36 大賢者、給料を受け取る
メルトルスの巨体を吹き飛ばすほどの魔術ともなれば、当然その余波もそれなりのものとなる。
最小限まで威力は絞ったが、この魔術の余波によって倉庫内に散乱する工具の数々は全て壁際まで追いやられ、駆け抜けた衝撃波を受けて職員たちは反射的に顔を守った。
だが肝心のワイバーンの卵は、私が隔絶魔術で覆ったこともあり、この衝撃波をやり過ごすことが叶う。
ひとえに先輩方が時間を稼いでくれたおかげだ。
さてくだんのメルトルスは遥か後方まで吹き飛び、倉庫内から強制退場させられると、そのまま倉庫の外周を囲む石壁に身体を強く打ち付けた。
ヤツは潰れた蛙のような悲鳴をあげるが、死んだわけではない。
元より竜を絶命させるほどの強力な魔法式は組んでいないのだ。
それで、十分なのだから。
私は声を張り上げた。
「――グラトン現場監督! 今の内だ! シャッターを下ろしてくれ!」
どこか呆けたような表情でこちらを眺めていたグラトンが、我に返る。
「お、おうよ! お前ら! すぐにシャッターを下ろせ! あの薄汚え卵泥棒を締め出すんだ!」
「は、はい!」
グラトン現場監督の指揮もさることながら、やはりここの職員はよく訓練されている。
威勢のいい返事ののち、各々は統率された無駄のない動きで持ち場に着くと、大きく開いた倉庫の入り口にシャッターを下ろし始めた。
見上げると、ゆっくりと下りてくるシャッターには書き込み法の結界魔術が刻まれている。
さすが、これならばメルトルスがシャッターを破り、再度倉庫内に侵入してくることもない。
私は頭の中で否定魔方式を組み、ワイバーンの卵に施された隔絶魔術を解除する。
そして、すかさずその場を駆け出した。
目指すはメルトルスの下、である。
「お、おいあんちゃん!? 何を――!」
「けりをつける! バイト中にすまないが少し外すぞ!」
「けりをつけるだと!? 何を馬鹿な! おい! あんたたち先輩だろ!? アイツ止めなくていいのかよ!?」
グラトンが、近くでこの様子を眺めていたトルア先輩とクロウス先輩に詰め寄った。
しかし先輩方は、はは、と苦笑して。
「すみませんが、彼の好きにやらせてやってください」
「そうそう、オレたちはさっさと仕事終わらせちまおうぜ、さすがにもう眠いしよ」
「何を悠長な!? 殺されちまうぞ!」
「いやあ、ねえ」
先輩二人が互いに顔を見合わせる。
そしてクロウス先輩は、どこか呆れたような口調で
「アイツは、できる方の後輩なんで」
私は身に余る賛辞の言葉に頬を緩めながらも、閉じかけたシャッターの隙間に滑り込んで、倉庫の外へと躍り出る。
それとほとんど同時にメルトルスが態勢を立て直し、再度ワイバーンの卵を狙うべく、倉庫を睨みつけた。
しかし、すでにシャッターは閉まった後だ。
シャッターの表面に刻まれた結界魔術の魔法式もすでに証明が完了し、もはやメルトルス程度の力で破ることは不可能である。
それはヤツも本能レベルで理解しているらしく、その眼から確かな怒気が感じられた。
そしてその怒りの矛先は、当然私に向けられる。
「私が憎いか、南方の竜よ」
竜は本来賢い生き物だ。
あるいは私の言葉の意味を理解しているのかもしれない。
ヤツはこれに応えるかのごとく、極彩色の翼を広げ、けたたましい声で鳴いた。
相変わらず凄まじい声だ。あれほど分厚いシャッターが、私の背後で揺れている。
だが、さすがに慣れた。
私はこれを意に介せず、ゆっくりとその場に腰を屈めて、倉庫内から拝借してきた赤いチョークで足元に文字を刻みながら言う。
「私はお前に対してなんの恨みもない。お前にとって人間社会のルールなど知ったことではない、というのも十二分に理解している」
メルトルスが大きく開いた翼を格納し、身体を低く落とした。
いよいよ臨戦態勢に入ったらしい。
しかし私はチョークで書き込む手を止めずに、続けた。
「だが、残念ながら私はここの雇い主に仕事をもらった恩がある。だからこそお前とは戦わねばならん」
メルトルスがこちらへ突っ込んでくる。
私は一旦地面に書き込む手を止め、あらかじめ腕に記しておいた転移魔術の魔法式へ羽ペンでエンドマークを打つ。
すると私の姿は一瞬の内に掻き消え、メルトルスは頭からシャッターへ突っ込んだ。
さすが結界魔術を施しているだけあって、シャッターはビクともしない。
私は、ヤツの背後に立つ。
「むろん殺す気はない、しかしこのままただ貴様を追い払っても、また来年になればここを襲いにくるのだろう?」
メルトルスが尻尾を振るう。
私は無詠唱によって身体強化の魔法式を証明し、後方へ飛びのく。
「だから、これをくれてやる」
そして飛びのきながら、懐からあるものを取り出して、それを地面に書き込んだ刻んだ文字の羅列の中央へ投げ放る。
それは、古ぼけた竜の牙、その欠片だ。
この色褪せた破片は、地面に落ちると、直立する。
これが魔法式で言うところの、エンドマークである。
直後、地面に刻まれた文字が光り輝き、子どもの笑い声にも似た音が大地より湧き上がってくる。
ここであれだけ怒り狂っていたメルトルスの動きが、ぴたりと止まった。
その爬虫類じみた表情から彼の心境を推しはかることはできないが、しいて言うなら、そこには恐怖の色が浮かんでいるようにも見えた。
今の“彼”がこれを目にするのは、初めてのはずだ。
とすれば、脈々と受け継がれてきた南方の血がその脅威を覚えているのだろうか。
なんにせよ興味深い限りである。
「――かつての大戦中、私は多くの人間から実に多くの事を学んだ、魔術はもちろん、錬金術や東方呪術、そしてこれもその一環である」
大地から、笑い声とともに淡い光が湧き出してきて、光はやがて何人もの小人の姿を形成する。
光の小人たちは、まるで無邪気な子どもがするように、竜の牙の欠片を囲んで、ぐるぐると回り始めた。
「貴様が南方の出身だということで、それにちなんで、うろ覚えながら私が式を組んだ、気に入ってくれるといいのだが」
小人たちの境界線が曖昧になり、混ざり合って、竜の牙を覆い始める。
光は大地より無際限に溢れだして、ある形を成した。
それはメルトルスよりもひとまわりもふたまわりも巨大な――ワイバーンである。
メルトルスが、ぎぃっ、と短い悲鳴をあげて、あからさまに狼狽する。
「精霊と契約し、竜の牙を媒体として大地の記憶からかつてグランテシアの空を支配していたワイバーンを再現させた」
むろん、今現在の弱体化したワイバーンとは比べ物にならない。
ワイバーンの祖とも呼ばれる竜喰らいの竜。
大昔にメルトルスが輸入されたことにより数少ない卵を食い荒らされ、とうとう絶滅してしまったかつての空の王である。
彼の絶滅がその後の低級竜の大繁殖に繋がり、グランテシアの生態系を大きく変えてしまうこととなるのだが、まぁそこは割愛するとしよう。
南方の巫術によって再現した残滓とはいえ、空の王が放つ圧倒的強者の風格はメルトルスなどとは段違いである。
それは竜の姿であった頃の黒竜の娘にも匹敵するほどだ。
メルトルスは一瞬退くような仕草を見せたが、しかしそこは誇り高き竜である。
すんでのところで留まり、極彩色の翼を大きく広げると、サイレンのごとき雄たけびをあげる。
凄まじい咆哮だが、空の王は王の二つ名にふさわしき威風堂々たるさまで微動だにせず、ゆっくりと口を開いた。
私は来たる衝撃に備えるべく、両耳を塞ぐ。
――その直後、世界が揺れた。
大地を割り、天蓋さえ落としそうな本物の咆哮。
石畳がバリバリとめくれ、魔術結界で補強されたシャッターが悲鳴をあげている。
空の王の再来を、ただの一声にて世界に示す。
そんな咆哮であった。
これに比べればメルトルスのソレなど、まるで赤子の産声である。
事実これによってメルトルスは竜としての誇りを完膚なきまでに打ち砕かれ、文字通り尻尾を巻いてその場から逃げ出した。
竜の誇りも、生物としての本能には抗えなかったのだろう。
私はあっという間に空の彼方へ消えてしまったメルトルスを眺めて、ようやく両耳から手を離した。
これでメルトルスーーひいては周辺の竜が、この倉庫へ手を出すことは今後一切ないだろう。
これで少しは雇い主のグラトンに報いることが出来ただろうか?
まぁ、なんにせよ
「バイトへ戻らなくては」
契約完了。
空の王は光の粒となって霧散し、再び安らかな眠りについた。
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「――あんちゃん! なんだかすげえ音がしたけど、大丈夫だったかい!?」
倉庫へ戻るなり現場監督のグラトンが駆け寄ってきた。
私の身を本気で案じてくれるとは、つくづく良い雇い主に巡り合えたものである。
「ああ、心配はない。メルトルスは完全に追い払った、もう二度とここへは近付かないだろう」
「よく分からんが、ラクスティアの学生さんはすげえな……」
なあに、私よりも優れた学生などごまんといる。
私はただ労働の義務を果たしたまでだ。
それよりも
「夜も明けた、そろそろ騎竜配達業者もやってくる頃だろう? 手早く卵の仕分けを終わらせねば」
「いやぁ、それがよ……」
グラトンが言葉を濁した。
その意図を測りかねて、ちらとグラトンの背後を覗き込むと――なんと、あの短時間の内にワイバーンの卵が全て綺麗に箱詰めにされており、出荷準備が完了しているではないか!
「……あのごたごたの間にあそこの嬢ちゃんと、その、ワイバーンのヒナが全部終わらせちまったんだ」
「なんだと!?」
見ると、黒竜の娘がワイバーンのヒナ、もとい白竜を抱えて得意満面に胸を張っているではないか。
「ふん、これしきのこと、我と我が弟子にかかれば造作もないことよ」
白竜は喉をなぜられて気持ちよさそうにぴいぴいと鳴いている。
確かに仕事が早いとは思っていたが、まさかここまでとは!
「ワイバーンのヒナをここまで手なずける手腕も大したものだが、この嬢ちゃん覚えが早すぎるぜ……ウチの職員の倍のスピードで仕分けを終わらせちまった」
「貴様ら愚鈍な人間の脳味噌と比べるでない、しかし気分は良いのでもっと褒め称えろ、カカカ」
「ぐっ……」
なにを生意気口を、と叱りつけたいところだが、怒るに怒れない……!
だが、なんにせよこれで――
「ああ、あんたらの仕事は終わりだ! ご苦労さん!」
グラトンが気持ちよく言って、私たちを労った。
トルア先輩とクロウス先輩が「よっしゃあ!」と拳を突き上げて喜んでいたので、私もそれに倣って拳を突き上げる。
――なんという達成感か!
まるで雲一つない晴天の空のように晴れやかな気持ちだ!
「じゃあこれがバイト代だ! 受け取りな!」
グラトンが私と先輩二人、そして黒竜の娘に、それぞれ口を縛った麻袋を渡してくる。
こんなにも金の重み感じたのは初めてだ!
「正規の日給に残業代をプラスして、少ねえが俺のポケットマネーからもちっとばかし足してやった!」
「い、いいのか!?」
「良いも悪いもあるか! 言っただろう! 俺は雇い主としてのルールは死んでも守る! 正当な労働には正当な報酬! 当然のことだ!」
グラトン現場監督はいつものごとく豪快に笑って、私の背中をばしばしと叩いた。
「あとの積み込みはウチの職員だけで十分! 帰ってゆっくり休んでくれや!」
「なにからなにまで……お気遣い感謝する!」
私は深々と頭を下げて、彼らに感謝の意を伝える。
すると、ふいに背中に衝撃を感じた。
トルア先輩とクロウス先輩が、肩を組んできたのである。
「やあやあアーテル君、やっとバイト終わったねぇ! ……ところでお腹減らないかい?」
「このまま帰るなんてもったいないぜ! 飯食いに行くから付き合えよ一年坊!」
「ああ、ああ――勿論行くとも!」
「我も腹が減ったな、行くぞ白竜」
先輩二人と肩を組みながら早朝の町を歩き、黒竜の娘が私たちの後についてくる。
こうして私の記念すべき初アルバイトは幕を閉じた。
余談だが、この後先輩方に連れられて食べた“屋台らあめん”とやらはまさにこの世の物とは思えぬほどの絶品であった。
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――まさか、まさか錬金術だけでなく、巫術まで。
遠見の魔術によって、学長室からこの様子を観察していたラクスティア魔法大学学長、ディヴィーナ・フランケンシュタインは言葉を失ってしまった。
メルトルス程度、彼にとっては相手にすらならないだろうとは承知していたが、しかしこれほどとは――
それでこそ新聞同好会部長ネペロ・チルチッタに依頼してまで、彼をあのアルバイトへ赴かせた意味があったというもの。
まさに生ける伝説。魔術の極致。
今の私では、彼の本気の一端を垣間見ることすら叶わないだろう。
「絶対に振り向かせてみせるけどね……」
ディヴィーナはひとりごち、ふふふと笑う。
いつか自らの魔術で彼の度肝を抜く日が来ることを信じて――
しかしその時、遠見の魔術にある影が映った。
アルバイト先の倉庫から少し離れた位置で、倉庫内の様子を観察する者の姿がある。
ディヴィーナは眉をひそめて、この影に目を凝らした。
朝の光が、彼女の髪飾りにきらりと反射した。
「ネペロ・チルチッタ……?」
サンタさんを待っていたら更新遅れました。
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