18 大賢者、友人をアパートに招く
ラクスティア魔法大学より徒歩15分。
大学前の坂を下り、少し歩いて、また急勾配の坂を上ったところにある、ごく普通のアパートメントだ。
名を「大魔導ハイツ」という。
私のような未熟者が「大魔導」の名を冠するアパートに居を構えるなどおこがましいのではないか?
と、契約段階で一瞬躊躇したが、これから魔道を究める決意の表明として契約に踏み切った次第だ。
ちなみにソユリはこのアパートの名前を聞いた時、何故か苦笑いをされた。
まぁそれはともかくとして、私たちは急な坂道をやっとの思いで踏破し、今ようやく大魔導ハイツにたどり着いたところだ。
「ここがアーテル君のアパートかぁ」
ソユリは何か思うところがあるのか、我が住居をまじまじと見つめている。
「なんというか、その……」
「なんだこのボロ屋は、竜舎の方がマシだな」
臆面もなくそんな生意気な口を叩くのは、もちろん黒竜の娘、ただ一人である。
ゴーレムに囲まれ、恐怖で腰が抜ける思いまでしたというのに、まだ自分の立場が分かっていないと見える。
それに、竜舎とは心外だ。
「何を言う、屋根もあるし壁もある、そしてなにより築120年! 120年もの間、この地に在り続けたのだぞ! 素晴らしい耐久性ではないか!」
「……くしゃみで倒壊しそう」
「金をもらっても住まんわ、こんなところ」
ううむ、予想に反して不評だな。
黒竜の娘はいざ知らず、この趣深さ、この浪漫は同じ魔術師であるソユリならば分かってくれると思ったのだが、なんだか今までに見たことのない渋い顔をしている。
何故だ? 家賃は破格で大学からも近いと、極めて好条件であるのに。
そういえば唯一不動産屋から「シーズンになると家の前の坂から鉄甲虫が転がり落ちてくるので、撥ね飛ばされないよう注意してください」と念を押されたが、さしたる問題ではないだろう。
むしろ転がり落ちてくる鉄甲虫が窓から眺められるのであれば、風情があっていいではないか。
まぁ彼女らの意見もいざ部屋に入ってみれば180度変わるはずだ。
そう思って彼女らを私の部屋へ案内しようと思ったのだが、ここにきてある一つの疑問が浮かんでくる。
「そういえば、ソユリは何故ついてきたのだ?」
「え」
ソユリに尋ねると、彼女はぴくりと肩を跳ねさせた。
「や、その」
そして挙動不審である。
目は泳いでいて、体の動きも落ち着かない。
何か言いづらいことでもあるのだろうか。
そう思っていると、彼女は突然何か思いついたように黒竜の娘を抱き寄せ
「だ、だってりゅーちゃんが可愛くて離れたくないんだもん!」
「……我をダシに使うな」
さながら人形のように抱きすくめられた黒竜の娘が、実に不満げにぼそりと呟いた。
しかし、その意味はよく分からない。
とりあえず仲が良さそうでなによりだ、と思っておく。
「そ、それに、今日の授業の復習もしなきゃ! 演劇サークルの件でバタバタしてたしね!」
「おお!」
これには合点がいった。なるほど復習か!
さすがソユリだ、いついかなる時も魔道を探究しようというその勤勉さは、私も見習わねばならない。
「そうかそうか、確かにそれは失念してしまっていた。私もまだまだ未熟だな……では案内しよう!」
「う、うん! お邪魔します!」
「……我はやめておいた方がいいと思うのだがな」
黒竜の娘が、再びぼそりと呟いた。
おそらくソユリに向けられた台詞なのだが、やはりその意味は、私には分からない。
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「ここが私の部屋だ」
実に趣深い木戸と格闘すること数十秒。
ようやくドアが開き、私は彼女らを部屋へ招き入れる。
さあ、これを見れば彼女らの反応も変わることだろう。
そう思って振り返ると、依然ソユリは渋い顔で、黒竜の娘に至ってはその狭い額にありったけのシワを寄せている。
「なんというか、その……」
「本当に人の住む部屋か?」
デジャビュ、というやつであった。
「失敬な、このアパートを契約してから今日までの二週間ほど、私の住み続けてきた部屋だ。素晴らしく居心地がいいのだぞ」
「……夜逃げ後?」
「生活感が皆無なのだが」
生活感? またおかしなことを言う。
そんなものそこかしこに転がっている。
ベッドもトイレもあるし照明もある。
更に新生活には“緑”が必須、との言説をどこかで耳にし、窓際に薬草の鉢植えを置いておいた。
まるで生活感が部屋中から臭い立つようではないか。
「片付いているというか……虚無というか……」
「貴様の住処だというから、てっきり天井まで魔術書の類に埋め尽くされているのではないかと警戒していたが……見事に何もないな」
「旧来の古臭い魔術書の類は全て実家に置いてきた。私は学生として心機一転、今までの価値観を捨て去って新しい魔術を学ぶのだ」
「殊勝なことだ……」
黒竜の娘は深い溜息を吐くと、私の許可も得ずに部屋へ上がる。
そして真っ先にベッドに目をつけ、これに歩み寄った。
「今日から我はここに住むことになるのであろう? ならばこの寝床は我のモノだ、貴様はせいぜいそこの冷たくてかたーい床で震えながら眠るといい、カカカ」
「おい待て」
「ふん、貴様の指図など受けんぞ。臥薪嘗胆という言葉があるが、我は柔らかい枕で眠り、美味い肉を食らい、着々と英気を養って貴様の寝首を掻くのだ」
そう言って、彼女は得意げにベッドへダイブした。
その瞬間である。
彼女の接近を感知し、ベッドに仕込んでおいた設置型魔方陣が起動。
「へ?」
と間抜けな声をあげる彼女に、電撃が走った。
「びびびびびびび!?」
出力を抑えた電流が、彼女の全身に迸る。
そして黒竜の娘は、釣り上げたばかりの魚のごとく元気に跳ねまわると、曰く冷たくてかたーい床とやらに横たわって、静かになった。
「だから止めただろう、用心のため、私の部屋にはいたるところに侵入者迎撃用の魔方陣が組み込まれているのだ、今解除しよう」
「こんな空箱のような部屋に誰が侵入するものか……忌々しき魔術師めが……」
黒竜の娘は最後にそんな台詞を吐き捨てると、そのまま動かなくなってしまった。
まったく、忙しないやつだな。
「よし、魔方陣は解除した、ソユリ、何もないところだが是非ゆっくりとくつろいでいってくれ」
「う、うん……」
勝手に上がって、勝手にトラップに引っかかった黒竜の娘はともかくとして、私は丁重にソユリを招き入れる。
なんせ大学に入ってから初めてできた友人を、初めて自らの家に招き入れるのだ。
失礼があっては、今後輝かしいキャンパスライフを送っていく上で差し支える。
ソユリもソユリでやはりその点について考えがあるのか、きょろきょろと辺りを見回したり、気付かれないように鼻をすんすん鳴らしたりと、いかにも緊張している様子だ。
「あ、あの、入学初日で家まで上がり込んでおいて、信じられないかもしれないけど……」
「なんだ?」
「その、私、男の人の家に上がるの……初めてなんだよね……」
「そうなのか」
特に思うところもないのでさらりと相槌を打ったら、きっ、と睨みつけられた。
例によって、頬をぷくうと膨らませた状態で。
「……そういうところあるよね、アーテル君って」
「な、なんの話だ……」
「別にいいもん」
それきりソユリはふい、とそっぽを向いてしまい、そのまま部屋へと上がった。
……私はまたソユリを怒らせたのか?
一体何がトリガーになっているのか全く分からない! 魔法式の方がよっぽど単純であるのに……!
頭を抱えて呻いていると、ソユリが入り口近くにある台所に目を付け、こんなことを尋ねてくる。
「そういえばアーテル君って、料理とかするの?」
私はようやく我に返って、この質問に答える。
「い、いや、料理はしない、というよりできない」
「えっ、アーテル君にもできないことってあるんだ」
「? 私などできない事の方が多いが……」
はは、とソユリが乾いた笑いをもらした。
「じゃあ普段何食べてるの?」
「そこに入っているものだ」
そこ、と言って、私は部屋の隅に陣取る木箱を指した。
ソユリはゆっくりとこれに近寄ると、この木箱の中を覗き込む。
そして本日三度目となる“渋い顔”を披露した。
「なにこの茶色い塊……」
「シスぺだ。カハフプという植物の実をすり潰し、水と混ぜ、捏ねたものだな。少し硬めに焼き上げてあるから保存も効く、腹持ちもいいぞ」
「……これを一日にどのくらい食べるの?」
「一日三食、一つずつだな」
「死んじゃうよ!?」
ソユリが突然に声を張り上げたものだから、私はびくりと肩を震わせてしまう。
「し、死ぬとは大げさな……心配はいらない、私は少食なのだ」
「少食以前の問題でしょこれ!? 栄養! 栄養の話をしてるの! もっとこう野菜とかお肉とか……!」
「――肉!?」
肉、という単語に反応して、黒竜の娘が目を覚ました。
しかしこちらはそれどころではない!
食べ物の話になった途端のソユリの豹変ぶりといったらどうだ!
小動物が、たちまち肉食獣に変化してしまったかのようである!
「ああ、もう! 浮世離れしてる人だとは思ってたけど、こんなにだとは思わなかったよ! なにか食材ないの!?」
「生憎食えるものはシスぺしか……」
「だったら包丁は!? まな板は!? フライパンは!?」
「う……!」
なんだなんだ、この怒涛の追及は!?
私はなにか取り返しのつかないことをしてしまったのか?
私はなにか間違ったことをしてしまったのか!?
ぐるぐると思考が巡り、頭がパンクしそうになってしまう。
後ろの方で黒竜の娘が「我は肉を所望するぞ! 忌々しき魔術師どもめさっさと我に献上せよ!」などと意味不明なことをのたまっており、それがかえって私の頭を混乱させてしまう。
なにか、なにかこの状況を打破するものは……
そう思っておもむろに懐へ手を突っ込むと、指先に何かが触れた。
藁をも掴む思いで引っ張り出してみると、それはくしゃくしゃになった一枚のビラである。
そこにはでかでかと「天文サークル“星見の森”へようこそ!」の文字が。
私はこれを見るなり、一瞬固まってしまう。
そしてややあってから思い出した。
そうだ! これは入学式が終わってすぐ、魔女を名乗る少女ニーア・アリアケオスより手渡されたもの!
そして彼女はこうも言っていた!
――今日の夜、大学近くの“どわあふ亭”! 絶対きてねーー!
「忘れていた!!」
私は弾かれたように部屋を飛び出す。
「……ちょ、ちょっと! アーテル君!?」
ソユリも慌ててこれについてくる。
黒竜の娘だけが、その場に立ち尽くし、きょとんとした表情で「肉……」と呟いた。
「黒竜の娘よ! 留守を頼む! 私は急用が入ってしまった!」
私はそれだけ言い残すと、ドアを閉め、しっかりと鍵をかけたのを確認してから一目散に走り出す。
ソユリもこれについてくる形だ。
目指すは“どわあふ亭”――!
「また走るのぉ……!?」
ソユリは早くも息を切らせながら、ぼやいた。