24 大賢者、真実を知る
「アーテルさん、今日からあなたのことは師匠と呼ばせていただきます!」
私に対し、三人組の代表として前に出たオルゴがそのようなことをのたまったのは、宴もたけなわ。
多少のトラブルはあったものの“星見の森”新歓コンパがつつがなく終わり、すっかり酔っぱらってしまったソユリをおぶって“どわあふ亭”を出たのちの出来事だ。
どうやら彼らも相当に酒が回っているらしい。
「冗談を言うな、私は師匠などという器ではない」
「いいえ! そんなことはありません!」
オルゴは強くこれを否定した。
その目はまるで夜空に輝く満天の星空のように、きらきらと輝いている。
「師匠は類まれなる魔術の才を持ちながら、ボクたちみたいな出来損ないを決して見下したりしませんでした!」
「そんなものは持ち合わせていないし、二度も言わせるな、君たちは立派な魔術師なのだ」
「師匠……!」
……否定したはずなのだが、何故だろう。
彼らの瞳の輝きが一層増したような気がする。
「ともかく! 師匠はボクたちに魔術を学ぶことの素晴らしさ! ひいては大学生活への希望を見出させてくれました! それだけで師匠と呼ぶに値します!」
「だから……」
誇り高きラクスティア魔法大学の学生であるお前たちならば、私などいなくともいずれ気付いていたはず。もっと自信を持て。
そう言おうと思ったのだが、しかし寒空の下でこのままいつ終わるともしれぬ問答を続けていては、ソユリの身体に障る。
だからこそ私は喉まで出かけた言葉を呑みこみ。
「……呼び方など好きにしてくれ、また大学でな」
「はい師匠!」
三人は深々と頭を下げて、私たちを見送った。
私が大学に入ったのは、決して弟子を取りたいなどというおこがましい感情からでなく、純粋に学友が欲しかっただけなのだがな……
なんとも言えないアンニュイな気持ちになりながら、帰路に着く。
「ソユリ、大丈夫か」
「ううん……大丈夫だよ、アーテル君……えへへ」
ソユリも相当酔っ払っているな。
クロウス部長も言っていたが、彼女はまだ酒の飲み方も十分に知らない若者なのだ。
無遠慮に飲ませ過ぎたか。私も止めるべきだったな。
「とりあえず、私の家まで運ぶぞ、落ち着いたら家まで送ろう、留守を任せておいた黒竜の娘も気がかりだしな」
「わあい、またアーテル君の家に行けるの……? 楽しみだなあ……りゅーちゃんのこといっぱい可愛がろーっと……」
私は咄嗟の事とはいえアイツに留守を任せたことが不安で仕方ないのだがな……
ともかく、こうして“どわあふ亭”を後にした私は、ソユリをおぶりながら夜道をゆく。
夜道、とはいえ私が少し前まで暮らしていた寂しい山奥とは、比べようがない。
立ち並んだ魔術灯が我らの行く先を照らし、そして密集したアパートからは柔らかな明かりが漏れている。
その一つ一つに学生が暮らし、それぞれのキャンパス・ライフを謳歌しているのだと考えると、不思議と胸が温まった。
むろん、それだけではない。
思い返してみれば、今日一日で、私は一体どれだけの人間と関わっただろう。
騎竜倶楽部の部長、トルア・リーキンツ先輩。
ラクスティア魔法大学の魔女、ニーア・アリアケオス。
魔術学者のイルノフ・ガントット教授。
イゾルデの子孫、ディヴィーナ・フランケンシュタイン学長。
演劇サークル“サバト”の部長、シュリィ・メルスティナ先輩。
教学のアルガン・バディーレー。
黒竜の娘、ルヴィエラ。
天文サークル“星見の森”部長、クロウス・ケイクライト先輩。
オルゴ・ノクテル、サヌハ・フロイグ、カイリ・ルーキンス。
そしてまだ名前の知らない学生たち。
それに今、私は唯一無二の学友、ソユリ・クレイアットをその背におぶっている。
私はなんと恵まれているのだろう。
数百年もの間人里離れた山奥に引きこもり、孤独に魔術の研究に勤しんでいた前時代的な魔術師である私だったが、こんなにも恵まれていて罰が当たったりしないだろうか。
……いや、そんなくだらないことを気にするなど、年老いてしまった証拠だ。
私は若返りの大魔術を成功させた。
なればこそ、この身体で存分にキャンパス・ライフを満喫する義務がある!
ああ、しかし、自然と言葉がこぼれてしまう。
「本当に、大学に入って良かった」
「――まだそんなことが言えるとは驚きだよ。三大賢者、アーテル・ヴィート・アルバリス」
ふいに、声がした。
私は咄嗟に声のした方を振り返る。
声は、どういうわけか遥か頭上から聞こえていた。
見ると、立ち並んだ魔術灯の一つに、見覚えのある少女が腰をかけている。
夜の闇に溶け込む黒装束で全身を固め、異様につばの広い三角帽を頭にかぶり、そして竹箒を携えた少女。
彼女は入学式の直後に出会ったラクスティア魔法大学の魔女――ニーア・アリアケオスではないか。
「いひひ、久しぶり、その様子じゃ憧れのキャンパス・ライフとやらは存分に楽しめているようだね」
彼女はこちらを見下ろして、独特の不気味な笑い声をあげている。
ああ、久しぶりだな――そのように能天気に応えることはできない。
どうして私を“星見の森”新歓コンパへ招いたのか、そう尋ねることもしない。
なぜならば、最優先事項として
「何故、私の名前を知っている――いや、それ以前に今、私を三大賢者と呼んだか」
私の本名に関してはともかく、私がかつて三大賢者と呼ばれていたことは、ディヴィーナ学長と黒竜の娘しか知らないはず。
しかし彼女は、やはり不気味に笑って。
「ああ、呼んだとも、というかまだ気付かないのかい? 何百年経っても本当に鈍感なままだねえキミは」
そう言って、彼女は竹箒に飛び乗り、ゆっくりと地上へ降りてくる。
何百年、経っても?
その言葉が意味するところを私が思案していると――何を思ったのか、彼女はその巨大な三角帽を放り投げた。
これにより、彼女の柘榴色をした頭髪が露わになる。
その瞬間、私の記憶の中のある人物と、目の前の人物が結びついた。
あの独特な髪の色! 忘れようはずもない! アイツは――!
そして彼女はにやりと口元を歪めた。
「そうとも! ニーア・アリアケオスとは仮の名前! ボクこそが三大賢者が一人にして稀代の天才魔術師、マリウス・クレイアットだ!!」
「――この小便漏らしが!」
「ちょっ!?」
目の前の少女が、あのいけ好かない魔術師だと知った途端、思わず私の口をついて暴言が飛び出してしまった。
これを受けて、ニーア・アリアケオス改めマリウス・クレイアットはあからさまに狼狽する。
「しーっ! しーっ!! なんてこと言うんだキミは! ソユリに聞こえたらどうするつもりだ!」
ちなみに、ソユリは私の背中で実に気持ちよさそうに寝息を立てている。
「事実だろう臆病者が! それに何故ソユリに聞かれると困る!?」
「い、いや、それはちょっと事情が……」
なんだもごもごと、言いたいことがあるのならはっきり言え!
いや、そんなことよりも!
「何故お前はそのような姿なのだ!?」
私の記憶に残っているマリウスは100歳を超えていた。
いくら老化を防ぐ魔術式を組んでいたとはいえ、もう少し大人だったはずだ!
そう尋ねると、マリウスはいつもの調子を取り戻して、こちらを見下すようにいひひ、と笑った。
「傲慢が過ぎるよアーテル! キミに出来て、天才のボクにできないはずがないだろう!」
「――若返りの魔術か!」
「そうとも、バッチリ成功したさ! ……まぁ少し魔法式の構築をミスって若くなりすぎちゃったけど」
なんと、ヤツまでもが若返っていたとは……!
いや、それだけならまだしも、まさかヤツまでもが大学に通っていたなど!
なんと腹立たしい! 昔からちょっかいばかりかけてくるヤツだとは思っていたが、ここまでとは!
「魂胆はなんだ! この七光り魔術師が!」
「ふ、ふん、そんなのは決まっているだろう。キミとの決着をつけるためさ!」
マリウスは高らかに宣言し、こちらを指さしてくる。
「天才たるボク、そしてそのボクの好敵手ともなるキミにもいずれ寿命は訪れる! だからこそボクは苦節50年! 古今東西の文献を紐解き、若返りの大魔術を敢行し――キミにもそうさせるように仕向けた!」
「なんだと……?」
そうさせるように仕向けた?
私が眉をひそめると、マリウスは勿体ぶるようにニヤニヤ笑っている。
昔からこうだ! ヤツは私の困った顔を見るのが生き甲斐という、ねじまがった性格の持ち主なのだ!
「そうとも! キミは魔術にしか興味がないからね! どうせボクの説得なんて聞かないだろう! しかも山奥の小屋に大層な魔術結界を張って引きこもっているときてる! キミを自主的に若返らせ、なおかつあそこから引きずり出す! そのために天才たるボクはこれを使った!」
そう言って、マリウスは懐からあるモノを取り出す。
それにはもちろん見覚えがあった。
なんせ毎日のごとく、穴があくまで見つめていたのだから。
――それは、ラクスティア魔法大学のパンフレットである。
「ま、まさか貴様!?」
「はい正解~~! 郵送ミスじゃありませ~~ん! ボクが送りつけました~~!」
「くあああっ!」
私は年甲斐もなく喚き、地団太を踏んでしまった。
おかしいと思うべきだったのだ! あのような辺鄙な場所に宅配ミスなど!
クソ! クソ! こんなヤツの思い通りに動かされていたのだと思うと腸が煮えくり返りそうになる!
そんな様子を見て、マリウスは私の事を嘲笑った。
「キミの行動パターンなんて魔族なんかよりずっと単純だからね! 魔術バカだもの! この楽しげなパンフレットを見て、すぐに“そうだ! 若返って大学生になろう!”とか考えたんでしょ!?」
「ぐううううっ……!」
その通りなので何も言い返せない。
ああ、だから嫌いなのだコイツは!
「残念! すでにボクが先回りして一年早く入学してました! ほら先輩って呼びなよアーテル~~~」
「……っ! ……っ!」
もう怒りのあまり声すら出なかった。
コイツは一体どれだけ人の神経を逆なですれば気が済むのだ!
お前より優れた魔術師などごまんといるが、こと嫌がらせにおいてお前の右に出る者はいないと断言しよう!
「ぐっ……貴様、何故そのように回りくどいことを……! 他に方法はいくらでもあっただろう!?」
「何故かって?」
マリウスはここでぴたりと笑いを止めた。
その表情は、真剣そのものである。
「そんなのは決まっているだろう、星見の森の新歓に参加するよう仕向けたのも、キミに知ってもらいたかったからだ。この数百年の間、魔術師がいかに堕落してしまったかをね」
「堕落……?」
「そうさ」
マリウスはくるりと身体を翻し、そしてある一点を見据えた。
彼女の視線を追うと、その先には夜の闇に染まったラクスティア魔法大学が鎮座している。
「――世界は平和になった、しかしその反面、ボクたちが必死の思いで勝ち取った魔術師の世界は腐敗しきってしまった、このままでは魔術そのものが失われかねない。そういう危機的状況をキミに直接見て、感じて、知ってもらいたかった」
「……私は危機的状況など感じていない、ここの学生、ひいては教授たち、皆が素晴らしい魔術師だ」
「そこだよ、そのバカがつくほどの謙虚さが唯一誤算だった。この数百年の孤独生活で変に磨きをかけたね? 昔のキミなら入学式の時点で、これが魔術を志す者たちなど冗談じゃない! と憤慨していたはずさ」
「お前に何が分かる」
「分かるさ、何十年もキミのことを見ていたんだもの」
マリウスが、こちらへ振り返った。
柘榴色の髪が、魔術灯の光を受けて妖しく輝いている。
「――率直に言うよアーテル、大学を辞めてボクについてきなよ。イゾルデが死んだ今、あの頃の魔術を知るのはボクとキミしかいない。二人で正しい魔術を取り戻すんだ」
「断る」
即答だった。
話し合う気もなかった。
しかしマリウスは別段驚いたような様子もなく、ただ一つ、呆れたように溜息を吐く。
「言うと思った、キミ、ボクの言うことを素直に聞いたことなんて一度もないんだもん」
「当たり前だ、第一正しい魔術を取り戻すなど……」
「――じゃあ昔通りのやり方で言うことを聞かせるしかないか」
マリウスがそう言った直後、私の足元に巨大な魔方陣が出現する。
しまった、あらかじめ魔法式を構築していたか――
なんとか否定魔方式を組もうとしたが、しかし間に合わない。
「くっ!?」
背中におぶったソユリが、足元より出現した巨大な泡のようなものに取り込まれ、私と隔離されてしまう。
すぐさま否定魔方式を構築し、ソユリを助け出そうとしたが――マリウスの下から溢れ出る膨大な気配を察知し、咄嗟に振り返る。
「隔絶の魔術だ。ソユリを傷つけるのはキミの本意じゃないだろう? 否定魔方式はしまっておいた方が良い、それに――自分の心配をした方が良いよ」
見ると、マリウスは黒衣のいたるところに書き込まれた魔法式を同時に起動させている。
私は歯噛みをした。
「――さあ一日きりのキャンパス・ライフは楽しかったかい? 今の腑抜けたキミなら実に容易く倒してしまえそうだ」
そういって、マリウスは最初の魔法式の証明を完了させた。





