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39 大賢者、日記をつける


 りゅーちゃんが毎晩の日課である受験勉強を終え、白竜を抱き枕代わりにして、気絶するようにベッドへ崩れ落ちたのは、もう二時間ほど前のことだったろうか。

 時刻は深夜2時へ差し掛かろうかというところ、私は今、一人小さな魔術灯を頼りに机へと向かっていた。

 私の毎晩の日課、学生の本懐、予習と復習、基礎と応用である。

 スポーツは一日トレーニングを欠かすと、その遅れを取り戻すのに一週間かかるらしいが、それは魔術においても同様だ。

 だからこそ私は毎晩この習慣を続けている。

 一応言っておくが、苦ではない。


 しかしそろそろ夜も更けてきたので、適当なところで目処をつけるとノートを閉じた。

 今日はノート三冊分――いくら安価とはいえ毎日数冊単位でノートを消費していくと、かかる費用も馬鹿にならない。

 私は机の上に広げた教科書等を整理し、就寝の準備に入る。

 そんな時、本棚に差し込まれたラクスティア魔法大学のパンフレットが目に留まる。私がここへ入学するきっかけとなったものだ。

 私はなんの気なしにこれを手に取り、ぱらぱらとページをめくる。


 もう何百、何千回と目を通したか分からず内容もほとんど暗記しているのだが、あるページで手が止まった。

 ラクスティア魔法大学の学生紹介ページである。


 開かれたページには、魔術灯に照らされた一人の青年が映っている。

 笑顔の爽やかな彼は「誰にも甘えられない環境で頑張っていこうと思った」とコメントしており、写真の脇には、彼の一日のスケジュールとそれから一ヶ月の生活費の収支が記載されている。


 誰にも甘えられない環境で、か。

 大学入学後の今になって、改めて考えてみるとなかなか深い言葉だ。


 甘えるのではない、依存するのではない、拒絶するのでもない。

 互いを尊重し、互いに称え合い、時には対立などもする。

 切磋琢磨とは自他の違いを認め、なおかつそれを受け容れた時に初めて生じるものだ。

 この言葉にはきっとそんな意味が込められているのだろう。

 至言、金言である。


「……初めは眉をひそめたものだが、そういうことならば、この交際費とやらに費やす金額の大きさにも頷ける」


 彼の生活費の収支は交際費と食費が半分以上を占めているのだが、今の私ならば得心がゆく。

 交際費という言葉の意味はよく分からないが、きっとより多くの学友と関わるための必要経費なのだろう。

 金の使い道など文房具や教科書を買うぐらいしか思いつかない私は、彼の聡明さを見倣うべきである。


 食費は……きっとさぞかし食べるのだろう。

 健全な肉体に、健全な魔術が宿るのだ。


 しかしパンフレットの中の彼の素晴らしさを再認識したところで、私の頭の中を一抹の不安がよぎった。

 それは


「……果たして私は、模範的大学生としての生活が送れているのだろうか」


 ということである。


 憧れのキャンパス・ライフ。

 夢にまで見たキャンパス・ライフだ。

 しかし、はて、私は本当に大学生としてふさわしい生活が送れているのだろうか?

 少し頭をひねってみたが、その判断は少し難しい。


 そもそもキャンパス・ライフとは絶対的なものなのか?

 どこかに理想的キャンパス・ライフの絶対的な基準が存在しているのか?

 いや、多分存在していない。


 では理想的なキャンパス・ライフとは相対的なものなのか?

 そうであれば本格的にお手上げだ。

 私には他の学生と自身のキャンパス・ライフを比べるなどというおこがましい真似は、とてもじゃないが出来やしない。

 どうしたものか。


 私は自身が就寝前だったということも忘れ、思索に耽った。

 そして十数分ほど薄暗い部屋の中を行ったり来たりしながら、思考を巡らせた結果、ある考えに思い至った。

 そうだ。

 私はぽんと手を打つ。


「――日記というやつをつけてみよう」


 日記をつけることなど、この300年もの間数えるほどしかなかったが、しかし名案である。

 なんせ記録は裏切らない。のちにこれを読み返し、果たして私が理想的キャンパス・ライフを送れているかどうか、その時改めて総合的に判断すればいいではないか!

 なるほど! そうだ、それがいい!


 私はすかさず新品のノートの山から一冊を抜き出し、これを日記帳として使用することに決めた。

 では、明日からはこの日記をつけることとしよう。

 午前中の講義もあることだし、今日はもうとりあえず寝るべきだ。

 私は冷たくて硬い床――ではなく、ソユリの譲ってくれたクッションに背中を預けると、新しいことを始める際の子どもじみた高揚感に包まれながらゆっくりと眠りについた。


 よって以下に記載するのは、私が翌日記した日記の抜粋である。

 なにゆえ文章を書くという行為にあまり慣れていないので、乱筆乱文、どうかご容赦願いたい。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ■〇月×日 AM 2:35■


 明日から日記をつけようと意気込み床についた矢先のこと、隣の部屋から響いてきた爆音に飛び起きる。


 初めは大規模な魔術攻撃でも受けたのかと思い身構えたが、どうもそういうわけではないらしい。

 ちなみにりゅーちゃんは怯えた白竜を顔にひっつけて慌てふためき、部屋中を走り回っていた。

 この光景を竜であった頃の彼女に見せたらなんと言うだろう、などと呑気にも考えてしまう。


 だが、すぐに今はそれどころではないと思い至る。

 何故ならば、この音が明らかに隣のマリウスの部屋から聞こえていたからだ。

 彼女の仕業と分かるなり、平穏な学生生活だけでなく安眠さえ妨害されたという事実に怒りがこみ上げてくる。

 私はすぐさま自分の部屋を飛び出して、隣の部屋の前に立つと、彼女の名前を呼びかけながらドアを強くノックした。


 返事はない。

 しかしドアに耳を当ててみると、なにやら中からは断続的に轟音が轟くほか、子どもの泣き声のようなものまで聞こえてくる。

 しばらくドアのノックを続けると、中からの反応はなかったが、代わりに大魔導ハイツに住む他の住人たちが何事かと顔を覗かせ始めた。

 彼らもまた安眠を妨害された哀れな被害者たちなのだろう。

 ならばこれは私だけの問題ではない、大魔導ハイツ全体の危機である!


 私は使命感に駆られ、即座にドアに施された魔法式の否定魔方式を構築、証明し、ドアを開け放った。

 ドアを開けると同時に攻撃魔術が飛んできて、私は咄嗟にこれを躱す。

 最初はそれが侵入者を迎撃するための設置型魔術だと思ったのだが、そういうわけではないらしい。


 この時私の見た室内の惨状は――あえては記さない。

 私の少ない語彙ではきっと不十分なものになるであろうし、純粋に思い起こすことすら憚られるからだ。

 しかしそれでも私がのちにこの日記を読み返した際、今夜起きた出来事を思い出すための取っ掛かりとして一言だけ記しておこう。


 窓から等身大の竜巻が侵入し、ひとしきりその猛威を振るった後なのではないか?

 そう思わせる光景である。


 そしてその部屋の中心には案の定マリウスの姿があった。

 頬を朱色に染め、かくかくと前後に揺れるマリウスの姿が。


 彼女は意味不明な言葉を喚き散らし、かと思えば突然歌い出し、かと思えば突然号泣し、かと思えば――やたらめったらに攻撃魔術を放った。

 しかし魔法式の構築が上手く出来ていないらしく、放たれた攻撃魔術は、部屋の内壁やらタンスやらを破壊するだけに留まっている。

 言わずもがな断続的に聞こえてくる爆音の正体はこれであった。

 そしてそれは、彼女にマトモな思考ができていないことの証左でもあった。


 私にはマリウスのこの状態に見覚えがある。

 もしやと思い、部屋中に散乱したモノを一通り見回してみれば、彼女の足元に転がった空のボトルを見つけて、それは確信に変わる。

 昔あれほど一人で酒を飲むなとイゾルデに念を押されていたにも関わらずヤツは飲んだのだ! 酒を! しかも一瓶丸々!


 なにをしている。


 おそらく私はそんなことを言って、マリウスに詰め寄ったのだと思う。

 しかしマリウスはこちらに気付いた気配などなく、普段の彼女からは考えられない気色の悪い猫撫で声で、これもまたおおよそ彼女には似つかわしくない、やけに大きなクマのぬいぐるみに語り掛けている。


 とりあえず覚えている限りで文字に起こしてみる。


「あぁぁ、ロロさぁああん(おそらくぬいぐるみのクマの名前?)……ボク、またアイツに嫌われるようなことしちゃったよぉぉぉ……」


「なんでいっつもこうなのかなぁ……今度こそ絶対嫌われたぁぁぁぁぁ……ああああ……」


「でもさぁぁぁ……今更どんな風にキャラ作ればいいか分かんないしぃぃ……そもそもアイツの周り可愛い女の子ばっかりだしぃぃ……ボクのこと見てないしぃぃぃ……もうホントに(以降聴き取れず)」


 改めて文字に起こしてみても、意味不明である。

 泥酔、意識の混濁、酔っぱらっていることはもはや明白。


 彼女の酒癖の悪さは私も嫌と言うほど知っている。

 ヤツはあの頃からずっと、何故かいつも一人で酒を煽り、挙句酔っ払って暴れるものだから、結局後になって迷惑を被るのは私かイゾルデ(特に私)であった。

 百歩、否、万歩譲って、私が迷惑を被る分にはまだ良いが、大魔導ハイツの住人達に迷惑をかけるのだけは看過できない。


 私は彼女の肩を後ろから二度叩いて、こちらへ振り向かせた。

 この時の彼女のとろんとした瞳は、まるで夢でも見ているかのようだったのを覚えている。


 私は彼女に対し、あまり真夜中に騒がしくして大魔導ハイツの住人達に迷惑をかけるのは良くないと戒め、そして水を飲むよう促した。

 しかし、彼女は熱のこもった視線で見つめてくるばかりで、どうもこちらの言を理解しているようには見えない。

 これは無理やりにでも水を飲ませるしかないと判断し、いったんその場を離れようとしたところ、突然彼女が私の足にしがみついてきた。

 「嫌いにならないで」だの「朝までいて」だの意味不明な言葉を並び立てながら、わんわんと泣き喚いている。


 いい加減にしろ!


 と、私は彼女の脳天に拳骨をお見舞いしてやった。

 彼女は短い悲鳴をあげてそのままうつ伏せになって倒れると、なんと! 信じられないことにそのままぐうぐうといびきをかきはじめたではないか!


 ……滑稽が過ぎて、これでは哀れすぎる。

 そう思った私は、昔馴染みへのせめてもの情けとして、彼女をベッドまで運んで上から布団をかけてやった。

 彼女の何故か幸せそうに緩み切った寝顔を見て、怒る気すら失せてしまう。


 私はひとつ溜息を吐き出し、部屋を出ると、改めて結界魔術でドアを施錠してやり、部屋へ戻って今はこの日記を書いている。

 時刻は午前3時を回っている。なんだかどっと疲れてしまった。


 それと推敲の為に一度眠い目をこすりながらこの文章を読み返してみたのだが、私の考える理想のキャンパス・ライフの記録とは大きくかけ離れていた。気が滅入る。

 とりあえず、今日はもう寝よう。続きはまた明日、随時記すこととする。


 以上


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