乙女荘203号室
「それじゃあ、私はここで」
「ありがとうございました~」
街に入り、1時間トラックを走らせて辿り着いたのは、ちょっとボロいアパートだった。萩野さんとはそこで別れ、今度お花を買いに行く約束をした。
元気よく手を振っていた朱里は、「さてと」と仕切り直しと言わんばかりに僕に向き直った。
「ここが私の家です!」
「……おう」
なんとなくそうなんだろうなと思っていたが、まさかその歳で一人暮らしなんかしているのだろうか? まあ萩野さんもお店で働いているし、運転免許も持ってるくらいだし、一人暮らしも普通なのかも。
僕なんかより自立している朱里を見て、なんともいうか、敗北感が凄い。可笑しい、僕の方が歳上のはずなんだが。
「とりあえず、警察に見つかる前に中に入りましょうか」
「そうだな」
百合香ちゃんの二の舞いになるのはごめんだ。あの子、結局大丈夫だったのだろうか?
「私の部屋は二階なので、こっちです」
朱里に付いて行き、壁際に備え付けられた鉄筋の階段を上って行く。踏むたびにカンカンと鳴る音が周囲に響く。もし夜なら煩いだろうな。二階の廊下は思った以上に狭めで、二人分がぎりぎりないくらいの幅だった。
「狭いのな」
「幅ですか? 小さい女の子しかいないので、これくらいでも問題ないんですよ」
なるほどそういうことか、確かにそれなら問題ない。狭いと感じるのも、僕が大人の骨格をしているからだし、もしかしたら他の部分も少女用に作られているのかも。
でも待てよ?
「あのトラックは僕でも充分な大きさだったと思うんだが?」
「そりゃあ普通のトラックですから。でも見えない感じにはなってますが、あれも少女用に直してるはずなので」
「そうなのか……」
今後の生活でいろいろと困りどころが増えていきそうだな。
不安にも思うが、こればっかりは体感してみないとわからないだろう。なるようになれだ。
「ここで~す」
朱里が立ち止まったのは、203号と覗き窓の上に書かれたドアの前だった。表札には名前は入っておらず、数週間家を空けていたといった具合に、新聞や広告が手紙受けに突っ込まれていた。
「何ヵ月ぶりかな~? 結構離れてたんですよ」
「向こうにってことか?」
「はい。向こうでもこんくらいのアパートに住んでました。まあお兄ちゃんみたいな人を連れてくるために、間借りさせてもらってただけですけどね」
「お前本当に幾つだよ?」
「10ですけど?」
五つ下の女の子が大人過ぎて困る。
朱里は鍵をあけて部屋の中に入る。玄関の直ぐ傍に台所があり、向かいには脱衣所。奥に進むと六畳一間程度の広さの部屋があるだけだった。まるで引っ越し仕立てのように、家具という家具が存在しない。寒々とした空気だけが流れていた。
「何もないな?」
「向こうに行く時に、全部取っ払っちゃったんですよ。愛の巣としてはまだ全然未完成ですが、これから増やしていきましょ♡」
そういって僕の腕に抱きつく朱里。正直照れくさいので、そういうことはしないでほしいが、嬉しそうだったので放っておくことにした。
しかし。こうも生活感の欠片もないと、これから暮していく分にはかなり不便だな。まずは寝る物を確保して、そんで収納スペースを――。
そこまで考えた時に、あることに思い至った。
「朱里さん。一ついいかな?」
「なんでしょう?」
「朱里さんのその服装をどうにかするための、替えの服はどこかな?」
「……」
朱里もそういえばと言わんばかりに真顔になる。これもしかしたら、朱里さんは外に出られないかもしれないな。
「大丈夫です。こんなときのためのあの子ですから」
「あの子?」
「たぶんそろそろ……」
朱里が部屋の窓際を見る。釣られて僕もそっちの方を見ると、ベランダに泣きながら窓を叩いている百合香ちゃんがいた。
「まあ来ると思ってましたよ」
「彼女。どこにでも現れるのな」
最初に出会った時もそうだったが、百合香ちゃんには謎が多い。