返ってみると、彼女らは遙か後方で人混みに揉まれていた。
……しまった、またやってしまった。
私はすぐさま転回し、人混みをかき分けて彼女らの下へと駆け寄る。
「すまない、迅速に保護責任者の下へ送り届けようとするあまり、つい……」
「駄目だよ、ただでさえティモラちゃんはお父さんとはぐれたばっかりなんだから……こっちが気遣ってあげないと」
そう言うソユリの傍らでは、ティモラが憔悴しきった表情でもたれかかっている。
私は幼子の心境など皆目見当もつかないが、確かに言われてみれば彼女の消耗には単純に体力的な問題だけでなく、精神的な疲労も手伝っているように見受けられた。
なんにせよこの状態の彼女を引き連れ、人混みをかき分けながら広大なモール内を進軍するというのは、あまり現実的ではない。
「では彼女の体力が回復するまで一時休息を挟もう、何かそれに適した場所を知らないだろうか?」
「ここからだと、フードコートが一番近いかも」
「ふーどこーととは、なんだ?」
「簡単に言えば飲食店が集まってる休憩スペースみたいなものかな、この時間だと少し混んでるかもしれないけど……そこなら多分座って休めると思う」
「なるほど、それは確かに最適だ」
要するに、学食のようなものだと解釈する。
それに今はちょうど昼食時だ。
ティモラに至ってもそろそろ空腹も感じ始めた頃ではないだろうか。
空腹が満たされれば、幾分かマシになるやもしれない。
「そうと決まれば案内してくれ――それとティモラ」
「っ……!」
ティモラが名前を呼びかけられて、びくりと小さな肩を震わせた。
先ほど私の不手際で泣かせてしまったこともあってか、こわばった身体から警戒心がにじみ出ているようだ。
私はティモラに背を向け、おもむろに膝をつくと、両の手を後ろに回した。
「疲れたのだろう、おぶってやる」
「えっ……?」
背中越しに、ティモラの戸惑った視線を感じる。
予想していたことではあったが、案の定、彼女がこの提案を受ける気配はない。
「アーテル君、その気遣いは良いと思うけど、ちょっと無理かも……ティモラちゃんは私がおぶるから」
「ソユリもそれなりに疲れているのだろう? 私はまだ体力的に余裕がある」
ソユリは元々インドア派の人間だ。
僅か数分走るだけで息を切らしてしまうほどの。
それが、今回は幼いティモラを気遣いながらの移動である。口には出さねど、若干の疲労の色が見えた。
「でも……」
ソユリが何かを言いかけたその直後――不意に、背中に熱を感じた。
ティモラがこちらの予想に反して、私の背中へ身体を預けたのだ。
「ありがとう、ございます……」
こわばった身体からはやはりまだ緊張の色が見えるものの、彼女は今にも消え入りそうな声で呟いた。
……礼儀のできた子である。
彼女のお父さんとやらはさぞかし良い教育をしているのだろう。
「気にするな、では行こうか」
私は後ろ手に彼女の身体を支え、立ち上がる。
それにしても子どもの身体というのはやけに体温が高いのだな。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
さて、ソユリに導かれるがまま人海をかき分け進んでゆくと、やがて視界の開けた場所に出た。
人々の喧噪に混じって漂ってくる食欲をそそる香り。
それらは壁沿いにずらりと並んだ、いくつもの屋台から発せられている様子であった。
「うわぁ、やっぱり混んでるね……」
ソユリがあたりの様子を一通り見渡して呟いた。
私はというと、あまりの情報量に少しくらりとしてしまうが、ティモラをおぶっていることもあるので、なんとか持ちこたえた。
はからずも、ソユリと初めて学食へ足を踏み入れた時のことを思い出してしまう。
「とりあえず、席を確保しなくちゃね」
「う、うむ……」
私は人混みの中を彼女に導かれるがまま進んでいく。
さすがに昼食時ということもあり、ほとんどの席が埋まっていたが、根気強く探すと手頃な四人掛けテーブルを発見した。
ティモラを丁重に背中から下ろして、椅子の一つに座らせる。
そして私もまた向かいの席に着き、ほうと一息。
「さすがに腹が減ってきたな」
「私もちょっとね、ティモラちゃんはお腹空いた?」
まるで借りてきた猫のごとく椅子の上にちょこんと腰掛けていたティモラは、小さく頷く。
ソユリはこれを見て、優しげに微笑んだ。
「じゃあ何か買ってこよっか、あ、ティモラちゃんは座ったままでいいからね、アーテル君、ティモラちゃんを見ておいてくれる?」
「いや、買いに行くならば私が」
「はは、アーテル君を一人で買い物に行かせるなんて、ティモラちゃんを一人で残すぐらい心配だよ」
ソユリがいたずらっぽく言う。
そんなに信頼がないのか私は……?
「それに、アーテル君はフードコート初めてなんでしょ? だったら任せてよ! お金は後でもらうから!」
「……何から何まですまないな」
「いいですよ~」
やはりソユリは冗談っぽく言って、足取りも軽く人混みの中へと消えていってしまった。
心なしか今日一番機嫌が良いように見える。
さて、私は向かいの席に座るティモラの様子を窺った。
彼女は私と二人きりになったことですっかり恐縮してしまっているようで、顔を深く俯かせている。
その様子がどことなく出会ったばかりの頃の小動物然としたソユリを連想させ、思わず口元が緩んでしまった。
あの時、彼女が私に声をかけてくれなければ、きっと今ほど充実したキャンパス・ライフは望めなかったことだろう。
そう思うと、自然と口をついて言葉が出た。
「ティモラの父君は、どんな人物なのだ?」
ティモラが、ゆっくりと面を上げる。
依然こちらと目を合わせてはくれなかったが、しかし彼女はたどたどしい口調で、これに応えた。
「やさしい、お父さんだよ……おしごとがいそがしくて、あんまりあそんでくれないけど……」
「それは一体どんな仕事をしているのだ?」
「がっこうの、せんせい」
「先生、か」
というと、前途ある若者たちに魔術を教える立場の人間ということか。
なるほどそれならば彼女の礼儀の正しさにも合点がいく。
「素晴らしい仕事だ、誇りに思うといい」
「……でも、さみしいよ、あんまりあそんでくれないもん」
「それは由々しき問題だ」
そんなにも素晴らしい人間が近くにいるというのに、十全な関わりを持てないというのは、歯がゆいことだろう。
私は親の顔を知らないが、もしも彼女と同じ立場ならば、その足にかじりついてでも父君につきまとい、その深遠なる思想の一片でも盗み取ろうとするはずだ。
しかし、彼女の父君は多くの学徒たちの将来を担う立場、私一人の我が儘を通すわけにもいかない。
彼女もまた、そういった葛藤を抱えているのだろう。
「きょうも、ひさしぶりにいっしょにおかいものにきたのに、わたしがお父さんにもらったバッグを、おとしちゃったから……」
「それを一人で探す内にはぐれてしまったということか」
彼女はいっそ泣いてしまいそうな表情で、こくりと頷く。
ふむ、分かる分かるぞ。
自らの些細なミスで、せっかくの機会をふいにしてしまったとなれば、そのような顔になってしまうのも分かる。私だって落ち込む。
「まぁ、あまり気を落とすな、すぐに父君も見つかる。紛失してしまったバッグもだ」
「そうかな……」
「そうとも、それに今日という日はまだ始まったばかりではないか。これからでも十分に取り戻せる」
「……うん」
お、少し表情が柔らかくなったな。
ソユリには遠く及ばずとも、私も多少子どもの気持ちが理解できるようになったということだろうか。
そんなことを考えながら一人悦に入っていると、ふと頭上に影が差した。
何事かと思って見上げてみれば――摩訶不思議、竜を模した奇妙な二足歩行の生物二体がこちらを見下ろしているではないか!
「うおおおっ!?」
私は思わず野太い悲鳴をあげ、即座に頭の中で無詠唱攻撃魔術式の構築を開始する。
私の知らない新手の幻獣か!?
そう思ったのだが……
「――りゅー坊だ!」
向かいの席に座るティモラが、声高に叫んだ。
今までの沈鬱な表情が嘘のように、目をきらきらと輝かせながら。
「りゅ、りゅー坊……?」
「おにーさんしらないの!? りゅー坊とりゅー子ちゃん! とってもかわいいんだから!」
そう言うなり、彼女はりゅー坊なる謎生物へとダイブした。
――まずい!
すぐにでもあの気色の悪い生物を打ち倒し、ティモラを守るべく無詠唱魔術式にエンドマークを打とうとするが、すんでのところでやめた。
ヤツらの敵意が皆無なのだ。
それどころか、彼はそのふかふかの腕で懐へ飛び込んできたティモラを優しげに抱き留めたではないか。
ティモラも幸せそうな表情でヤツを抱きしめている。
……ふかふかの腕?
「人形……?」
そう、改めて観察してみると、りゅー坊と呼ばれたそれは生き物でなく、明らかに人工の産物なのだ。
これは……着ぐるみか?
中に人が入って、動かしているのか?
なんと奇怪な……
私が一種これに得体の知れぬ不気味さを感じていると、ふと、りゅー坊とりゅー子なる二人組が、無言のままこちらをじっと見つめていることに気が付いた。
その生物にしては異様に巨大な瞳に見据えられて私が言葉を失っていると、りゅー坊がこちらへある物を差し出してきた。
これは……風船?
「……私にくれるのか?」
りゅー坊が大きく頷く。
何故風船を? 友好の印か?
彼は現代の大道芸人的な立ち位置の何かなのか……?
そんなことを考えながら、これを受け取ると――突然、りゅー坊は大きく拳を振りかぶって私の鳩尾に拳を叩き込んできたではないか!
「ごぶぅっ!?」
魔護符のおかげでもちろんダメージはないのだが、それがあまりに突拍子もなさすぎて、その場にうずくまり、目を白黒させてしまう。
貴様、どういうつもりだ!?
そう問い詰めてやろうと思って顔を上げると、すでに例の奇妙な二人組はどたどたと足を鳴らしながら、その場を走り去ってしまった後だった。
「ああ……りゅー坊いっちゃった……」
ティモラが彼らの遠ざかる背中を見つめて、残念そうに呟く。
――あいつらのどこがそんなに良いのか!?
くそっ! なんだったんだあいつらは……!
「……なにやってるの、アーテル君」
風船の紐を握りしめ、奥歯をかみしめながらうずくまる私を、ようやく戻ってきたソユリが呆れたような目で見下ろしていた。
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