13 大賢者、開演準備を手伝う
“教学”という謎の組織から追われる演劇サークルの面々を見つけるのは、至難であった。
なんせ彼らがリーダー、部長のシュリィ・メルスティナはまさしく神速である。
このままでは公演時間に間に合わない。
そう悟った私は、本来不得手であるところの探知の魔法式を使い、ようやく彼らに追いつくことが叶った。
彼らは本館裏に身を隠しつつ、公演の準備を進めている模様だ。
現場で指揮を執るシュリィの姿を発見し、私は声をあげる。
「――遅くなったなシュリィ先輩、機甲竜の代役、連れてきたぞ」
「おおっ!? まさか本当に連れて、くる、と、は……?」
シュリィはこちらへ振り返るなり、言葉の最中に凍り付いてしまった。
私の隣の“黒竜”を見上げて。
他の部員たちも何事かと振り返る。
うち半分が「うおおっ!?」と野太い悲鳴をあげて腰を抜かし。
そしてうち半分はシュリィと同じくあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
“彼女”は、そんな彼らを琥珀色の瞳で見下ろし、ふんと鼻を鳴らす。
するとその時の鼻息で、地面に散らばった大小さまざまの部品があたりに散ってしまった。
シュリィは依然あんぐりと口をあけて、彼女を見上げている。
「……む? お気に召さなかったか? それならば悪い事を……」
「――最高じゃない!!」
私の言葉を遮り、シュリィが興奮気味に言う。
「まさか、まさか本物の竜を連れてくるなんて! あなた一体どこでこんな――ああ、いえ! そんなのはどうでもいいわ! 皆! 今年はサバト史上最高の年になるわよ!」
「お、おおおお!!」
さっきのさっきまで呆気に取られていたサバトの一同が、シュリィの一言によって最高潮の盛り上がりを見せた。
どうやら気に入ってもらえたらしい。良かった、良かった――
しみじみ感じていると、突然シュリィに抱きつかれる。
彼女のいかにも女性らしい体つきを肌で感じるほどに密着され、私は一瞬驚いてしまう。
後ろで控えていたソユリも「なっ……!」と短く声をあげていた。
「キミ、本当に最高! こんなに立派な竜を連れてくるなんて! これで今年の演劇も大成功間違いなし! ホントはちゃんとお礼をしたいところだけど――ごめんね! 今はこれで我慢して!」
「む?」
これ、とは?
そんな疑問を口に出すよりも早く、彼女は私の顔面の左側面へ顔を近づけ、そののち頬に柔らくてほんのりと熱を持った何かが一瞬触れた。
これを見ていたソユリが「あーーっ!?」と悲鳴をあげている。
シュリィはそれからすぐに私を解放し
「じゃあまた後で! 公演、絶対見てね!」
と、一言、そのまま現場の指揮へ戻る。
……ふむ?
私は左の頬を指先で軽くなでる。
ほんのりと湿っていた。
突然のこと、なおかつ意味不明のことだったので理解が遅れたが――もしかして今、私は頬に唇を押し付けられたのか?
「なぁソユリ、今のは一体なんのまじないだ?」
こういった時は頼れる友人に聞くべきだ。
そう思ったのだが、彼女はどういうわけか両手を突き出して、私と距離を取る。
「あ、アーテル君不潔だよ……出会ったばっかりの女の人と……!」
「ソユリ、何故後ろに下がる? 不潔? 粘膜接触でない以上、衛生面に関してはさほど問題はないと思うのだが……」
ソユリを安心させようとして言ったのだが、“粘膜接触”の単語を口に出した瞬間、ソユリの表情が露骨に歪んだ。
「いや、あの、アーテル君、あんまり近づかないで……」
「何故だ? もしや何かの感染症を心配しているのか!? 治癒魔術はあまり得意ではないが、そういうことならば直接魔法式を書き込んで――」
「こ、な、い、でっ!!!」
ばかんっ、と顔面に拳が飛んできた。
懐に忍ばせた魔護符のおかげでダメージはないが、しかしあまりの衝撃に、私は情けなくも尻もちをついてしまう。
訳も分からずソユリを見返すと、彼女は頬をぷくうと膨らませて、そっぽを向いてしまった。
怒っている……! 何故だ……!?
『カカカカカ、かつて大賢者と呼ばれた男とは思えぬ愚かさよな』
このやり取りを見ていた黒竜が、声をあげて笑う。
愚か!? 愚かとはなんだ!?
私はいっそう混乱してしまった、いったい何が悪かったのか……
「まったく、アーテル君と一緒にいるとノートを粉々にされるし! すんごく目立つし! 機甲竜に潰されそうになるし! 倒れるまで走らされるし! 私はすっごく疲れるよ! アーテル君きらい!」
「き、きらい……!?」
――この時の衝撃は、決して言葉にできようものか。
なんせソユリは300年生きてきて、初めてできた友人らしい友人なのだ。
その友人に初日のうちに拒絶されるなど、ショックのあまりそのまま卒倒してしまうかと思ったほどだ……!
頬を膨らませて怒るソユリに一体どんな言葉をかければいいのか戸惑っていると、突然、公演の準備に取り掛かっていた部員たちの中から叫声があがった。
「な、なんだって!? 役者が、そんな……!?」
「どうしたの!?」
シュリィはすかさず彼らに詰め寄る。
すると彼らは、顔を青くしてこれに応えた。
「伝令です! アルガン・バディーレー率いる教学の連中が、別の場所で待機していた役者たちを捕縛したようです! これでは劇が公演できません!」
「ちっ、見つかったか……いえ! 教学が私たち演出班を捕らえられないとなれば次に役者を狙うのは分かり切っていたわ! そのために去年からずっと何人もの代役候補を用意しておいたんでしょ!?」
「だ、ダメです! アーテル役およびイゾルデ役、合わせて8名! 全て教学に捕まりました!」
「なっ……!? まさか全員!?」
「更にアルガン・バディーレーからのメッセージがあります! “今回の私は本気だ、速やかに出頭せよ!”とのこと!」
「うぐうううう!! あの生意気な童顔上げ底ヤロー!!」
シュリィが地団太を踏んで悔しがっている。
なんだ、状況は分からないが、何かトラブルか?
「あああ、もう! なんで今年はこんなことばっかり! 演出班から人を出すわけにはいかないし、今から新しい役者を探すのも間に合わない! ……いや!?」
シュリィは頭を悩ませる過程で私とソユリの姿を認めると、何か思いついた風の声をあげた。
すると彼女は足早にこちらへ向かってきて、あっという間に私とソユリを確保してしまう。
「君たち! 演劇に興味ない!?」
「私は特に……」
「私もあまり詳しくは……」
「なあに、今から興味を持って詳しくなればいいのよ! だから二人とも、アーテル役とイゾルデ役、よろしく!!」
アーテル役? イゾルデ役?
彼女が一体なにを言っているのか分からず、私は首を傾げる。
しかし聡明なソユリは、その台詞だけで何かに気付いたようだ。
彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「む、無理です無理です無理ですっ!! 私、そんな人前で演技なんてっ!!」
「大丈夫よ! あなた可愛い顔してるもの! 入学初日で一躍有名人になっちゃうかもよ!?」
「イヤです! なんと言われても絶対にイヤです!」
「ええい! 往生際が悪いわね! メイク班! 彼女を大女優にしてやって!」
「イヤーーーッ!!?」
ソユリが、なにやらすらりとした女性たちによって、あっという間に取り押さえられてしまった。
シュリィは次に私の方へ向き直って、ある物を手渡してくる。
それは一見豆粒のような何かだが、観察してみると表面にごく微細な字で魔法式が刻まれているのに気付いた。
「これは?」
「私特製の通信魔道具! 今から台本を覚えるのは間に合わないからこれを耳にはめて使って! 私が後ろで台本を読み上げるから、あなたはその台詞を繰り返すだけでいい!」
「ん……? つまり私に芝居をしろと言っているのか?」
「そう! あなたはかの三大賢者が一人、アーテル役に抜擢されました! 舞台の上で黒竜と戦い、囚われた恋人のイゾルデを見事救ってください!」
恋人のイゾルデ……?
私は首を傾げるが、しかし、そうか、そういうことか。
ようやく彼女たちの意図を把握した。
私は再三言っているように演劇などまったくの素人、おそらく衆目の中で醜態を晒すことになるだろう。
それでも乗りかけた船、ほかならぬ先輩の頼み。
ならば私は、見る阿呆でなく、踊る阿呆になってやる。
「――承知した、未熟な身ではあるが、死力を尽くして役を演じよう」
それに、私がアーテル本人だしな!
技量はともかくとして、アーテル役を演じる上において私以上の逸材はいないはずだ! 本人だからな!
「ありがとう!! じゃあこれつけて、これも着て!!」
「うぶっ!?」
言うが早いか、突然口元に何か白いものを貼り付けられる。
これは付け髭か……?
そして続けざまに手渡されたこれは、黒いローブと杖だ。
なるほど、これが舞台衣装というわけか。
そこへ、部員の一人が慌てた様子で駆けつけてくる。
「ぶ、部長! 大変です! 黒竜の眷属を演じる予定だった黒子たちが全員逃げ出しました!」
「なんですって!?」
「どうやら教学に恐れをなしたらしく……黒子たちの中には留年者も多数いますからね……」
「あああああ! 学業ぐらい捧げないで何が演劇よ! 黒竜の眷属との殺陣シーンもメインの一つなのに!」
シュリィは再び地団太を踏んだ。
またもやトラブルらしい。演劇とは大変なのだな……
「おい、黒竜の娘、お前ほどの竜ともなれば眷属の召還も容易いだろう?」
『無茶を言うな、数百年もあの汚い小屋に閉じ込められていたのだ、力などほとんど残っていない』
黒竜はふんと鼻息を吐く。
……よし、ここは私から助け船を出させてもらうとしよう。
「シュリィ先輩、黒竜の眷属だったな? 多少力不足かもしれないが、用意できるぞ」
「え……?」
私は懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
そして羽ペンをもってこれに魔法式ともまた異なった体系の式を書き込み、地面に貼りつけた。
更に詠唱を口で唱えると、地面がぼこぼこと盛り上がって、ちょうど私よりも頭一つぶん大きな泥の巨人が生まれてくる。
彼女らは、いよいよ言葉を失ってしまった。
「遠い昔、錬金術師たちに教わったゴーレム制作の技法だ。多少私のアレンジは加わっているが、これならばいくらでも量産できるし――」
私はゴーレムを屈ませ、その頭部に貼りついた羊皮紙へ手を伸ばす。
そしてそこに書き込まれた魔法式のうち、とあるワンフレーズに羽ペンで二重線を引いた。
するとゴーレムの身体はあっという間に崩れ落ちて、元の泥に戻ってしまう。
「――なにより、後片付けも楽だ」
「きっ……キミ最高!!」
シュリィが再び私の身体を強く抱きしめてくる。
お役に立てたようでなによりだ。
「さあ――開演まであと少し! もう教学なんて怖くないわよ! 絶対に成功させるからね!!」
「「「おおーーーっ!!」」」
シュリィの言葉で部員たちが拳を突き上げ、雄たけびをあげた。
ふむ、彼女はまさしく人の上に立つ人間だ。
私はやけにもじゃもじゃした付け髭と格闘しながら、しみじみ思う。
さてこの時、視界の隅で崩れ落ちたゴーレムを見下ろし、その琥珀色の瞳になにやら怪しげな光を宿している黒竜の存在に、私は気付いていた。