ゴンドーナ大陸東域汎国家総合教育学校・東部アザトフィア校:(2)――四年前
ユウタ・ハートリは静かに浮かれていた。
もちろん、高等部に進学できたからである。
それは魔法値が中等部レベルより大きいことを意味しており、その制御が ある程度――最低でも魔力の封印か――できるという意味である。
彼は、八年かけて やっと中等部を卒業したのだ。
この教室には、ユウタの中等部時代の同級生が、自身を含めて五人いる。他は みんな中等部で卒業したようだ。留年した者は いなかったらしい。彼が一番危うかったのだ――だが、卒業させた教師は、間もなく それを深く後悔することになる――舞い上がるのは当然とも言える。
その時 担任教師は、連絡事項として一般学部生徒の魔力検定について話し、彼ら特殊能力者のことから始めて、魔法とは とても思えない現象についてまで説明した。
そして、この教室に来る守護者憑依現象の保持者について語り、その危険性と対策法を示した。はずだった。
担任には教室内の生徒全員が、ちゃんと話を聞いている、ように見えた。
しかし、ユウタは その話を全く聞いていなかった。
よそ見をしていたなら、きっと担任は気付いていただろう。
その時、彼は正面を向き、瞳を輝かせて、ただただ夢想していたのだ『新たな高等部の生活』を。
この件で担任を攻めるのは、あまりに酷というものだ。
「封印は済んだかな……」担任教師は、教室内を ゆっくりと見回して、問題がないと判断した。
そして、更に少し間を置いて話を切り上げた。
「じゃ、今日から二週間だけではあるが、同級生を紹介する。さぁ、入り給え」
ユウタは扉の開く音を聞いた。
意識を向けた訳ではなかったが、反射的に魔法の感知範囲を拡げてしまった。
次の瞬間、彼の意識はブラックアウトした。
■■■
その老医師は三十年以上この道に携わってきたベテランである。
彼は、今日が『一般学部の能力検定日』であることを、もちろん知っていた。そして、ここ何回かは、特に大勢の死傷者がでていることも承知していた。
その理由もだ。
今年も そのつもりで高位回復・治療系魔法師五十五人、外科医師三十五人、今回必要であろう心療師は十五人待機させている。
初日である。
まだ検定は始まっていないはずなのに患者が運ばれてきた。
二体だ。
それを見て彼は「こんなモノを運び込まれても困る。いくら魔法使いでも死体を生き返らせることはできん」と思ったという。
二体共、頭部と四肢が本体から外れかけている。
外皮から飛び出している内臓や骨格は大きく損壊している。
背中から大重量の物体で押し潰されたような状態だ。
教室内部での『事故』ということだ。
現に机や椅子の部品が混ざっている。
体液、特に血液の流出は……この破損状況にしては少ない。直後に凍結魔法を使ったのか? いや、魔法の痕跡はない。……サイ能力者か。
老医師は初見でそこまで診た。
若い医師達は蒼白な顔をして立ち竦んでいる。
無理もない、こんな人体の残骸を見せられては。逃げ出さないだけで十分、合格だ。
そう思って老医師は、ため息をつき、腰を落として、注意深く それ等の残骸の中から頭部を持ち上げ、「ほぅ!」と驚きの声をあげた。
老医師は少し思案して。指示を出した。
「両人とも脳は無傷だ」
「個別に集中治療室に運び込め。回復・治療魔法師と外科医療師による手術だ。生きている可能性がある以上、諦めるわけにはいかん」
医師達は慌ただしく動き始めた。
ユウタは意識を取り戻した時、自分の置かれた状況が全く分からなかった。
教室で扉の開く音を聞いた直後に、仰向けになって天井を見ているのだから、状況が分からないのも当然だ。
……白い……天井?
何だ、この急激な場面転換は! 身体がだるい。首も手足も動かない。
固定されているのだ、動く訳がない。
魔法を使おうとして失敗した。
当然である。外部から強制的に封印されているのだから。
彼は動転していて気付かなかったが、さっきから うるさく鳴っているのは、魔法具・脳波感知器だ。彼が覚醒した事を 管理室に知らせているのだ。
病室の外、廊下から足音が近づいてきた。
ユウタと中等部の同期生だった もうひとりも、辛うじて命を取りとめた。
五日後に退院した二人は、校長、教頭、学年主任、担任から こってりと絞られた。
そう、これは二人の過失による事故だ。「ちゃんと注意事項を聞かなかったアホウ共」ということだ。
二人は『呪器』により強制的に魔力を封じられた上で復帰した。が、能力検定期間中は終日装着の義務を課せられた。
座学と『一般学部の能力検定』の見学だけであったが、それは検定が済むまで解除されることはなかった。
なお、他の高等部一学年生全員にも、事故のあった その日の昼休み前に配布された『呪器』を携帯することが義務付けられたのは言うまでもない。
同じ学年生徒全員に とんだ迷惑――二週間、一切の魔法が使えない――をかけた二人であった。
ユウタの隣席には、彼を殺しかけた元凶、マドカがいる。
彼女は授業を全く聞いていない。
教師は注意もせず放っている。
今だって授業に関係のない、何だか難しそうな本を読んでいる。
これで良いのか。
彼は、うっかり声を出しそうになって 慌ててそれを飲み込んだ。そして深く ため息をついた。
ユウタの頭に、復帰した日の朝礼で、再確認と前置きして担任教師が言っていた言葉が鮮明によみがえる。
「彼女には【数は不明だが】複数のガーディアンが憑いている。彼女が危害受けると、ガーディアンが判断した場合【容赦なく】攻撃される場合があるので注意するように。
ガーディアンには、【特定できないが】一定のテリトリーがあり、その中で魔法使いの気配、つまり魔力を感知したら、【それなりの基準があるようだが】先日の、こいつ等のようになる可能性が高い。覚えて置くように」
あの取って付けたような、妙に曖昧な言い回しは何だ。
攻撃されない場合もあると取れそうだぞ。それって、あくまでガーディアンの判断なのだろう? ガーディアンが どう判断するかの基準は分からないのだろう? テリトリーの範囲も分からないし……。
刺激を与えないように 優しく話しかけたり、距離をとって 声をかけてから近づくくらいなら、たぶん問題にならないだろうが、自身で実験してみようとは断じて思わない。
実のところ、彼が感じたモノ、行動が正解だったのだ。
医師と同級生から、自分たちが どういう状態にあったのかを聞いてユウタ達は震え上がった。
生きているのが奇跡、まさしく九死に一生を得たのだ。
マドカが この検定に参加するのは今回で三回目である。
初回目でガーディアンの存在が明らかになった。だからといって、その詳細が判明したという訳ではない。異常に強力な残留思念が観測されたのだ。
そして、それの検査中にガーディアンが暴走し、五階建ての実験棟が倒壊した。負傷者二十五名の大惨事になったが、死亡者がいなかったのは 医療班の活躍によるものが大きい。
二度目の検定で、彼女には複数のガーディアンが憑いていることが判明した。サイ能力を持つモノと、魔法を使えるモノが確認されたのだ。その性格も、即反撃の過激的なモノや、防御を優先しているモノがいる。
だが この時も検査途中でガーディアンが暴走。強化されたはずの実験棟が倒壊して三三十名の負傷者が出た。重態が八名が即死であったが、死者が出なかったのは幸いであった。いくら高水準の医療でも、死者を復活させることはできないのだから。
その後、グラウンドで検査は続行され、魔力に過敏に反応するガーディアンがいることが確認された。この時も、五名が危うく死にかけた。
そして、今回が三度目の検定。それは屋外で、それも学院最大のグラウンドを使って行われることになった。
まあ、試験前の、その初日に危うく死者が出るところだったのだが。
なぜ、こんなに被害を出しながらも検査を続けるのか。
それは偏に『マドカがガーディアンの力を制御出来ない』ということに尽きる。だからこそ『事故』扱いなのだ。
しかし、そもそもガーディアンの制御などできるのか、という疑問の声も かなり多くあるようだ。
それでも、せめて魔力への過敏反応だけは 何とかしなくてはならない。それだけは譲れないことだった。今回『心療師』が用意されたのも その対策の一環である。ガーディアンにも人格がある。と、みなせる事象が僅かながらあったからである。
ひょっとっしたら、話し合いで解決できるかも知れない。