1 大賢者、若返る
アーテル・ヴィート・アルバリス。
今年で齢320になる、魔術師だ。
……いや、340だったか?
いかんせん欠伸が出るほどの長い年月を一人で生きてきたものだから、そのへんはおぼろげである。
今から200年前、人魔大戦の際には戦争を終結させた三大賢者の一人と数えられたこともあったが、それも遥か昔の話だ。
いやぁ、あの頃は良かった――
いつもならばそういう出だしから始まって昔を懐かしむところだが、今日は努めてやめておいた。
昔語りをばかりしてしまうのは年寄りの悪い癖である。
今を知らず、また今を知る気もないからこそ、そんな思い出にばかり不毛な楽しさを見出してしまう。
というのも私は、恥ずかしながら大戦終結ののちさっさと人里離れた山奥に隠居して、今では時たま山を下りて日用品を買い込むぐらい。かれこれ200年ほど、仙人よろしく一人で魔術の研究に勤しんでいたため、俗世の事情には疎いのだ。
……いや、昔もさして変わらない。
大戦の最中でさえ、私はいつも孤独に魔術の研究に勤しんでいた。
友を作らず、師に頼らず。
ただ孤独に魔術の道を突き進んだ。
当然流行なぞは知らんし、飯も女も興味がない。
私はただ魔術さえ極められれば、それでよかった。
そのおかげで私のように平凡な才能の持ち主が大賢者の一人に数えられたわけで、私自身もそれで満足していたわけだが、しかしこの年になって気付いてしまった。
――もしや私は間違っていたのではないか? と。
初めは漠然とした不安だった。
ただ漠然と何かを道を誤ったような気がしていただけだ。
しかし先日、その正体の分からぬ不安は、確信へと変わった。
おそらくこれは騎竜配達業者のミスなのだが――先日、私の下へ“大学”のパンフレットが届いたのだ。
ラクスティア魔法大学。
話には聞いたことがあった。
なんでも高名な現役魔術師たちが教鞭をとるグランテシア大陸有数の魔法教育機関らしい。
私が現役の頃にも魔法大学と呼ばれる施設は少ないものの存在していたが、当時はてんで興味がなく、独学で魔術の鍛錬をすることを選んだものだ。
第一、齢300を超える大賢者たる私が、今更魔術に関して人から教わることなどあるものか……と鼻で笑いながらこの資料に目を通したのだが、衝撃を受けた。
そのパンフレットにはおそらく最新の転写技術によってキャンパス内の様子が克明に記されていたのだが――なんと、数え切れないほどの年若い男女が皆この上なく晴れやかな笑顔をたたえているではないか!
これには多大な衝撃を受けた。あまりの衝撃に「ヒィッ!」と情けない悲鳴をあげて、椅子から転げ落ちたほどだ。
何故か? そんなのは決まっている!
魔術を学ぶことに希望を見出した探究者の卵たちが一堂に会している。これほど衝撃的な光景が他にあるものか!
私が知る魔術道とは、修羅の道だ。
戦乱の世において魔族に対抗する唯一の手段、すなわち魔術を学ぶことは、そのまま生き死にに直結していた。
そんな生きるか死ぬかの中、人は死に物狂いで魔術を覚えたものだ。
東に高名な魔術師の記した魔術書があれば我先にと出向き、これを確保することに躍起になる。
西に高名な魔術師がいると聞けば、殺される覚悟で弟子入りを志願し、その技術の一片でも盗もうと目をぎらぎらさせる。
血反吐を吐くほどの鍛錬で倒れる者、魔族に挑み敗れる者は数知れず。
その中で生き残った数少ない者が、初めて魔術師を名乗ることを許される。
私が知る魔術の世界とはそういう殺伐としたものだ!
なのに、この資料に載った学徒たちはどうか。
この穢れなき瞳は、魔術を学ぶことに喜びを見出した目だ!
血で血を洗う悪夢のような大戦が終結し、それだけ世界は平和になったということなのだろう。
人々は生きるためでなく、ただ純粋に魔術の道を究めるため勉学に励むことができる。
そしてそれこそが魔術の本懐なのではないか!!
私もこの中に混ざりたい……
そういう考えが自然と頭の中に浮かんできた時、私は自らの過ちを認めざるを得なかった。
私は間違っていたのだ。
今までの私は、魔術の道とはただ一人で突き進む、修羅の道だと考えていた。
それこそが正しく、一点の曇りもない魔術の道だと。
しかし、しかし、それは大きな間違いだった!
素晴らしい同志に囲まれて、魔術に対しての熱い思いを交わし、共に勉学に励み、切磋琢磨しながら、己の魔術を研ぎ澄ます。
これこそが本来魔術師のあるべき姿ではないか!?
ただ一人、人里離れた山奥で薄暗い小屋にこもり、日がな一日中ぶつぶつと独り言を呟きながら、せせこましく魔術の探求をすること。
それは膨大なる知識の泉のすぐそばにできた小さな水溜まりで一人ぱしゃぱしゃやって満足するのとなにも変わらないのではないか!?
こんなことをしていて本当に魔術の道が究められるのか!?
真理に到達できるのか!?
否! 否! 否!!
こんなものは、クソくらえだ!
私は一刻も早く知識の泉に飛び込まなくてはいけない!
大学に、入学せねばならない!
しかしここで一つ問題があった。
それは、私の年齢だ。
パンフレットを穴があくまで熟読した結果、ラクスティア魔法大学に年齢制限がないことは分かったが、しかし齢300を超えた私が普通に入学することとなればどうだろう?
偉大なる探究者の卵たちを、委縮させてしまうかもしれない。
ただ無駄に歳を重ねたというだけで、彼らは私に対し遠慮してしまうかもしれない。
いや、それだけでなく教師たちから色眼鏡で見られることも請け合いだ!
どうやら大昔にそこそこ名の売れた魔術師の爺さんが入学してくるらしいぞ、冷やかしのつもりだろうか?
などと思われれば目もあてられない!
そうすれば私は孤独、今と何も変わらない!
素晴らしい同志を手に入れることなど、夢のまた夢だ!
私はただ、純粋に、素晴らしい同志に囲まれて魔術の道を究めたいだけなのだ!
ゆえに、私はとある大魔術を決行することにした。
かつて三大賢者の一人として数えられた大魔術師、私ことアーテル・ヴィート・アルバリスが生涯をかけて編み出した、究極の大魔法。
東洋西洋問わず、不老不死の逸話を持った幻想生物の屍を積み上げ。
そして膨大な量の魔法式を、私の持つ知識を総動員して圧縮、最適化し、この山一つを巨大な魔方陣に収める。
ここに行われるは、若返りの大魔法である。
そして我が生涯をかけた大魔法は成った。
「――やった、やったぞ!!」
しゃがれた声は張りを。
しおれた白髪は、一本残らず本来の栗毛色を。
そして全身に刻まれた深い皺はさっぱりと消え、瑞々しさを。
視力を、潤いを、活力を――
私は取り戻したのだ!
300年という長い年月の中で蓄えた知識、そして魔法技術などはそのままに、かつて備えていた十代の頃の全てを!!
「これで私も大学生! 見ていろ! 最高のキャンパスライフを送り、見事魔術の道を究めてみせよう!」
その日、人里離れた山奥からある若者の高笑いがこだましたという。
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