47 大賢者、迷子を預かる
――子どもは苦手だ。
何故なら、彼女らには論理的思考が欠如しているからである。
私は腰丈ほどしかない彼女と目線を揃えるべく身を屈め、再び質問を投げかけることとした。
今度こそこの堂々巡りの問答に進展があるようにと、ゆっくり、一語一語をはっきり発音する。
「いいか、もう一度言おう、なにか身分の分かるものがあれば速やかに提出し、ないのであれば保護義務者の名前を述べてくれ」
「え、えと……わたしはティモラ……です……」
またこれか、私は頭を抱える。
もうかれこれ十数分、彼女は一向に私の問いに答えず、くしゃくしゃの顔で要領を得ない自己紹介を繰り返している。
「それはすでに承知している、繰り返そう、なにか身分の分かるものがあれば」
「うぇ……」
不意に、彼女の丸い瞳が歪み、不穏な光を宿した。
どこからか湧き出してきたきらきらと光る液体が、下瞼の上にかろうじて乗っかっているような状態だ。
これは……
「待て、泣くな、私に何か至らない点があったのなら謝る。――そうだ、先日私の発見した魔法式を見せてやろう、これはすでに洗練されきったと思われているイゾルデ式の更なる最適化の手がかりとなる大変面白い魔法式でな……」
「びええええええっ!!!」
思い切り、泣かせてしまった。
私はもうどうしていいか分からなくなり、頬を伝ってぱたぱたと落ちる涙の粒を眺めるほかなくなってしまう。
これだから子どもは苦手だ!
一体私のなにが気に障ったのか、何がそんなに悲しいのか、どうしたら泣き止むのか!?
「……予想はしてたけど、アーテル君、びっくりするぐらい子どもの扱い下手だよね」
彼女の凄まじい慟哭を聞きつけたのであろう。
件の店員とようやく話を終えたらしいソユリが、私のすぐ傍に立って表情を引きつらせていた。
「アーテル君にも、苦手なことってあるんだね」
「だから私などは不得意なことばかりだと……いや、そんなことはいい、まずはこの子を!」
「びええええっ!!」
一体この小さな身体のどこから、これほどの声量が絞り出せるのか。
記憶に残るマンドラゴラの断末魔より、幾分か激しい気さえしてくる。
幼子が一息にこれほどの声をあげて生命活動に支障が出ないのか? などと一度考え始めてしまえば、こちらまで泣きたくなってしまう。
「子どもっていうのは、私たちが思ってるよりずっとパワーがあるんだからね」
ソユリはそう言って腰を屈めると、私と彼女の間に割って入った。
目線の高さを合わせる、という発想自体は私と同じだが、彼女の表情はいつにもまして柔らかい。
そして、未だわんわんと泣き続ける彼女に対して、ソユリは優しく語りかけた。
「ごめんね、ティモラちゃん、だよね? お父さんとはぐれちゃったんだって?」
彼女は止めどなく溢れる涙を拭いながら、確かに首を縦に振った。
「さっきお店の人とお話してきたんだけど、大丈夫だよ、ちゃんと連絡してくれるって、すぐに見つかるから、ね?」
彼女はこくこくと首を縦に振る。
それを見て取ると、ソユリは優しく微笑んで彼女の小さな頭をなでさすった。
「ティモラちゃんはえらいね」
それはなんとも不思議な光景であった。
私がどれだけ言葉をかけようとどうにもならなかった彼女が、途端に泣き止んだのだ。
まるで口唱法魔術の証明である。
その見事な手腕に私はすっかり脱帽してしまった。
「この子、ただでさえお父さんとはぐれちゃって不安がってるんだから、そんな取り調べみたいな話し方しちゃ駄目だよアーテル君」
「そのようなつもりはなかったのだが……」
「……あと子どもは魔法式を見せられても喜ばない」
「そうなのか!?」
今日一番の衝撃だ!
私ならば飢えた野犬のごとく食いつくのに!
「子どもは私たちよりもずっと感覚に正直なんだよ、そんなに矢継ぎ早に質問されたら、怒られてるんじゃないかって思っちゃうんだから」
「勉強になるな……」
ソユリは博識だ。
彼女にはいつも教わってばかりで恐縮である。
「しかしソユリは一体どこでそのような知識を?」
「それは……色々あったの、後で教えるよ、それよりもまずこの子をどうにかしなきゃ」
私とソユリは、ひっくひっくと嗚咽をもらし、ぴょこんと突き出たツインテールを揺らす彼女――ティモラへ目をやった。
よく梳かされた栗色の髪や、傷一つない玉の肌から、彼女がいかに大切に扱われているのかがうかがえる。
きっと今頃、彼女の父親は血眼になってこの広大なしょっぴんぐもーる内を駆けずり回っていることだろう。
「――モールの運営と連絡がとれましたぁ、彼女の父親はまだ迷子届を出してないみたいですねぇ」
突然に背後から間延びした声。
さすがに三度目となれば情けない悲鳴をあげて驚いたりはしない。Edenの女店員だ。
間延びした口調は相変わらずだが、声音からは子どもを気遣う様子も見受けられる。
「これは、よくあることなのか?」
「ルシル・モールは広いですからねぇ、日常茶飯事ですよぉ」
「普通、こういう場合にどのような対応を?」
「いつも通りなら手の空いたスタッフが一階総合受付まで連れて行って、専用の部屋で預かってもらうのですが……」
そこまで言って、彼女はちらと店内を見渡した。
客の数は、それなりに多い。
「なんせ休日ですからねぇ、今抜けられるスタッフはちょっと……一応ウチにも控え室がありますが、今そちらの方が服の在庫でいっぱいでして、子どもを一人で置いておくには、その、少し危ないかとぉ……」
「総合受付からスタッフを割くことはできないんですか?」
ソユリが問いかけると、彼女は困ったようにかぶりを振る。
「先ほど連絡をとってみた感じですと、やっぱりあっちもパンクしてるみたいですぅ……」
「向こうからはどういう指示が?」
「それが、その、できることならお店の前でお待ちいただくかたちに、と……」
「そんな……!」
ソユリが声をあげて、一度ティモラを見やった。
「荷物かなにかじゃないんですよ……ただでさえお父さんとはぐれて不安なのに、一人で待たせるなんて……」
「おっしゃる通りですぅ……」
たちまちしおらしくなってしまう。
彼女とて、不本意なのだろう。
しかし彼女を含めたこのしょっぴんぐもーるの従業員たちにも通常の業務がある。それはいかんともしがたいことだ。
ならば――
「――私たちが、その総合受付とやらに彼女を送り届ければいいのではないか?」
ソユリと女店員が、揃ってこちらへ振り返った。
「お、お客様? いいんですかぁ?」
「私は構わない、ソユリはどうだ?」
「……う、うん、もちろん! 私たちが送ります!」
「ありがとうございますぅ! 総合受付の方にはこちらから連絡をとっておきますのでぇ!」
「礼には及ばない、問題は……」
私は改めて、件の幼女を見下ろした。
別段、彼女へ向ける視線に何らかの感情を込めたつもりはない。
しかし、彼女はまるで私の視線から逃れるように、ソユリの背中へ隠れてしまう。
……ずいぶんと嫌われたものだな。
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