35 大賢者、バイトを完遂する
「ほう、あの女たらし、地這い竜以外も乗れたのか」
この騒動をいかにも無関心そうに眺めていた黒竜の娘が、ぽつりと漏らした。
何を他人事のように――とは思う一方で、その意見に関しては私も同感である。
マリウスの言によると、トルア先輩は地這い竜ぐらいしか操れないはずだが……!
「は、ははは! 甘く見ないでくれよ新入生君! 確かに大学では地這い竜ぐらいにしか乗ってないけれど、これでも昔は騎竜で全国目指してたんだよボクは! 補欠だったけど!」
暴れ回るメルトルスから振り落とされないよう、トルア先輩は即席の手綱をしっかりと握りしめて言った。
その目には涙が滲んでいるし、今にも弾き飛ばされそうな具合だが、しかし、確かにあの暴れ回るメルトルスに食らいつくことが叶っている! これは頼もしい限りだ!
「すまないトルア先輩! そのまま手綱を離さずメルトルスの注意を引き付けてくれ! その間に私が残りのワイバーンの卵へ隔絶魔術を施す!」
「で、できれば早くしてくれるとうれじぎっ、痛ぁいっ!? 舌噛んだ!」
口から血を流してまでバイトの完遂を諦めないとは……なんと志の高い先輩なのだ!
そして先輩にばかり身体を張らせているのは後輩失格! 一刻も早く仕事を終わらせなくては!
私は頭の中で組み立てた隔絶魔術の魔法式にエンドマークを打ち、近くにあった箱詰めの卵を魔術の泡で覆う。
残りの箱は4つ!
このペースならば、トルア先輩が暴れるメルトルスを抑えつけている内に残りの箱に隔絶魔術が施せる!
しかし、ここで唯一誤算があった。
トルア先輩の騎竜技術は確かに素晴らしいのだが、しかし麻紐を束ねて作った即席の手綱に限界が近づいていたのだ。
麻紐の手綱が、竜の口の中で鋭く尖った牙にこすれ、ぶちぶちと音を立て始めている。
トルア先輩がこの音を聞いて「ひっ!」と短い悲鳴をあげた。
手綱が切れてしまえばどうしようもない! 騎竜技術など関係なく、トルア先輩が振り落とされてしまう!
「あ、ああ、アーテル君!? どうしよう! どうしようこれ!?」
「落ち着けトルア先輩!」
言いながら、私は別の箱へ隔絶魔術を施す。
残り、3つ。
「メルトルスの体構造については大昔に論文で読んだ!」
「だ、だから何だって言うんだい!? 落ちる! 落ちるっ!」
「メルトルスの性質についておぼろげながら知っているということだ! 大腿骨の付け根を思い切り蹴るのだ! ほんの僅かな間だが動きが止まる!」
「それは良い事を聞いた!!」
トルア先輩はそう言うなり、全身の力を振り絞って態勢を立て直すと、メルトルスの側部に踵で一撃。
しかし、そこは――!
メルトルスが大きく口を開けて甲高い雄叫びをあげると、そのまま動きを止める――ではなく、より一層激しく暴れ出した。
あまりに凄まじさに、背中に跨ったトルア先輩の姿が二重にも三重にも見えるほどだ。
「――――っ!? ―――っ!?!?」
「ち、違うぞトルア先輩! そこは脇腹だ!」
「ししししし、仕方ないだろ!?!? そんなのこの位置から分かるもんか!!」
ごもっともである! これは私のミスだ!
あと少しで卵の確保も終わるというのに――
「も、もう限界だ! 振り落とされ――」
ぶつんと音がして、張り詰めていた手綱が宙を舞った。
とうとう手綱が切れてしまったのだ。
クロウス先輩の身体がゆっくりと後ろへ傾いていく。全てがスローモーションに見えた。
私はせめてクロウス先輩の安全だけでも確保するべく、咄嗟に別の魔術を唱えようとしたのだが――
「――トルア! もう一度脇腹を蹴れ!」
背後からある男の声がして、私はそれを中断した。
この声を受けて、トルア先輩はメルトルスの背中から引きはがされながらも、咄嗟に靴の踵で再度メルトルスの脇腹へ一撃食らわせる。
再び、メルトルスは痛みから大きく口を開けた。
その時である。
メルトルスの大きく開いた口を目掛けて、魔術による軌道修正をもって、ある物体が一直線に飛んで行った。
それは現場監督のグラトンがこれ見よがしに煽っていた銀色のスキットル。
そしてスキットルの表面には、なんらかの魔法式が刻まれている。
スキットルはそのままメルトルスの口内へと侵入し、そして――爆発した。
凄まじい爆炎がメルトルスの口内を焼き尽くし、かの竜は悲鳴をあげてのけぞる。
この時に竜が怯んだおかげで、トルア先輩はなんとかメルトルスの羽毛にしがみつくことが叶う。
しかし、この繊細かつ正確無比な魔術……まさか!
私が後ろへ振り返ると、そのまさかであった。
「……はっ、オリジナルカクテル対決はこれで二対二、引き分けだな」
「クロウス先輩……!」
彼の登場により、倉庫内からわっと歓声があがった。
これはまるで、あの日の新歓コンパの再現だ。
彼もまた、戻ってきたのだ。
バイトを完遂するべく、その高い志をもって。
ああ、私はなんと、なんと素晴らしい先輩をもったことだろう!
だが、相手も竜だ。口の中を焼き尽くされたぐらいでは致命傷にならない。
むしろこの一撃が、いよいよヤツの怒髪天を突いてしまったようだ。
メルトルスは明確な敵意を孕んだ眼で、こちらを睨みつけている。
このままヤツが暴れ出せば、まだ隔絶魔術を施していない卵が犠牲になる。
私とクロウス先輩、そしてメルトルスの背中にしがみついたトルア先輩は苦々しく顔を歪める。
と、その時、文字通り我々に光明が差した。
倉庫の外から、一筋の光が差し込んでくる。
私たちは息を呑んだ。
すなわち――夜が明けたのだ。
「朝だ……」
「ということは」
私たちは顔を見合わせ、そして同時にグラトン現場監督の言葉を思い出す。
――俺は雇い主としてのルールは死んでも守る!
――残業代も払う。
「「「残業代が出る!!」」」
私たちは声を揃えて叫んだ。
「うおおおおおっ!」
トルア先輩が雄たけびをあげて、メルトルスの背中に生え揃った羽毛を凄まじい速さでよじ登り、そしてメルトルスの首に取り付いた。
なんと、手綱もなく素手でメルトルスを抑えつけたのだ!
これにより、メルトルスは再び彼を振り落とさんと暴れ回るが、トルア先輩は決してこれを離さない。
その隙を見計らって、すかさずクロウス先輩が攻撃魔術を放った。
まさに百発百中、一発の打ち漏らしもなく、クロウス先輩の放った魔術はメルトルスの頭部に直撃する。
「どうだこの中途半端ヤロー! 舐めんじゃねえぞ!」
メルトルスが悲鳴をあげて、大きく怯んだ。
だが、やはり卵への被害を避けた最小限の攻撃である。
それらは致命傷とはなりえず、メルトルスはややあって態勢を立て直す。
まぁ、その僅かな隙で十分であったわけだが。
「――全く、キャンパス・ライフというのは実に素晴らしい」
私はメルトルスの足元に立って、ヤツを見上げていた。
「少し前まで孤独だった私が、こんなにも素晴らしい先輩に巡り合えた。これ以上のことがあるだろうか」
怒り狂ったメルトルスが、私に狙いを定める。
私はヤツの背中に跨ったトルア先輩へアイコンタクトを送り、トルア先輩もまた私の意図に気付いたらしく、メルトルスの背中から颯爽と飛び降りる。
もはや言葉すらいらないのだ。
私は、先輩方とすでに繋がっている。
「私はきっと、これからも多くを先輩方から学べることだろう。そう考えると楽しみで仕方がない」
メルトルスが大きく口を開けて、私を噛み砕かんと迫ってきた。
だが、恐れることは無いのだ。
なぜならば先輩方が時間を稼いでくれたおかげで、6つの箱、その全てに隔絶魔術を施せた。
もう遠慮はしない。
私は懐から取り出したメモ用紙、そこに記された魔法式の末尾へ、羽ペンでエンドマークを打つ。
「貴様に非はないが、唯一悪かったのは運だな。さあ出ていけ、バイトの邪魔だ」
メルトルスの牙が目と鼻の先まで迫る。
しかし、それが私の下へ届くことは無い。
書き取り法魔法式が証明され、メルトルスの巨体は見えない何かに弾き飛ばされるかのように遥か後方――すなわち倉庫の外まで吹っ飛んだのだ。
年末ということで最近は変則的なスケジュールが多く更新時間がブレまくっておりますが、ご容赦ください……
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