38 大賢者、学習スペースを使う
ラクスティア魔法大学は、おおまかに分けて三つの館からなる。
まず中央に鎮座するのが大学本館。
講義室のほとんどはここに集中し、一階正面玄関前には大学運営の諸々を執り行う教学事務室もある。
また上層階には教授の研究室、会議室、果ては学長室などなど。
すなわち大学の心臓部と言って過言でない。
そしてそんな本館を挟み込む形で、二つの別館が設置されている。
一方は本館南に位置する学生会館。
学食やカフェ、多目的スペースなど、日夜勉学に励む学生たちを労うべく憩いの場となっている。
そしてもう一方、北側に建てられたのは図書館だ。
ラクスティア魔法大学の図書館といえば、グランテシア大陸でも有数の大図書館である。
名門の名に恥じぬ膨大な蔵書の数々、まさしく本の海。
私も常々、ただ悪魔的な引力に身を任せて、思うさまあの知識の海へダイブしてみたいと思っているのだが、残念ながらことごとく機会を逃し続けている。
いつか必ずや……
まぁそれについてはともかく、今回、私とソユリは図書館二階学習スペースにて先の講義で出された課題に取り組んでいた。
科目名は、魔道具制作基礎演習。
課題内容は、今回の講義で説明した魔道具の歴史と発展について踏まえた上でなにか一つ自由に魔道具を作ってくること、である。
魔道具制作など専門外もいいところであるが、しかしやるからには全力で取り組まねば意味がない。
と、いうわけで。
「できたぞ」
時間にして数分、私はある魔道具を完成させた。
向かいの席で頭を抱えながらノートとにらめっこをしていたソユリがぎょっとする。
「早くない? 私まだアイデアすら浮かんでないんだけど……」
「簡単なものだからな、しかしなかなかの出来だ、是非見てくれ」
そう言って、私は彼女へ制作物を差し出す。
ソユリは、これを見て眉をひそめていた。
「なにこれ……折りたたまれた写真?」
「その通り」
最新の転写技術によって一枚の紙に写された、いわば人物写真というものである。
今回は適当に目についた雑誌からとある女性の顔写真を切り抜き、使わせてもらった。
雑誌の切り抜きは丁度女性の鼻のあたりで二つ折りになっていて、この女性の顔かたちを十全に窺うことはできない。
ソユリはこれを手に取ると、ほとんど無意識的に、二つ折りになったこの写真を開こうとした。
「――ま、待てっ! 開くな!」
私は咄嗟に身を乗り出し、ソユリを制す。
彼女は驚き、すんでのところで手を止めた。
「な、なに?」
ひとまず私は折りたたまれた顔写真を受け取り、手元へ持ってくる。
……危ないところだ。
「これは大戦中に用いられた魔道具……いわゆるブービートラップの一つでな、顔写真を開くことで内側に仕込まれた極小のインク袋が破けて魔法式にエンドマークが打たれる仕組みになっている」
「ぶ、ぶーびーとらっぷ?」
「そうだ、簡単に言うと、不用心にもこれを開いた者は証明された魔法式によって数十メートルほど吹っ飛ぶ羽目になる」
子どもが手慰みに造れるほどの単純な代物だが、しかしその効果は絶大である。
魔道具が大戦中にめざましい発展を遂げたものだということを鑑みれば、やはりこれは外せないだろう。
若干遊びが足りない感はあるが、しかし初回の制作物であまり奇をてらいすぎるのもどうかと思うので、これぐらいが妥当であろう。なんせ基礎演習だからな。
などと考えていると、ふとソユリがこちらを睨みつけていることに気付いた。
はて?
「……アーテル君、それどうするつもりだったの?」
「どうするつもりとは……提出要項にあった通り来週の講義までに研究室のポストへ投函するつもりだったが」
「テロだよ!!」
ソユリは声を張り上げた。
それと同時に、他のテーブルで各々作業に取り組んでいた学生たちの内何人かが不愉快そうにこちらへ振り向いた。
改めて言うがここは学習スペースである。
雑音等を気にせず、集中して学習がしたい熱心の学生たちの集まる場ゆえ、雑談程度ならばともかく、過度に騒いだり大声を出したりすることは禁止されている。
ソユリは慌てて声を抑え、その分、身を乗り出して顔を寄せてくる。
「(そんな物騒なもの、先生が間違って開いちゃったらどうするの!?)」
「年若いソユリならまだしも、こんな古典的な手に百戦錬磨の教授が引っかかるとは……」
「(いいからダメ! もし万が一にでも先生がそれに引っかかっちゃったら今度こそ退学だよ!)」
「それは困る!」
私はあらゆる反論の言葉を呑みこんで、ソユリに従うこととした。
退学だけは断固として避けなければならないところである!
例え毛先ほどの確率だったとしても、それだけは御免だ!
「では改めて新しい魔道具の制作に取り掛かるとしよう」
「それがいいよ」
ソユリはほっと胸を撫でおろした。
自分の課題もあるだろうに、私の心配までしてくれるとは、つくづく思いやりのある学友を持ったものだ。
しかし、第一の問題として
「手元に材料がなくなってしまった」
もとより魔道具の構想は決まっていたために、顔写真の切り抜きとインク袋しか用意していなかったのだ。
「購買で売ってないの?」
「ある程度は揃うだろうが……仕方ない、とりあえずは別の用事から済ませてしまおう」
私は一階図書館から借り出してきた数冊の本の山から、一冊を手に取り机に広げる。
「なにそれ?」
「ワイバーンの生態に関する本だ」
「アーテル君、ワイバーンに興味があるの?」
「私ではない、興味を持っているのはウチの受験生だ」
「受験生、っていうとりゅーちゃんのことだよね」
「そうだ、ヤツが私の家でワイバーンのヒナなどを飼い始めたものだからな」
「ワイバーンのヒナを飼うって……すごいね」
「しかし私もヤツもワイバーンのことなぞてんで分からん、ましてワイバーンのヒナを飼育する方法なぞ、どんな資料にもマトモに載っちゃいない。なのでこうして使えそうな部分だけ抜粋するのがもう一つの用事だ」
私はぺらぺらとページをめくり、役に立ちそうな項目が目に留まれば、羽ペンでもってメモ帳にこれを書き写していく。
ソユリは、そんな私をじっと見つめて
「アーテル君って、意外と面倒見いいよね」
そう呟いた。
「……超鈍感だけど」
その後に何か付け足したような気がするが、生憎写字に集中していて聞き逃してしまった。
すまない、今何と言っただろうか?
そう聞き返そうとした時、私は羽ペンを取り落としてしまった。
誤って、ではない。他の学生の背中が私たちのテーブルにぶつかり、その衝撃でペンが手元から弾かれてしまったのだ。
「うぇーーーwwwはらいてぇwwそれは卑怯すぎるっしょwwww」
ぶつかってきたのは、心底楽しげに笑う一人の男子学生であった。
方々に尖り、毒々しい色をした毛髪が印象的である。
そして彼は私たちに話しかけているわけでなく、そもそも認識すらしていないようだ。
どうやら彼は、私たちが学習スペースにやってくるよりもずっと先に、向こうのテーブル一つを陣取って大層な盛り上がりを見せる集団の、その一員であるらしい。
集団のリーダーらしき人物が彼を呼んだ。
「オイオイオイ! 見てくんねこれ! これ傑作じゃね?ww」
「これ以上笑ったら死ぬわオレwwwwでも見るwww」
呼びかけられて、彼は再び例の一団に加わると、ひときわ甲高い声で笑った。
楽しそうなことだ。彼らはいったい何が面白くて死にかけの鶏のごとき声をあげているのか、純粋に気になるところである。
しかし、周りの人間は違うらしい。
彼らを見つめる他の学生たちは、さながら般若の形相だ。
まるで親の仇でも見るような、殺気のこもった目である。
もう少しすれば血涙さえこぼれ出しそうな勢いだ。
「草生やすな……」
近くの席で課題に取り組んでいた男子学生が、ぎりりと歯軋りをしながらそうこぼした。
どういう意味かは分からない。
ともかく、私は先ほど取り落としてしまった羽ペンを拾いあげる。
そして再び写字作業へ戻ろうとペン先をメモ帳へつけたところで「しまった」と手を止めた。
「落とす前に力を込めてしまったせいだろう、ペン先が潰れてしまった」
「え? 大丈夫? 私のペン貸そうか?」
「いや、問題ない」
そう言って、私は懐から替えの羽ペンを取り出し、ペン先にインクをつける。
まずは試し書きだ、新品は手に慣れさせるところから始めなくては……
「……前から気になってたんだけど、アーテル君、そのペンってさ……」
「この羽ペンがどうかしたか?」
「やっぱり羽ペンだよね、それ。私久しぶりに見たよ……今時使ってる人なんて、ほとんど見ないもん」
「言われてみれば」
確かに、この大学へやってきてからというもの羽ペンを使っている学生に出会ったことは無い。
皆一様になにやら見たこともない筒状のモノで文字を書いており、私はおぼろげに「ああ、あれが現代のペンなのだな」と認識していたが、いかんせんあまり意識したことはなかった。
単純に、興味がなかったのだ。
「その、純粋に疑問だから聞くんだけど……書きにくくない?」
「さぁ……考えたこともなかった、私はこれしか使ったことがないからな」
「昔おじいちゃんに聞いたんだけど、羽ペンってすぐにペン先がダメになるんじゃなかった?」
「言われてみればそうだな、しかし羽ペンは安価だ、替えはいくらでも買える」
「……一応言っとくけど、多分ウチの購買には売ってないよ」
「なに……?」
私は思わず眉をひそめてしまった。
羽ペンが売っていないなど、そんなバカな。
そう返すつもりだったが、しかしふと思いとどまる。
最近忘れがちだが、私と彼女ら大学生の間には、確かに300年以上のジェネレーションギャップが存在しているのだ。
魔術を究めたい、という思いばかりが先行し、文房具のことなどまるで意識の外だったが――ありうる。
200年間、私が山に籠っている間に羽ペンが前時代の遺物となってしまった可能性が!
「そ、それでは私はどこで新しい羽ペンを買えばいいというのだ?」
私は思わずソユリに尋ねてしまっていた。
それほどに由々しき事態だ。
羽ペンのストックが切れれば書き込み法の魔法式を証明することが叶わない。
いや、それ以前に――授業のノートが取れなくなる!
これは全くの死角から襲い掛かってきた、我がキャンパス・ライフの危機である!
しかし心優しきソユリは、しばらく頭を悩ませた末にある考えが浮かんだらしくぽんと手を打った。
「――そうだ、ショッピングモールに行こうよ」
「しょっぴんぐもーる?」
聞いたことのない単語である。
ソユリはふっふっふ、と勿体ぶりながら説明した。
「この大学を下っていったところにおっきなショッピングモールがあるんだよ、そこに行けば羽ペンも、あと魔道具の素材も売ってるよ、多分」
「要するに市場のようなものか?」
「市場……うーん、まぁそれでいっか、とにかく今度の休日行ってみようよ、……その、ふ、二人で」
「ああ、そうしよう」
本当に、ソユリには助けられてばかりだ。
感謝の言葉の一つでも述べようと思ってソユリの方を見やると、何故か彼女はあからさまにこちらから目を逸らしていた。
加えて言うなら、耳まで真っ赤である。
「……どうした?」
「別に……」
しかし顔が真っ赤だ、具合でも悪いのか?
私が、そう尋ねかけようとしたところ、再度机が大きく揺れた。
またも向こうの一団の彼である。
「うぇwwwwwはらいてぇwwwwもう無理wwww」
彼が絞め殺された鶏のような声をあげながら身をよじっている。
ソユリはここで露骨に不機嫌そうな顔つきになり、般若の面が一斉に彼の下へ向けられた。
しかし不思議なことだが、この刺さるような視線に彼らは一向に気付かない。
それどころかより一層盛り上がっている。
「オイオイオイwwwwもっとヤベエことになったわwwww」
「マジ?wwwいくわwww」
再び彼が呼び戻され、一団の盛り上がりが最高潮に達した。
本当に何があんなにおかしいのだろう。
私はそればかり気になってうずうずしているのだが、どうも周りの雰囲気が許してくれない。
そんな時である。
「うぇ、お前なんか袖についてるべwwww」
「あえ? なんだこれwwww写真ついてるwwww」
「女の写真wwwwアイコラに使おうぜwwww」
……女の写真?
そういえばさっき私が作った魔道具はどこへいった?
次の瞬間
「――うぇいっ!?」
と、妙な悲鳴をあげて、リーダー格の男がイスから吹っ飛び、窓ガラスを突き破ってそのまま学習スペースから強制退場させられてしまった。
本来粛々と作業に取り組むべき学習スペースが、割れんばかりの拍手と歓声に包まれたのはそのすぐ後のことである。
重ね重ねになりますが、年末年始はちょっとスケジュールが立て込んでおりまして更新スペースがかなり不定期になっております、読者の皆様にはご迷惑おかけしますが、どうかご容赦ください……
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