祭りよ続け、いつまでも
亜人の連合軍が退却していくと、ミナス要塞に残っていた人々は暫し呆然とした後、涙を流しながら喜びの声を上げた。
取り残されてしまった亜人の兵たちは、打って出たミナスの兵によって徹底的に殺されていく。耳をつんざく悲鳴があちこちで木霊すると、ロゼッタは少しだけ顔を顰めた。
だが、これが戦いなのだろうと考え直すと、ふぅと息をついて大兜を外した。
「……どうやら、勝ったようじゃな」
「はっ、我ら人類の勝利です。姫が呼び出された騎兵達のおかげです」
「シェラたちがいなければ確実に負けていたであろう。まさか獣王を退かせるとはの。……一体、シェラ達は何者なのかのう」
「凄まじく統率の取れた軍隊。死を全く恐れぬ戦意の高さ。恐らく、元の世界では名の通った将だったのでは」
モロクが推測を語る。
「……そうじゃな。確かに、ただ者ではないのであろう。凄まじいまでの武勇じゃ」
ロゼッタが感心していると、負傷者を運んでいく兵の姿が目に入る。呻き声を漏らす者、四肢を失った者、そして既に息絶えている者。次々と要塞へと担ぎこまれていく。
「生死に関わらず、全員要塞へと連れて行くのだ! 野晒しにすることは許さんぞ!」
ライゲンが声を枯らして檄を飛ばしている。声はガラガラだが、全く疲れた様子が見えない。要塞にいたときよりも俊敏に動いている。ロゼッタの方は全身が痛くてたまらないというのに。運動不足が祟っているのは明らかだった。
「ライゲンは本当に元気じゃの」
「かつては帝国全軍を率いられていたお方ですからな。修羅場には慣れておいでなのでしょう」
「百まで死にそうにないのう。実に頼もしいジジイじゃ」
ロゼッタは軽口を叩いたあと、兵達の姿へと視線を向ける。
生き残った兵士達は、負傷者への対処だけではなく、要塞の復旧作業も同時に行なっている。守りきったと言えば聞こえは良いが、要塞はすでにその機能の大半を失っている。ミナスが誇る外壁は見る影もなくボロボロ。堀は完全に埋め立てられているのだ。次に亜人に攻め寄せられたら、一挙に突破され内壁へと迫られるだろう。それまでに修理が間に合うとは到底思えない。
「要塞の方はひどい有様じゃな。モロク、お前の見立てでは修理にどの程度掛かると思うか」
「突貫作業でも数ヶ月は掛かるかと。人手も資材も不足しております故」
「奇跡的な大勝利のはずなのじゃが。世の中と言うのは実にままならぬものよ」
ロゼッタは苦笑して視線を戻すと、何かに気づく。瀕死の亜人が、もがき苦しんでいるのだ。
笑みを消し、倒れ伏せている兎の獣兵に近づいていく。身体をぴくぴくと震わせ、人間から逃れようと必死にもがき続けている。
「――姫、おさがり下さい!」
「なに、心配は無用じゃ。妾にもこの程度はできる」
ロゼッタは剣を抜き放つと、首筋目掛けて刃を突き刺した。断末魔をあげることなく、兎兵は息絶える。どくどくと赤い液体が流れ始め、大地へと吸い込まれていく。それを眺め続けるロゼッタ。命が消えていくのが分かる。剣を握る手から伝わってくるような気がするのだ。
「生きている者を刺すのは初めてじゃが、実に嫌な感触じゃな。……不快極まりない」
思えば、ロゼッタは生き物を殺したことがなかった。死体になど触る機会などなかったし、見る機会もない。怖くはないが、喜びもない。
「…………」
ざらざらとした不快さが掻き消えると、次は虚無感が心を包んでいく。剣を握る手が、まるで別のものになったかのように重い。赤と黒の靄が心を覆っていく。それは不快なようで、安らぎのようでもある。それに完全に身をゆだねれば、何かが変わるような。そんな気もする。
(これは、祝福か。それとも、呪いか。いずれにせよ、どちらでも良い。これに委ねてしまえば、妾は楽に――)
「――ワン!」
犬っころの大きな鳴声で、ロゼッタは意識を引き戻された。靄が晴れて、正常な思考を取り戻す。
「……姫が手を汚す必要はありませんぞ。我ら家臣は、姫の剣になることが使命。貴方には貴方にしかできない役目があるのですから」
近くにいたライゲンが自重するよう促すが、ロゼッタは否定する。
「妾は何も知らぬ小娘に過ぎぬ。ならば、経験して学んでいくしかなかろう」
「……姫。この僅かな間でお強くなられましたな」
「残念ながら、妾は何も変わってはおらぬ。人間はそう簡単には変わらぬし、変われぬ。世の中そういうものじゃ。だが、変わろうと心がけることは出来るかも知れん」
剣を引き抜き、鞘へと納める。こみ上げて来る酸っぱい物を堪え、ロゼッタは言葉を絞り出した。
「……さて、英雄を迎えに行こうではないか。夕食にはちと遅い時間じゃがな」
亜人の本陣後を見やると、白カラスの旗が誇らしげにたなびいている。五千の騎兵は勝利の雄叫びを上げ続けている。肝心のシェラは座り込んだまま、口をもごもごと動かし続けていた。
大量の獲物を抱えたシェラ騎兵達がミナス要塞へと帰還すると、民達の大歓声によって迎えられた。特に感慨を見せずに瓦礫の入り混じる練兵場に陣取ると、夜営の準備に取り掛かり始めた。
作業を終えた守備兵達も、英雄達に話しかけようと待っていたのだが、騎兵達は一心不乱に作業に掛かっているので声をかけ損ねてしまった。
五千を数える騎兵が集る姿は壮観で、内壁の上から興味深そうに民達が眺め続ける。
「……なんか凄いね。父ちゃんも昔は馬に乗ってたんでしょ」
「ああ。騎兵ってのは軍隊の花形だったからな。俺もこうなる前はブイブイ言わせたもんだ。あいつらほどとは口が裂けても言えねぇが」
左腕を失った壮年の男が、子供の頭をポンポンと叩く。
「なんで今は騎兵がいなくなっちゃったの? あんなに速くて強いのに」
「それ以上に亜人は強かったのさ。徹底的にやられたってのもあるが、飼育していた軍馬の半数以上が亜人になりやがったんだ。なさけねぇ人間を乗せるのが我慢ならなかったんだろうな」
大陸にはまだ亜人と化していない馬もいるだろうが、半島では一匹も見かけない。それぞれの種族を、亜人たちが保護しているという噂もある。確認しようにも、大陸の状況を確認に行くような勇者はもう存在しない。そして、故郷を目指した者たちで、ここに帰還を果たした者も一人もいないのだ。
「ふーん。じゃあ、また戻ってきてくれるかもしれないの?」
「そりゃ無理だろ。腕が生えちまったから、俺たちを乗せる必要はねぇし。今じゃ馬ってより、馬の化け物だな」
「……そうなんだ。でも、馬は肉を食べないよね」
「ああ、奴等は草やら人参しかくわねぇ。だが、亜人で一番といっていいほど、人間を目の敵にしてやがる。今頃、邪魔者がいなくなった大陸を我が物顔で走りまわってるだろうよ」
「……じゃあ、やっぱり騎兵隊は作れないんだ」
子供が、シェラの騎兵隊を眺めながら、残念そうに呟く。
「……ま、仕方ねぇさ、俺達は負け続けたんだからな。そんなに馬が気になるなら、あいつらに頼めば見せてもらえるかもな」
誇り高き馬たちは、進化と共に二本の腕を手に入れていた。自慢の四本脚で平野を駆け回り、毛深き上半身から生えた強靭な腕で得物を構える。戦う為に必要な機能を備えた彼らは、最早人間を乗せる必要はなかった。
計算高く、武勇に優れる彼らは亜人連合でもたちまち頭角を現し、自らの勢力圏を広げることに成功していた。人類への止めとなるミナス要塞攻略に拘らなかったのは、無駄に戦力を消耗する必要なしと判断したに過ぎない。馬族は城攻めには向かないことを良く知っているからだ。馬族は人類滅亡後最大の障害となるであろう牛族に狙いを定め、ひたすら戦力の増強に励んでいた。
篝火があちこちで照らされた練兵場。良い匂いが漂い始めている。焚き火の前で座り込んだシェラは、目の前でこんがりと焼けていく肉をじーっと眺め続けていた。
少し離れた場所では、大量に並べられた大鍋でスープが煮込まれている。シェラの後ろでは、鉄網の上で厚く切られた野菜と肉が焼かれている。どこを見回しても肉料理だらけ。シェラは涎が零れそうになるのを堪え、全員の準備が整うのをひたすら待ちわびていた。
「大佐、味見ハ――」
「いい。そろそろ我慢できなくなりそうだから、目をつぶって待ってるわ。できたら教えて」
両膝を抱えたシェラはそう呟くと、目をつぶって耳を塞いだ。顔を膝に埋め、ひたすら時間が経過するのを待ち続ける。視覚と聴覚を殺したが、肝心の鼻をふさぐのを忘れてしまった。鼻をふさげば、肉がやける心地よい音が響いてくる。耳をふさげば、食欲を限界まで刺激する匂いが流れ込んでくる。
「……まるで、拷問だ」
身体を震わせながら、シェラは耐えた。最高に美味しく食べるには、皆と一緒でなければならない。ゆえにシェラは必死に耐えた。馬が心配そうに身体を寄せてくるが、シェラは反応しない。
「…………」
「――大佐」
「…………」
「――シェラ大佐」
騎兵がしゃがれた声で、シェラの背中を優しくたたく。覚悟を決めて、シェラは目を開けた。
目の前の兎の丸焼きはいい感じに仕上がっている。シェラの前には幾つものお皿が並べられている。ステーキ、肉と野菜の炒めもの、肉のスープ、肉の盛り合わせ、肉の串焼き、肉団子、肉のパイ包み。
「……準備はできた?」
手を伸ばしたくなる欲望を必死に堪え、シェラは言葉を絞り出す。嘘だといわれたら、その場で倒れこんでしまいそうだった。
シェラの言葉に、得意そうな顔で頷く騎兵。グラスに赤い酒を注ぐと、ゆっくりと手渡す。乾杯の音頭をとれということだろう。五千の騎兵の目がシェラへと集まる。
「食事の準備、ご苦労様。本当に美味しそう」
シェラが褒めると、歓声がそこら中からあがる。以前と同じように喋ることはできないが、感情を表すことに不自由はない。それぞれの馬たちも勝利を祝うように嘶いている。
「これからも、ずっとこのままってわけにはいかないんでしょう?」
シェラが確認するように尋ねると、笑みをたたえたまま沈黙する騎兵たち。肯定もしなければ否定もしない。常に一緒ということには変わりはないから。
「……そっか。でも、私は貴方達とまた一緒にご飯を食べる事ができて本当に嬉しい。お祭りはまだまだ終わらない。だから、最後まで一緒に楽しみましょう。獲物はまだまだ一杯いるみたいだし」
シェラがグラスを掲げると、騎兵達がそれに続く。
「乾杯。そして、いただきます」
『乾杯!』
酒を飲み干した後、シェラは座り込み、早速ステーキに齧りついた。溢れる肉汁が口内を満たしていく。その後には肉の濃厚な旨みが広がっていく。噛めば噛むほどその味が滲み出てくる。隣の騎兵が、パンを差し出してくる。ありがとうといってから受け取ると、一口食べる。これは彼らが持っていたパンのようだ。懐かしい味がする。固くて、味気なくて、質素極まりない味。でも、美味しい。
「…………?」
串焼きを頬張ったまま、シェラは後ろに気配を感じて振り返った。
どこかで見覚えのある若い兵士が、どことなく得意気な顔で立っている。若い兵士は屈みこむと、腰に提げた袋からある物を取り出した。
「……くれるの?」
その言葉に、深々と頷きニヤリと笑う兵士。それはチーズだった。形が崩れてしまった一欠片のチーズ。指でつまむと、ひょいと口に放り投げる。串焼きのタレと、チーズのとろみが絡み合い絶妙な味になった。
シェラは思い出した。この兵士は、残りの約束を果たしにわざわざやって来たのだ。
「律儀な性格は相変わらずね」
無言のまま空のグラスを差し出してくる若い兵士。それに酒を注いでやると、完璧な敬礼を行なって去っていった。
その後姿を眺めていると、てもちぶさたにしている少女の姿が目に入る。ミナス要塞の指揮官、ロゼッタだ。一歩を踏み出そうか、帰ろうかずっと逡巡していたらしい。その後ろには髪の薄くなったモロクという侍従。どことなくヤルダーの面影があるなと、シェラは思った。ヤルダーから脂肪と豪快さを取れば、こうなりそうだなと思いながら、スープを飲み干す。
お代わりが欲しくなったので、シェラは大鍋の方へと向かうために立ち上がる。そのついでに、ロゼッタへと声を掛ける事にした。約束は守らないといけない。約束を守らないと、美味しくご飯が食べられない。
視線が合うと、ロゼッタは恥ずかしそうなにして顔を赤らめる。これは違うのじゃなどと言いながら、両手を前にだして、奇妙な踊りのような動きを始める。
「……あ、あの、妾は」
「はい」
シェラは、空になったお皿の一つを差し出す。
「え?」
「一緒にご飯を食べると約束したでしょう。だから、はい」
シェラがお皿を強引に押し付けると、さっさと踵を返す。まだまだお腹は減っている。
「わ、妾も一緒で良いのか? じゃ、邪魔なようだったから、妾は退散しようかと」
「ご飯は大勢で食べた方が美味しいから」
「え?」
「そうでしょう?」
振り返りそう告げると、シェラは笑った。
「お、大勢の方が、ご飯は美味しい……」
ロゼッタは口をぽかんと開けて少しの間固まった。すでにシェラは大鍋の所にあり、零れそうなほど満杯によそっている。
暫くして気を取り直すと、シェラの後を追って駆け出した。小さな歩幅でテクテクと。その後には大きな骨をくわえた犬っころ。ご機嫌な様子でその周りを飛び回っていた。
とりあえず一区切りついたでしょうか。忙しくなる前にシェラ登場編だけは終わらせたかったので、毎日更新の全力でいきました。今反動が来ています。
この物語は気長にやるつもりでいますので、気長な目で見てやってください。ス○ロボFと完結編みたいな感じ?
Q:亜人は全種族、人間を食べるの?
A:人間に食われていた獣は、敵愾心が超高いです。食うためじゃなくても、殺しにきます。
Q:普通の動物もいるの?
A:います。進化した獣が保護しているので、餌にしようとすると妨害にきます。敵対関係にある亜人も多いですが、今は対人間で纏まっています。人間を滅ぼした後は、確実に殺し合いになるでしょう。
Q:馬に腕が生えたら気持ち悪い。
A:毛深いケンタウロスみたいな感じ。強そう。
Q:犬や猫の亜人はいるの?
A:います。一応他の亜人と同調していますが、積極的に人間を殺しにはきていないようです。基本的には中立。