11話: 幼児言葉とジジイ言葉
僕に抱きつかれ、シリウスさんはびっくりした様でしばらく固まっていたが、おもむろに僕を抱き上げ歩き出した。
「家の中では本体になれぬのでな。庭に出るか」
首にしがみ付いている僕にシリウスさんの濃紺の髪が触れた。サラサラでツヤツヤ。フェンリルさんの毛もこんな感じなのかな。
「あの、フェンリルさんになったら触らせてくれましゅか?」
ワクワクしながら聞いてみた。ダメだと言われても触るがな!
「あ?構わぬが、見たら怖くなって部屋へ逃げ帰るのではないかな?」
そんな事絶対あり得ない!僕の世界にはいなかったフェンリル。小説やゲームの中でだけしか会う事が出来なかったフェンリル。それが今、もうすぐ会えるのだ。怖くなって逃げ帰るだって⁉そりゃ獣なのだから牙も爪もあるだろう。でも今から会うのはシリウスさんだ。シリウスさんがフェンリルなのだから怖くなんてないよ!
「わかったわかった。ほら、ここで待っていろ」
力説する僕に呆れて苦笑したシリウスさんが、ウッドデッキに僕を降ろすと庭先へ歩いて行った。
ワクワクしながらデッキの手触り手刷りに掴まってシリウスさんの姿を見ていたのだけれど、だんだん姿が霞んでいき空間が歪んだ様にみえた。目を擦ってもう一度庭先を見ると、そこにシリウスさんの姿はなく一頭の銀色に輝く毛なみを持つ大きな獣が佇んでいた。
「あ、あああっー」
言葉にならない声をあげて、尻もちをついた僕の前に頭を下げて顔をつき出してきた獣。
目を逸らす事が出来ずにポカーンと口を開けたまま固まっている僕に、突然大きな口を開けたフェンリル。真っ赤な舌と歯ぐき、そして鋭く尖った白い牙。
両足の間に突然生暖かいナニかが溢れた様な気がしたが、高性能パンツのおかげで不快感は無く恥ずかしい思いをしなくて済んだ。僕は何もしてない。してないって言ったらしてない!セーフです!
パニクりながらも気付かれて無いよね?と上目遣いに見ると、頭の中にシリウスさんの声が聞こえた。
「大丈夫か?ちと驚かせ過ぎたかの?これが俺の本来の姿だ。見たがっていたフェンリルだ。怖ければあまりこの姿にならぬ様にするが、どうだユウリ触ってみたいと言っていたが止めるか?」
面白そうに、だけど少し不安そうな響きを持って聞こえてきたシリウスさんの問いに僕は足に力を入れて立ちあがり近づいた。
「怖くなんてないです!ただちょっと驚いただけで…その、僕のいた世界にはいなかったから初めて見て大きさにびっくりしただけです」
2階建ての家程もある銀色の獣
なんて綺麗なんだろう
庭先に吹く風が銀のうねりを起こす。まるで打ち寄せる波の様にサワサワとそよぐ銀の輝き
威風堂々、凜とした圧倒的な存在
自分の語彙貧乏が情けないけど、正に獣の王って感じなんだ。伝わるかな?
「あの触っても良いでしゅか?」
「ああ」
シリウスさんではなくフェンリル自身が答えたみたいで「グウォン」と聞こえた。
トテトテと足元に駆け寄って見上げると、改めてその大きさに圧倒される。
足をたたんで伏せてくれたフェンリルの足先に触れてみた。
「わあっ」
サラサラの毛に興奮して、足先からお腹の毛溜まりに移動していく。ふわふわのモフモフ!銀色のユートピアだ!
もう我慢出来ない
「いただきまーす‼」
「なにっ⁉」
フェンリルが驚いて頭をもたげたが、構っていられない
僕はお腹の毛溜まりに潜り込んで堪能するのだ。
驚き呆れていた様なシリウスさんだったけど「グフゥー」とため息を付いて前足に頭を乗せて、僕の好きにさせてくれた。
それからしばらくの間、背中によじ登ったり尻尾を滑り落ちたり全力で堪能して疲れた僕は前足の付け根に寄りかかっていた。最初は少し恐いと思ったシリウスさんだけど、こうして本体のフェンリルと触れあって、なんだか距離が縮まって怖さも消えて今はこのフェンリル姿だけでなくシリウスさんの事も大好きになっている。これからきっと楽しく暮らして行けるだろう、そんな気がした。
「そろそろ良いか?次はユウリがこの家を案内してくれるか?俺は玄関と食堂しか見ていないのでな」
そうだったね。待ちぼうけだったんだもんね。シリウスさんの部屋も決めなくちゃいけないし、あの部屋の事も言わなくちゃ。でもその前に!
「あい、だけどその前にシリュースさんにお話がありましゅ。それはシリュースさんの言葉使いについてでしゅ」
この際だから気になっていた事を言う事にした。今ならきっと怒らずに聞いてくれると思ったんだ。自分の事は高い棚に置いておいて、先ずはシリウスさんのジジ臭い喋り方を直して貰おう
「ん?俺の言葉使いがどうしたのだ?ユウリには聞き取れないのか?」
「いえちゃんと聞こえてましゅ。ただ喋り方がお爺さんみたいで違和感マシマシでしゅ」
「マシマシ、というのは判らんが俺の喋り方がジジイみたいだと言いたいのか?仕方なかろう?俺は確か67才だからな。紛れもなくジジイだな」
「それは死んだ時の歳でしゅ!今はピチピチの若者なのでしゅから、その姿でその喋り方は変でしゅ!違和感パネェでしゅ」
「そ、そうか。パネェ…とはなん、いや判った気を付けよ、気を付ける」
神妙に僕の言う事を聞いてくれてすぐに直そうとしてくれるシリウスさんマジ良い人!
「だがユウリ、お前も言葉使い直した方が良いな。俺に対して無理に丁寧に話さなくても良いんだ。ユウリは俺の主なんだからな、さん付けもいらない。それに敬語で話そうとしてカミ捲ってるじゃないか」
フェンリル姿のシリウスさんがニヤリと笑った。見えないけど絶対笑ってる!
「そりぇはまだ幼児だからはっしぇいきかんが発達してないからでしゅ!それにレインたちにはカミましぇん。シリュースさんと話す時だけでしゅ!」
そうなんだよ。シリウスさん相手だと何だか緊張して上手く喋れないんだ。だけど…多分もう大丈夫
「判った。たまにまだ噛むかもしれないけど敬語は止める。確かに普通に話せば噛むのは減ると思うから」
「そうか?噛むのは幼児だから仕方ないのか?だがその喋り方の方が俺も気楽で良いな。じゃあ改めてよろしくな」
「こちらこそよろしくシリューじゃなくてシリュウ、シリュウス…」
おかしいなシリウスのリウが上手く発音出来ないよぉ
「シリウスって言いにくそうだな。良いぞシリュウでもシリューでも。それに…いや、そうだな、これから俺は『シリュー』だ。シリウスという名の男は死んだんだ。これから俺は新しい人生が始めるんだ、名前も新しい方が良いな。ユウリ、これから俺の事はシリューと呼んでくれ」
何だか一人でウンウンと納得してるシリウス、いやシリューか。
「シリュー?シリュー!うん呼び易いけど良いの?大切な名前じゃないの?最強の『剣聖』だったんでしょ?」
「だからだよ。ユウリ俺はもう『剣聖』じゃない。シリウスの名を使っていたらこの先面倒な事になりそうな事に今になって気がついた。姿形は変わってもシリウスという名から何かを感じる奴がいないとも限らないからな」
「わかった。シリューこれからよろしく!」
シリウスさん、ううんシリューとの距離が縮まった気がして僕は嬉しくなった。きっとこれからもっと親しくなって毎日が楽しくなる予感がした。
そろそろ家に入ろうと、フェンリルから人の姿に戻ったシリューが僕の手を引いて玄関までの階段を上がる。僕は、そう僕はお約束通りに階段でコケそうになって、悪夢再びかと覚悟したが今回はコケずに済んだ。コケる寸前シリューがさっと抱えてくれたから。そのまま家の中まで運ばれた僕が赤くなった顔をからかわれて、シリューに頭突きをかましたのは悪くないと思う。ただ不幸だったのは僕が推定3才の幼女で背が低かった事だ。
押して知るべし…