26 大賢者、大学生になる
「そ、ソユリ!?」
突然の「おばあちゃん」発言に固まっていると、マリウスが彼女の名を叫んだ。
先ほどまでの恐怖に引きつった顔とはまた異なる、妙に青ざめた表情で。
この意味不明な状況に、私の思考が追い付いていない。
黄金の巨人もまた、私が途中で命令を放棄したことにより、拳を振り上げたままの体勢で彫刻のごとく固まってしまっている。
張り詰めたような緩み切ったような、そんな妙な空気が場を満たした時――均衡を破ったのはソユリであった。
「――もう! おばあちゃんまたこんなもの使って! 過保護もいい加減にしてよ!」
ソユリはそう言って懐からノートの切れ端を取り出し、そこに記された魔法式の末尾へ羽ペンでエンドマークで打つ。
すると、彼女を包み込んだマリウスの隔絶魔術がぱちんと音を立てて呆気なく弾け飛んだ。
私は思わず目を丸くする。
何故、彼女がマリウスの隔絶魔術の否定魔方式をあらかじめ持っているのだ!?
しかしそんな疑問を口に出す間もなく、ソユリは肩を怒らせながら、ずんずんとマリウスに詰め寄った。
その様は、まさに先ほどどわあふ亭で見た“鬼”のソユリである。
マリウスはこの迫力にすっかり気圧されたらしく腰が引けてしまっている。
「そ、そそソユリ、な、なんで否定魔方式を……!」
「小さい頃からずーーーっと使われてたんだからもうとっくに魔法式も覚えたよ! それより今までどこ行ってたの!?」
「あの、ええと、その……」
マリウスの目が泳いでいる。
この光景に私は自らの目を疑わざるを得ない。
あの嫌味で高慢ちきで捻くれ者のマリウスが、ソユリに責めたてられて狼狽しきっている!?
「というかおばあちゃん! 急に姿を消したと思ったらこの一年間どこにいってたの!? とうとうボケちゃったのかと思って、捜索願まで出したんだからね!?」
「ひっ……!? いや、その、大学に、入学を……」
「はぁ……?」
ソユリは呆れたように溜息を吐いた。
一方でマリウスはというと、精神年齢まで見た目相応になってしまったかのように縮こまっている。
まるで母親に叱られる幼子だ。
……完全に置いてけぼりを食らってしまったかたちである。
しばらくはどうしていいか分からず、ただカカシのごとく突っ立っていたが、ひとまず状況を整理するために、私はソユリへ一つ質問を投げかける。
「……知り合いなのか?」
我ながらなんと間抜けな質問なのだろう。
ソユリは縮こまったマリウスを見下ろしながら「知り合いも何も!」とこの問いに答えた。
「マリウス・クレイアット! 私のおばあちゃんだよ!」
「おばあちゃん!?」
私はその事実に仰天し、マリウスの方を見やる。
「貴様、子どもがいたのか!?」
「ち、ちがうよ、ボクは独身……正確にはソユリは、その、ボクの妹の子孫なんだけど……」
良かった!
コイツに妹がいたことも衝撃なのだが、コイツと結ばれるような世界一不幸な男が存在しないという事実でひとまず溜飲が下りた!
しかし、確かに自己紹介の時点でクレイアットという姓に引っかかってはいたが、まさか傍系だったとは!
ならば彼女の魔法式がマリウス式だったのも頷ける!
「あれ? アーテル君もしかしておばあちゃんと知り合いなの?」
「知り合いもなにも……」
数百年来の腐れ縁だ。
そう言ってやろうと思ったのだが、マリウスがなにかを懇願するような目でこちらを見つめていることに気付き、口をつぐんだ。
マリウスは確かに私の天敵ではあるが、ここまでくると少し哀れである。
「じゃあアーテル君からも言ってあげてよ! おばあちゃん、昔は三大賢者なんて呼ばれてたみたいだけど突然若返りの魔術なんて使って私より若くなっちゃって、それだけでも複雑な気持ちなのに……その理由がね!」
「ちょ、ちょっとソユリ!? ダメダメダメダメ!」
「――昔からの憧れの人に会うためだって言うんだから、私もうどういう顔していいか分からないよ!」
……うん?
憧れの人に会うために、若返りを?
さっきと言っていることが違うぞマリウス……
そう思って、マリウスの方を見やると――私は思わず野太い悲鳴をあげてしまった。
あの、いつも憎たらしい笑みを浮かべたマリウスが、今までに見たことのないような顔をしている。
目はぐるぐると回り、はち切れんばかりに頬を膨らまして、顔は耳の先まで真っ赤に染まっていた。
指でつつけばそのまま爆発してしまいそうである。
というか、爆発した。
「――あ、ああ、ああああ、ああああっ!!!」
マリウスは堰を切ったように叫び、そして黒衣の内側にエンドマークを打つ。
これによりなんらかの魔法式が証明され、マリウスの姿が一瞬の内に掻き消えた。
「あ! まだ話は終わってないのに……もう!」
ソユリは頬を膨らませて、地団太を踏んでいる。
あとに残されたのは、数え切れないほどのクレーターと黄金の巨人、そして呆けたように立ちすくむ私だけであった。
……なんだこの結末は。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
マリウス襲撃ののち、私たちは大魔導ハイツへと向かった。
ソユリも相当酒が残っているため、大事をとってひとまずは自室で休ませた方が良いと判断したのだ。
そして歩くこと十数分。
疲れ果て、逃げ込むように大魔導ハイツ111号室――すなわち私の部屋へ入ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
「な!?」
私は悲鳴をあげた。
何故なら、部屋の隅に置いておいた木箱がひっくり返っているからだ。
いやひっくり返っているだけならいいのだが、中身がない!
私の数か月分の食糧がすっぽりとなくなっているのだ!
「……あれ? りゅーちゃん、なんか、その、膨らんでない?」
おもむろにソユリが言った。
見ると、私のベッドの上で黒竜の娘が気持ちよさそうに寝息を立てているではないか。
それも妊婦のごとく腹を膨らませ、口の周りにシスぺのカスをくっつけた状態で!
「お、お前……! 食ったのか!? 私の保存食を、たったの数時間で!?」
黒竜の娘はいかにも煩わしそうに、むにゃむにゃと答える。
「……うるさいぞ忌々しき魔術師め……我は食休み中だ……」
「こ、コイツ……! 一撃くれてやる!」
「ま、待ってよアーテル君! 何も食べ物を与えないで留守番させた私たちも悪かったから!」
目覚ましに一発、電撃の魔術でもお見舞いしてやろうとしたところ、ソユリに後ろから羽交い絞めにされる。
確かにソユリの言うことも一理あるが、数か月分だ!
竜の姿でもあるまいに、どうしてそれだけの食い物が必要なのだ!?
そう思っていると、ふいに「ドンッ」と壁を叩く音が聞こえた。
私もソユリも、動きを止めて壁の方を見やる。
どうやら夜分にうるさくしすぎてしまったらしい。隣の部屋の住人を怒らせてしまったようだ……
私は極力声を抑えて、ソユリに反論する。
「……し、しかしアレは私の食糧だ、生命線だ、このままでは餓死してしまう……!」
「あ、そういえばまだその話途中だったよね、アーテル君の食生活の話!」
「ぐっ!?」
しまった! せっかく向こうが忘れていたのに、つい不用意なことを口走ってしまった!
「あんなのずっと食べ続けてたら不健康になっちゃうよ! 堕落した大学生活! ダメだって絶対に!」
「しかしシスペには人間が活動するための最低限必要な栄養素が……」
「最低限でしょ!? 私たちには学業があるの! そんなのじゃ一流の魔術師になんてなれないよ!」
「そ、それは困る!」
再び、壁から「ドン!」と音がする。
私は心の中で隣人に謝罪の言葉を述べるが、しかしソユリは一向に止まる気配がない。
「じゃあちゃんと食べないと! 健全な肉体に健全な魔術が宿るって、マリウスおばあちゃんも言ってたんだから!」
「ぐっ!? ここでヤツの名前を持ち出すとは……!」
「悔しかったらちゃんと食べるって約束して!」
「しかし私は料理などてんでできないぞ!?」
「――だったら、毎日私が作ってあげるから!」
「え?」
今、なんと?
私が呆けたような声を上げると、ソユリがはっと口元を押さえ、頬を赤らめた。
「……だ、だってりゅーちゃんも、その、育ち盛りだし、それにアーテル君は大学で初めてできた友達だもん……一緒に卒業できなかったら、イヤだよ……」
我をダシに使うな小娘……
黒竜の娘が、寝言のように言った。
しかし、それはともかくとして、友達――?
今、ソユリは友達と言ったのか? 私の事を?
私はその言葉の意味を理解するまで、しばらくの時間を要した。
そしてたっぷり時間をかけてこの二文字の単語を飲み下すと、私はソユリの手を取った。
「――ああ、ああ! そういうことならば是非ともお願いしたい! 私、いや私たちの輝かしきキャンパス・ライフのため、料理を作ってくれ!」
「ちょっと、アーテル君!? 声が大きいって……!」
その直後、私の部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
とうとう隣人の怒りが頂点に達し、直接の抗議に来てしまったらしい!
「もううるさいよ! 今何時だと思ってるんだ……い……?」
私とソユリがそちらを見やると、そこには柘榴色の髪をした少女の姿が。
――かくして、我らが輝かしきキャンパス・ライフは幕を開けた。
読者諸兄はすでにご推察の通り、これは私とソユリ、そして数え切れぬほどの学友たちが一流の魔術師、ひいては一流の大学生を目指す物語である。
これにて第一章は完結です! ここまでお付き合いいただいた読者の皆さま! ひとまずありがとうございました! この節目まで走りきれたのもひとえに皆さんのおかげです! ブクマ・評価・感想・レビュー等全て私のパワーとなっております!
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