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23 大賢者、飲み比べをする


 クロウス部長の発言により、途端に場が静まり返る。

 その場にいた全員が、なにかの間違いではないかとクロウス部長を見やった。


「え、そ、そうですか……? 私は綺麗だと思いましたけど」


「星見の森にぴったりの魔術だったと……」


「いーや、そんなことはないね、部長のオレが言うんだから間違いない」


 クロウス部長の表情から、先ほどまでの柔和な笑みは完全に消え去っていた。


「まったく小賢しい真似を……黙って先輩にイジられてりゃいーんだよ陰キャどもが、女の腐ったようなヤツらだな、反吐が出る」


「なっ……!?」


 これには三人組だけでない、女子諸君もまた、彼の発言が信じられない、と言った風に目を丸くしていた。

 彼は手元にあったグラスの中身を一息に飲み干し、憎悪に満ちた目でこちらを睨みつけている。


「そんなにモテてーかよ童貞どもが、あ? 完っ全にしらけたわ、くだらねー魔術なんて見せやがって、空気読めよバーカ」


「あ、あの先輩、飲みすぎなんじゃ……」


「うるせえビッチが! どーせ頭の悪いことしか言えねえんだから黙ってろ!」


 クロウス部長が、心配して歩み寄った女子の手を振り払った。

 ――これはさすがに看過できない。

 私は席を立ち、クロウス部長に言った。


「クロウス部長、やはり飲みすぎだ。水を飲め、私が家まで送っていこう」


「はっ、なんだそりゃ、憐れんでるつもりか? というかてめぇ、まだ全然飲んでねえだろ」


 うむ? 飲んだ量で言えばクロウス部長とさして変わりはしないが……

 そう言おうと思ったところ、クロウス部長は何かを思いついたように立ち上がって


「そーだ、てめぇオレと飲み比べしろよ、最後の一発芸だ。負けた方がここの会計を全部持つ、スリルがあっていいだろ? 盛り上げようぜ」


「く、クロウス部長……! それはちょっと!」


「黙ってろって言ってんだ腐れアマ!」


 クロウス部長が、拳を振り上げた。

 名も知らぬ新入生女子が「ひっ……!」と怯えた悲鳴をもらす。

 女子諸君が、男子三人組が、そして店内全ての人間が息を呑む。


 しかしその拳が振り下ろされる寸前、私はボトルを勢いよくテーブルに叩きつけ、それを中断させた。


「あん?」


 あたりが一気に静まり返り、クロウス部長がこちらへ振り向く。

 私は皆の注目を浴びながらボトルを開栓し、そして手元のグラスにこれをなみなみと注いだ。


「――飲み比べ、負ければ会計を全て持つ、だったな。先輩の命令とあれば仕方がない、受けて立とう」


「ほぉ? いい度胸してんじゃねえの」


 クロウス部長が拳を下ろし、席に着く。

 そして手元のボトルからグラスへ酒を注いで、これを威勢よく飲み干した。

 私もそれに倣ってゆっくりと酒を飲み干し、開戦の合図とする。


「くく、もう取り消しは効かねーから言っとくけどな、お前、俺がもう限界だと思ってこの勝負受けただろ」


「そんなことはないが」


「はっ、強がんな、てめーのアテは外れてるぜ、オレは毎年この勝負で酒の飲み方もしらねー新入生を何人も潰してんだよ」


「相手にとって不足なし、というわけだな――店主、レッド・ドラゴンを」


「お、おうよ!」


 それまで固まっていた店主がようやく我に返り、私とクロウス部長の下へ深紅色の液体に満ちたグラスを運んでくる。


「とぼけたヤローだ、クソが」


 クロウス部長は吐き捨てるように言って、一気にグラスを傾ける。

 私はまずグラスの縁に唇をあて、立ち上る香りを楽しんだ。


 ――ふむ、鼻孔を抜ける熟れた果実のようなかぐわしさ、昔と変わらない。

 一口含んでまず舌の上で酸味を楽しみ、豊かな香りとともに飲みこむ。


「たらたら飲んでんじゃねーよボケ! マスター! ウコポトスを持ってこい! 一番度数の高いヤツをロックでだ!」


「う、ウコポトスって……! クロウス君ここで潰れられたら困るんだけど!?」


「うるせえ! 早々にアイツ潰して終わらせっから早く持ってこい!」


「へ、へい!」


 マスターが、ウコポトスなる酒を運んでくる。

 ほう、初めて聞く酒だが、これはまたなんとも美しい。

 黒竜の瞳に負けず劣らず透き通るような琥珀色の酒ではないか!


 例によってクロウスは一息にこれを飲み干して、乱暴にグラスを叩きつける。

 私はやはりこのかぐわしい香りを楽しんだ。


 なるほど、蒸留酒の類か。

 気化したアルコールに乗せられて芳しい木樽の香りが運ばれてくる。

 繊細に組み上げられた魔法式のごとし、複雑微妙な風味が素晴らしいではないか!


「クロウス部長には素晴らしいお酒を教えてもらってばかりだ。――店主、陰陽を冷で」


「陰陽!? 渋いなアンタ! まぁあるんだけどよ!」


 店主が今までとは違う繊細な細工が施されたグラスを持ってくる。

 グラスは水よりも透き通った液体に満たされていた。


「……んだよこれ、日和って水でも頼んだんじゃねーだろうな?」


「安心してくれ、東洋の島国で造られた酒だ。少しクセはあるかもしれんが、素晴らしく清涼な味わいで実に良い」


「けっ、ひけらかしてんじゃねーよ新入生風情が」


 クロウス部長はこれを一口に飲み干して「まっず」と一言、空のグラスを叩きつけた。

 ふむ、どうやら彼の口には合わなかったらしい。


 私はこれをちびりと含んで、華やかな香りを楽しむ。

 すっきりとしながらも丸みのある味わいが口内に広がり、実に心地よい。

 まるで胃袋の中で大輪の花が咲いたかのようだ。


「はっ……こんな水みてーなもんばっか飲んでっからそんなぼけたツラになんだよ……気合を入れ直してやる――マスター! ホワイト・ゴーレムもってこい!」


「死ぬぞ!?」


「このぐらいでオレがどうにかなるもんか……! 死ぬのはこの生意気なクソガキだ!」


「いやそれでもウチは困るんだよ!」


「うっせえ! いいからもってこい!」


 クロウス部長に怒鳴られ、店主が素早くグラスを運んでくる。

 これもまた底抜けに透き通った酒だ。


 クロウス部長は言うまでもなく即座にこれを飲み干してしまうが、不勉強な私は初めての酒をゆっくりと楽しませていただくことにする。

 ふむ、柑橘系のさっぱりとした味わいである。口の中で転がしてみれば、香草らしき風味も顔を出した。なんと奥深いのか!


 ――このあたりから、先ほどまで店内に張り詰めていた緊張が少しずつ氷解し始める。

 悲鳴をあげていた者、遠巻きにこれを眺めていた者、この騒ぎに見て見ぬふりを決めこもうとしていた者。

 その全てが一様に私たちの飲み比べに注目し、中にはどちらかが飲み終える度に思わず声を上げる者もいる。


 気付けば、大変な数のギャラリーが私たちの周りを囲んでいた。

 皆が皆、この勝負の行方を見届けようと、無意識に身体を前のめりにしている。

 サークルメンバーだけでなく店内全ての人間を楽しませる――なるほど、これぞ最後の一発芸にふさわしい!


 私はゆっくりと空になったグラスを置き、そして声を上げた。


「――エル・クオリエ」


 ギャラリーの間にどよめきが走る。


「ま、まだ飲むのかよあの兄ちゃんたち!?」


「しかもエル・クオリエって……! 聞いてるだけで吐きそう……!」


「俺だったらウコポトスの時点でダウンだわ……」


 店主が黄金色の液体に満ちたショットグラスを運んでくる。

 クロウス部長は初めこれを見て訝しげな表情をしていたが、やがて一気にグラスを傾け――そして激しく咳き込んだ。

 これを見て、そこかしこから悲鳴があがる。


「大丈夫か?」


 いらぬ心配だとは思うが、喉元を押さえ目を白黒させる先輩に問いかける。

 問いながら、私はちびちびと酒を舐めた。

 うむ、これもまた昔飲んだ通りの味である、美味い。


「あぁ、クソ、マズイ酒ばかり頼みやがって――DDショットでもってこい!」


「こちらは美味い酒ばかり教えてもらって恐縮だ――紫桜をぬる燗で」


「サイクロプスのロック!」


「ルーンベロク、ストレート」


 さあ勝負はいよいよ白熱を極めた。

 私が、クロウス部長が、交互に酒の名前を言い、店主が慌ててこれを持ってきて、お互いに飲み干す。この繰り返しである。


 私たちが一杯、また一杯と飲み干すたびに、ギャラリーから声が上がり。

 今ではどちらかが飲み干すたびに、雄叫びにも似た歓声と拍手が巻き起こるほどだ。


 私も実に楽しい!

 ただの一夜で、これほど美味い酒の数々に巡り合えるとは!

 素晴らしきかな先輩! 素晴らしきかなどわあふ亭! 素晴らしきかなキャンパス・ライフ!

 しかし実に17杯目の酒を飲み干したその時、私はこの素晴らしい勝負の終わりが近いのを感じた。


「はっ……くそっ……ま、マスター、ああ、何か適当な、酒……もってこい……」


 クロウス部長はテーブルに肘をついて深く俯き、そこに体重を預けている。

 頭は絶えずゆらゆらと前後に揺れ、顔は白い。

 十中八九、もはや限界なのだ。

 私はグラスを空けて、それを静かにテーブルへ置く。


「そろそろ降参したらどうだろう。今なら水を頼んでやるし、会計も私と部長の折半でいい」


「ふざけたこと言ってんじゃねーぞ……」


 そう言うクロウス部長は、呂律が回っていない。


「なんでテメーらみたいな、なんも分かってねえ新入生風情に……クソが……」


「降参する気はないと?」


「ったりめーだろ……」


「では、勝負が決する前に一言だけ言わせてもらおう」


 私は席を立ち、身を乗り出して、クロウス部長にずいと顔を寄せる。

 クロウス部長はわずかに顔をあげ、その微睡んだ目でこちらを見つめた。


「あなたは素晴らしい人間だ。偉大なる先輩だ。あなたがいかに深遠な考えをお持ちか、私には到底推し量ることはできない。ただ――彼らもまた立派な魔術師だ。侮辱は許されない」


 彼ら、そう言って私は、後ろで控えるオルゴ・サヌハ・カイリの三人を指した。


「アーテルさん……!」


「はっ……! なにが侮辱だ、新入生風情が大層な言葉使いやがって……! ぶっ殺してやるよ……!」


「む?」


 なにか異様な雰囲気を感じて部長の手元へ視線を落とすと、酒のコースターに魔法式が書かれていた。

 しかもこれは攻撃魔術の魔法式だ。きっとあらかじめ記しておいたのだろう。

 あとはエンドマークを打つだけで証明完了、魔術が発動するという具合である。

 そして彼は今まさに、酒で濡らした指先をもって、エンドマークを打とうとしていた。


 ――ふむ、相当に酔っぱらっているな、これは。

 私は即座に頭の中で否定魔方式を構築し、更には気付け代わりの魔術も用意する。

 そしてこちらがあと一つエンドマークを打てば証明完了というところで――突然、彼の姿が消えた。

 なにかと思えば、彼は椅子から蹴り落とされたのだ。


「うぶっ!?」


 がっしゃあん、と派手な音を立て、彼は店の床に横たわる。

 酔いが限界に近いところで不意の攻撃を受けたせいか、クロウス部長はこの世の終わりのような表情をしていた。

 なんにせよ魔法式の証明は未然に防がれた。彼女のおかげである。


 その彼女というのが、意外というかなんというか。

 まぁ、端的に言ってしまえば――ソユリ・クレイアットであった。


「な、なにすんだクソアマっ……うぷっ……!?」


「――さっきから黙って聞いてりゃ女の子相手に軽々しくビッチだのクソアマだの……いい加減にしろ!」


「えっ?」


 ちなみにこの「えっ?」は、クロウス部長を始めとして、その場にいた全員が発したものである。

 そして一応言っておくが先の「いい加減にしろ」発言はソユリが発した言葉だ。

 あれだけ小動物じみていた彼女はどこへやら――そこには目をとろんとさせた鬼が立っていた。

 彼女は、更に捲し立てる。


「言っとくけどなぁ! オシャレなカクテルを作れるとか、後輩をいじれるオレだとか、嘘くさい笑い方とか――女子は全部知ってんだよ! 分かってて騙されてやってんだっつーの!」


「え、ちょ……」


「それを本気にして挙句後輩に嫉妬!? 女々しいのはオメーだろ! お前みたいなやつは……!」


 ソユリはそう言って、店主が用意していたグラス一杯の水をひったくると、これを地べたに這いつくばるクロウス部長へぶっかけた。


「――水でも飲んでさっさと酔い覚ませ! この腐れヤロー!」


 絶句した。

 今までのソユリのイメージを根底から崩しかねない光景だった。

 それは皆も同様だったようで、一様にぽかんと口を開けて、固まっている。


 しかしややあって、主に新入生の女子諸君からちらほらと拍手が起こり始めた。

 その拍手はやがて店中に広がり、ソユリは拍手に包まれる。


「よく言った! よく言ったぞ姉ちゃん!」


「あの子ウチの店で使いたいわね……」


「ソユリちゃんかっこいい!」


 新入生の女子たちが、またもソユリに群がった。

 どうやら今日の主役は彼女らしい。友達もたくさんできたようで、なによりだ。

 彼女を遠巻きに眺めながら、私は手元のグラスを口に運ぶ。


「……最近は歳のせいか全く酔えなくなったな、つまらん」


 しかしいつまでも素晴らしき酒の世界を楽しめるので、いいか。

 私はそう納得して、店主に次の酒を注文した。


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