4 大賢者、コミュニケーションをとる
言っていなかったが、私は記念すべき初講義を最前席で受けるつもりでいたのだ。
これには、私がこの大学で魔術を学ぶ上で誰にも負けないという意思表明の意味合いが強く込められている。
しかし、ラクスティア魔法大学の魔女ことニーア・アリアケオスとの出会いが、そんな計画を見事に狂わせてしまった。
私が本館の大講義室へたどり着いた時、すでに空席はほとんどないような状態だったのだ。
私はすっかり落胆してしまった。
だが、こんなことで一喜一憂していては今後が思いやられる。
そう自らに言い聞かせて、私はいわゆる階段教室のちょうど中腹辺りに空席を見つけて、そこへ腰をかけた。
……しかし、なんだ。
最前列を取れなかったのは確かに残念だが、この巨大な講義室にひしめく同志たちを眺めながら講義を受けるというのは、こう、仲間ができたようで嬉しいな……
そんな風に考えていると、不意に声をかけられた。
「あの……すみません、それ、“星見の森”ですよね……?」
「うん?」
声のした方へ視線をやる。
声の主は、私の左隣に座る、なんだか小動物じみた全体的に色素の薄い女性であった。
肩のあたりにまで伸びた栗色の髪の毛、瞳の色も淡く、服もあまり目立たないものだ。
ちなみにここで言う小動物じみた、とは体系が小柄という意味ではない。むしろ発育は良い方で、実に女性的な体型をしている。
小動物じみているのは彼女のどこかおどおどとした雰囲気である。
まるで巣穴からわずかに顔を出して、天敵の存在を確かめるソレのようだ。
そして彼女は、私の手元を指していた。
見ると、先ほどニーア・アリアケオスから無理やり押し付けられたビラが、私の手の内でくしゃくしゃになってしまっている。
最前列を逃したショックですっかり忘れてしまっていた。
「ああ、入学式が終わって早々、得体の知れない女に手渡されたものだな。知っているのか?」
「い、いえ、私も今日入学したばかりで……ただ、私も同じものを貰ったので……はい」
ここで会話が途切れてしまう。
彼女の“おどおど”はいよいよ極まってしまって、その淡い色の瞳が何を捉えているのかも定かでない。
……彼女はいったい何がしたいのだ?
突然声をかけてきたと思えば、突然押し黙ってしまうし、今はなんだか苦しそうな顔をしている。
と、そこまで考えてから私は一つの考えに思い至った。
――そうか、彼女もまた同志を探しているのだ!
推察するに、彼女も私と同様入学したばかりで右も左も分からないような状態なのだ。
むろんそんな状態でこれから志を同じくする仲間を見つけることなど不可能。
だからこそ、その足掛かりとして偶然席が隣となった私に声をかけてきたのだろう!
これに気付いた時、私は感銘を受けた。
なにせ今までの私は、会話とはなんらかの目的、なんらかの益があって初めて生じるものだと思っていたのだ。
友好関係を結ぶことを前提とした会話が存在するなど、考えもしなかった!
まったく大学とはよく言ったものだ。
まさか入学して早々、一介の学生からこのように大きな学びが得られるとは!
さて、そうと分かった以上、私も彼女と友好関係を結ぶにやぶさかではない。
こういう場合は、まず自己紹介だ。
「総合魔術科、アーテル・ヴィート・アルバリスだ」
自己紹介に学科名を交えたのは我ながら冴えている。
自身がこれから学ぶ分野を相手に明かすことにより、以後お互いが魔術について語り合う際、会話が円滑に、かつ建設的に進むことは請け合いだ。
そんな意図が伝わったのだろうか、彼女はぱあっと表情を明るくした。
「結界魔術科、ソユリ・クレイアットです」
彼女はどこかほっとしたように、私に倣って学科名を明かしたのちに自己紹介を続けた。
実に友好的な雰囲気だが――クレイアットという姓を聞いて、はからずも表情が歪んでしまった。
よもやあの七光り魔術師マリウス・クレイアットと同姓とは……!
願わくば、あのクソ野郎となんのかかわりもない事を願うばかりだが……いや、今はそんなことよりも会話だ、コミュニケーションだ。
「――結界魔術か、あれらの魔法式は実に美しい。手をかければ手をかけるほどに光り輝く」
「美しい?」
彼女は首を傾げた。
「ああ、結界魔術は魔術の持つ力を何倍にも引き上げる。魔法式は複雑だが、その分努力を裏切らない、必ず応えてくれる」
「な、なんだかすごいね……私なんて基本の魔法式を組み立てるだけでやっとなのに……」
「はっ、またまた」
知っているぞ。謙遜というやつだろうそれは。
その“おどおど”で隠しているつもりなのかもしれないが、彼女は紛れもなく名門ラクスティア魔法大学に入学するほどの優秀な魔術師なのだ。
きっと私が卒倒してしまうほど美しい魔法式を隠し持っているに違いない。
そういうつもりなら、少し意地悪をしてみよう。
「ではその基本の魔法式とやらを見せてくれないだろうか、私も結界魔術には興味があるんだ」
「ええっ!? ダメダメダメ! 私の魔法式汚いし! 恥ずかしいよ!」
彼女は両手をぶんぶんと振って拒否の意を伝えてくる。
――どうして貴様なんぞに私の組み立てた美しき魔法式を見せなければならないのだ! 出直してこい三流魔術師!
そういう風に言われればまだ納得できたのだが、しかし、汚い? 恥ずかしい?
……どういう意味だろう?
「よく分からんが、恥ずかしいということはないだろう、言葉の通り、基本の魔法式でいいのだ。見せてはくれないだろうか」
「う、ううん……」
ソユリは、少し逡巡するような素振りを見せる。
それからややあって
「……じゃあ、笑わないでね?」
そう言って、彼女は自前の羽ペンを手に取るとノートの切れ端にさらさらと魔法式を書き込み始めた。
ああ、他人の魔法式を見るなんて一体何年振りだろう。
笑うなと言われたばかりだが、楽しみのあまり少しにやけてしまいそうだ。
「分かっているとは思うが、くれぐれもエンドマークは打たないようにな。こんな場所で魔術を行使しては死人が出てしまう」
「そ、そんなすごいものじゃないよう」
ソユリは困った風に言いながらも魔法式を書き込み続けた。
謙遜もここまでくれば天晴である。
彼女はきっと良い魔術師になるだろう。
そしてそわそわしながら待つこと数分。
授業開始まであと少しというところで、ソユリはペンを置いた。
「できた……これが私の魔法式だよ、あの、本当に恥ずかしいんだからね?」
「待ちくたびれたぞ! さて勉強させてもらおう!」
私は興奮をあえて隠さず、彼女からノートを受け取った。
これが、噂に名高いラクスティア魔法大学の学生が記した魔法式!
この世でなによりも美しい魔法式!
そう、これこそが至上の、魔法、し、き……?
「……なんだこれは」
思わずそんな言葉が漏れてしまう。
そこに記された魔法式は、私が想像していた“美しき魔法式”とは遠くかけ離れていた。
まず、あまりにも無駄が多すぎる。
ぱっと目を通しただけで、省略できる箇所が20か所以上ある。
これを省略するだけで、魔術発動までの時間を五分の一以下にまで短縮できるはずだ。
それに、これはベースにマリウス式を採用しているのか?
――馬鹿な! 結界魔術ならばせめてイゾルデ式にするべきだ! あんな古臭い魔法式などではなく!
ああ、これではせっかくの結界魔術が台無しだ……
魔術の力を何倍にも引き上げるどころか、こんな魔法式を使っては魔力の一本化が上手くいかず、そもそも魔術自体が発動しないことすら有りうる。
私はげんなりして彼女を見返した。
彼女は「ど、どう?」と不安げに問いかけてくる。
どうもこうも、こんなものを見せられてどうしろと……
……いや、待てよ!
そうか! 彼女はきっと私を試しているのだ!
あえて滅茶苦茶な魔法式を見せて、私がどのような反応を示すのか、それを観察しているのだ!
そうでなければラクスティア魔法大学の学生がこんなにも中途半端な魔法式を書くはずがない!
このソユリという女性、なかなか侮れないではないか!
そうと決まれば、やることは一つ!
私は自前のペンを取り出し、ノートの裏側に回答を書き込み始めた。
「――まず、簡単なところからいけば同じフレーズの繰り返しは非効率だ、一度魔法式を組みなおして一つにまとめる必要がある」
「たとえば、この部分は別のフレーズを代入することで一つのフレーズに複数の役割を持たせることができ、以降の魔法式を大幅に省略できる」
「魔法式には魔術師の個性が出るものだが、それを踏まえた上でも少し魔力の一本化が雑だな、ここは一つに絞った方が良い」
さらさらと最適化された魔法式を書き込んでいく。
この動作も慣れたものだ。
「す、すごっ……!? アーテル君すごいよ! あんなに長かった魔法式が……!」
ふふん、ソユリの反応を見る限り、どうやら私の解答は正しかったらしいな!
お互いがお互いの力量を探り合う――なるほど、学友とはこういうことか!
どれ、これで証明完了だ!
私は魔法式の末尾を、とん、とペン先で叩く。
「だっ――ダメだよアーテル君っ!」
「あっ」
いち早くそのミスに気付いたソユリが声を荒げるが、時すでに遅し。
――しまった! いつもの癖でうっかりエンドマークを打ってしまった!
直後、魔法式が起動し、ソユリのノートが淡い光に包まれる。
――まずいまずいまずい!
元は大した魔法式ではなかったのに、私が張り切って余計なアレンジなぞを加えたせいで、このままでは発動した魔法式によって大講義室が火の海になってしまう!
かといって一度起動した魔法式を取り消すことは不可能だ!
ならば即座に新たな否定魔法式を書き込み、先の魔法式を打ち消すしかない!
私はすかさずノートの空いた部分に対応する否定魔法式を書き込んでいく。
間に合え、間に合え――!
結果、打ち消しの魔法式は九割がた間に合った。
残りの一割、間に合わなかった分のしわ寄せは、彼女のノートへと降りかかった。
私がエンドマークを打つのと同時に、ぼんっ、と短い爆発音をあげて彼女のノートが木っ端みじんに消し飛んでしまったのだ。
頭上から、ぱらぱらと紙吹雪が舞い落ちる。
かろうじて講義室を火の海にすることは避けたが、しかし、これは……
「ええと……」
おそるおそるソユリの表情を窺う。
彼女は頬をぷくうっと膨らませて、小動物よろしく大きな瞳に涙をにじませていた。