死神と騎兵隊
夜明けとともに、戦いは始まった。亜人の連合を率いる獣王ビルは、真正面から攻めかかる正攻法を選択した。
ロートラック帝国が大陸を圧倒していた頃に、このミナス要塞は築かれた。帝国の威信を懸けて築かれたこの要塞は、半島全域に睨みを利かせるための重要拠点となるはずだった。要塞を取り囲む深い水掘は、敵が取り付くことを大いに阻む。巨大な城門は二つの櫓に挟まれる形になっており、果敢に攻めかかる者に矢の洗礼を浴びせかける。そして何より目を惹くのが圧倒的な高さの外壁だ。守備側はその高さを活かし、高所から一方的に攻撃ができることだろう。
ミナス要塞は苛酷な長期戦にも、耐える事ができるように設計されている。大量の兵が篭る事ができる広さを備え、内壁の中には一つの街が存在するかのように各施設、居住地が建築された。ある程度自給できるよう、芋、麦畑まで設けられている。大陸から逃げてきた民たちは、この居住地で日々を過ごしている。一つの街が存在すると言って良い。
適切な戦力で篭れば確実に守りきれるはずだった。相手が、同じ“人間”であればだが。
亜人たちの攻城戦は苛烈を極めていた。通常ならば、盾をかざしながら堀を埋め立てる、投石攻撃で弱体を図る、そして城門、或いは城壁の突破というのが定石だ。並行して塹壕を掘り、相手を圧迫するという戦法も有効だ。
亜人はそのような手緩いことはしない。獣の本能のままに外壁に迫り、梯子をかけて一気に城壁越えを図ったのだ。
「壊せ壊せ! 殺せ殺せ!」
「邪魔な城壁ぶっ壊せ!!」
「邪魔な人間ぶっ殺せ!!」
奇怪な鳴声を上げながら、梯子を上る兎兵たちが城壁を破壊していく。その身体を踏み越えていくのは、城壁越えを狙う者達だ。亜人の軍旗を握り締め、鼻息荒くよじ登っていく。
「外壁は我らの生命線、決して越えられてはならぬ! 削られることもだ! 何としても防げッ!」
「斉射後はそれぞれの判断に任せる! ――弓隊構えっ! 放てッ!!」
前線で指揮を執るライゲンの檄に応え、弓隊長が命令を下す。勢いをつけた矢の雨が取りつこうとしていた兎兵に突き刺さり、梯子からばらばらと落下していく。それでも兎兵は梯子に次々と手を掛け、自分が一番乗りを果たすといわんばかりに。
堀が死体で埋められていく。一時間もすると、兎兵の死体が堀を埋め尽くしてしまう。ミナス要塞の最初の守りが破れた。
次に要塞に寄せてきたのは鹿族の兵。勢いをつけて自慢の角を城壁へと打ち付けていく。激しい衝突音とともに、瓦礫が散乱する。
「ば、化け物め! 鹿型亜人に狙いを変更しろ! このままでは外壁に侵入路を作られる!」
「しかし、兎型を放ってはおけません! 現状を維持するだけだけで限界です!」
「止むを得ん、城門に配置していた兵の半分を外壁上に回せ! 手数を二倍にしなければこれは防ぎきれぬ!」
「お言葉ですが、正門の守備を裂くことはなりませぬ! この要塞の急所なのですぞ!」
「他に侵入路ができてしまえば、城門の意味などなかろうが! ぐだぐだ言わず、はやく伝令をださぬか!」
「しょ、承知しました!」
城門が破られるたときのために配置していた、最後に残った精兵部隊――皇族を守護する近衛兵たち。彼らの配置を変更するのは危険極まりないが、このままでは外壁の突破を許す羽目になる。防衛の指揮を執るライゲンとしては苦渋の決断だった。
「兎、鹿の兵だけで既に劣勢というのに、まだ本命の牛型が控えておる。老骨には、ちとしんどい状況だのう!」
ライゲンが遠方に控える敵本陣を眺める。巨大な牛型の亜人がここからでも確認できる。獣王に間違いないとすぐに分かる。あれが出張ってきたら、一体どれほどこの要塞が耐えることができるのか。それを思うと暗澹たる気分になる。
ライゲンの後ろで震えているのは、簡単な訓練で兵士に取り立てられた少年兵たち。剣、あるいは弓を扱えそうな者は全てが動員されている。それでも、要塞の防衛戦力は五千程度。民を数に入れれば万は越えるが、それでも眼前の亜人連合には到底及ばない。
(怖気づいてはいられぬ。この無様な老骨を姫は信じてくださったのだ。そのご恩に応えねばならぬ!)
ライゲンは少年兵達、そして自分を叱咤するために声を張り上げようとした。
――勇敢な老人の精一杯の大声は、更に巨大な衝突音に容易く掻き消されてしまった。
要塞の上層にある指揮所から、ロゼッタは戦況を眺めていた。ずれそうになる大兜を片手で抑えながら。隣には豆を貪っているシェラ、そして欠伸をしている犬っころがいる。文官たちは伝令からもたらされる情報を元に、新たな指示を伝えていく。大した内容でない事はロゼッタは確認済みだ。『東外壁苦戦、増援を乞う』、『指揮官戦死、後退許可を求む』、『兵の余力一切なし、健闘を祈る』、『指揮官代理となり、職務を果たせ』。
当たり前の要求に、当たり前の返答をしているだけ。ロゼッタでもできそうな仕事だ。
ちなみに肝心の戦況だが、素人判断ながら状況は悪化する一方にしか見えない。ライゲンは必死に指揮をしているようだが、数が違う。力が違う。種族が違うのだ。
外堀は完全に埋め立てられ、頼みとしていた外壁も今では見る影もない。投石と鹿型亜人によって虫に食われたかのような有様となっている。兎型亜人であれば、そこから侵入することも可能だろう。だが、亜人たちはあえて無傷の外壁を狙って攻撃を加えていく。文官たちは訝しがっていたが、『どれだけ強かろうと所詮は畜生、不幸中の幸いである』として、建て直しに向けて必死に頭を悩ませていた。
だが、ロゼッタの考えは違う。そうではないのだ。
(こやつらには分からんだろうが、妾には分かる。あれは、ただ遊んでいるだけなのだ)
盤上遊戯で、モロクを相手にしたときにロゼッタがしたことと同じだ。いつでも詰めるのに、あえて遠回りをして嬲り殺す。本人がそのことに気づいたとき、最高の屈辱を与える事が出来る。モロクは怒りのあまり残り少ない髪を掻き毟っていたほどだ。勝者の気分を味わうことが存分にできた。それ以来二度と遊んでくれなくなってしまったが。
頼みの外壁を完全に丸裸にされたとき、この頭でっかちの文官たちもさすがに気づくことだろう。遊ばれていたのだと。
そして、降参が認められている遊戯とは違い、この戦いにそれはない。敗北すなわち死、滅亡なのだから。
耳障りな角笛が鳴り響くと、外壁にとりついていた兎、鹿型の亜人が梯子を外し、少しずつ後退していく。投石攻撃も止まる。
その場にいたもの達がざわめき、窓枠から身を乗り出してそれを眺める。防ぐ事に成功したと信じたかったのだろう。
だが、その期待は完全に裏切られた。改めて隊列を整えた亜人たちが再び反転した。今度は本陣に控えていた牛型たちも旗を掲げて行進を始めている。
外壁上で弓を構えていた兵士達が、呆然としながら腕を下ろしてしまう。終わりだと悟ってしまったのだろう。兵を叱咤していたライゲンの声も聞こえない。悲鳴や怒声も聞こえない。完全な静寂だ。聞こえてくるのは亜人の足音だけ。あれがこの要塞にたどりついたとき、それが人類最後のときだ。
自分は覚悟できているが、道連れにしてはいけない者達がいる。彼女達よりも先にそうならなければならない。
「……どうやらここまでじゃな。人間の意地を見せることは一応できたであろう」
「姫、なにを言われるのです! 我らはまだ負けてはおりませぬ!」
「言葉遊びをしている時間などない。ときを置かずして亜人ともは雪崩れ込んでくる。後に待つのは嬲り殺しじゃ。……この上は民達の判断に任せようではないか。いくも、逃げるも、残るも自由じゃ。最早、妾にはそれぐらいしかしてやれぬ」
「し、しかし、それでは――」
「これは命令じゃ。お前は最後の仕事をした後、手筈通りにするようにはからえ」
モロクにはっきりと告げた後、ロゼッタは青き犬とシェラに向き直り礼をする。
「巻き込んでしまってすまなかった。……不謹慎だと怒られるかもしれんが、妾は楽しいときを過ごせたと思っている。そなたたちのような者を見たことはなかったのでな。友と言えるほどの長き付き合いではないが、出会えて妾は良かったと思っておる。……そなたたちには迷惑だったと思うが、どうか許して欲しい」
「…………」
「くーん」
豆を噛み砕くシェラと、悲しそうな顔をしている犬っころ。ロゼッタは軽く微笑むと、その小さな頭を撫でてやった。
「願いが叶うか、妾が死ねばそなたらは元の世界に戻れるはずだったな。消えた“太陽”の娘が確かにそう言っておった。恐らく間違いないのであろう。さすれば、この場におらぬ黒髪の娘も帰れるはず」
ロゼッタはそう呟きながら立ち上がり、剣を抜き放つ。そして、己の首筋に白刃を当てる。走らせれば確実に血飛沫が迸り絶命するだろう。
「ひ、姫、なりませぬ! このモロクより先に逝くなど、そのようなことはあってはなりませぬぞ!」
「妾はここまで生き残ったことを後悔しておらぬ。モロク、妾の死体はできれば燃やしてくれ。食われるのはやはり嫌じゃからのう。そなたの最後の仕事とはそれじゃ」
「姫えッ!!」
「――シェラ、そして犬っころ。最後の最後に、妾は救われた気がする。元の世界でも、息災でな」
震えそうになる手を堪え、ロゼッタは満面の笑みをたたえたあと、その腕を斜めに走らせた。
「――ッ」
ロゼッタは剣を手放してしまっていた。犬っころが牙を剥いて飛び掛ってきたのだ。さらに前脚でロゼッタの手を引っかいてきたので、強制的に弾かれてしまった。
その剣をシェラが拾い上げ、ロゼッタへと手渡してくる。犬っころが今までにない勢いで威嚇するが、シェラは気にする仕草を見せない。
「……すまない。次は絶対にしくじらぬ」
「本当に死ぬの? 美味しい物を食べるって約束は?」
「すまぬが守ることはできぬ。妾が先にいかなければ、そなたたちは帰れぬ。万が一にもそなた達を巻き込むわけにはいくまい。それに、早いか遅いかの差だけじゃ」
「本当にもったいない」
シェラが呟く。それが心の底から哀れむような視線だったので、ロゼッタは興味を惹かれる。
「なにがもったいないのか」
「これからいっぱい美味しい物が食べられるのに。その前に貴方が死んじゃったら、私は帰らなくちゃいけない。本当に残念」
「美味しい物なら、妾はあちらの世界で食べる事にしておる。そなたは元の世界で堪能するがよかろう」
慰めてくれているのかと思ったロゼッタは苦笑するが、シェラは首を横に振る。
「兎肉、鹿肉、それに牛肉。美味しそうなお肉が本当に一杯。だから、一口も食べずに帰るなんて死ぬ程もったいないでしょう?」
シェラが笑う。今までにない程、目を欲望に輝かせたその顔は凶悪と呼べるほどの形相だ。第一印象で抱いていた、飄々とした変わり者という印象は完全に掻き消えてしまった。だが、嫌いな顔ではない。ロゼッタはそう思った。
「そなた、そんな顔もできたのだな。それに、今のはなかなか面白い冗談であった」
「前も似たようなことがあったけど、今回はちゃんとご飯が食べれてる。だから、三度目の機会は今回もないと思う。それに、なんだかすごく楽しいことが起こりそう」
「三度目? 楽しいこと? い、一体なんの話じゃ」
「食べ物が一杯集まる楽しいこと。きっともうすぐ始まる。だから、私は行かないと」
シェラはそう言うと、指揮所を飛び出して行ってしまった。その場に残されてしまったロゼッタは、なんとなく勢いを失ってしまい、どうしたものかと迷った挙句、剣を鞘へと戻す。
「……楽しいこととやらを確認する時間ぐらいはあるじゃろう。犬っころ、妾についてまいれ!」
「ワン!」
時刻は夕日が地平線に沈みかける頃。要塞正門前では勝利を確信した兎の獣兵たちがニヤニヤと厭らしい笑いを浮かべている。鹿の獣兵たちはこれから始まる総攻撃に向けて、気分を高ぶらせ始める。牛の獣兵は、兎の獣王の到着をいまかいまかと待ちわびている。獣王ビルの号令と共に、一気呵成に仕掛ける。その瞬間が亜人の完全勝利の訪れとなる。
「……ん?」
目の良い鹿族の獣将が、丘の上から駆け下りてくる砂塵に気がついた。赤く染まるそれに目を凝らすと、馬群のようなものが見える。響いてくる足音も馬のものに間違いない。
「馬族だと? 今更何をしに来たと言うのか。まさか、横槍を入れるつもりではあるまいな!?」
「どうなさいますか」
「知れたこと、兵を差し向け足止めせよ! だが、今はまだ同胞だ、槍を向けることは禁ずる!」
「承知しました!」
「牛族に名誉を独り占めされることを恐れたか。誇り高き馬族ともあろう者たちが、情けない真似を」
方向を転換し隊列を組み上げる鹿の獣兵。赤く染まる砂塵が、徐々に晴れ、黒へと変色していく。
最前線にいた獣兵が驚愕の声を上げる。目の前に迫るのは同胞たる馬族ではない。騎兵だ。黒い鎧を身につけた、騎兵の群れ。この大陸に最早存在するはずのない騎兵の群れだ。その数、およそ五千騎。
「――人間、しかも騎兵だと! どこぞに馬を隠し、今まで兵を伏せていたというのか!」
「ご、ご命令を!」
「この期に及んで伏兵などとは小賢しい。人馬ともに八つ裂きにしてやるのだ!」
獣兵の長槍が馬を突き刺し、人間の身体を串刺しにする。騎兵の機動力の優位性、突進力の脅威など、獣兵の膂力の前には完全に無力。それ故、騎兵はこの大陸から存在を消した。その有様が見事なまでに再現された。
――だが。
「我ラニ、死ハ存在シナイ。我ラハ常ニ大佐ト共ニアル」
「我ラ騎兵隊ハ、永遠ニ不滅也」
青白い顔をした騎兵だけではなく、その馬までもが嘲りを浮かべる。長槍を突き出した獣兵の頭部目掛けて槍を突き出した。
その背後からは、勢いをつけた騎兵達が獣兵を踏み潰さんと鬨の声を上げる。獣兵たちの長槍は確かに役目を果たしたのだが、勢いを止めることはできなかった。
「な、なんだこいつらは、脆弱な人間のくせに――」
そう漏らした獣兵の身体を貫き、騎兵は一気に駆け抜けていく。要塞の正門目掛けて一直線に。
立ち塞がるのは鹿族の獣将。ここを通しては己の名誉に関わるどころか、鹿族の獣王の立場が危うくなる。牛族の傘下に甘んじている以上、今はその下で確固たる地位を築くしかない。いずれ訪れるそのときまで、刃を研ぎ澄まし、ひたすらに信頼と信用を勝ち取るしか道はないのだ。
故に人間ごときには負けられない。騎兵などという兵種は、人間同様に絶滅する運命にあるのだから。
「――来いッ!! 叩き潰してくれるわ!」
騎兵の槍が突き刺さる。獣将の肉体を傷つけるが、貫くまでには及ばない。その槍を掴み上げると、鹿族の誇りが騎兵の心臓を一撃で貫く。激しく吐血する騎兵。槍を圧し折り、嘲りを浮かべる獣将。騎兵の身体を半分に捻じ切ると、上半身だけが角に残った。
「なんとたわいのない。所詮は――」
「――勝利ヲ」
「まだ生きていたのか。惨めな羽虫め、消えうせろ!」
「――シェラ大佐ニ勝利ヲッ!!」
首を引きちぎるために角から引き剥がした瞬間、余裕を浮かべる獣将の顔に、騎兵の貫き手が放たれた。指は歪な形に圧し折れたが、右の眼球はつぶれ、更に内部を抉るように動かしている。急所を突かれて悲鳴を上げる獣将、上半身だけで笑う騎兵。その両者を黒旗のついた槍が貫いていく。相打ちになったことに満足そうに頷くと、騎兵はようやく目を閉じて力尽きた。
後続の一人が、こときれた騎兵の首を刎ねて脇に抱えると再び全力で駆け始める。主の下に共に帰らねばならないからだ。
鹿族の兵は、将が討ち取られた事で統率が乱れている。王が出張ればすぐに収まるが、今は後方のビルの傍に控えており指揮を取る事が出来ない。ばらばらに槍を向けるが、騎兵の突進を止める事はできなかった。
どこからともなく現れた謎の騎兵達は、見事に敵前線を突破し、要塞へとたどり着く事に成功した。要塞内部は大騒ぎとなったが、人間であることは間違いないので、城門は開かれ迎え入れる事となった。どちらにせよ外壁は半壊しており、開こうが開くまいが大した差はなかったのだ。
瓦礫の散乱する外壁の上に、黒鎧を纏った少女、シェラが現れる。大鎌を肩に構えると、旧友に会ったかのような懐かしい表情を浮かべた。
「皆とはずっと一緒だったけど。こうして会うのは久しぶりかな。――おかえり、皆。また会えて、本当に嬉しい」
その声を聞くと、正門前で素早く整列した五千の騎兵達から嗚咽のような声が漏れる。
しばらくすると、一人の騎兵が号令する。
「隊旗ヲ掲ゲヨ!」
騎兵達が自らの誇りの象徴を一斉に翻す。黒き旗に白いカラスの紋章。かつて死と恐怖を振り撒いた黒き軍隊。息絶えたはずの彼らが再び大地へと蘇った。己の主の下に馳せ参じる為に。
「シェラ大佐ニ、敬礼ッ!!」
全ての馬上の兵達が寸分の乱れなく敬礼する。それを見たシェラは、心から満足そうに微笑んだ。
「これから楽しいお祭りが始まるの。お祭りには一杯食べ物が必要でしょう? だから一緒に頑張りましょう。皆で食べると、ご飯はとっても美味しいから」
ちょっと休憩。毎日更新とかやっぱ無理でござる。
次回、『焼肉食べ放題』。