アカネ狂想曲・異界編 ~初稿。プロット代わりに保存する~
これは、単なる記録です。
①プロローグ(異世界へ)
茜は昨夜、忙しさにかまけて つい部屋着、パーカーとキュロットのままでベッドに倒れこみ、そのまま眠ってしまった。
鼻をくすぐる植物の匂いは野草の発するモノだ、茜はそれで目が覚めたが目は閉じたままだ。花の周りを飛んでいるであろう昆虫の羽音が聞こえる。土の匂いがしないのは、いつも使っているベッドのシーツとは違う肌触りの布、それの上に寝ているせいなのだろう。すぐ傍で樹の香りがする、背中に疎らにあたるのは日光。ふう、暖かい。
柔らかく優しい風が頬を撫で、それが ふわりと髪の位置を変えたことで僅かな違和感が彼女の心に生じた。しかし心地良いので もう少し微睡むことにした。
目を開きコロンと仰向けになると、予想した通りの鮮やかな景色があった。頭のすぐ上に かなり年を経た緑がかった濃い灰色の樹皮、幹の一部が見える。枝は かなり高い位置にあり、そこに茂った葉の間をすり抜けた日の光が眩しい。木漏れ日を遮るために目の前に手をかざした茜は また違和感を感じた。何だろうこの感覚は。
数箇月前から様々に報道されていた異世界からの帰還者の話を思い出した茜は まだ転がったままだ。腕を横に伸ばすと左右とも太い木の根に触れた。
当初は くだらない作り話だと思っていたが、どうも否定しきれないニュースや事実だと思える報告書が少なからずあった。衆人環視の中で消えた者も少なくない。そして消えた者達は帰って来なかったのだ。
帰って来た者達の共通点は何だったか……。
ゆっくりと厚く重なった草の絨毯、その上に敷かれた布から身を起こし ぐるりと周囲を見渡した茜は、また違和感を感じながらも目に入った見も知らない景色に見入っていた。
そこには異世界があった。
茜が眠っていたのは周囲より少し高い位置にある大樹の根元、その大きく盛り上がった根と根の隙間だった。そして、この樹だけが やたらと大きい。
この大樹の辺りだけに低木が疎らにあり、その木々の周辺にだけ地面が見えないほどの草が繁茂し、花が咲き昆虫が生きている。
座ったままでも 木々の先に地平線が見えた。
草の絨毯の外には何もない地面だけだ。畑には程遠く砂漠に近い状態だ。死んでいるように見える大地、あまり長居はしたくないような環境だった。自然に風化したとは とても考えられない。何か人為的な力によって変わったモノだろう。
彼女はホッと溜息をつき、疑問の解決を図った。
「何なのこれは。夢? それともアノ異世界転位?」
彼女の声には、ヒトに命令し従わせることに慣れた者の威厳があった。そして命じた。
「さっさと説明しなさい! 招喚者」
『は、はい。ちょっと お待ちを』慌てた様子の思念が彼女の脳に直接伝わって来た。
「テレパシー? ふん。妙な技が使えるのね」茜はこの感覚に何だか覚えがあるような気がした。そんな筈はないのに。
『えっと、佐倉茜様ですね』
判り切った事を聞くな! という彼女の強い意思が招喚者に伝わり、緊張した気配が感じ取れる。茜はこの妙なな感覚に確かに覚えがあった。
「隠れてないで姿を見せなさい! 無礼者!」
そう、茜は女王なのである。無礼は許さない。
忽然と現れたのは、三十歳前に見える紳士然とした男だった。金髪でタキシードを着ている、中々の美形だが ただそれだけだ。茜は『軽い』と相手の資質を読んだ。彼には それが正しく伝わったようだ。
招喚者は唐突に、足から腰と 腰から頭の角度が鋭角になるほど大きく頭を下げた。
茜は無言のままそれを見ていた。感情の起伏が全く感じられない視線だ。彼女は冷徹に相手の精神状態を観察し分析する。
彼は何度も招喚を行って来たが、こんな怖ろしい相手は初めてだった。
読心能力が逆に作用して招喚者を追い詰めていた。茜の不快感がダイレクトに使わって来るせいか、気力が どんどん削ぎ落されて行く。
「た、大変失礼致しました」
彼は額に冷や汗を浮かべて、この現象の説明を始めた。
「これは、おっしゃる通り異世界転位です。そして、貴女は勇者に選ばれました」
膝をつき茜の方に手を差し伸ばして、そう まるで懸賞にでも当たったかのような態度だ。彼女が喜ぶと思ったらしい。
「……」不機嫌そうな顔で茜は返事もしない。
茜の冷たい視線に招喚者は慌てて姿勢を正し、コホンと一つ咳ばらいをして話を続けた。
また一段階 彼の心が挫けた。茜は それを正しく把握していた。そして不信感を表に出した。
「イヤよ。勇者なんてまっぴらだわ! さっさと元の世界に帰しなさい。私は忙しいの」
招喚者は彼女の不信感を晴らすため躍起になった。茜の思うつぼである。
「その点は大丈夫です。こちらで過ごした時間は元の世界には反映されません。安心して任務を遂行してください」
茜は言葉尻を捉えて、不機嫌を露にした。
「任務? 私に命令しようっていうの? どこの何様よ」
茜に睨まれ言い返す言葉も出せない。
今まで者達とは全く勝手が違う。この招喚者には対応の仕方が判らないようだ。
彼の心は どんどん落ち込んで行く。茜のすげない返事に、彼は慌てて追加の説明をはじめた。
「め、命令だなんて とんでもありません。お遊びだと思って頂いて結構です」
「……」茜は何も言わない。
「……えっとですね。魔王を倒して この世界を平和に……して、頂きたいのですが、如何でしょうか」
彼の言葉は尻すぼまりになり、声も小さい。最後は懇願のようになってしまった。
茜は この男には不信感しか覚えてない。しかし この状況を改善するには 彼の知識と力が不可欠なことは明確だ。ここは強く出た方が得策だろう。
まだ何の補正もしていない状態なのに ありえない程の圧迫感。彼は、人選を誤ったかな。と、ふと思った。いや、いや これ程の力を持つ者ならば ひょっとしたら……。
何とか説得しなければいけない。招喚者の頭の中には もうそれしかなかった。
「遊びね……」でも、帰還していない人達もいるのよね。これは茜の技術、テレパシーでは読めない思考。私は何で こんなことが出来るのかな。茜には そのことの方が不可解だった。だが、発する言葉に淀みはない。
「それで、魔王って どんな奴なの」
招喚者は茜が興味を持った、と思って勢い込んで話しを続けた。
「えと、人間の敵です。魔王ですから、悪者です。それを倒して頂こうかと」
彼の言葉は、まるで金持ちの客を前に その鼻息を窺う、胡麻すり商人の態度に似た不快感を茜に感じさせるモノであった。
嘘くさい。彼女の直感がそう告げる。茜は正確な情報を求めた。
「ふ~ん。そんなこと誰が決めたの?」
「え?」ポカンとした招喚者には意味が分からないようだ。
茜は語気を強めて 再度確認した。
「だから! 人間の敵、イコール悪。そんなこと誰が決めたの!」
「え? それは、基本設定なのですが……」
茜は軽蔑の眼差しと共に、その心が テレパシー能力を持つ招喚者に、誤りなく伝わっように 強く念じた。『ふうん。ただの小物だったのか、何も知らないらしい』と。
目の前の少女が突き付けた言葉(?)に愕然とし、男は がっくりと肩を落として反論する気力さえ残っていないようだ。
茜は招喚者の心が 八割がた折れたことを確認して、話を切り替えた。
潰してしまっては元も子もない、まだまだ情報が足りない。
「まあ良いわ。調べて ちゃんと答えを出しなさいよ。で、他に何かあるの」
招喚者は話題が変わったことに安心したのか、口が軽くなった。
「はい。補正仕様がございます。貴女の場合は……。あれ? こんなバカな」
彼は空間に投影された文献を見て、何か不手際があったのか慌てた様子を見せた。
「どうしたのよ」
茜は特に気にもしなかったが、招喚者には詰問に聞こえたようだ。慌てて その内容を語り始めた。もう隠そうという気力も残っていないようだ。
「はい。貴女の補正仕様は『知力、体力が現状の十倍。魔法遮断能力が随時発動』だけです。これは何かの間違いだと思われます。再調査しますので少々お待ち……」彼の言葉を断ち切って、茜が別の質問をした。
「待って! その値は どれくらいなの」
「え?」
全く。鈍い奴! と、茜の心の声。これも招喚者に ちゃんと伝わっている。
「だから! 『知力、体力、魔法遮断力』の値よ。それと 三つの関連性を教えて」
機嫌を損ねたような茜の言葉に、招喚者は過敏に反応した。
「あ、値は個人差が大きいので何とも言えませんが、関連性は直通です。例えば知力が上れば他の能力も向上します。体力も、魔法遮断力も同時にです」
彼は自分が言っている言葉の怖ろしさを自覚していなかった。しかし茜は ちゃんと理解したようだ。そして確認する。
「じゃあ、仮に、私が『天才で超人的な体力』を持っていたとしたらどうなるの?」その時の 茜の微笑みは悪魔のソレに似ていたかも知れない。
しかし緊張の連続で全く余裕のない招喚者は気付かない。そして、その言葉を口にしてしまった。
「たぶん、無敵ではないでしょうか」
茜は何も表情に出さず、当然心も閉じたままで更に尋ねた。
「これは みんな技能よね。魔法はないの」
「はい。そこが間違いだと思われます。このままだと魔法力の使い道がありません」
茜は そうでもないと思ったが、心の内を覗かせるようなことはしない。
「それは何とかしてくれるのでしょう? それとも魔法なしで戦えとか?」茜は、招喚者を下から睨みつける。彼の身長は、彼女よりかなり高いのだ。
「い、いえ、それは あり得ません。必ず調達してきます」彼は茜の視線を避けるように、身体をのけぞれせながら言った。
「じゃ、お願いね。なるべく強力なのを頼むわ」
茜は、この話は早急に切り上げることにして、別の課題を提示した。
「装備はどうするの。それに『武器なし』じゃ困るわ。
今は、靴も履いていないのよ」茜は睡眠中だったから、何も持って来ていないのだ。それを強調した。「何とかしてよ」と。
「……では、装備一式を提供致します。どのようなモノを お望みでしょうか」
招喚者は譲歩ばかりしている。茜の要求を断ることが出来ないようだ。
「物理攻撃を防ぐバリアが良いわ。それに、着替えは任意にして貰わないと困るわ。
武器は、……そうね『如意棒』が良いわ」ダメ元だ。何でも言ってしまえ、茜の言葉はそんなものだった。しかし彼は まともに『要求』だと受け取ったようだ。
「えっと、対物理攻撃用のバリアは、規格外能力なのでダメです。その代わり対物理防御力を上げておきます。
着替えですか? あぁ、女性ですものね。では、倉庫キューブに思い付くものが出るよう魔法をかけておきます。ところで如意棒ってどんなモノですか」
ホウ、何とかなるんだ。茜は面白くなって訂正と追加要求をした。
「なら物理防御力は要らないわ。その代わり五感の精度を上げてよ、第六感も欲しいな。
如意棒は、うーん。まぁ、伸縮自在の とても強靭な棒ね。如意って言うくらいだもの」茜は如意棒のイメージを招喚者に伝達した。
「はい。では五感の精度を十倍と、第六感の追加ですね。この精度は初期で八十パーセントくらいかな。如意棒はっと……」何もない空間に腕を突っ込んで、茜の欲している物を探している様子が伺えた。
招喚者が倉庫キューブに魔法をかけている。あれはキューブに制限を付けているのだろう。ということは『無制限』があるということか。茜は招喚者が使っている魔法を横目で見ながら 全く別の話題を振った。
「魔法の事をもっと知りたいわ。何か持っていない?」何気ない声を作って質問した。
「何故そんなモノを?」
「私って好奇心が旺盛なのよ。それに待っている間 することがないでしょ? 本でも読みたいわ。それに知ってて悪い事じゃないでしょ」彼女は何気ない顔で 白々しく答えた。
「確かに そうですが……」
彼には躊躇いが見える。そんな事をして良いのだろうか、と。
「それとも……、何か知られて困るような事でもあるの?」
茜が不審を滲ませた言葉をかけると、慌てた招喚者は大きく譲歩した。
「いえ、そんなことはありません。じゃ、私が学生の時に使っていた本を読んでみますか。図書館のデータ検索機もありますが、使いますか?」
「じゃ、一式貸して」茜は無邪気を装って 大きな知識の元を入手したのだった。
「魔法の追加補正が決まるまで ここで待ってるからね」
「分りました。お任せください」招喚者は深く礼をして、出現した時と同じように忽然と消えた。
茜は招喚者に データベースと共に とても便利な道具と、とても強力な武器を貰って、更に追加要求までして やっと彼を開放した。
しばらくして大樹の下に立つ茜の服装は、何も変わったように見えなかった。ソックスとスニーカー、手袋が追加されただけに見えた。
②異世界
今日の茜は如意棒の使い勝手を確かめいる。高速で回転させて刺突。十メートル程も伸ばしたり、十センチメートルに縮めたり。糸のように細くしたりもしている。
「まさに意のままね」
茜は如意棒を振り回しながら、同時に対話もしていた。
「で、被招喚者の帰還条件は この世界での『死』なのね」これは質問ではなく確認だ。
この言葉は彼女の後方に立っている影の薄い女性に向けられた言葉である。その隣にいる小柄な少女も影が薄い。
「はい。招喚術は そのような構造になっています」抑揚のない、棒読みの答えだった。
「要は、殺してしまえば問題ないと言うことね」
特に不快感を示すでもなく淡々とした茜の言葉が続く。
「招喚者の仲間を殺すと どうなるのかな。神・魔を含めてだけど」
「……回答できません。制限事項です」
その答えに茜は納得したように呟いた。
「ふーん。困る答えなんだ」
如意棒を鞭のように撓らせて、巨岩を打った。それは爆発したように弾け、粉砕された。
(これで良い。やっと使用法をマスターした)
茜は半日も掛かってしまったと少しばかり不満そうだった。それでも何とか一応の結果を得たようだ。
「この世界は、全部がこんな半砂漠状態なの?」これは質問。
「いえ。これは飛散した魔力が自然に与えた、いわば魔法による副作用のようなモノです」
「どういう意味?」
魔法って薬品みたいなモノなのかと、妙な考えに至った茜だったが、続いて正解が示された。
「魔力を一点に絞って攻撃する場合は問題ないのですが、広範囲を対象とした魔法のには関係のない部位にまで魔力が及びます。それが自然に悪影響を与えているのです。ちゃんと回収すれば問題はないのですが、そのようなことをする者は まずいません」
「私に その回収魔法が使える?」
「そのような魔法はありません、技能です。それに魔力の回収は使った本人にしか出来ませんし、このように混濁した状態では 本人でも回収できないでしょう」
女性は周囲に目をやりながら淡々と事実を語った。
「ふーん。そうなんだ」茜は あまり興味がなさそうに答えた。
茜は招喚者から貰った返す積もりは毛頭ない書物を既に読破し、魔法の性質や構造を把握している。あとは応用だけ、実際に使って その反応を確認するだけだ。
彼女には、図書館の書庫にある外法式『魔法の改竄術』も使える。外法といってもルール違反という訳ではない。主流ではない、というだけである。
(だから、やろうと思えば出来なくはない。元になる魔法さえ判れば回収くらい出来るはずだ。いや、それは それで面倒そう……。そうか!)
茜は あることを思いついた。明日にでも実験してみよう。
夕焼けに空が燃え始めるころに、茜は外からは認識できない亜空間にある キューブの造った部屋に入った。そのベッドの横にある姿見に映し出される自身を見ると いくら彼女でも いまだに困惑が隠せない。
体型が違う。元の世界の自分とは かなり違っている。成人とまではいってないようだが……。
加えて記憶も歪んでいる。未来の記憶があるのだ、これらが違和感の原因だった。
異世界転移の影響と言ってしまえば それまでだが、さすがの茜でも慣れるまで少し時間がかかりそうだった。
翌日。茜は魔法遮断能力をベースに魔法式破壊能力を創った。たいした改造ではないし、それに大した威力もないが、倉庫キューブと如意棒の制限魔法を破壊することが出来た。
更に魔法破壊能力から魔力回収能力を創った。これは常時発動技能だから歩き回るだけで発動する。魔法式破壊能力の副産物のようなモノではあったが、これはこれで使い勝手が良い。なにせ魔力が枯渇する懸念がなくなったのだから。
招喚者の『図書館のデータ検索機』を複製した。制限解除したキューブの能力だ。本は貰っても問題ないだろうが、これは返却しておかないと後々面倒になりそうだ。
③キューブの独り言
邪鬼が次々に倒されていく。
首を斬り落とされたり、頭蓋を割られて脳漿を撒き散らす者。胴体を五つ、六つに輪切りにされた者。唐竹割りや、三枚におろされた者もいる。血飛沫が空中を舞い、地上は惨憺たる様相を呈している。
如意棒を自在に操り戦っているのはアカネ。私の主人なったヒトだ。
彼女は粛々と、無表情に作業をこなしていく。聞こえるのは邪鬼の怒号と、そして悲鳴のみ。
アカネの呼吸は平静で、鼓動にも全く乱れがない。
彼女は、目の前の敵を淡々と屠るのみ。衣服には血の染みなど一滴も付着していない。
アカネは とんでもなく強い! 桁外れだ。
でも、彼女は「私は勇者になんか なるつもりはない」と、はっきり言っていた。本気で嫌がっているみたいだった。
レベル十ランクの 邪鬼の生息地を壊滅させてから、今戦っているレベル六十のモノまで順番に攻略してきて、まだ三時間も経っていない。
アカネは「この世界はゲームだから 探せばいくらでも抜け道があるの。どんなことでも思い通りになるのよ」とも言っていた。実際、そのように実行しているのだから きっと事実なのだろう。
私達が普通だと思っていた 知力、体力、技能や魔力が数値で示され、生命力と魔法力は数値化された上に階層で表示されているのが その証だと言っていた。
彼女が招喚者と呼んでいた神人は神族のエリートなのだ。彼から貰った倉庫キューブが この私。アカネは 私に「アオ」、如意棒に「ハン」という名前を付けてくれた。
彼女は付与された能力を改変して、私と如意棒を拘束する魔法を破壊した。
私にかけられた魔法呪文を書き変え、能力制限を解除して従者にしたのだ。そして如意棒の中に眠る 風神ハヌマーンの片鱗を目覚めさせて、彼女も従者にした。
アカネは最初から それを狙っていた。……筈は ないよね。
まあ、私やハンが自意識を持てるようになったのは彼女のおかげだし、それは とても感謝している。
あ。戦闘が終わったようだ。当然ながらアカネの圧勝! あの邪鬼は この生息区域に少なくとも五百体はいただろう、その殆どを抹殺した。数匹逃げたけれど、彼女の行動パターンには 逃げる者を追いかけて倒す。という選択肢はないように思える。
彼女が戦っていたレベル六十相当の邪鬼は、通常ならば 敵一から三体に対し、少なくても レベル五十の戦士系冒険者二名と回復系魔法師一名のチームで戦う相手だった。
それを一人で五百体以上。彼女の並外れた強さが伺えるというものだ。
アカネは、生命力も魔法力も驚くべき数値を持っているが、レベルアップは一度もしていない。彼女のレベルは初期値「一」のままだ。
私が、レベルを上げないメリットを教えたら「じゃ、このままで良いわ」と言って、以降一度も上げていない。
確かにメリットは大きいのだけれど……。
一気にレベルを上げると、その差によって全ての能力が倍数で加算される、レベル差が三十を超えると その倍数は累積加算される。
加えて特殊な属人仕様武器や特殊アイテムの入手、属人仕様技能、弩級魔法の習得などもある。これも他の能力と同じ倍数と累積加算式で、レベル差が大きいほど それらの威力が上昇する仕組みになっている。
確かに そうなのだれけど、もしこのまま前人未到の レベル差の最高値九十九まで行ったら どうなるのかと想像したら、私は あるはずのない背筋が ゾクリとした。
レベルアップのメリット、武器と装備の高級品への換装については「今ので充分よ」と言っていた。これは、少し嬉しいかも。
アカネの身体能力と知能、技能も突出している。最初に測定した時点でさえ、魔力を除く全ての値が三万を超えていた。魔力でも二万以上あった。通常ならレベル五十か、それに近い冒険者の値になる。
その時「この娘は化物か」と思ったが、本当にそうかもしれない。
「ねえ、もっと強い邪鬼はどこにいるの。この系統のは もう飽きてきたわ。さっさと済ませたいわ」何てことを言うのだろう この娘は。少しは私の苦労も考えてよ。と、思った時。
「アオ。あなた、わざと弱い邪鬼の棲家を選んでない?」す、鋭い、図星だった。私の選んだ領域には高速系の邪鬼はいない。意表を突かれた私は 少し焦ってしまった。
「あ、あと四種類 同じ系統の邪鬼を倒したら、この領域は終了です。
その後は かなり強敵になりますよ。お楽しみに待っててください」何とか平静を取り戻し、この先のことを示せた。
そう。あと四種類倒せば、体力系は完全クリアとなる。ボーナス加算で、全能力が一気に上昇する。分配者がいないから相当な値になるだろう。
体力系邪鬼を完全クリアした。
アカネの体力、知覚能力を含む知能と技能値及び魔法力は各個六十万を超えた。
もう好きにして。彼女には常識が全く通じない。六十万となればレベル七十を超える冒険者の値に相当する。
確かに、彼女は そうなるように戦って来た。しかし、誰がこんな事を思いつくだろうか。仮に思いついても普通は実行しないだろう。危険すぎる。
アカネには、相手が魔法を使うのを予め感知する能力がある、しかし避けない。魔法を受けて、防御する。そして高速移動と体力勝負で相手を倒す。
確かに こうすれば知能・知覚能力、対魔法能力、敏捷性を含む体力のスキルが 満遍なく上昇する。そして、レベルアップしていないながらも生命力、魔法力は どんどん加算されていく。
「次のは どんなタイプになるの?」ニコニコと楽しそうにアカネが言った。
私は一気に脱力したが、しかし ちゃんと説明だけは しておかなければならない。
「高速移動系の邪鬼です。これまでのとは手応えが違うと思いますよ」このままでは かなり苦しい戦いになるだろう。「レベル五十くらいから始めましょうか」
「高速系か」何か悪巧みをしていそうな気配がする。
「ハンちゃん、お願いがあるのだけれど」
「……」
「……」
二人だけで打ち合わせを始めてしまった。
私は手持ち無沙汰になって、ふと あの時のことを思い出した。
「お待ちどうさま」あの神人が再来した時、私とハンは既に彼女の従者になっていた。アカネは それを彼に知らせるつもりはないようだ。
「こんにちは。あなた神人だったのね」ドキリとした。何でそんなことを自分から言い出すの。やぶ蛇じゃない。
「キューブから聞いたわ」アカネは両手を腰に当てて 不快そうに睨みつけて問い詰めた。
「で、何で隠していたの?」ほう。逆に攻めるのか、フムフム。
「い、いえ、隠していた訳では……」慌てて話題を変えようとしている神人。
「ところで 魔法の件なのですが」この神人、完全にアカネに呑まれてる。本来なら招喚者の方が上位の筈なのに、情けないなぁ。
「良いモノがあったの?」興味津々という感じ。演技? 本気? 私には判らない、神人にも判らないだろう。
「えと、光、闇、熱、冷、水、風、土、金、木、雷、の特性魔法があります。選んでください」アカネはメモ帳を出し、サラサラと何か記入している。そして、首を傾げて言った。
「これ、変じゃない」え? 変ってどこが? これは神人も同感だったらしい。
「変ですか? どこがでしょう」と問い返した。
「だって、光と闇は同じものよ。熱と冷もね。水と風も。土、金、木、雷も同じじゃない」えええ! どこが同じなんだろう。
「ど、どこが同じなのでしょうか?」彼も同じように思ったようだ。
アカネは溜息をついて、こんな事も判らないのか。という顔をして、あからさまに軽蔑の眼差しで神人を見た。ように私は感じた。
「……」明らかに神人は がっくりと気落ちした。ように見えた。
仕方ないなぁ。という態度を 全く隠しもせずアカネが言った。ような気がした。
「じゃ、説明するわね。光・闇も、熱・冷もベクトルの違い。水・風は流れね。土には金、木、雷が含まれるわ。違う? 何か文句ある?」へえ、そういう考え方もあるんだ。
これって こじ付けでしょう! あれ、雷は風じゃなかったっけ? 誤魔化したな。
「……確かに」おーい、納得しちゃ負けだよ。よく考えて、もっと威厳を持ってよ。神人の矜持は どこに行ったのー。
「で、いくつくれるの」
「二つくらいで、どうでしょう」与える方が、下手に出てどうするのよ!
「じゃ、ベクトル変換と土の魔法が良いな」アカネが明るい声で要求した。これは、断れないだろうな。案の定の答えを彼は提示した。おーい。良いのかぁ。
「では、光、闇、熱、冷、土、金、木、雷の魔法を伝授致します」
「うん。ありがとう」え。それだけ? 魔法の授受って そんなモノだっけ。
神人が ホッと気を抜いて帰ろうとした時、アカネが呼び止めた。
「ねえ、宿題は どうしたの」宿題? どんな宿題があったのだろう。
「忘れたの? 神・魔の関係よ」アカネの詰問に神人は竦みあがっている。
「あ、あれは……」彼は俯いて、冷や汗を流しながら小声で答えた。「私の権限を越えたモノでして……」見ていて可哀相になってきた。
「貴方では、調べることも出来ないってこと?」彼女は全く容赦しない。「仕方ないわね。もういいわ」アカネは首を横に振って、もう帰って良いことを神人に示した。
悄然とした神人が帰った(消えた)後、私は茫然としていたが 先刻の光景を思い出して愕然とした。
今のは一体何? 相手は仮にも神族のエリートなのに。あんな態度で良かったの?
――やっぱりアカネは化物で、怪物だ。と再確認した私だった。
ハンは、元々水と風の魔法が使える。如意棒が水、ハヌマーンが風の属性を持っているからだ。加えて、アカネが八属性の魔法を得た。全属性を使えるなんて、反則の極みだ。
そして、更にとんでもないことをした。
「ハンちゃん。この八属性、全部あげるわ。宜しく使ってね」えっ。全部ハンに あげちゃうの。何で? 自分では使わないつもりなの? 魔法なしで良いの。
あれ以来、ハンの魔力、魔法力は急上昇を続けている。如意棒の十本の魔法リングは 全てが金色になって久しい。最高値を超過していると言うことだ。
計測不能レベル。この私でさえ初めて見たモノだった。
「――、じゃ、今度からは全力でいくわよ」アカネがハンに話しかけていた言葉が耳に入った。……え? 今度からって。じゃ、今までは何だったの?
「アオ」アカネに突然声をかけられて跳び上がりそうになった。
「は、はい!」みえみえの 動揺した返事になってしまった。
「装備なんだけど。ん? どうしたの」私の 心の動揺を察知したのか、アカネが問いかけてきた。相変わらず鋭いなぁ。
「何でもありません。で、装備をどうするのですか」何とか平静を取り戻した。
「そう、なら良いけれど。現在は耐刃防御だったよね」その通りだけど。何か問題があるのだろうか。
「今度から、両ベクトルの耐圧と耐熱仕様に変えてちょうだいい」
両ベクトルということは、真空と高圧、極冷と高温か。どの程度だろう。
「圧力は、絶対真空から五百ペタパスカル。温度は、絶対零度から十億度。程度かな」
私の心を読んだように答えが来たが、何という無茶苦茶な値を求めるのだろう。だが、これが可能なのだから怖ろしい。アカネの言うところの ゲームの証なのだろうか。
「はい。分りました」
「それから、新しい邪鬼のレベルは十から始めるわ」
え? なぜそんな低レベルから?
「さっきのもだけど、レベル十までだったら一般の住人でも倒せるのだったわね」
へぇ。アカネは優しいのかも知れない。
アカネは高速系邪鬼も完全クリアした。
最後の邪鬼の 頭蓋を打ち抜いた長く伸びた如意棒を 手頃な長さに戻した時、彼女の後ろには 殺戮された邪鬼達の流した血液で池が出来ていた。
彼女は邪鬼を倒す時、一撃で致命傷を与える。彼等のやってきた数々の悪行を考慮すれば もっと苦しませても良いのに。と思うのは私だけではない筈だ。それはアカネの優しさなのか、ただ面倒だと思っているだけなのかは、私には判断できない。
アカネの体力及び知覚能力を含む知能と技能値は、各個百五十万を超えた。もう言うべき言葉もない。彼女は非常識の極みだ。レベル換算では、もう八十を超える値だ。
戦い方は体力系と同じだ。しかし何故、わざわざ高速系邪鬼を それを上回る高速移動で倒すなんて暴挙をするのだろう。普通考えないでしょう。
アカネは「この方が面白いじゃない」で済ませてしまった。本当に これで良いのだろうか……。
私の中の、常識が どんどん崩れていくような気がする。
「なぜ、鬼系統ばかりを狙うのですか」私はアカネに尋ねた。
私は彼女の 右肩の少し上、空中に浮かんでいる。ハンはアカネの周りで燥いで 走り回っている。
「モンスターは無視してますよね。何故ですか? 彼等の方が簡単でしょうに」
その答えは意外なモノだった。
「そうね。でも彼等は本来の この世界の住人でしょ。生態系のバランスは壊したくないわ」
確かに鬼は本来の生物相には いない存在だ。欲望のために、自ら望んで魔力で変化したヒトだ。
「ヒトに戻せないのなら殺した方が良いわ。その方法があったとしても、彼等は戻るつもりなど ないでしょうけどね」
「冒険者も、この世界の異物なのですが」私は わざと皮肉気に質問してみた。
「冒険者でも、神人や魔人でも 気に入らない態度を取ったり、私の邪魔をしたりしたら殺すわ」アカネの あっさりした即答に、質問した私の方が絶句してしまった。
「!」最初に気付いたのはハンだった。一瞬遅れて私も気付いた。
「どうしたの?」アカネは急に緊張した態度を示した私達に不審を抱いたようだ。
「バ、バケモノがいる」とハンが答えた。
「この先で あり得ないほどの魔力の爆発が起こっています」私は ハンが答えた足りない部分を補足した。
「魔力の爆発?」アカネの顔を見て 私は嫌な予感を覚えた。眼は笑っていないのに唇の端が笑顔の形を作っている。
「どのくらいで着くの?」アカネの問いかけに、私もハンも ため息をついた。
アカネは今、如意棒に腰掛けるような格好で、空中を かなりの速度で飛んでいる。音速の二倍を少し超えたくらいだ。私は 皆を包むようにバリアを張っている。ハンはアカネの右、如意棒の進行方向、本体に跨っている。
如意棒の飛行が急停止して、空中に浮遊した形になった。ハンが震えている。私だって怖い。このままでは これから先には進めない。
「どうしたの?」アカネには判らないのだろうか このプレッシャーが。
「これ以上進むと 私達の自我が崩壊します」かろうじて言葉にした私だったが、もう無理だ。「対象はヒトだと思われます。これを装着させてください」
アカネにソレを渡し、ハンは如意棒の中に、私はキューブの中に避難した。
③リナと三毛猫
茜が向かっている方角の、二十度ほど西側にある森の中。
そこで今から二日前に、魔人によって招喚術が施行された。
招喚されたのは、小さな女の子と三毛猫だった。