ナミと おかしな世界
何よ、これ。最悪だわ。
事ここに至って、やっと気付いたナミが最初に感じたのは これだった。
貧民街の孤児院から候爵家に引き取られたのは半年前、推定四歳の時だ。
――推定の誕生日と 本当のそれとは半年ほどズレているが、誰も気にしていない。
その日の夕刻に、候爵本人に面会した。そして新しい名前と、名目上の地位を与えられた。当然だが、拒否権はない。そもそも、この世界に於いては、貧民街の住人に人権などない。その代わり、義務もないのだが。
そして基礎的な教養・礼儀と作法を教えられ「学校に行け」だ。あれよ あれよという間に本日、学校の寄宿舎に入寮した。
ナミこと 公式の名称ではナミーリアは、その部屋に設置された 貴族用のベッドに腰掛けて溜息をついた。
やっぱり、あの ナミーリア・ウ・ソーンなんだろうな。まさか自分が あんなモノになるなんて……。
ナミの 心中の呟きは、今の境遇を不本意であるとする意志が満載されていた。学校で学ぶことは悪いことではない、彼女にとっては むしろ喜ばしいことだ。
単に この名前、この境遇が嫌なだけだ。
ナミの記憶によると、今ではタイトルさえ思い出せないゲームの女主人公の名前が、『ナミーリア・ウ・ソーン』だった。
ナミーリアは、孤児院育ちの美少女。緩やかなウェーブのかかった淡い色合い金髪と、鮮やかなエメラルドグリーンの瞳をしていた。
彼女の性格については、ナミの記憶は曖昧だ。よく覚えていないが、この現実世界のナミとは かなり違うようだ。
ナミーリアは庶民育ちだ。当然だが、貴族としての常識は持ち合わせていない。ただ単に、他より優れた魔法の才能があったため、ソーン候爵の後援を受けて学校に通うことになっただけだ。
そこで、様々な人々と知り合い 友情を育みながら、ある男性と恋をする。当然ながら、それを邪魔するライバルキャラクターが存在する。様々な嫌がらせに会いながらも、それらを乗り越えて恋を成就する。確か『断罪・婚約破棄イベント』も あったと思う。典型的な恋愛シュミレーション、乙女ゲームだ。このゲームに逆ハーレムはなかった。少なくともナミの記憶にはない。
そして、ナミは 誰に対して、どんなフラグがあったか、については全く覚えていない。
■ 残念な攻略対象達 ――壊れたゲーム設定――
ヒロインなんだけどなぁ。ナミは記憶を辿って、攻略対象の事を思い出して うんざりした。そうなるのも当然だ、それらは あまりにもヒドい男達だったからだ。彼女は名前も覚えていない攻略対象達に思いを馳せた。
王位継承権第一位の第二王子は よく言うところの『腹黒王子』なのだが、未熟で使えない。継承権の低い兄(第一王子)の才能に無意味な嫉妬をしているのだ、程度が知れている。自分では悪巧みしているつもりだが、あまりにも陳腐だ。王族としての自覚に乏しく、必要な努力もしていないダメ王子だ。
第三王子は、王位継承権第二位で『俺様王子』というのが適当だろう。気位だけは やたらに高く、然しながら無能。典型的な愚者だ。これも、王族としては使いモノにならない。
――ナミは現実と比べて結論を出した。
彼等が次期国王の候補筆頭だと思うと嫌になる。即位については、きっと公家が反対するだろう。でなければ反乱が起こるのは必至だ。
ちなみに第一王子は側室の子であるため、王位継承権は かなり下位になる。第一王子については詳細不明(ナミの記憶にない)だ。
ナミは、他の攻略対象に思いを移した。
現筆頭候爵家の嫡男。愛情不足で育ったせいで、他者の感情に鈍感な冷血人間となった、暗く陰気な小心者だ。次代の筆頭候爵の地位は、他家に期待しよう。
宰相の嫡男。頭の固いガリ勉。他人の言うことを聞かない無口な頑固者。政治家には全く向いていない。頭は良いのだから技術者になと良いかも知れない。
教皇の息子。選民思想の塊、典型的な権威主義者。短気、自分以外が注目されるのが我慢できない。口だけの弁舌家。当然ながら暴力に弱い。間違っても、聖職者には向いていない。第一、ヒトの上に立つ器量ではない。
騎士団長の息子。立派過ぎる父親に対するコンプレックスから、すぐ切れる乱暴者。何でも暴力で解決しようとする筋肉バカで、家督は別の者が継ぐことになるだろう。
――ナミの記憶によれば、攻略対象は こんなモノだ。どう考えてもダメ人間ばかりである。しかも、全員、婚約者がいるのにヒロインに懸想するのだ。共通項目として、浮気者。
ナミは、ベッドに転がって、両腕を大きく横に伸ばし、ゆっくりと小さな掌を開いた。
でも……。
そう、現実は、ゲームとは大きく異なる様相を呈している。細かな相違点は無数に存在するが たいした事ではない(ナミが庶民ではなく、貧民であることも含めて)。問題になるのは『ソーン候爵との出会いイベント』から『後援者である候爵の養女(仮)』になり、そして『学校への入学』までの、時期と過程である。
そもそも ソーン候爵との出会った時の、ナミの年齢がゲームとは違う。
ゲームでは、ナミーリアが十五歳の時に起こるイベントだった。彼女は『学校』について何も知らされずに中等部・魔法科に入学し、庶民感覚で学生生活を送る、はずだった。
しかし、現実のナミは まだ五歳になったばかりだ。その上『幼年部に入学』する。こんなイベントは記憶にない、というか、あったら可怪しい。
この違い大きい。ナミは十分な学習時間を持つことが出来るのだ。対・貴族教育を十全に受けてしまうば、トラブルもイベントも起こりようがないのだ。
――良いのか? 庶民感覚が消えてしまって、ゲーム内容が変わってしまうのではないだろうか。などと、ナミは 要らぬ心配をしてしまう。
ナミは、入寮して初めて知ったのだが、ここは『あの学校』だ。ゲームの舞台である 正式名称『ゴンドーナ大陸、東域・アザストフィア汎国家総合教育学校・シエガ連邦管理・東分校』である。
ここの幼年部で学ぶのだ。ゲームの開始時期まで十年以上ある。ナミの学習能力を以ってすれば、これだけの余裕があれば、軽く高等部の一般科に進級可能だ。
それどころか、十年もあれば、高等部を卒業して、この学校から『さようなら』できる可能性も 無くはない。そして、どちらの場合でも、攻略対象と出会う機会が なくなるだろう。そうなれば恋愛そのものが成立しないことになる。
「……まあ、良いか。ゆっくり学生生活を楽しんじゃおう!」
ナミは、自身が異世界の記憶を持っていること、現実と虚構を比較していることに 何ら違和感を覚えていなかった。
本当の年齢は いまだ五歳に満たないのだ。それは あまりにも幼く、知識は持っていても、内容は曖昧で チグハグだった。それを整理する時間が必要であった。この世界の誰もが知らない事を知っているという、その意味を全く理解していない上に、活用する術を持たなかった。それを学ぶ環境が必要だった。
そして、ナミの あまりにもアンバランスな精神と肉体を調整するために、この世界は十年という時間を用意したのだ。
ナミが あの時点に於いて、ソーン候爵の眼前で魔法を使うことになってしまったのも、その前振りといえる。
世界そのものが、ナミのために変わろうとしていた。
ナミは、彼女自身が この異常事態を引き起こした原因であることに、全く気付いていなかった。
そう、ここは現実、ゲームとは違う世界。