私は だぁれ ――ホラー風味
その広大な邸宅は郊外の 周辺を背の低い林に囲まれた一角にある。邸を囲む塀は 周辺の樹々より遥かに高く、その天辺には高圧電流が随時流されており、家屋は壁に囲まれた中央にある。更に壁と邸の間には玉砂利が敷き詰められている。加えて死角のないように 可視光と赤外線の監視カメラが多数設置されてあり、その管理は自家発電装置を電源とした人工知能が管理している。不審者の侵入を 徹底的に拒む姿勢が ありありと分かる。
事実、正門以外からの侵入は 普通の者では不可能だろう。
だが、現在 邸内には侵入者がいる。それも複数。監視装置は全く役立たなかったようだ。そして真昼なのに塀の内側は真っ暗である。
ある一室、重厚な扉の内側、男は目の前にいる少女に魅入って固まっていた。まさか こんなに早く遭遇するとは思ってもいなかったからである。
彼はこの邸の主。初老の、よく鍛錬された体格の、いつもなら誰もが、例外なく その一睨みで萎縮るほどの鋭い眼光を放つ、この国の『裏の帝王』の一人である。いや、あった。
彼女は幼く見えた、そう 十二、三歳ほどに。その瞳と唇は赤く、まるで血の色だ。 この深い闇の中にありながら光を放っているかのように鮮やかに見える。
「私を殺したのが どなたなのか探しているのだけれど、貴方ではなくって? 貴方が依頼したのではないしら」涼やかな高音。楽しげに小さな唇がが微笑みをかたどる。
彼の口は閉じたままだ。当然である。身体が全く動かないのだから。それでも心の中で少女の言葉を反芻する。――殺しを、命令した、オレが。
「ああ、そうそう このままでは お答えは頂けないわね、無理を言ってごめんなさいね。でも、私、困っているのです。自分の役目を 何もかも忘れてしまったらしくてね。
手がかりは 貴方の手下の、その手下の、ずっと手下しかいなくて、ここまで来るの大変だったのよ。三日もかかったわ」
少女は回答を求めているのか いないのか、特に急ぐ様子は見えない。
この邸の主だった男は、やっと感覚の戻って来た思考力で、その数字に驚いた。――たった三日で あのルートを逆行したのか、と。
ふと気付いたように、彼女は机の上のコーヒーカップ覗き、そこに付着した残滓を見て その緩やかな曲線を描く眉を顰めた。
微笑みを消した小さな唇から出た言葉、それは男に向けたモノではない。
「マイ、ここを片付けて。この匂い、不快だわ」
コーヒーは嫌いなようだ。
少女の足元から、黒い、この屋敷内の暗い霧状のモノよりも濃い闇が立ち上がり、カップを置いてあった机と その周りの空間を覆った。
「いつもの紅茶を、ミルクを、少し多めにね」
……十秒ほどして、それが移動した後には、真っ白な木机と、さっきまであったものとは違う、上品なティーカップ置かれていた。そこには適温のミルクティーが彼女の望むであろう分量だけ入っていた。周辺の空気も浄化されて、あの匂いは消えている。
闇は、命令されるまでもなく 当然のように、少女が座るであろう椅子も交換していた。
座して、用意された飲み物を一口含んで嚥下し、満足そうな顔をした少女には、目の前に立ったままの男の存在など、もうどうでも良い。というような感じさえ伺える。
少女の背後にある 閉じられた扉の隙間から、別の闇が侵入してきて 椅子の背もたれに登り、彼女にだけ聞こえるような小さな声で報告する。
「聖女を見付けました。四十七人いますが、皆 複製です」
その小さな声が聞こえたのか、幾つもの闇の塊が ザワリと動いた。
「あら、ここが終点ではなかったようね。元は どこにあるのかしら」
男は口を閉ざし、意識も散らしていたが、そんなモノ 何の役にもたたなかった。
「まあ、アト二つのルートを 辿ってみましょうか。
ところで、その複製だけれど、上質なモノを三体貰うわ。あとは皆で分けなさい。今までのに加えて十一体もあれば、貴女達も実体を持てそうね」
「! ありがとうございます」
その邸宅は、次の日から生物の全くいない場所となった。
すべての部屋を隅々まで清掃した ここを管理しているAIは、誕生してから初の満足感を覚えていた。汚す者のいない この状態こそが彼の使命である『邸の環境を清潔に保つ』の達成とも言えるからだ。