3 大賢者、サークルに勧誘される
さあ、待ちに待ったキャンパスライフ初日。
私はこの二ヶ月間、夢にまで見たラクスティア魔法大学の前に立っていた。
大学――なんと豪奢な建造物か。
まるで王宮である。
巨大な門の先には数え切れないほどの学徒がひしめき、各々が希望に目を輝かせている。
右を向いても学生、左を向いても学生。
その全てが私と同じく魔術の神髄を究めんとする同志だと思えば、自然に頬が緩んでしまった。
ああ、私も今日からこの一員となって魔道を邁進するのだ!
いや、いかんいかん。
入学初日からこんなに浮ついた気持ちでどうする。
身体は十代だが実年齢は340歳だぞ。
ん? 320歳だったか? まぁどっちでもいいが。
ちなみに入学式はすでに済ませてある。
何故、本日のメインイベントについてなにも言及しないのかと言うと、恥ずかしい話、会場で1000人以上の入学生を前にした途端年甲斐もなく興奮してしまい、気付いたら式が終わっていたのだ。
これにはさすがに己を戒めた。
こんな地に足のつかない状態でキャンパスライフなどちゃんちゃらおかしい。
キャンパスライフというのは、もっとこう……厳かな気持ちで迎えるべきもののはずだ!
私は気付けに二度自らの頬を張り、そしていざ本館へと向かう。
すると一体何事か、本館前の広場が大変賑わっていた。
初めは大学側の主催する祭典の一部かと思ったのだが、どうもそういうわけではないらしい。
なんというか雑多だ。さながら市場のようである。
見ると入学式を終えたばかりの新入生に、在学生の集団が手当たり次第声をかけているのだ。
一体なんの催しだろう?
そう思っていると、すぐに私も捕まってしまった。
「ねえそこのキミ! 騎竜に興味ない!?」
爽やかな笑顔をたたえて私の下へ詰め寄ってきたのは、とあるグループのリーダー格らしき青年だった。
私は突然の問いかけに困惑しつつも、青年の友好的な雰囲気を見て取って、紳士的に対応することとする。
「騎竜か……興味がないと言えば嘘になる」
騎竜とは、読んで字のごとく荒ぶる竜を手綱一本で自由自在に操ることを言う。
竜はその機動力の高さから大戦中の主な移動手段として知られていた。
しかしプライドが高く気性の荒い竜を乗りこなせるのは一握りの人間のみで、それゆえに騎竜士は重宝される。
騎竜士の役割は伝令から先駆けまで多岐に及び、まさに戦の花形。
私もまた大賢者である以前に一人の男であるので、彼らの武勇には一度ならず心を躍らせたものだ。
「騎竜に興味あるんだ! へぇー! あのさ、僕たち“騎竜俱楽部”っていうサークルをやってて、放課後はかるーく騎竜やってるんだけど、良かったらキミも入ってみない!?」
「なんと!?」
これにはさすがの私も仰天した。
放課後に、かるーく騎竜、だと!?
熟練の騎竜士でさえ一匹のドラゴンに対し数年かけて信頼関係を築き、やっとのこと背中に跨ることを許されるというのに学業の片手間でかるーく!?
そしてサークルというものには聞き覚えがある。
確か、大学にはサークルという名の、授業以外に専門的な課外活動を行う有志団体が多数存在すると聞いた。
ラクスティア魔法大学において騎竜を同時にこなす、その意味。
推察するに彼ら騎竜倶楽部とは、竜に跨り戦場を駆け疾風迅雷、敵陣の中枢へ直接魔術をぶち込む前代未聞の、いわば騎竜魔術師を養成するサークルなのだ!
私は一見好青年風の彼らの凄まじいポテンシャルを感じ取り、身震いをした。
侮っていた! 大学というのはなんと凄まじい場所か!
「お? 興味津々って感じだねー、どう、見学だけでも?」
「い、いや、私にそんな高度なことはとても……」
「だいじょーぶだいじょーぶ、みんな素人だから気楽にやれるよ」
貴様らのような化け物と一緒にするな!
かるーく騎竜を乗りこなしてしまうような人間と、私のようなインドア派が並び立てるわけがない!
こうなったら、どうにかして私の凡庸さを知らしめ、諦めてもらうほかない!
「――ほ、本当に無理なのだ! 私が乗れる竜などせいぜいワイバーンがいいところ! それも遥か昔の話だ!」
正確には250年ほど昔、戯れで野良のワイバーンを捕まえて騎竜士の真似事をしたのが最後だ!
笑うのなら笑ってくれ! 諦めてくれるのならそれでいい!
そう思って口に出したのだが、どういうわけか騎竜倶楽部の彼らは私の一言で固まってしまった。
何かの聞き間違いか? とでも言いたげな表情で。
「ええと……ワイバーン? ワイバーンってあのワイバーン……?」
……? これはまたおかしなことを聞くな。
ワイバーンと言えば、一つしかないだろう。
「貴方たちほどの凄腕の騎竜士とあらば片手で操れる、あの低級竜のことだが……」
彼らはお互いに顔を見合わせた。
……なにかおかしなことを言ってしまったのだろうか?
やがてリーダー格の青年はしどろもどろになりながら
「あ、うん、ええと、キミにこのサークルは合わないかも、うん、良いサークルを探してね、あの、僕ら応援してるから、はは」
と、よく分からない台詞を残して、そそくさとどこかへ行ってしまった。
……幻滅されたか。それもそうだろう。
ワイバーンなんぞ、多少扱いに心得があれば子どもでも乗りこなせる低級竜だ。
向こうもあまりのレベル差を察して、私の身を案じ、やんわりとお断りしてくれたのだろう。
騎竜魔術師には確かに興味はあったので少し残念な気もするが、彼らの足を引っ張るわけにもいくまい。
これでいい。これでいいのだ……
そんな風にどうにもやりきれない気持ちを覚えて、歯を食いしばっていると。
「いひひ、キミ面白いね」
突然、背後から不気味な笑い声が聞こえてきた。
なにかただならぬ気配を感じ取って振り返ってみれば、そこには一人の少女の姿がある。
否、少女ではない。その立ち振る舞いからしてここの学生であることは間違いないだろう。
ただ、あまりにも小柄で顔立ちも幼いために、つい少女と見紛ってしまったのだ。
それはさておき、彼女は黒装束に全身を包み、そして異様に大きな三角帽子をかぶっており、右手には竹ぼうきを携えている。
そのいでたちには見覚えがあった。
「魔女か、久しぶりに見たな」
「魔女? ボクが?」
彼女は少し考えるようなそぶりを見せてから、魔女らしくにやりと口角を釣り上げる。
「そうとも! ボクこそがラクスティア魔法大学に潜む魔女の中の魔女、ニーア・アリアケオス様だよ!」
「名乗りを上げるとは、随分と殊勝な魔女だな……」
しかし彼女らがまだ生き残っていたとは予想外だ。
てっきり人魔大戦以前に滅んだものだと思っていたのだが……
ともかく、彼女らの魔術体系は、我ら魔術師の魔術体系とは根本的に異なっており、かねてより興味があったのだ。
驚くべきは魔女すらも受け入れるラクスティア魔法大学の懐の深さである。
「それで、魔女が私になんの用だ?」
「別に用という用はないけど、見てたよ、さっき“騎竜倶楽部”の連中を追い払ったでしょ?」
「追い払ったなどとんでもない、私が門前払いにされたのだ」
「まあどっちでもいいけどね、なんにせよ入らなくて正解だよ」
「ふん、言われなくても分かっている、私のように凡庸な人間が魔術の片手間に騎竜を乗りこなすなどという器用な真似はできないと言いたいのだろう」
「あはは、違う違う、ワイバーンを乗りこなせるキミと比べれば、凡庸なのはあいつらの方だよ」
「なに?」
「だって、彼ら竜になんか乗れないもの」
私は思わず眉をひそめてしまう。
竜に乗れない? どういうことだ?
「そのまんまの意味、あいつら騎竜倶楽部なんて銘打ってるけど、その実は竜にかこつけて乳繰り合ってるだけだもの。騎竜サークルってだけでモテるもんね~」
「ち、ちち……?」
「かろうじてさっきキミに声をかけてきた、部長のトルア・リーキンツが地這い竜に跨れるぐらい、他の奴らはただの太鼓持ちだよ」
「ち、地這い竜だと!?」
地這い竜とは亀よりも温厚で亀よりも遅いと称されるあの地這い竜のことか!?
相当な重量に耐え、また持久力もあることから主に騎竜宅配や農耕に使われる、あの地這い竜の事か!?
「じゃ、じゃあなんだ、彼らは貴重な勉学の時間を費やして地這い竜に跨り、一体何を為そうというのだ!?」
「グラウンドをぐるりと一周する頃には日が暮れるから、それで終わり」
「――ジジイと徒競走をした方がまだマシだ!!」
思わず暴言が飛び出してしまった。
その事実は、それほどまでに衝撃だったのだ。
「まぁ、今日も今日とて新しい太鼓持ちを探そうと勧誘に躍起になっていたら予想外にもワイバーンを操れる新入生がいたもんだから慌てて退散した、って感じかなぁ」
「なるほど……危うくサークルを騙る悪質な連中に捕まり、貴重なキャンパスライフを棒に振るところだった……」
「ん? サークルを騙る悪質な連中?」
ニーアが私の言葉を反復し、不思議そうに首を傾げた。
「悪質も悪質だろう、ラクスティア魔法大学のサークルと偽り、そのような意味不明な活動に純粋無垢な学生諸君を引き込もうなど、まさに悪魔の所業だ」
「へえ……」
ニーアがこちらを見て、ニヤニヤと口元を歪めている。
……なんだその顔は、何か言いたいことでもあるのか。
「……キミ、やっぱり面白いね、今日の夜あけておいてよ」
彼女はそう言って、私に一枚のビラを手渡してくる。
そこには、でかでかと「天文サークル“星見の森”へようこそ!」と記されている。
星見――確かに魔術の中には星の並びと密接な関係を持つものも存在する。
なるほどこれを専門に研究するサークルがあるというのもおかしくないだろう。
かつて私の好敵手であったイゾルデがこの分野に詳しかったのだが、しかし私にはあまり興味が――
「今日の夜、大学近くの“どわあふ亭”! 絶対きてねーー!」
「あ、おい!」
丁重にお断りさせていただこうとしたところ、ラクスティア魔法大学の魔女ことニーアは、有無を言わさず走り去っていってしまった。
……なんだったのだ。私は一つ溜息を吐く。
本来ならば行くはずもない、こんな一方的な約束は反故にするに決まっている。
しかし、彼女はこの大学について相当詳しいような雰囲気もある。
かたや私は入学早々“騎竜倶楽部”とやらに騙されかけたクチ。
今後も星の数ほども存在するらしいサークルから、真に己のためとなるものを選び取る自信は、残念ながらない。
ならば、ここはあえて虎穴へ入ろう。
私は彼女の言いつけ通り、今夜“どわあふ亭”とやらに向かうことを決意して、敢然と歩き出した。
そろそろガイダンスの時間だ。遅刻は許されない。