37 大賢者、黒竜の娘をテストする
キャンパス・ライフ初のアルバイトを無事終え、食事ののちに先輩方と別れて、私と黒竜の娘が大魔導ハイツに帰還した頃、すでに日は高く昇っていた。
いつも通りならばそろそろ大学へ出立しなければならない時間なのだが、悲しいかな、今日の講義は午後からである。
たったの一日睡眠を削ったところで今の私は大学生、溢れ出る活力は留まるところを知らない。
本来ならば今すぐにでも講義に参加し、深淵なる魔術世界への第一歩を踏み出したいところであるが、受ける講義がないのならば致し方なし。
多少の歯痒さは感じるが、ここは堪える場面であろう。
しかも考えようによっては、今日この日に限り、午前中に講義がないのは幸いかもしれない。
なぜならば、私には早急に片付けなければならない問題がある。
私はすぐに自室へは戻らず、アパートを前にして立ち止まった。
「時にりゅーちゃんよ」
「誰がりゅーちゃんだ、忌々しき魔術師め」
「いい加減、黒竜の娘と呼ぶのがしち面倒臭いのだ、今日のように人の目がある場所では特に話がややこしくなる、かといって真名を呼ぶのはお前の竜としてのプライドが許さんだろう」
「当然だ、竜の真名は人間風情が容易く口にしていいものではない」
「だからりゅーちゃんだ」
「ふん、勝手にしろ、呼び方なぞどうでもいいわ」
彼女も、口では文句は言いつつも、ソユリのつけたその呼び名を存外気に入っているような節がある。
さて、正式に許可を得たところで私は、黒竜の娘改めりゅーちゃんに問いかけた。
「先ほどまでは先輩方の目があったので深く言及はできなかったが……本気か?」
「なんのことだ」
「そのワイバーンのヒナのことだ」
私は彼女の腕の中でうずくまる、バイト先からなし崩し的に連れてきてしまったワイバーンのヒナ、すなわち白竜を指した。
彼(彼女?)は“らあめん”とやらを食したことで満腹になったらしく、実に気持ちの良さそうな寝顔を晒していた。
あの食い意地の張ったりゅーちゃんが白竜に自らの食物を分け与えていたことも驚くべきことだが、勿論問題はそこではない。
「本当に、ウチで飼うつもりか」
「無論だ」
りゅーちゃんは胸を張って、さも当然のことのように応える。
なにが無論、だ。
「ここは私の家だ、家賃も私が払っているし、お前の分の食費も私が払っているのだぞ」
「また今日のようにアルバイトとやらをこなし、金を稼げばよい、弟子の食費ぐらいは我が賄う」
「……何故ワイバーンのヒナごときにそこまでする?」
「それは……」
それまで不思議なくらい毅然とした態度を貫いていたりゅーちゃんが、ここで初めて口ごもった。
……やはり、何か後ろ暗い理由があるな。
そうでなければこの傲岸不遜なプライドの塊が、自分より遥か低級の竜を弟子に取るなど口にするはずもない。
「き、気まぐれだ! 言っただろう! 自由気ままに生きてこそ竜よ! カカカ!」
「嘘を吐くようならこの話は終わりだ、やはりここでその竜の息の根を止めてやろう」
私は懐から取り出したメモ用紙の切れ端に、羽ペンで介錯用の魔法式を書き込む。
「!? ま、待てっ!」
すると、りゅーちゃんにメモ用紙をひったくられて、そのままぐしゃぐしゃに丸められた。
私は彼女の目をじっと見つめる。
すると彼女は小さく呻いて、それから消え入りそうな声で。
「……その、可哀想ではないか」
「今なんと?」
「だから、可哀想ではないかっ!!」
突然の大声を張り上げるものだから、耳鳴りがした。
りゅーちゃんの腕の中で、白竜が身をよじって、目を覚ましかけた。
彼女は慌てて白竜の頭をなぜ、再び眠りにつかせる。
そののち、彼女は我に返ったらしく、かあっと頬を染めて俯いてしまった。
一方で私は、りゅーちゃんの衝撃的な発言にしばし固まってしまう。
「可哀想、と言ったのか? お前が……」
「悪いか! 我だって同情ぐらいはする!」
彼女はほとんどヤケクソになりつつも、しかし白竜が目を覚まさないよう声を抑えて言った。
「故郷の空を見る間もなく郷里を離れ、産みの親とも離別……いくら低級竜とはいえ、我と同じ竜、我と同じく親を失った境遇だ! せめて我が親代わりになる! これで文句はないか!」
「なんと……」
私は次に続く言葉を失ってしまった。
あのりゅーちゃんの口から、同情という言葉が出るとは。
彼女の顔を見れば、これが嘘偽りない本心からくる発言だということは私にも分かる。
しかし、彼女にまさかこんな一面があったとは……
きっと今までの私は心の奥底で、彼女をたかが竜と、たかが冷血動物と侮っていたのだろう。
私は己の狭視野をいっそ恥じ入る羽目になった。
クロウス先輩にあれだけの事を言っておいて、まさか私自身が彼女を“傲岸不遜な竜”の側面でしか見ていなかったとは。
なるほど、なるほど
「――確かに、これは私の落ち度だ」
私は素直に自らの非を認めることとした。
「私はお前を侮っていたようだ、お前にそれほどの覚悟があろうとは、夢にも思っていなかった」
「な、なんだいきなり、ふん、当の親の仇に何を言われようが、我の決意は揺るがぬぞ」
「それは重々承知している」
彼女の親である黒竜を討ったのは、他でもない私だ。
親を失った彼女が、同じく親を失ったワイバーンの親となろうとする。
これもまた因果であろう。多少強引な論理だが、責任の一端は私にもあるということだ。
しかし
「――それとこれとは話が別だな」
私はそう言って、ゆっくりと彼女から距離を取った。
りゅーちゃんはこちらが発散する気配から、これから起こることを察したらしく、白竜を強く抱きしめた。
「あの時お前を生かし保護することに決めたのは、他でもない、竜であるお前が魔術を覚えた、それだけで観察対象としての価値があると踏んだからだ、すなわち」
私は彼女と一定の距離を取ると、振り返りざまに言った。
「受験はどうする?」
りゅーちゃんが表情を歪める。
「貴様がその身にかけられた呪いを解くには、この一年間血反吐を吐く思いで受験勉強をし、ラクスティア魔法大学への入学を果たして魔術を究めるほかない。弟子なぞをとって、その偉業が成し遂げられるというのか?」
「ふ、ふん! 造作もないことよ! 我にかかれば受験勉強など……」
「ではこの前の模試の点数はいくらだった?」
「ぐっ……!」
「結界魔術における魔法式の最適化は? 東洋呪術を魔道具に落とし込む上での公式は? イゾルデ式におけるフレーズの変化形はさすがに覚えたか?」
彼女はこの問いに応えず、たじろいだ。
お前の苦手教科など全て把握済み。
そして今のお前ではラクスティア魔法大学の入試試験を突破することなど到底不可能だということも、だ。
「その程度すぐに覚えてみせる! 我を見くびるな!」
彼女はそれを分かった上で虚勢を張った。
なるほど、覚悟だけは認めてやってもいい。
その覚悟を買って、
「――ならば中間テストだ、私を破ってみろ」
私は懐から数枚の羊皮紙を取り出した。
最早見慣れたものだろう、錬金式の刻まれたゴーレム制作の羊皮紙。
これをいつも通りにあたりへばらまく。
このまま羊皮紙が地面に接地すれば、羊皮紙の数だけゴーレムが生まれ落ちる――はずだったが
「ほう」
私は思わず感嘆の声を漏らした。
なんとばらまかれた羊皮紙は、一枚残らず空中で燃え尽きてしまったのだ。
無詠唱の火炎魔術、なるほど大口を叩くだけはある。
「ふん、何度も同じ手を食うものか! とっくに見切っておるわ!」
「だと思ってな、ダミーを混ぜておいた」
「なっ!?」
さすがに毎度同じ手ばかりでは芸がなかろうと思い、羊皮紙の中に一枚、耐火処理を施した特殊な紙を混ぜておいたのだ。
そこに刻まれているのは、錬金式ではない。
呪詛返しの魔法式だ。
「しまっ」
りゅーちゃんの目前に、ぼんっ、と赤い炎が現れる。
彼女は目を丸くして、その刹那、赤い火の玉が彼女の眼前で炸裂する。
彼女は咄嗟に白竜をかばい、自らの魔術を背中に受けた。
「うぐっ……!?」
彼女が態勢を崩し、その場にくずおれる。
彼女もまた懐に魔護符を忍ばせてあるので、直接的なダメージはないのだろうが、しかし反射的に白竜をかばうとは。
私はそんな彼女に驚かされながらも、ゆっくりと歩み寄る。
りゅーちゃんは白竜を強く抱きしめ、ぎゅっと目をつむっている。
……ふむ。何を勘違いしているのかは分からないが、私は彼女の頭にぽんと手を置いた。
りゅーちゃんは、固く結んだ瞼をほどいて、目をぱちくりさせている。
「完全ではないものの無詠唱で否定魔方式を証明し威力を抑えたか……まぁ及第点だろう、さぁテストは合格だ、中へ入れ」
「い、いいのか?」
珍しく、彼女はいつもの毅然とした態度を微塵も感じさせない口調で問いかけてきた。
「いいに決まっている、ただしお前が少しでも受験勉強をサボれば、そのワイバーンはすぐにでも家から追い出すぞ」
「か……か、カカカカカ! 承知した! 承知したぞ! 忌々しき魔術師めが!」
……なんと嬉しそうに笑うのだ。
私はふぅ、と一つ溜息をついて、家の鍵を取り出した。
そしていつものように錆びついた鍵穴と格闘する傍ら、私はりゅーちゃんに語り掛ける。
「しかし弟子の為に学ぶとは予想外だ……てっきりお前は私への復讐だけをモチベーションに魔術を学ぶだろうと思っていたのだが」
「……なんだ今更そんな分かり切ったことを」
「話は最後まで聞け、まぁ、なんだ、お前はどうやら親の仇を討つ、という目的がなくとも、その弟子とやらを養うために魔術を学ぶだろう?」
「ま、まぁそれはそうかもしれんが、しかし忘れるな! 第一に我はお前を倒すためにこの呪いを解く! そして母君の無念を……!」
「お前の母親、まだ生きているぞ」
「へ?」
かちゃり、と音を立てて鍵が回った。
……ふむ、この鍵穴の錆はいかんともしがたいな、今度大家に進言するとしよう。
「お、おい!? 貴様!? それはどういう……」
「さあ無駄口を叩くな、勉強の時間だ、今日は結界魔術の一から十まで教えてやろう」
「ちょっ……おい! コラ! この……忌々しき魔術師めがあああ!!」
この日、ある幼き少女の怒声が、ご近所さんたちの目覚まし代わりになったという。
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