46 大賢者、衣替えをする
ソユリのどこか要領を得ない道案内に従って、迷宮のごとく入り組んだしょっぴんぐもーる内を駆け回ること十数分。
我々はようやく目的地であるところのアパレルショップ「Eden」へとたどり着くことが叶った。
なるほど、お洒落のことなどてんで知らない私ではあるが、この光景は圧巻である。
照明魔具の落ち着いた光の下、秩序をもって陳列された衣服や装飾品の数々は、もはや一個の芸術品の域だ。
長い歴史の中で蓄積され、洗練された技術が、確かな質量をもってそこに存在している。
この企業努力の結晶には、無学な私にも感じるものがあった。
「素晴らしい店だ、なぁソユリ」
興奮気味にソユリへ語りかける。
しかし、返事が返ってこない。
疑問に思って振り返ってみれば、彼女は私の差し出した手にすがりつくようにして、さながら軟体動物のごとく脱力していた。
顔は真っ赤に上気して息も上がり、すっかり茹で上がっているような具合だ。
加えて、私は人混みをかき分けることに必死で気付かなかったのだが、繋いだ手が溶解した鉄のごとく熱を帯びていることも付け加えておこう。
「も、もう無理……」
ソユリが荒い吐息まじりになんとか言葉を紡いだ。
そういえば、彼女はインドア派だったか。
今回はそれを念頭に置いて、極力歩調を合わせたつもりだったのだが……
「アーテル君は……もう少し女の子のこと考えた方がいいと思う……」
「そうだな、男女の体力的な差異について私はまだ理解が足りないようだ、面目ない」
「そういうことじゃ、ないんですけど……」
そういうことではないらしい。
ただただ、己の無知を恥じ入るばかりだ。
ひとまず私はソユリに肩を貸して、彼女が回復するまで待った。
それからしばらく経って、
「ご、ごめんね、もう大丈夫!」
「そうか、それはなによりだ」
ソユリはようやくのこと乱れた呼吸を整え、自らの足で立ち上がった。
まだ僅かに頬に朱が差しているようにも見えたが、大事ないようでなによりだ。
「では、ショッピングを再開することにしよう、今日は何が入り用なのだ?」
「うーん、そうだね……そろそろ暖かくなってくるだろうからスプリングコートとか……アーテル君は?」
「確かにそろそろこのローブも暑苦しくなってきたな」
私は自らの羽織った黒いローブを見下ろす。
冬でも凌げる厚手の素材だ。
春先ならまだしも、そろそろ新しい上衣を用意しなくてはならないだろう。
「できればもう少し薄手で動きやすい上衣が欲しいが」
「ほんと!?」
途端にソユリは目を輝かせ、ずいと顔を寄せてくる。
あまりにも突然のことだったため、たじろいでしまった。
「あ、ああ、できれば、できればだが……」
「そっか、そうだよね! うん! 思い立ったが吉日って言うし、じゃあせっかくだし選ばないとだね!」
「なんだか嬉しそうだな?」
「ふふ、分かっちゃう? いやぁ、一回アーテル君を今風にコーディネートしてみたかったんだよね!」
「そ、そんなに私の服装はおかしいか……?」
確かに、私はお洒落に関して素人である。
身につけるものに関しては素材と用途ぐらいしか気にしたことがない。
だが、分からないなりに大学生にふさわしい服装を選んだつもりだったのだ。
それがそぐわないとなれば、やはり少しショックだ……
「あ、違うよ? アーテル君の服は、その、か、カッコいい、けど……でも、最近の大学生にしてはちょっと堅すぎるかな~、なんて、思ったり、思わなかったり……」
「そうなのか……?」
ううむ、「最近の」というフレーズを持ち出されてはどうしようもない。
「……では、お言葉に甘えることとしよう」
「やった! じゃあ早速見てみようよ!」
ソユリは無邪気に笑って、私を店内へと導く。
……自分よりもまず私の服装に気を遣うとは。
彼女の心根の優しさとくれば、まさしく聖職者のごとしである。
「まず、これとかどうかな!」
私がずらりと陳列された衣服に目を奪われていると、ソユリはすかさず一着の上衣を選択し、こちらへ差し出してきた。
その驚くべき手際の良さに感心しつつも、彼女に差し出された上衣を手に取ってみる。
「これは……軽いな、生地は薄いが丈夫だ」
「チェスターコート、多分これからの季節にちょうどいいと思うよ!」
「――よろしければ試着してみますぅ?」
突然背後から声をかけられ、私とソユリはほぼ同時に短い悲鳴をあげてしまう。
咄嗟に振り返ると、ほとんど純白に近い頭髪にゆるやかなウェーブをかけた女性が、いつの間にか背後に回り込んでいた。
一切気取られずここまで接近するとは、只者ではない。
「ああ、すみませぇん、驚かせてしまいましたかぁ? 私ここの店の者でぇ、お客様がとても楽しそうに服を選んでいるものだからつい声をかけてしまいましたぁ」
彼女は友好的な微笑を振りまきながら言う。
なんだ、店員か……! 危うく無詠唱式攻撃魔術の魔法式を証明するところだった!
彼女の間延びした口調も手伝って、私はすぐに落ち着きを取り戻す。
「そちらのコートはなんにでも合わせられますのでぇ、一着持っておくとすごく便利ですよぉ」
「そ、そうなんですか、あの、試着してみても大丈夫ですか?」
「もちろん、じゃんじゃん試しちゃってくださぁい」
「あ、ありがとうございます、じゃあアーテル君」
「うむ」
私は一旦ローブを脱いで簡単にまとめると、ソユリから手渡されたチェスターコートとやらに袖を通そうとした。
すると、例の店員が両手を差し出していることに気付く。
それがどういう意味か分からず呆けていると、彼女は微笑んで
「お客様、お召し物はお預かりいたしますよぉ」
と言う。
「そうか、すまない」
私はお言葉に甘えて、小さく畳んだローブを彼女へ手渡す。
彼女はそれを受け取って――次の瞬間、視界から消えた。
正確には、私のローブを受け取るなり、床に崩れ落ちてしまったのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……!? お、重ぉ……!?」
私は慌てて彼女の手の内からローブを回収する。
そして尻餅をついたまま目を白黒させる彼女を、すぐに助け起こした。
「す、すまない! 私のせいだ!」
「お、お客様ぁ……? ず、ずいぶんと重いお洋服をお召しのようですがこれは……?」
「い、いや、服ではなく」
私は畳んだローブを広げて、内ポケットからその重さの原因を一つずつ取り出して床に並べていく。
自作魔導具の数々、ゴーレム制作に使う羊皮紙の束、加えて大規模な巫術を執り行う際の触媒、それに予備の羽ペン、予備のインク壺、メモ帳にノートが数冊、それに日記帳……
一つ、また一つとこれを取り出す度に、店員を名乗る女性は目を剥き、ソユリは深い溜息を吐いた。
「魔術というのは一体いつどこで新たな発見があるか分からない、それゆえにいかなる状況でも魔術を実践できるよう普段からこれらを常備しているのだが……」
「お店開けるよ……」
ようやくそれら全てをローブから取り出し並べ終えると、ソユリが呆れたように言った。
「お、お荷物こちらで預かりますから、是非ごゆっくりショッピングをお楽しみくださぁい……」
店員の女性が引きつった笑みを浮かべながら提案した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「アーテル君! これどうかな!?」
装いを新しくして、店内奥に設置された試着室から飛び出してきたソユリが、私の前でくるりと一回転した。
服の名称などは分からないが、彼女の動きに合わせて白いフリルがなびく。
私は服一つでここまで印象が変わるものなのかと感嘆した。
「似合っているぞ、春の訪れを感じさせるようだ」
「そうかなぁ、えへへ……アーテル君も似合ってるよ!」
「私か?」
私もまた先ほど、従来の服から彼女の指定した一式の服に着替えたばかりだ。
「これもまた良い服だ、軽くて動きやすく、肌触りも良い、見た目もすっきりしたな。似合う似合わないは私には判断しかねるところだが、ソユリがそう言うのならばそうなのだろう」
「似合ってるよ! めちゃくちゃ!」
めちゃくちゃ、か。
そこまで言われるとまんざらでもない。
「あ、ちょっとそのまま動かないで!」
ソユリは何か思いついたようにそう言って、手提げの鞄からあるものを取り出した。
それはちょうど親指ほどの大きさの、円筒状の魔導具だ。
「はい、ポーズ取って!」
「ポーズ?」
それがどういう意味か分からず直立不動で突っ立っていると、ソユリは円筒状の魔導具を親指で押し込み、魔導具より一瞬、目も眩まんばかりの光が放たれた。
「……それは?」
「転写用の魔導具! アーテル君があんまりにも似合ってるから撮っちゃった!」
「ほう、これが最新の!」
転写とは風景を記録する魔術の一つだ。
私の知っている転写用魔導具は赤子ほどのサイズがある仰々しい機構だったのだが、今はここまでコンパクトになっているのだな。
「モールの中に転写を印刷してくれるところがあるから、帰りに寄ろうね!」
「転写の印刷は高価だと聞くぞ……それを私などのために」
「もう、いつの時代の話してるのアーテル君! 転写の印刷なんて子供のお小遣いでもできるよ!」
ソユリがからからと笑う。
む……いかんな、まだ昔の感覚が抜けていない……
しかし、それにしても私のような人間の転写を印刷するためにわざわざ、というのも……
「――よろしければ撮ってさしあげましょうかぁ?」
またも背後から突然声をかけられ、私とソユリは同時に悲鳴をあげる。
振り返ると、やはりそこには微笑み顔の例の女性店員が。
「い、いいんですか?」
「もちろぉん、お客様が実に楽しそうなので、サービスですぅ」
「じゃ、じゃあせっかくだから……」
「はあい、そこに並んでくださいねぇ」
彼女はソユリから転写用の魔導具を受け取ると、半ば強引に私たちを並ばせて魔導具を構える。
「ほらぁ、もう少し寄ってくれないと見切れちゃいますよぉ」
「なにからなにまですまないな、ここは良い店だ」
私は店員に一つ礼を言って、ソユリと肩が触れるくらいの距離まで身を寄せる。
その瞬間、僅かにソユリの肩が跳ねた気がするが、彼女は何も言ってこなかった。
ただ顔を赤らめて、俯きがちにはにかんでいる。
「……思い出、思い出だからね……」
ソユリが消え入りそうな声で何か呟いていたが、あいにく、その内容まで聞き取ることはできなかった。
しかし魔導具を構えた女性店員はこれを聞いて、今までの営業スマイルとはまた別種の笑みを浮かべ、親指を押し込んだ。
「はぁい、ではお似合いのカップルさんに一枚!」
「かっ……!?」
ソユリが声をあげるのと同時に魔導具より光が迸る。
それとほぼ同時だった。
下腹部のあたりに何か弱い衝撃を感じ、私は反射的に視線を下げる。
光が収まったのち、私は自らの下腹部に抱きつく幼女の存在を認めた。
「む……?」
「えっ?」
「あらぁ」
私だけでなくその場の全員が間の抜けた声をあげて彼女へ視線を集中させる。
当の幼子は、涙ぐんだ目でこちらを見上げ、一言
「パパ……?」
パパ!?
ソユリの驚愕の声が店内を突き抜けて、モール内にこだました。
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