表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

パンがないなら

 亜人たちに奇跡的ともいえる勝利をおさめた次の日。

 ロゼッタはベッドの上で唸っていた。


「ううっ、か、体が痛いのじゃ。う、動くたびに、体中が軋む」


 立ち上がる事を諦めたロゼッタは、布団をかぶり惰眠を貪ることにした。

 慣れぬ戦装束をみにつけ、柄にもなく剣などを振り回したせいなのは言うまでもない。しかも、宴で明らかに食べ過ぎたので胃もたれも激しい。

 うつらうつらと、再び夢の世界に旅立とうとしたその時、ノックの音が飛び込んでくる。


「姫、失礼します」

「わ、妾は忙しいのじゃ。用件ならば後で聞くぞ」

「モロク様が、問答無用でお連れせよと仰っておられました」

「そなたたちの主人は妾じゃろうが! 何故にモロクの命令を優先させるか!」

「私達も心苦しいのですが。とにかく、失礼します。時間がありませんので」


 雪崩れこんできた侍女たちにより、強引に引き起こされると、有無を言わさず着替えさせられていく。身体を動かされるたびに激痛が走るが、泣き言を言っても聞き入れてはもらえなかった。


「一体なんだというのじゃ。亜人の脅威はひとまず去ったのだから、妾の仕事はないであろうに」


 頬を膨らませながら、ロゼッタはベッドに座り込む。その後ろに回った侍女の手により、ぼさぼさ頭が巻き髪へとセットされていく。無駄のない動きだなと思いながら、ロゼッタは大欠伸をした。


「それが、生き延びていた難民たちが続々とこの要塞に逃げ込んで参りまして。要塞は中も外も大騒ぎです」

「……難民じゃと? この要塞に来るのは死んでも嫌じゃと言っていた連中のことか?」

「はい。亜人に勝利したという噂はあっと言う間に広まったようで、半島中からこの要塞に押し寄せております」

「……なんと都合の良い連中じゃ」


 ロゼッタは呆れたが、まぁ仕方ないかとも思う。誰だって死にたくはないものだ。あそこに行けば生き残ることができるとわかれば、見栄などに構ってはいられないだろう。


「ですので、至急対策を練る必要があると、モロク様とライゲン様が仰られておりました」

「分かった分かった。では、全力で会議室に向かうので、そなた達は共をせよ。いいな、急かすでないぞ」


 大きく深呼吸をすると、ロゼッタは一歩を踏み出した。ぎちぎちと鳴りそうな動きで、ゆっくりと部屋の外へと向かう。


「姫、申し訳ありませんが時間がありません」

「失礼します」

「な、何をするかッ。い、痛い痛い痛いッ。腕を握るのはやめんか! 足が千切れる!」


 両腕を引っ張りあげられると、そのまま抱えられて運び出されるロゼッタ。会議室に向かう道のりに、ひどく情けない悲鳴が木霊した。



「姫、ご足労をおかけして申し訳ありませぬ」


 入室と同時に、全員が頭を下げてくる。ロゼッタは手でそれを制すると先を促す。


「過ぎたことはもう良い。それで、妾に何をせよというのか」


「はっ、今後の方針について打ち合わせていたのですが、我々だけでは意見が纏まらなかったもので。是非姫の御裁可をと」


 文官の一人が申し訳なさそうに発言する。それを見た武官がふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ここまで追い込まれているというのに、相変わらず仲が悪い連中だとロゼッタは大きく息を吐く。

 文官が武官たちを一瞥した後、発言を続ける。


「まず、最大の懸念要因である、要塞の外壁、及び外堀についてですが」

「うむ、見るも無残な有様じゃ。ああなっては、建て直した方が早いのではないかの」

「外堀についてはもう一度掘りなおして再構築を行ないます。しかしながら、外壁の修復は不可能と判断いたしました。そこで、代案といたしまして、長城の建築を提案いたします」

「長城? なんじゃそれは」

「はっ、これをご覧ください」


 長机の上に広げられた地図。半島南部のミナス要塞、その東西には山岳地帯。北部にはデル平原が広がり、かつて存在した国境を抜けると大陸に繋がる。広大な大陸に比べれば、この半島など小さなものだ。いつの間にかこんなところまで押しやられたのかと、ロゼッタはしみじみと思い知らされた。


「うむ、我等に逃げ場所はないということは良く分かった。また一つ賢くなってしもうたぞ」

「姫」


 茶々を入れると、モロクが険しい視線を送ってくる。ロゼッタは咳払いをして誤魔化す事にした。


「ごほん、それで、どういうことなのか説明せよ」

「はっ。現状ではこの南部はあらゆる地域が亜人の脅威に晒されております。故に、何をおいてもまず“安全地帯”を構築しなければなりません」

「安全地帯のう」

「はい。現在の食料自給率は低く、貯蔵してあったものを切り崩しております。そこで、長城を築いて“安全地帯”を構築し、民達を再び農作業に従事させるのです」

「……だから、その長城とはなんじゃと聞いておる」

「この南部地域と、デル平原との境目に沿って城壁を築きます。これにより、亜人どもの侵入を阻止するのです。この防衛線を長城と呼称しております」


 そう言って、地図上に木で作った仕切りを配置していく。海岸線から海岸線まで、木の城壁による一本の線が結ばれた。


「なるほどのう。だが、一朝一夕でできるとは到底思えぬ。どの程度かかるのじゃ」

「……完成を迎えるまでには、早くて10年はかかるでしょう。先の外壁より、更に堅固なものでなければなりませぬ」

「そうか、ならば頑張ると良い。妾は心から応援しておるぞ。草葉の陰からのう」


 椅子にもたれかかると、ロゼッタは大きく伸びをした。真剣に聞いて損をしたと言わんばかりに。完成を迎える頃には人類は死滅しているのは間違いない。


「お、お待ちください! 私は完成までに掛かる時間を述べたまで。そのような余裕がないことは分かっております。ですので、まずは複数の砦を構築し、防衛拠点を設けます。その後に、城壁を繋げて防衛線と為すのです」

「ふむ、それならば先ほどよりは現実的じゃな。実現するとは別としてじゃ」


 態勢を直したロゼッタが頷くと、ほっと息を吐く文官。現実的になったとはいえ、上手くいくとは限らない。砦では完全に亜人を防ぐことはできないし、そこまで敵が大人しくしているとも思えない。


「姫、そこの文官どもは軟弱なことを言っておりますが、そんな手前に防衛線を築くなど愚の骨頂。自らジリ貧に陥るようなものです。確固たる生存圏を確立するには、最低でもデル平原だけは奪還しなければなりませぬ!」


 唾を吐きながら机を叩きつける武官。


「なぜじゃ? わざわざ攻勢にでるなど、妾には正気とは思えぬ」

「無論困難なことは承知の上。しかし、押し寄せる難民はかなりの人数となっております。その食い扶持をまかなうのは、この南部地帯だけでは不可能。肥沃なデル平原の奪還は避けては通れませぬ! ――故に」


 武官が地図上の木の線を、一気に大陸との境界線へと前進させる。


「我々武官、及びライゲン様の統一見解として、長城はこの境界線に築くことを提案いたします!」


 武官が言い終わると、文官が勢いよく立ち上がり反論を述べる。


「血気盛んなのは大いに結構だが、夢物語を姫にお聞かせするのはやめていただきたい! そのような場所まで勢力圏を広げるなど、現状では不可能に近い! それはライゲン様も分かっておられるはずでしょう!」

「……確かに、極めて難しいじゃろう。いや、不可能と言っても良い。だが、我々人類が生き残るためにはデル平原が必要なのも間違いない。食料がなくなれば、味方同士で争い流血する事態が起きかねん。同類で殺しあうぐらいなら、この老骨は亜人相手に刺し違えたいのだ」


 ライゲンが静かに考えを語る。今までは飢えとは無縁だったが、今後は確実に起こると予測しているのだろう。それほどまで難民が膨れ上がっているのかと、ロゼッタは腕を組む。そして閃いた。


「ならば、亜人を食えば良かろう。そう、パンがないなら、亜人を食べれば良いのじゃ。敵は減るし、死体の処理も捗るし、なによりも妾たちのお腹が膨れるぞ。しかも腐るほど転がっておるわ」


 最初は食べるのに抵抗を感じたロゼッタも、今では全く気にしなくなっている。相手がこちらを食べようとするならば、逆に貪り食っても何の問題もない。シェラの言葉は実に理に適っているように思えた。長い間家畜とされていた亜人からすると怒り心頭だろうが、それは知ったことではない。生きることと食べることは同義なのだから。


「亜人どもの死体は回収し、解体して保存処理を行なっております。ただ、民たちのなかには忌避する者もおりますので」


 文官の報告に、眉を顰めるロゼッタ。忌避する原因は、やはり同じ言語を喋るからであろう。気持ちは分かるが、食べ物は食べ物だ。それに味は普通の獣と変わらない。牛族の亜人は、普通の牛肉の味がした。


「嫌なら食べなければ良いのじゃ。我侭を言う連中が、飢え死にしようが妾の知ったことではないわ」

「しかし姫、亜人の肉を頼みにするのも限度があるかと。やはり、安定した食料の供給を行なうには、兵を進める他ありますまい。どうか、デル平原を奪還するための準備を我々にお命じくだされ」

「姫、勢いに流されてはなりませぬ。折角拾った好機なのです。今は防備を固める事に最善を尽くすべきです」

「では食料はどうするつもりか! お前達の考えを聞かせてもらおうか!」

「それは、これから考える! 頭をつかうのが我々文官の役目なのだ!」

「馬鹿馬鹿しい、時間は有限だ! 姫、いまこそ攻勢に出るべきです。次は間違いなく我々が勝利いたします!!」


 やけに強気な武官連中。どこからその自信が生まれるのかと推測すると、すぐに答えは見つかった。


「……そなたら、もしかしてシェラと騎兵隊を当てにしておるのか。……確かにあやつらは恐ろしい武勇の持ち主じゃ。しかし、いつまでいてくれるかも分からんのだぞ。しかも、異界の客人を頼みとして挽回を図ろうとはなんとも情けない」

「姫、すでに綺麗事で生きていける状況ではないのです。我々前線に立つ武官としては、どのような手を使ってでも勝たなければなりません。たとえ、異界の客人を利用する事になろうとも。いつかいなくなるのであれば、今我々に協力してもらいましょう!」

「このたわけ者がッ!」


 ロゼッタは武官たちを睨みつけるが、微動だにせず目も逸らそうとしない。

「……シェラ殿には既に今の話をしております」

「なんじゃと?」

「最初は全く興味がなさそうだったのですが、食べ物が足りなくなりそうだと言った途端、顔色を変えて――」

「か、顔色を変えて、どうしたというのじゃ!」

「“威力偵察”に行ってくると、騎兵を伴って出撃なさいました」

「な、なんじゃと! シェラは既に出撃しておるのか!? 今のは真の話か!」

 モロクに視線を向けると、申し訳なさそうに頷く。


「は、はい。白カラスの黒旗を掲げて颯爽と出て行かれました。お止めしたのですが、勢い凄まじく」

「あの激戦からまだ一日も経っておらんではないか!」


 シェラと騎兵隊五千は、早朝すぐにミナス要塞を出て行ってしまった。民や兵達の大歓声に見送られて。

 狙いは潰走した亜人の軍勢。デル平原に入ったところで建て直しの最中とのことだが、それを急襲して徹底的に叩くつもりなのだ。もともと要塞に篭っての防衛戦は騎兵の本分ではない。機動力と突進力を活かした平原での戦いは望むところだった。

 そして、シェラは亜人の軍勢を全く恐れていない。シェラが恐れるものは“飢えること”のみ。地獄の苦しみを二度と味わいたくないシェラは、取れるものは全てとっておこうと即断したのだった。なにより、牛の獣王ビルの味が気に入ったということもある。次は全身を喰らってやろうと、舌なめずりして先頭切って駆け出していった。


「……妾は全身筋肉痛だというのに、なんという疲れ知らずなのじゃ。見習いたいものじゃが、無理じゃろうな」

「シェラ殿の力をお借りし、我らの戦力を統合すれば、必ず勝機はあるはずです!」

「うーむ、しかしのう。なんというか、気が進まぬ」


 ロゼッタは簡単には同意出来ない。武官達の考えは良く分かる。だが、事故で招いてしまったシェラたちをこのまま巻き込んで良いとは思えない。こちらの世界の問題なのだから。

 とはいえ、自分が死ななきゃ帰してやれそうもないというのが困る。せっかくしばらくの時間ができたのに、自ら命を絶つのはやだなぁとロゼッタは思う。基本的に面倒臭がりで怠惰な性分なのだ。英雄的思考ができないのは仕方がない。


「うーむ、どうしたものか」


 と、そこに伝令が敬礼した後で入室してくる。急ぎの用件があるのだろう。ライゲンの元にいくのだろうと思っていたら、こちらにやってきた。


「失礼いたします! ただいま、サイロ国の軍勢が要塞前に到着しました。要塞への入城許可と、民の受け入れを求めておりますが如何いたしましょうか。また、サイロ兵の話によると、他にもここを目指している軍勢があるらしいと」


 まだそんなに生き残っていたのかと、ロゼッタは思わず目を見開く。人間というのはなかなかしぶといらしい。そして、サイロ王といえば反帝国主義の思考の持ち主。それがここに逃げ込んでくるという事は、それなりに覚悟を決めたということだろう。


「……そんなに入れる場所が、この要塞にあったかのう」


 内壁に囲まれた場所に居住地はある。いくら街一つ分の広さがあるとはいえ、限度というものはある。既に難民を受け入れている現状からすると、もうそろそろ満杯になってもおかしくない。


「崩壊した外壁の区域を解放し、そこに簡易居住区を作っては如何かと。強引に内壁の居住区に押し込めば、無用の諍いを生みかねません」

「それしかないであろうな。住み心地は悪いであろうが、とりあえずは我慢してもらうのじゃ。――ロートラック帝国の姫、ロゼッタが受け入れを許可すると伝えよ。国籍を問わず、門を開けて歓迎してやると良かろう」


 こうなるといよいよもって食料に不安がでてくる。自分達は自分達でやるといった連中なのだから追い出してもいいのだが、残り少ない同胞を見殺しにするのもどうかと思う。数と力で上回る亜人を相手にするには、少しでも仲間は多い方が良い。

 なにより、一国の指導者が来てくれれば、自分の代わりに指揮を執ってくれそうだ。再度の筋肉痛に悩まされなくて済む。指揮所で戦況に一喜一憂するよりも、自室で祈りながらガタガタと震えているくらいが性に合っている。


「承知しました。それと、サイロ王から姫に伝言があるとのこと。文をお預かりしております」

「……伝言とな。妾はサイロの王とは一度しか面識がないはずだが。しかもあやつは妾を嫌っているはずじゃ」


 犬の糞をみるような目で睨んできた事だけは強く印象に残っている。この野郎と思ったが、サイロ王は剣術が非常に達者ということなので、ロゼッタは目を逸らしてしまったのだった。姫でなければただの軟弱小娘なのは嫌というほど自覚している。

 そんなことがあったなので、首を傾げながら文を開くと、


『勇敢な黒髪の少女から、誇り高きロゼッタ姫に伝言を預かったのでお伝えする。“私が根元を潰すまでは、死んでも生きてろ”とのこと。委細はあとでお伝えするが、あの黒髪の少女は、たった一人の手で――』


「……なんと」

「姫、どうされましたか?」

「猪族の獣王を、討ち取ったじゃと?」


 文を持つ手が思わず震える。シェラは亜人の大群を打ち払い、勇者を名乗る少女は単騎で猪族の獣王を討ち取った。しかも、根元を潰すという事は、これからも更に続けるということだ。

 流れが変わってきている気がする。眠気が完全に吹っ飛んだロゼッタは、席を蹴って走り始めた。筋肉痛も気にしない。犬っころが肩に飛び乗ってきて激痛が走るが気にしない。サイロ王から詳しく話を聞かなければならない。“死の壁”と称される獣王をいかにして、一人で討ち取ったのか。


(何かが起きている気がする。良く分からないが、確かに起きている。奇跡などという言葉は妾は好きではないが、他に表しようがない何かが。そういえば――)


 ロゼッタは走っていた足を止めると、ふと“戦車”を象徴する犬っころを眺める。青毛の獣は心中を見透かすように、大きく頷いて見せた。ニヤリと牙を剥き出しにして。


「なんじゃ。まさか、お前も獣王を討ち取れると言うのではあるまいな」

「ワン!」

「そうかそうか。ならば、次の機会があればいずこかの獣王を討ち取って参れ。さすれば、妾が生涯をかけてお前の面倒を見てやるぞ」

「ワン!! ワンワンッ!!」

「ふふ、冗談じゃ。だが、飼うことには前向きじゃぞ。お前は頭が本当に良いからのう。良い友になれそうじゃ」


 飛び跳ねる犬っころを抱きかかえると、頭を優しく撫でてやった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ