16 大賢者、帰路につく
演劇サークル“サバト”による今年の舞台は、多少のトラブルもあったが、結果として、歴史的大成功に終わった。
舞台に幕が下りた後も観客たちの熱狂は一向に収まらず、失神する者すら現れ、ちょっとした騒ぎになったほどだ。
そして観客たちは口を揃えて言った。
「アーテル役を演じたあの役者は誰だ!?」
と。
私はそれを聞いて、はたと思い至る。
そういえば、私はあの新入生の名前を聞いていない。
機甲竜や役者や黒子の件で色々とごたごたがあったので、つい失念してしまっていた。
まぁいい、名前を聞き出す機会はいくらでもある。
なんせ、劇が終わったのちには、彼を正式に我がサークルへ勧誘しようと心に決めていたからだ。
全くとんでもない新入生が入ってきたものだ。
私は魔道具専門だから、そういった魔術にあまり詳しくはないが、しかしアレは私にでも分かる。
身体強化の練度もさることながら、転移の魔術などという大魔術をいともたやすくこなし、それでいて遥か昔に失われたはずの錬金術にも精通しているとは。
彼はとんでもない魔術師だ。
きっと皆がそれに気付くのは、そう遠い先の事ではない。
ならば、今の内に唾をつけておかなくては!
そう、意気込んでいたのだが
「こっちにもいません!」
また一人、なんの成果もあげられずに帰ってくる。
これで大学の敷地内でめぼしい場所は全て探し終えた。
私は「ううう」と唸って、帽子の上から頭を掻きむしる。
「ああ、もう! 一体どこにいったのよ! まさか劇が終わるのと同時に消えるなんて!」
なにがいくらでも機会はある、だ!
あらかじめ名前と学科名を尋ねておかなかったことを、私は死ぬほど後悔する。
そう、彼らはフィナーレの演出用スモークが晴れるのと同時に、忽然と姿を消してしまったのだ。
私はすぐさまサバトの部員たちを使って大学の敷地内を探させたが、その結果は徒労に終わった。
ありえるのだろうか。
アーテル役とイゾルデ役はともかく、あの黒竜役の竜が忽然と姿を消すなど。
というか大学の敷地内にいないとなれば、信じがたいが彼は帰ったのだろうか。
黒竜役の竜が暴走して劇がメチャクチャになる寸前だったのを奇跡的なアドリブで救った、あの直後に!?
万雷の拍手も喝采も満足に受けないまま、帰宅!?
そんなバカなことがあるのか!?
しかし、考えても無駄だ。
なんにせよ彼はすでに大学の敷地内にはいない。
残ったサバトのメンバーを駆り出して大学周辺をしらみつぶしに探すという手もあるが、そうすると舞台の撤収が間に合わない。
ただでさえ教学のアルガンの怒りを買っているのに、これ以上教学の怒りを買えば、サークルごと消し飛ばされる可能性だって大だ。
つまり、彼を探し出すことは現実的に不可能だ。
「逃がした魚は大きかったですねえ先輩」
「うるさいわよ! さっさと撤収作業に移りなさい! あと30分で元の状態に戻さないといけないんだから!」
ぐっ……でも確かに逃がした魚は大きかったわね。
ああ、なんと勿体ない事をしたのだろう。
観客たちの歓声がまだ耳の奥に残っているような気がする。
誰もいなくなったはずの観客席へと目をやった。
するとそこにはまだ一人、残っているではないか。
……まだ感動の余韻で動けないのだろうか、無理もない。
そう思って歩み寄ってみると、それは私にとってまったく予想外の人物であった。
「――ディヴィーナ学長!?」
そう、がらんどうになった観客席で、一人ぽつんと座っていたのは、何を隠そう本学学長のディヴィーナ・フランケンシュタインだったのだ。
普段ほとんど表に出ないはずの学長が、どうしてこんなところに……!?
「素晴らしい、劇でしたね」
学長は水上ステージを見つめながら、ぽろりとこぼした。
いきなりのことだったため、私は反応が遅れてしまう。
「え、ええ、今回はとりわけ素晴らしい役者が手配できたので、お楽しみいただけましたでしょうか?」
「それはもう、特にアーテルが黒竜の下からイゾルデを助け出すシーンなど、感動してしまいましたよ」
「それはなによ……」
それはなによりです。
そう言おうとしたはずなのに、彼女の顔を覗き込んだ瞬間、ヒッ、と短い悲鳴が漏れてしまった。
「――ああ、本当にうらやましい限りです」
ならば何故、目が血走っているのですか。
そう尋ねる勇気は、もちろん私にはなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
私とソユリは夕焼け色に染まった坂を二人で下っていた。
劇の余韻が未だ胸の奥に熱として残っている。
今日の今日まで、演じることはもちろん、見ることさえ縁のなかった私ではあるが、なるほど
「演劇とは、いいものだな」
私は夢見心地に呟いた。
「私は基本的に注目されることが苦手だ、しかし、ああいった形で注目されるというのも、案外悪くない。私はあの瞬間、まだ名前も知らぬ学生たちと、芝居を通じて繋がったような気分になれたよ」
「……」
ソユリは、無言で私の隣を歩いている。
劇が終わってからというもの、ずっとこれだ。目も合わせてくれないし、若干私との距離があるように感じられる。
出会ったばかりの小動物じみた彼女に戻ってしまったかのようだ。
やはり、怒っているのだろうか。
「ソユリには申し訳ないことをしたな、やはり事前に伝えておけばよかった」
「……」
「黒竜の娘が、私に殺意を抱いていることには気付いていた。しかし劇にはリアリティが必須だというだろう? だからかえって良いと思ったのだ。しかし、素人の浅知恵で結局皆に迷惑をかけてしまった。まさか魔族が魔術や錬金術まで操れるとは――とりわけ、通信用の魔道具を破壊されたのが想定外だった。そのせいでソユリを助け出すのに若干手こずってしまい……本当に反省している」
「……そういうことじゃないんですけど」
ソユリは、例によってぷくうと頰を膨らませた。
しかし、いつもと比べれば若干頰の膨らませ方が甘いように感じる。
それと、夕焼けのせいだろうか。彼女の頰が、熟れた果実のように赤く染まっている。
「アーテル君の無茶には……なんというか、今日1日でだいぶ慣れちゃったし……それに、一応私のことは心配してくれてたし……あと、助けてもらった時は、正直、その……カッコ……ったし……」
「すまない、後半が聞き取れなかった。もう一度言ってもらえるか?」
「……もう言わないもん、バカ」
それきり、ソユリはそっぽを向いてしまう。
ううむ……かつてのイゾルデもそうだったが、女性というのはどうも複雑微妙な思考をする。私のような馬鹿には、到底理解できそうにない。
初めて出来た学友とこれでは今後が思いやられるぞ、と、私は溜息をついた。
「……ところで、アーテル君」
「なんだ?」
「あんまりにも普通にしてるから、とうとう突っ込めなかったんだけど……その子、誰?」
ソユリは私の背後を指差している。
背後、というよりはすっかり気を失ってしまい、私におぶられている黒髪の少女を指しているのだ。
ああ、そう言えばまだ紹介していなかったな。
「黒竜の娘だ」
ソユリが首をかしげる。
「……どういうこと?」
「そのままの意味だ。ステージ上で暴れまわり、私を殺そうとした、あの黒竜の娘だ」
ソユリは、更に首を傾げた。
「……………………どういうこと?」
……ふむ、ディヴィーナ学長には教授として働かないかと誘われたが、やはり受けなくて正解だったな。
どうも私は説明下手なようである。
気を取り直して、私は一から説明することとする。
「まず、私は黒竜の娘と戦った際、魔法陣を組んだだろう?」
「あ、うん、あのでっかいペンタグラムでしょ? あの数のゴーレムを倒しながら、泥で魔法式を書いたんだっけ……」
「そう、あの時に組んだ魔法陣こそが人化の魔法陣だったのだ」
「人化……?」
「そうだ、東洋呪術から発展した、あらゆる生物を人間の姿に変える大魔術だ。それを書き取り法の結界魔術という、最も強力な形で証明した」
「……人化の魔術は私も聞いたことはあるけど、でもほとんど眉唾みたいなものだよ? 成功例なんてほとんどないし、なにより意味がないって……」
「うむ、耳が痛いな、しかし何かに応用できるのではないかと思い、遥か昔に覚えたのだ」
「ということは、なに、その子って……」
「黒竜の娘が、人の姿になったものだな」
ソユリが、目を丸くした。
「安心してほしい、元々人化の魔術は呪いの類なのだ。もう神秘は使えぬし、翼をはばたかせて空を飛ぶことも、爪で山を削ることもできない。見た目通りの人間だ」
「……アーテル君って、本当にただの学生?」
「まだ学生と名乗るのもおこがましい、未熟者だ」
そう答えると、ソユリは深い溜息を漏らした。
その溜息の意味は、やはり私には分からない。
「……それで、その子はどうするの? まさか騎竜倶楽部に返す、なんて言わないよね」
「問題はそこなのだ」
必ず返すと約束したにも関わらず、このような結果になってしまったこと、のちに騎竜倶楽部部長のトルア先輩には深く詫びを入れなければ。
ちなみに今は謝罪の品として、遥か南の地に生息し、原住民からは神の御使いと崇められる空飛ぶ大蛇ウガルムを献上しようと考えているのだが、それで許してくれるだろうか。
「まぁ、それについてはおいおい考えるとしよう」
「じゃあ、どうするの?」
「ひとまずはアパートに連れ帰り、しばらく一緒に暮らそうと思っている」
「へぇ……家に……」
しばしの静寂。そののち
「――家に!?!」
ソユリの驚愕の声が、あたり一帯にこだました。