27 大賢者、真面目に出席する
「……であるからして、マリウス式の基礎となる魔法式はこのフレーズから始まる場合がほとんど、というわけですね」
現代魔術学基礎の担当教員、イルノフ・ガントット教授はそのように話を締めくくり、黒板に魔法式を書き込んだ。
それはいわゆるマリウス式魔法式の骨子となる部分である。
……現代魔術学“基礎”を名乗る以上、クレイアット家で数百年に渡り受け継がれてきた魔法式を無視することが出来ないのは理屈としては分かるが……
だが理解はできてもやはり納得できない!
何故、あんなにも古臭い魔法式をわざわざ大学の講義で学ばねばならないのか!
見ろ! 誇り高きラクスティア魔法大学の学生たちがあろうことか授業中に欠伸をかき――中にはすでに机に突っ伏して寝息を立てている者までいるではないか!
やはりマリウス式など馬糞にも劣る! 優秀なる彼らにはそれが分かっているのだ!
そう思っていたのだが、
「――ちなみにここ、期末テストに出ます」
イルノフ教授の一言が合図となって大講義室にひしめく学生たちから緩み切った雰囲気が霧散した。
そして彼らは一斉にマリウス式の魔方式をノートへ書き写し始めたではないか。
この統制された動きに私は絶句してしまう。
なんと……なんと健気なことか!
どれだけカビの生えた魔法式であろうと、どれだけ不完全な魔法式であろうと、彼らはノートを取るのだ!
それがいつか魔道の極致へ至るために必要なことなのだと愚直に信じて!
だが、だが、だからこそ私は挙手をする!
いや、挙手しなければならないのだ!
「はい」
威勢よく挙手をすると、数人の学生たちがこちらへ振り返り、隣に座るソユリは、はぁ、と一つ溜息をもらした。
イルノフ教授はこちらの姿を認めて、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「総合魔術科一年、アーテル・ヴィート・アルバリスです」
「知ってますよ……また君ですか」
「その節はどうもありがとうございました」
私は偉大なるイルノフ教授に深々と頭を下げ、敬意を示す。
ちなみにその節というのは言わずもがな初回の講義での件である。
このやり取りで周りの学生たちが私のことを思い出したらしく、ざわつき始めた。
「おいアイツ、ガイダンスでイルノフ教授をぶっ倒した一年じゃないか……?」
「ああ、一週間前に演劇でアーテル役をやったあの子か、あれは盛り上がったねえ」
「アイツ、噂によると星見の森の新歓でクロウス先輩との飲み比べに勝ったらしいぜ」
「マジで!? あの大酒呑みを!?」
「肝臓、鉄でできてんのか……」
……ふむ、どうやら私のあずかり知らぬところで噂が広まっているようだ。
私のような者に、勿体ない事である。
「それで、今回はなんですか……何もないようでしたら講義を続けますけど」
「いや、その馬糞……ではなく、マリウス式魔方式に関して一つ指摘したい部分がある」
当然、私のような未熟者が偉大なるイルノフ教授を見下ろして喋るというのは無礼千万。
例によって階段を下り、イルノフ教授の下へ歩み寄る。
教授は露骨に顔をしかめていた。
「学生たちを試すのは良いが、どうもイルノフ教授は戯れが過ぎる。愚直に魔術を究めんとする学生たちに間違った知識を植え付けてはいけない」
「……言っておきますけど、これはマリウス式魔方式の基礎の基礎、間違えようなんてありませんからね」
「またまた、あまりからかわないでくれ、私は冗談が得意ではないのだ」
そう言って、私はチョークを一つ手に取る。
そしてイルノフ教授が記した魔法式へ、ワンフレーズを付け足す。
「これが正しいマリウス式だ」
私が魔法式に書き足すと、学生たちが一斉にペンを動かし始めた。
イルノフ教授はこれを見て奥歯を噛みしめ、それからごほんと一つ咳払いをする。
「は、はは、冗談は君の方ですよ、今書き足した部分は最適化されたマリウス式の魔法式にとって邪魔なフレーズです。なんの役割も為してない」
そう言って、イルノフ教授は赤いチョークで私が付け足したフレーズに二重線を引く。
学生たちもまた慌てて赤いペンを取り出し、さっさっと横に線を引いた。
なるほど、引っ掛け問題か!
「いや、これで合っている」
私はすかさず黒板消しを手に取り、打ち消されたフレーズを拭き取ると、もう一度同じフレーズを書き込んだ。
「確かにここだけでは無意味なフレーズだが、これはマリウス式を証明する上で、のちに続く魔法式を最適化するための役割を担う。このフレーズなしでの魔法式は、実際にはほとんど使われない」
「し、しかしその理屈でいけば、のちに続く魔法式によっては邪魔になる場合もあるでしょう! それに、魔法式を最適化するということならもっと短いフレーズもある!」
「おっしゃる通りだ。だからこそあえてこのフレーズを使う、これならばのちに続く魔法式に合わせて変化形を用いることで、場合によっては更なる魔法式の最適化すら可能だ」
「ぐっ……!?」
イルノフ教授のチョークが止まった。
同時に、忙しなく動き回っていた学生たちの手も止まる。
ふむ、これで正解、ということか。
……そうだ、マリウス式と言えば。
「そういえばイルノフ教授の著書――現代魔術と西洋魔女の相関性――を購入したのだが、本書216ページに魔女狩りとクレイアット家の台頭についての論述があったな」
「な、なんですか? それがなにか?」
「3度ほど読み返したのだがどうもこれの結論が見当たらないのだ……不自然に引用が頻出するようになったし、掘り下げも甘い……」
「っ……!?」
「よもや現代魔術の根底を覆しかねないほどの真理にたどり着き、揉み消されてしまったのではないかと心配していたのだが……」
「そ、そそそれは今の講義と関係ないでしょう!? 今はマリウス式魔法式に関しての講義です!」
……ふむ、不用意な発言は命取りということか。
確かにこんな公の場で聞くべき話ではなかったな、謝罪しよう。
その時であった。
「――いいや、マリウス式はイルノフ教授が書いたもので合ってるよ」
おもむろに大講義室後方から声がした。
私とイルノフ教授を含めた全員が、声のした方へ振り返る。
この嫌味な声音――私には聞き覚えがある!
「はーい、総合魔術科二年、ニーア・アリアケオスでーす」
ニーア・アリアケオスとは仮の名前。
最後列で、挙手した手をひらひらとさせているのは、柘榴色の髪をした少女――すなわちマリウス・クレイアットである!
ちなみにだが、ソユリはこれでもかというほど目を見開いていた。
そんなことなど露知らず。
マリウスはにやにやと口元を歪めながら席を立つと、ゆっくりと階段を下り、そして私の隣に並び立った。
コイツ! この前あれだけ痛い目に遭ったというのに、まだ私にちょっかいをかけてくるというのか!?
「イルノフ教授の言う通りマリウス式には多彩な魔法式が存在するんだよ、例えば魔術障壁、アレを証明するにはアーテルが提示したフレーズではその役割を担いきれない」
マリウスはイルノフ教授から赤いチョークをひったくり、私の書き足したフレーズへ二重線を引くと――にやりと勝ち誇ったように笑った。
びきりと、額に青筋が走るのを感じる。
私は黒板消しをもってこの憎々しい二重線を拭き取り、再び例のフレーズを書き足す。
ノートに向かった学生たちが、慌ただしくペンを走らせ始めた。
「それは詭弁だ! 魔術障壁に関しては従来の魔術体系から大きく外れたもの! 例外中の例外を持ってきて、重箱の隅をつつくような真似をするんじゃない!」
「詭弁じゃありません~~魔術障壁も立派なマリウス式の一部です~~!」
「あ、あの君たち……」
「――言っていろ! そもそもマリウス式などという旧態依然とした単純な魔術! このフレーズのみで十分に証明可能だ!」
「じゃあ証明できるのかい? そのフレーズを使って魔術障壁の証明が?」
「できるに決まっている!」
私はチョークを手に取って、黒板に魔法式を書き込んでいく。
大講義室にひしめく学生たちもまた、私に続いてノートへ魔法式を書き込み始めた。
忌々しきクレイアット家の魔術ということもあり、魔術障壁の証明を試みたことは今までに一度もなかったが、しかしあんなもの一度見れば魔法式ぐらい解析できる!
チョークで黒板に書き込む、というよりはもはや力任せにチョークで黒板を叩いて魔法式を書き込んだ。
そして黒板の端から端まで書き込んだところで、ようやく――
「――できたぞ! これが魔術障壁を証明する魔方式だ!」
そして私は最後に、だんっ、と魔法式の末尾へチョークを叩きつける。
「あ」
私とマリウス、そしてイルノフ教授、三人の間抜けな声が重なった。
しまった、エンドマークを――
――次の瞬間、黒板の魔法式が眩い光を放ち、そして爆発した。
「うぐっ!」
「えぅっ!?」
「ぶっ!」
凄まじい爆発に巻き込まれ、その場にいた三人は吹っ飛び、地面に倒れ伏す。
大講義室を、静寂が包み込んだ。
すると学生の一人が、おもむろに
「あ、時間だ」
そう言うと、これを合図に彼らは一斉に席を立って、ぞろぞろと講義室を出て行ってしまう。
ふふ……最初こそ悲鳴をあげて逃げ回っていた彼らであったが、たった一週間の内に随分と余裕を持ったようだ……やはり大学という場は人を成長させるのだ……!
一転してがらんどうになった講義室で、一人席に残ったソユリが頭を抱えているのが見えた。
第二章、開始いたしました! これからもお付き合いいただければ幸いです!
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