第四十七話 焦熱、噴炎、二重の策
ギアッツはなぜ、霧降谷の深部にいるレイたちの居場所にたどり着けたのか。
それは古代兵器の共鳴反応を探知していたからだ。最初に捉えたのは幻霧鞭の反応だったが、それがカニャッツォのものか、レイのものか――その時点では判別できなかった。だが、その反応が消えてしばらく経ったのち、霧の中を進みあぐんでいた彼が感じたのは、今までにない強烈な反応だった。
脳裏に真っ先に浮かんだのは、この霧降谷の主――トレンブル。だが、世界法則を使役するドラゴン族の竜語は、古代兵器が共鳴する次元のものではない。それでも彼が“気配”として感じたのは、あの存在に出会った瞬間を思い起こさせるほどの、強烈な重圧だった。
ギアッツの推測は確信に変わった。フレンネルを旅立った少年が古代兵器の資格所持者であるということを。――そして、その重要性も。
そして彼が今、眼前の少年に感じているのは、間違いなくあの時と同じ重圧だ。対峙する者の内に潜む力の大きさに、火刑槍が昂ぶる。**その叫声が骨の髄にまで響き、**久しく嗅いでいなかった戦場の狂気の臭いを、嗅覚に甦らせた。
だが、それで彼の理性が鈍ることはない。ギアッツは火刑槍の絶叫など聞こえていないかのように眉ひとつ動かさず、刀を正眼に構えた少年を見据えたまま言った。
「どうした、レイモンド君。なぜ『声』に抗うのだ」
レイは答えない。額に滲んだ汗が頬を伝って地面に落ちた。返答の代わりに、自らの昂ぶりを鎮めるように深く息を吐き、構えた刀の切っ先を下した。
「……何のつもりだ。戦いを諦めるというのかね」
レイはそのまま刀を回し、鞘に納めた。だが、二人の視線は咬み合ったまま、動かない。
ためらいはない。背水の陣、焚舟破釜――自分を追い詰めて力を引き出そうとしているわけでもない。
レイは、ギアッツとの実力の隔たりが自分の想像を遥かに上回っていることを自覚していた。セント・クレドを解放しただけで、その差を埋められるとは思っていない。
全く勝機が見いだせない状況で容易に手の内を明かせば、古代兵器の扱いに慣れていないレイにとって、戦いが長引くほど不利になる。
通用するのは最初の一撃、あわよくば二撃。戦況を覆すのに必要なのは、一瞬の隙を突くことだ。
「ふむ、何か策を見出したか。ならば確かめさせてもらおう」
ギアッツは、その瞳に闘志が失われていないのを確認すると、炎熱を纏った火刑槍を構えた。
「三重衝『焦熱』――納刀したままで、どうやって防ぐ?」
言い終わる前に、レイは大きく左後方へ跳び退いた。だが火刑槍の穂先は、その方向をすでに捉えている。
「逃がさんよ」
突き出された穂先から勢いよく噴出した火炎が、跳び下がったレイに迫る。その間にもギアッツは一歩踏み込み、柄を短く持ち直して二撃目の初動に入っている。
火刑槍発動状態で繰り出される三重衝は、単純に穂先に纏った炎によって突きの射程が伸びるだけではない。通常の突きと炎の噴出によって、一突きで二段階に射程が伸びるのだ。
三重衝と同じ速度で二倍の攻撃が繰り出される「六重衝」を直線上でかわすのは不可能。横に避けるしか選択肢はない。
だが、レイはそのまま軸足に渾身の力を込めると、踵で地面を蹴ってさらに真後ろへ跳んだ。
愚策にしか思えない選択。だが結果、二撃目の炎の穂先はレイに届かなかった。片足で地面を蹴っただけにもかかわらず、その身体は十メートル以上後方へ宙を舞い、大きく射程外へと逃れたのだ。
『おまえが信じ、想えば、全てはことごとく成る』
かつて鏡面の心中で聞いた声は、そう言った。レイは今までの経験から、聖信者の魔剣の能力を理解しつつあった。
その能力とは「意志を現実化させる」こと。使役するために必要なのは揺るぎない覚悟と、完成させた行動の理想像。それは斬撃の精度を高めるだけでなく、霧降谷で谷底に落下した時の衝撃を和らげたように、肉体にも直接作用する。
横に避けるしかない状況でその通りに動けば必ず追撃を受けてしまう。壁際へ跳ぶイメージを描いて地面を蹴ったが、セント・クレドが発動するかどうかは大きな賭けだった。
(よし、上手くいった。今のところ制御できてる。能力もばれてない。落ち着け、落ち着くんだ。あと、もう一手……)
**だから納刀した。理由は二つ。**ひとつは、発動の瞬間に媒体となっている刀の変質をギアッツに悟られないようにするため。能力を知られていないというのは、最大にして唯一のアドバンテージだ。
そしてもうひとつ――レイは、この黒漆塗りの鞘を「覚悟の檻」と定めた。共鳴反応で今にも表に出てきそうな心の中の獣を律するのに、媒体である刀を納めている鞘は最も合致したイメージだった。逆に鞘から一度でも刀を抜き放てば、荒ぶる魔剣を再び抑え込むのは困難に思えた。
(これは……身体機能を強化する類の古代兵器か)
常人ではあり得ぬ跳躍に、ギアッツも古代兵器を使役した可能性に気付いた。しかし確証は持てない。レイの古代兵器は、手にしている刀か首から下げたペンダントのどちらかだと推測していたが、そのどちらからも発現の兆候は確認できない。見えない場所に隠し持っている可能性もある。
(――だが、射程を見誤ったな。このまま貫く!)
その疑念も、ギアッツにわずかな躊躇を与えたに過ぎない。まだ空中にいるレイの着地点を狙い、勢い衰えぬまま三撃目を突き込んだ。六重衝三撃目の射程は十メートル強。レイは壁に阻まれてそれ以上後ろに退くことはできない。横へ逃げれば回避は可能かもしれないが、足はまだ地面に届いていない。
レイが壁際に着地した時には、鋭い炎の穂先が眼前にまで迫っていた。すぐさま体勢を立て直すが、もはや回避の猶予はない。刀で防ごうにも、実体のない炎を受け止められるはずもない――普通の刀剣であれば。
しかしレイは、まだセント・クレドを抜かなかった。ただ、鞘に納まったままの刀を迫り来る炎の前に、かざした。
――壁際へ迫った炎槍の火勢が急激に衰えた。そして、かざされた黒漆鞘へ触れるより先に、見えない何かに阻まれたように炎の穂先が四方へばらけ、宙に掻き消えたのだ。
それはレイが鞘で炎を防いだように見えた。しかしギアッツは動揺することなく、逆に苦笑しながら構えを解いて振り返り、観覧席を見上げた。
「――なるほど。壁に張られた魔術障壁を利用して炎を相殺とは。ウィニフレッド嬢の仕業だな」
鋭い眼光を向けられたウィニーは、とっさに目を逸らして知らぬ風を装ったが、動揺を隠しきれていない。リッチモンドがその様子にハッとして二重煉瓦の外壁に目を凝らした。
「ウィニー、魔法陣に細工をしたな!?」
よく見ると、レイが立っている足元に、ごくわずかな光を纏った見慣れない小さな文字が、壁際に沿って連なっていた。もともと練武場の外壁には強度補強のために魔法陣による強力な魔術障壁が掛けられているが、その文字は壁の外周に沿った地面に施してあった。急速に明度を失いつつあるそれは、数秒もしないうちに完全に色あせ、地中へと消えた。
「障壁が弱かったから、将軍が無茶しても壊れないように重ね掛けしといただけよ」
悪びれる風もなくウィニーは言うが、内心はそうではなかった。彼女が動揺しているのは、障壁が火刑槍の一撃で破られかけてしまったからだ。そもそも、魔術構成を図式化するという最高位の技術である魔法陣を、彼女が模倣できるわけもない。既存の陣に無理矢理接続させ、持続性を持たせるのが精一杯だったのだが、それでも注ぎ込んだ魔力量を考えれば、相当の攻撃負荷に耐えうるはずだった。
「構わんよ。兵は詐なり、と言う。戦場においては勝利が必定。策を弄してでも勝とうという気概は評価しよう」
言う通り、ギアッツは全く気にしていなかった。あわよくば古代兵器の能力と錯覚して攻勢を弱めてくれればと思っていたが、やはりハッタリが通用する相手ではない。
ウィニーの仕掛けた障壁が火刑槍を一度でも防いでくれただけでも十分だ。正直なところ、眼前に迫る炎の勢いの凄まじさに、障壁が発動しない可能性が脳裏をよぎり、刀を抜くべきかどうか一瞬迷ったのだ。
「……だが、飽いたな。君の反応の速さはもう十分理解した。このままで捉えられぬこともないが、少しおとなしくしてもらおうか」
ギアッツは片手で火刑槍を振り上げると、勢いよく前方の地面へ突き刺した。すると穂先を覆っていた炎が地面に燃え移り、油に引火したように地を這ってレイへと迫る。走る炎は途中で左右二筋に分かれ、壁に到達した瞬間、その軌跡から猛炎を噴き上げて、レイの左右に炎上する赤壁を成した。
後方には分厚い二重煉瓦の壁。左右には天蓋に迫る勢いで燃え上がる炎の壁。退路は完全に塞がれた。
両側から吹き付ける熱気が額に次々と玉の汗を浮かべさせるが、それでもレイは鞘を前方に掲げたまま、動かない。
「ふむ、この状況でもまだ刀を抜かない……つまり、温存する必要があるということは、古代兵器の本体はその刀と見て相違ないか。いずれにせよ大した胆力だが――ますます、君の力を見てみたくなったぞ」
ギアッツはそう言うと、大きく後方へ跳び下がった。そしてゆっくりと火刑槍を持ち上げ、体勢を低くして顔の横に構えた。
「一角槍術の真髄をお見せしよう。小細工は通用しない。これを受けきれた者は我が騎士団にも皆無だ」
それは「雄牛」と呼ばれる一角槍術独特の突攻の構え。しかし、騎乗していない徒歩の状態で突攻をどうやって繰り出すつもりなのか。ギアッツが後退したことで両者の距離は十五メートル以上に開いた。おそらく火刑槍を伸ばしても僅かに届かない。まさか、超重量の火刑槍を抱えて自らの脚力で突進するつもりなのか。
意図がつかめぬまま、レイも刀の柄に手をかけて迎撃姿勢を取る。
「…あっさり死んで失望させてくれるなよ」
空いた片手で赤い顎髭を撫でると、柄を手中で回転させて槍を逆さに持ち替えた。背面に突き出した穂先を覆っていた火炎が消え、急激に冷やされた聖銀の地金が白銀へと戻っていく。
一呼吸の間の静寂。両者の空気の流れが止まった。――そして次の瞬間、火刑槍の柄と穂先の根元から先端までが赤銅色へと一気に変化し、鼓膜を揺らす音と共に後方へ火炎を噴き出した。
後方の壁にまで噴き付ける激しい逆噴射の反動が、ギアッツの身体を大砲の弾丸のごとく、レイめがけて一直線に撃ち出した。
「まずい、陣の出力を上げるんだ! 直撃すれば崩壊する!!」
リッチモンドのとっさの叫び声に姉のクリスティーナが反応し、観覧席の入り口の壁に描かれた魔法陣へ駆け寄って手をかざした。リッチモンドが懸念したのはレイの身の安全ではなく、練武場の壁の強度の方だ。
石突きによる突攻とはいえ、この速度で食らえば五体満足では済まない。真正面から受けるか、左右の炎壁に死中の活路を見出すか。刹那の判断が勝敗を分つ――
注ぎ込まれた大量の魔力によって壁一面に彫られた魔法陣が一斉に輝いた。練武場の明るさが増し、全員の視界が白に埋まる。
レイはそこで初めて、かざしていた鞘から手を放した。重力に従って鞘が落ち、深い蒼と沈んだ黒に染まった刀身が現れる。そしてその場に留まることなく、右足で地を蹴って真上に飛び上がった。
前後左右を塞がれて逃げ場は上にしかない。だが、片足で飛び上がった高さは一メートルにも満たない。突攻から逃れるには高さが足りないのは明らかだった。
しかしレイは、落とした鞘の小尻が地に着いた瞬間――その頂点、鯉口を浮いた左足で踏みしめた。
鞘を利用した二段目の跳躍。握り締めた刀の切っ先、帽子火焔の刃紋が揺らめいて刀身が一層蒼さを増し、レイの身体は一気に上空へと翔け上がった。
(この期に及んで逃げを取るとは愚かな――致し方なし、叩き落とす!!)
上空五メートルに飛び上がったレイを、突攻の途中で見上げる格好になったギアッツだが、突き出した柄を両手で担ぐと、浮いていた右足を思い切り踏み落とした。鋼鉄の爪先が地面にめり込み、減速の反動で後方の猛炎を噴き上げる穂先を、突攻の勢いそのままに振り上げた。
周囲の大気を食い尽くす火炎を纏った長大な炎槍が、熱風の尾を引いてレイの前方から迫る。跳躍の頂点に達し、空中に逃げ場はない。
火の粉を散らしながら、今まさに振り落とされんとする火刑槍。勝負は決したかに見えた。
「――今よ、レイ! かかったわ!!」
その時、観覧席の上から身を乗り出してウィニーが叫んだ。
「!?―――」
見開いたギアッツの瞳に映ったのは、外壁の最上部からドーム状の天蓋中心へ向かって八方から伸びた光の筋。天辺で交わった八筋の光が、刹那の煌めきと同時に網の目のような幾何学模様となって一気に広がり、天蓋の全面を覆い尽くした。
空間を切るような残響。天蓋すれすれに達していた燃え盛る炎の穂先の上半分が不安定に揺らめいたかと思うと、突風に吹かれた蝋燭の火のように一瞬で消失した。
【用語解説】
『頂脚』
流派:烏丸流剣術 壱ノ型
鞘を地面に突き立て、踏み台にして高く飛び上がる。下げ緒を解いて持てば跳躍後に引き戻した鞘で攻撃することもできる。祖流である独歩毘沙門流にもある技で、緊急回避からの強襲に用いられるが実用性は低い。もともとは忍術に見られる「鐺立て」という技術から派生したと推測される。
『雄牛突攻・噴炎』
流派:一角槍術
顔の横に上段で構えた槍を突撃の勢いに乗せて突き出す「雄牛突攻」を、火刑槍の逆噴射による超加速から繰り出し、突進の勢いのまま燃え上がる穂先を振り下ろして叩き付ける。その加速度は大砲の発射速度に等しく、破壊力も凄まじい。




