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宰相府、史料編纂所所長アラン・イジドール

子供の頃から歴史が好きだった。母親の寝物語には何度も何度も繰り返してアラン様の――僕と同じ名前だったのもあり大好きな人なのだ――冒険、ロマンスを聞いたものだ。歴史には物語がある、そうして僕は金色の髪を揺らして戦うアラン様を思い描いては、僕もその場にいるような、アラン様が戦っているのをこの目で見るような感覚に陥るのであった。それは大きくなってからも変わらないで、歴史書を読む内に僕は、草原地帯を駆ける遊牧民達の友連れになり、またフィリップ聖王のミサにも参加していたのだ。歴史は僕を惹き付けた。だからこそこうして大人になった今では、史料編纂所に勤めているのだが――趣味に留めるべきだった。いやまあ、散逸した史料を回収したり、財務局の文書館を整理するのは楽しいことだ。しかし、やはり、このように吹雪吹き荒れる雪山なんぞに来ると、転職を真面目に考えたくなる。


コートの襟を立てて、痛む耳を隠すが、雪は容赦なく僕の身体を攻め立てる。一歩進むたびに足は雪に埋まり、体力は急速に消費されていく。メルランド国北部フィノン地方にある霊峰、アンセル山に僕はいる。出張だ。僕の仕事は史料の編纂であるが、その中にはオーラル・ヒストリーの聞き取りまでもが含まれていて、歴史家というよりも冒険家みたいだけど、こうやってこんな所にまで脚を運ばなくてはならないのだ。今日の目的は、これまで不明だった我が国の始祖アラン様の、聖別時の状況を聞くことだったのだが――いかんせん、寒い。アラン様なら恐らくなんてこともなく突き進めたのだろうけど僕は所詮給料も安い文官であるから体力仕事は勘弁願いたい。僕は泣きそうになりながら雪を突き進んでいく。


アンセル山自体はかなり高い山なのだが、僕の目的は中腹にあるので、まあ、大丈夫だろうと考えていたのだ。地元の登山家の話も聞かないで登ってきたが、山を舐めていた。それなりに危険な仕事だからあまり人を連れてきたくなかったという理由があるにせよ、やはり今度からはガイドを連れてこようと決意したのである。最も、こういう仕事が来ないのが一番ありがたいのだけれども。


およそ半日掛けて、アタックに成功した僕は、目標である祠にたどり着いた。疲労困憊していた僕は近くの洞窟で食事と休息を取った後、祠へと侵入していったのである。祠は打って変わって暑いくらいで、僕は帽子とコートを脱いで腕にかけている。というのもこの祠は火の神を祀っているから、その霊力が祠内を燃え立つような熱さにしているのだ。道の先に光が見えてきた。荷物になるといけないので、僕はコートと帽子とを道の脇に置いて、いつも通り鞄とステッキだけというスタイルに戻った。道の先へ入れば、広く開けたドーム状の空間があった。中心には煮え立つマグマがその熱気を沸き立たせ、反響する音が耳をつんざく。さて、今日もお仕事頑張ろう。


マグマが活動を盛んにする。気泡は弾け、地面は震動を始める。気泡は重なりあい高さを増し、遂には火柱がドームの天井にまで届いた。僕が火柱をじっと睨んでいるといやに内臓に響く笑い声と共に、巨大な神がその姿を現した。うねくり太い牛の角を頭に生やした、何処かしら若い好青年風な男の上半身と、焔の渦に包まれて確認の出来ない下半身、現れると同時にハイテンションな高笑いをあげながらドームを縦横無尽に飛び交うその様は、伝承通りの火神コルタツァル様だ。

『貴様ァ、よくぞここまで来たな! 人間に会うのは300年ぶりだ、歓迎してやろう』


コルタツァル様はニタニタと笑いながら僕を見下ろしている。僕は礼をした後、口を開いた。伝承にある火神への礼賛を行い、様子を伺ってみたがどこか機嫌がよさそうだ。これなら予想外に仕事が捗りそうだ。僕は仕事の依頼を行おうとした。


「コルタツァル様、お願いがあるので……」

『どうしたァ! やるかやるのかやっちゃうかァ!? いいぜェ、俺を従わせるんなら俺に力を示して見やがれ!』

「いえ、その、お話をうかがいた……」

『うるせェ、勝負中にゴチャゴチャしゃべくってんじゃねェよ!』


ああ、ダメだ。この神、頭がイカれてる。

話を聞こうともしないコルタツァル様は再度うねくりドームを右へ左に上へ下にと飛び交った後、マグマへと飛び込んだ。そうして間もなく、マグマの塊を引き上げながら、空中へと戻ったコルタツァル様は、高笑いと共にマグマを両腕の周りに巻き付かせていく。大質量のマグマは宙に浮きながら爆ぜていて、伝承を参考にすれば、コルタツァル様はこの塊を僕に向けて放つつもりだろう。


『少しは骨のある所を見せてくれよ、人間! 魂まで燃え尽きやがれ!』


ほら来た。身体を折り、勢い良く腕を振り抜いたコルタツァル様、マグマは濁流のように僕目掛けて突進してくる。僕は、鞄を後ろに放り投げた。


一つ、二つ。僕は魔法でマグマを凍らせる。駆け出してマグマの上に飛び乗った僕は、そのままのスピードでマグマを凍らせて道を作っていく。視線の先のコルタツァル様は笑いながら指先を動かした。両側からマグマが浮かんできて、蛇のように僕に襲いかかってくる。前のめりに飛び込んで避けながら、僕はコルタツァル様へとまっしぐらに走っていく。コルタツァル様の口の端に驚愕が見えるほどに近づいた時、マグマの熱で道は熔けきってしまう。その寸前に僕は跳ねて、コルタツァル様に飛び掛かる。そうして、ステッキを持った方の手を握り締め、空中で振りかぶる。勿論、火傷しないよう魔法で保護しながら――


「コルタツァル様、話を聞いて下さい!」

ふと、思い出した。たしかアラン様もコルタツァル様の頬を殴り抜いた。それが右の頬か左の頬かは定かではないが、気づかない内に僕はアラン様の伝承をなぞらえた訳だ。ワクワクしながら、僕はコルタツァル様の顔に拳をめり込ませた後、自由落下していったのだ。




「ですから。今日僕がここに伺ったのは、始祖アラン様の伝承をコルタツァル様に訊ねに来ただけで、別にコルタツァル様と戦いに来た訳ではありません」

『……そうか』


僕はマグマ沼の岸辺に正座しながら、コルタツァル様と向かい合う。コルタツァル様は少しだけ寂しそうに、『そうか、そういうことなら、仕方ないな……』などと呟いている。まるで玩具を取り上げられた子供みたいで、何処かしら可笑しい。さすがは神らしくない神だ。


『それで、貴様は何を知りたいのだ? アランがこの山の麓にある池で溺れかけたことか?』

「いえ、それに関しては以前、あなた様に伺った史料がありますので結構です。聖別の時に関して、幾つか疑問点がありまして、伺いに来ました。聖別時、つまり、アラン様が時空神と出逢っていた時に、あなた様は他の諸神とは違いアラン様に付き添ってはいらっしゃらなかった。その時あなたは何処におられたか、また、何故付き添われなかったのか、お伺い出来たらと思います」


僕はコルタツァル様を見上げる。顎に手を当てるその姿は、とぐろを巻く火炎さえなければ人間に見える。コルタツァル様は小さく頷いた後、僕に語り出した。


『確かその時には、水神と共にいたな』

「クレツィオ様と?」

『ああ――どうした? 何か問題でもあるのか』


問題なら、大ありだ。アラン様の史料に於て一番信頼のおける『コプレンツ伯手稿』には、クレツィオ様こそがアラン様の手を引き時空神への面会を果たさせたと書いてある。勿論、コプレンツ伯は聖別時には下界にいて、アラン様から聞いた話を手稿にしたためただけであるから、絶対ではない。そうなると、やはり問題大ありだ。これだと歴史学界で大騒動が生まれるではないか。


「……それでは、コルタツァル様はクレツィオ様と何を為さっておられたので?」

『すまぬな、それはもう忘れてしまった。水神にでも聞いてくれ』

「はい、分かりました」


溜め息をついて、僕は立ち上がる。どうせクレツィオ様の所には行かなければならないのだ。前向きに行こう。そう考えたが、まさか、子供時代に思い描いていた光景に誤りがあっただなんて。僕は少しばかりガッカリしていた。それでは、ありがとうございましたと、コルタツァル様に礼をすれば、クツクツと笑う声が響いた。見上げればコルタツァル様は愉快そうに僕を見下ろしている。


『なんだ貴様、楽しそうな顔をしておるな。なにかあったのか?』


楽しそう? 何を言っているんだこの神は。僕は呆れながら神を見上げつつ、ふと、気がついた。笑ってる。僕は笑っていたのだ。失望が覆っていた筈なのに、今僕の胸には、なにか暖かい物が渦巻いていた。それがなにかはよく分からない。しかし、僕は今、失望の中でも確かに、次に行くべきクレツィオ様のことを考えていた。思いの外仕事熱心だったらしい。


『……そうか! 貴様やるか! 先は些か油断しておったか、二度も人間に遅れを取る俺ではなァい! さァ、貴様の力を見せ――』

「いえ、結構です」

『……そうか』


僕は立ち去ろうとした。その時、何か思い出したように僕に霊力を注ぎ込んできたコルタツァル様は、『面白い奴だ、また来い』と仰られた。まあ、どうせ今回の件で聞き取りを重ねなくちゃならないので、来ることになるだろう。僕は礼の後にドームから出た。



コートを着て、数時間ぶりに外に出た。吹雪は止まず、また、辺りは暗くなっている。この中をまた帰らなくちゃならないのか、遭難して死ぬぞ。そう考えた僕だけれど不思議なことに気がついた。寒くないのだ。それに、僕の周りがほのかに明るい。不思議に思っていたら、左手の甲に紋章の形をした痣が光っていた。火炎を背負った牛の紋章はコルタツァル様の物だ。先の霊力は、こういうことだったのか。僕は考えたものだ、神は何故ああまでも人間臭いのだろうか? いくらか他の神にも会ったが、皆、何処かしら人間のようなところがある。面白いものだな。小さく笑いながら、僕は行きよりかは快適になった帰路を歩いていった。

とはいえ、下山を果たした後、地元の住民達から夜間の下山をこっぴどく叱られた僕は、へとへとになって夜を眠るのであった。




翌日、そのまま帝都に帰還し、書類を作成してみたが、やはり、公表する訳にはいかないだろう。局内にはひとまず報告したが皆唖然としていた。そりゃそうだ、建国史研究におけるある種聖典に近い史料に誤りがある可能性があるんだから。

僕は比較的手の空いていた部下達に現存する史料の考証を命じて、一方、僕はと言えばまた次の出張に備えて旅支度をしている。湿原地帯だから長靴が必要だろう。森に入るから、今度こそはガイドを雇おう。旅行鞄に荷物を詰め込んだ後、僕は宙を見つめてほうと溜め息をつく。ふと、本を一冊入れ忘れているのに気がついた。子供向けに書かれたアラン様の伝記だ。手垢にまみれて紙はクシャクシだし、角なんかは擦れて磨耗している。僕が母さんに寝物語をしてもらう時に読んでもらっていた、あの本だ。僕は鞄に本を入れながら、密かに微笑むのだ。確かに子供の頃に描いた光景は崩れてしまった。しかし、だからこそ、僕は楽しいのだ。僕はこれから事実を見ていく。そうして、それら断片を一つ一つ繋ぎ合わせて行き、また新たな歴史を作り上げていくのだ。やることは子供の頃と変わらない。アラン様の後を辿り、一緒に歴史を見ていくのだ。


僕は眠ることにした。明日からまた出張に行かなくてはならない。早速クレツィオ様のいるエレジア地方に行かなくちゃならない。東へ西へ大忙しだ。大変だ、けどやっぱり、楽しくて仕方ない。

僕は夢を見た。椅子で本を読んでいる僕の足元に、小さな男の子がまとわりついてくる。その男の子はどこか小さな時の僕にそっくりで、彼は僕にお話をしてとせがむ。お姫様と勇者のお話、騎士と騎士との友情のお話。僕は、この世に起きたありとあらゆることを話してあげる。そうして彼は彼の胸の中でまた、物語を、歴史を紡いでいく。夢の中で僕は笑った。子供の為に、子供の子供の為に、僕は自分の仕事を誇りに思う。親から子へと受け継がれて今まで残ってきた、歴史という偉大な遺産。誰にも負けないくらい僕は、この歴史というやつが大好きなのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公、楽しそうでいいですね。
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