42 大賢者、雑談に花を咲かせる
昼休みというにはあまりに慌ただしい時間であったが、なにはともあれ当初の“適当に時間を潰す”という目的は達成できたため、頃合いを見て学食へ戻った。
私のいない間、さぞやこってり絞られたのであろう。
搾りかすのようになったマリウスが力なくテーブルに突っ伏しており、その向かいではソユリがそしらぬ顔でアメモア茶を啜っている。
鬼のソユリは身内に対してもまるで容赦がない。いや、身内だからこそだろうか?
そんなことを考えながら、マリウスの隣に着席する。
「話はついたか?」
「気を使わせちゃってごめんねアーテル君、おばあちゃんにはきつく言っておいたから」
それは上々。
コイツの傍若無人ぶりには、数百年という単位で苦しめられ続けてきたのだ。
なんなら今までの分もまとめて絞ってくれてもいい。
この減らず口を黙らせられるのは、きっとソユリぐらいなものだろう。
「お前も少しは反省したか」
「……」
うむ、滾々と湧き出す泉のごとき憎まれ口も、今や枯れ果ててしまったらしい。
普段からこれぐらい静かならば可愛げの一つもあろうものを。
いい気味だ。記念に日記へ書き込んでおこう。
私は小脇に抱えた日記帳をテーブルに広げ、羽ペンで今のマリウスの有様を克明に記録する。
すると、ソユリが不思議そうにこちらを覗き込んできた。
「アーテル君、今朝から気になってたんだけど、それ、何書いてるの?」
「ああ、昨日から日記をつけ始めてな、阿呆の一つ覚えだと思って、気にしないでくれ」
「ええ!? なに!? アーテル日記書いてるの!?」
何がスイッチになったのか、突然マリウスのヤツが復活してしまった。
目をキラキラと輝かせて、いかにも水を得た魚の格好である。
大方阿呆、という単語に反応したのだろう。
その態度は、コイツこそ人をコケにすることで発生する何らかのエネルギーを補給し、今日まで生き永らえた化生の類ではないか、という私の仮説をよりいっそう強固なものとした。
日記に、マリウスは早急にどこぞの山奥に封印すべし、と書き足しておく。
「私が日記を書くことが、何か問題でも?」
「大アリだよ! ぷぷー、アーテルったら澄ました顔してそんなセンチメンタルな趣味持っちゃって! 交換日記でもするかい? ぷぷっ」
「誰がお前なんぞと」
「強がっちゃって! ほらボクが添削してあげるからよこしなよ! どうせ君に文才なんて……あっ、ちょっと待って、やめて、電撃魔術だけは勘弁して」
懐からノートの切れ端をちらつかせると、マリウスのうすら笑いが消え失せた。
……まったく、別に見られて困ることなど一つも書いてはいないが、それでもこのひねくれ者に日記の中身を覗き見られようものなら何を言われるか分かったものではない。
しかるのち、日記にはマリウス対策を施さなくては。
日記の端にでもメモしておこう。
そうだ、覗き見ると言えば。
「ソユリよ、ネペロ・チルチッタという女学生を知っているか?」
「ネペロ?」
ソユリはその名前を反芻して、小首を傾げる。
その反応から見るに、初めて聞いた名のようだ。
「聞いたことないなぁ、どこの学科の子?」
「呪術科の二年生と言っていたな、特徴は……実に多くの髪飾りをつけている」
「髪飾り? それっぽい子とすれ違ったことはあるけど、知ってるってほどじゃ……」
「――ああ、新聞同好会の部長だね」
答えたのは、マリウスであった。
「知っているのかマリウス」
「ふふん、伊達に一年早く入学したわけじゃないからね」
マリウスは得意げに胸を張った。
そうだ、忘れかけていたが、コイツは私たちよりも一年先輩なのだ。
彼女について知っていても不思議ではない。
「とはいえそんなに多くは知らないよ、なんせ学生なんて掃いて捨てるほどいるからさ、ただ、そうだね、彼女が部長を務める新聞同好会が最近サークルとして認可されたっていうのは風の噂で聞いたよ」
「サークルは知っているが、同好会とはなんだ?」
「簡単に言っちゃえば大学非公認のサークルみたいなものかな、それが晴れて大学公認のサークルになったのさ」
「サークルとして認められると何かが変わるのか?」
「色々変わるよ、まず大学から活動予算が出る、それから申請さえすれば大学の講義室が使えるようになるし、学内で活動する上でのあらゆる制限が取っ払われる」
なるほど、サークルというのはそういう仕組みであったのか。
ネペロ本人の情報ではないが、マリウスにしてはタメになる情報だ。
「それで、そのネペロ先輩がどうしたの?」
「いや……先ほど廊下で少し言葉を交わしたのだが、私のおかげで新聞同好会がサークルとして認可された、などと妙なことを言っていてな、気になったのだ」
「アーテル君のおかげで? それはまたなんでだろう……」
「ははは、どうせアーテルのことだから、また知らない内になんかやらかしたんじゃないの~?」
「全く覚えがない」
マリウスがこちらを小馬鹿にするように言ってくるが、本当に心当たりがない。
身に覚えのないことで恨みを買うならばまだしも、逆に感謝されるというのは妙に座りの悪い事だ。
「それと、突然日記を見せてくれと言われた」
ソユリとマリウスが同時に眉をひそめた。
「初対面で?」
「初対面で、だ」
「アーテルまたなんかヤバいのに目つけられたんじゃない?」
「またとは何か」
今まで生きてきて“ヤバい”のに目をつけられたことなど、一度もないぞ。
ああ、しかし若い時分に一度だけ魔術原理主義の教団に目をつけられたことはあったか。
昼夜問わず暗殺者が押しかけてきて食事をとる暇もなかった。
あれはそこそこ“ヤバかった”ような気もする。
しかし、頭のイカレた教団の連中と比べれば、ネペロなる女学生からそれほど危険性は感じなかったが。
「……まぁ、アーテル君は色んな意味で目立ってるからね、そういう子の一人や二人、絡んできてもおかしくないかも」
ソユリがぼそっと呟いて、アメモア茶を啜った。
それもまた解せない。
私のような未熟者は、ただ粛々と学業に取り組むばかりで、でしゃばるような真似などしていないはずなのだが……
「自覚がないのが、アーテル君らしいよ」
そして彼女は、こちらの胸の内を見透かしたように言った。
解せない。
「まぁボクはキミがまた面倒ごとに巻き込まれてくれるのを祈るばかりだよ、アーテルの困り顔は見てて面白いからね、いひひ」
「性悪女が、いっそ魔術師をやめて本物の魔女にでもなったらどうだ」
「ボクという天才を失うのは魔術界にとっての大きな損失になるよ」
なにが損失だ、厄介払いの間違いだろう。
貴様が魔女へ転向した暁には、一同万歳三唱で祝福してやろう。
「そういえばマリウス、貴様、何故普段から魔女の真似事のような格好をしている?」
入学式では色々とゴタゴタが続いてしまい、ついぞ追及できず、それから有耶無耶になっていたのだが、考えてみればおかしな話である。
何故、魔術師としてのプライドの塊であるようなマリウスが、魔女を模したような服装で身を纏っているのか。
そう思って尋ねると、彼女は――忌々しい、いかにもこちらを嘲笑うように、ふふんと鼻をならした。
「ふーーーん? 知らないのアーテル? 学がないなぁ」
「いいから早く教えろ」
「しょうがないから教えてあげるよ、この土地はね、大学が建てられる以前は頻繁にサバトの行われていた場所だったんだ」
サバト――
演劇サークル“サバト”の語源ともなったであろう、魔女たちの夜会のことか。
私も噂程度には聞いたことがある。
「サバトについては諸説あって、現存してる史料が少ないから確かなことは分からないけど、一説によれば悪魔との乱交の場だの、幼児を食らっていただの」
ソユリがあからさまに顔をしかめる。
「おばあちゃん、それを知った上でそんなコスプレなんかしてたの……?」
「ち、違うから! あくまで一説! 魔女の特性上、これはかなり尾ひれのついたものだから! 実際にはそんなことしてないよ……多分。ともかく! ここは以前魔女たちにとっての聖地だったの!」
「噂と言うのならば、何故ここがサバトの地であったと断言できる?」
「ふふん! よくぞ聞いてくれました!」
マリウスが指を立てた。
「――そもそも魔女が用いる“魔法”っていうのは、魔術とは全く逆の性質を持ってるんだ。魔術が世界の理を魔法式によって力任せに書き換える技術だとしたら、魔法は世界の理から力を引き出す技術だ」
彼女は立てた指をくるくると回しながら、得意げに語る。
気分はさながら教鞭を振るう講師なのだろう。
「まぁ要するに、世界の大いなる流れから力を拝借する、というわけだね。その分魔術よりもずっと強力なんだけど、いかんせん世界から力を借りるにはそれなりに面倒な手続きがいる」
「魔女たちの儀式などがそれにあたるな」
「その通り、魔法はいわゆるシャーマニズムの一種だからね、いつでもどこでも力を借りられる、というわけじゃない。しち面倒くさい儀式と、それに見合った場所が必要なのさ」
「つまり今ラクスティア魔法大学の建てられたこの場所が、それに適した土地だったと?」
「そうさ、ボクは魔法に関してそれほど詳しいわけではないけど、調べたところ、どうやらここは魔法の儀式を執り行うのにとっても好条件らしい。それを裏付けるように、この大学周辺には魔女信仰が色濃く残ってる」
「なるほどな」
マリウスの言わんとしていることは分かった。
ここが魔法に適した土地であり、かつてサバトの行われていた地であったことも。
しかし、
「……それとお前の魔女の仮装に、なんの関係がある?」
「――いずれ入学してくるキミの無知を笑うために決まっているじゃないか、いひひ」
問答無用。
懐から取り出したメモ用紙をマリウスの額に貼り付け、エンドマークを打った。
「びびびびびびびびびびっ!?」
電撃が迸り、マリウスの全身を明るく照らす。
ソユリは感電するマリウスに見向きもせず、実に優雅にアメモア茶を啜っていた。
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