第四十六話 炎将ギアッツ
ウェルシンガム家は、さかのぼること約三百年前に赤土の大陸から移住した、アルフレッド・ウェルシンガムを祖とする太術士の一族である。
当時、ラテライト大陸に点在していた四つの都市国家が集合されて誕生したばかりの「赤土の王国連合」は、その影響力拡大のため、中核組織である「赤土の魔術士同盟」の優秀な魔術士を各国に送り込むという移民政策を行っており、彼もそのうちの一人であった。
魔術先進国からの術士を各国は喜んで受け入れ、アルフレッドも移民でありながら、霧降山脈裾野の有力領主に登用され、魔術指南役として活躍した。
そのおよそ六十年後。世界暦七九九年、オークルオーカーを拠点とするボーフォート家が勢力を拡大し、風神の大陸北部を統一、エクベルト王国を建国した。
ウェルシンガム家は仕えていた領主との縁組でバーサーストの統治者となっており、主家が敗れた後も独立領主として王国に抵抗するが敗北。しかしながら、王国側は大国となっていた赤土の王国連合との関係を軽視できず、結果的に処罰をまぬがれてそのままバーサーストに封じられ、「辺境伯」と呼ばれるようになった。
政界での権力は失ったものの、代々当主は王国有数の術士として騎士団に籍を置き、毎年、弟子の騎士団へと輩出する国内随一の術士養成機関としての役割を担っている。
バーサーストの屋敷には常時十人以上の見習い術士が住み込みで学んでおり、彼らの宿舎や講義室、食堂などの施設が整備されている。
その中でも特筆すべきは屋敷の地下にある練武場だ。半径三十メートルの円形の三重煉瓦の内壁で覆われており、その全面に魔法陣による魔術障壁を張り巡らせた強固な構造となっている。魔術障壁による強度増強により、建物全体の重さが加わる地下にありながら天井を支える柱を一本も要せず、壁に魔術を放っても傷一つ入らない。
これに類する規模の設備はアイオリス大陸においては、他に二つとない。――もっとも、これらの設備の維持に多額の費用がかかるため、ウェルシンガム家は貴族の身分では貧乏な部類に属するのだが、それはまた別の話である。
その円形練武場の中央に立つ者が、二人。
赤髪に赤髭を蓄えた、立派な体格の壮年の男性。軽装の鋼板鎧がその厚い胸板を覆っている。そして何より目立つのは地に突き立てられた、身長のさらに倍以上はある巨大な馬上槍。
それに相対するのは、金髪蒼眼の少年。黒漆塗りの刀鞘を腰に帯びているが、防具の類は一切、身に着けていない。馬上槍との対比もあって一層、小さく見える。しかし、その瞳には堅い決意の炎が燃えていた。
三重煉瓦の壁の上部に、観覧用の広いバルコニーが突き出している。そこに居並ぶのは、ウェルシンガム家当主リッチモンド、長女クリスティーナ、そして次女ウィニフレッド。その横に立つ、ひときわ身長の高いロベルトが腕を組んで二人を見下ろしている。
「ディアマン殿、私はエクベルト王国騎士団長として、この決闘の正当性を証明しよう」
ギアッツが振り返ることなく、大きな通る声で言った。
「ああ、これは治安機構の認めた正式な決闘だ。責任は全て俺が持つことを約束する」
ロベルトが組んだ腕を解いて応じる。
「勝敗の条件は、どちらかが敗北を認めるか、戦闘不能に陥るかだ」
「了解した。レイモンド君はそれでよいかな?」
「…ああ、分かった」
二人は互いに頷いて、得物を構えた。ギアッツは剛質長大な馬上槍を抱えるように右脇に、レイは流麗な刃紋波立つ刀を右傾ぎ正眼に。互いの武器は、天井に備え付けられた巨大な幽玉鉱の青白い照明を反射して鋭い光を放っている。
「では、ご託は無用だ。――始めよう」
ロベルトは懐からマモン金貨を取り出すと、指で宙に弾いた。観覧台から練武場へと弧を描いて舞った金貨は、乾いた音を立てて地に落ちた。
それが決闘開始の合図。
最初に動いたのはレイだ。開始の合図と共に、大きく横に駆けて間合いを取った。ギアッツは微動だにせず、その動きを目で追う。
そして一瞬でギアッツの側面を取ると、一気に踏み込んで斬り込んだ。しかし、それよりも速く馬上槍の穂先がその動きを捉え、突き込みが迎え撃つ。
レイは踏み込んだ足の踵で地を蹴り、直前で突きを回避した。それでも動きを止めることなく今度は左へと動いて、再び斬りかかる。しかし、先程と同じように横の動きを追っていた鋭い突きによって、後退を余儀なくされた。だが、諦めることなく左に右に動き続けて、ギアッツに揺さぶりをかける。
「おお、まいったなこりゃ…。極まってやがる」
ギアッツの動きを注視していたロベルトが小さく呻いた。一角槍術の達人とは聞いていたが、彼の予想を遥かに超えていた。
馬上槍の使い手は馬から降りれば戦力ダウンするという常識は、ギアッツには全く通用しない。むしろ、不安定な馬上で重量兵器を正確に繰り出す筋力と技術を有する彼にとって、足場の安定した地上での突きは一層精密さを増す。それはロベルトの指摘した機動力の低下を補ってなお余りある。
ギアッツは右脇に馬上槍を構え、地面に突き立てた石突きを支点にしている。視線でレイの動きを追い、体軸の回転による最少動作で左右の揺さぶりを全て真正面から対応していた。さらにレイが間合い内に踏み込もうとすると一気に穂先を繰り出して、その動きを牽制する。
一見、レイが素早い動きで翻弄しているようにも見えるが、その実、ギアッツを戦闘開始から一歩たりとも動かせていない。
(だめだ、近づけない…!)
幾度か間合いへの侵入を試みているが、繰り出される突きの速度と精密さが凄まじく、刀で穂先を弾き返すことができないのだ。打ち合わずとも、突きをかわして斬り込むという方法もある。直線の攻撃なら避けやすいはずなのだが、間合いの寸前まで引きつけてから超速度で繰り出される喉元を狙った正確無比の刺突に反応できず、射程ぎりぎりで踏み込みを止まるほかなかった。
まさに一分の隙もない鉄壁の守り。崩せる可能性の片鱗すら見い出せない。これ以上、攻め込むのは危険だと悟ったレイは、間合いの直前で刀を構えたまま動きを止めた。
「……ふむ、その状況判断は正しい。間合いの掌握も正確で狂いがない。まず、第一段階は『合格』だ」
ギアッツは開いた左手で赤い顎ひげを撫でながら、穂先を水平に構えた。
「――では第二段階。攻めにはどう対応する?」
言うや否や、大きく踏み込んだ。レイは反射的に跳び下がる。一気に伸びた穂先が、先程まで立っていた空間を貫いた。半歩分、辛うじて突きを回避したものの、バランスを崩して後ろへよろめく。
その隙をギアッツは見逃さない。右手で火刑槍を引き戻すと同時にさらに大きく踏み込んで、前進の勢いで柄を滑らせて短く持ち直し、そのまま突き出した。
その間、わずか一秒にも満たない。初撃と全く同じ軌道から伸びた二撃目が、構えの解かれた胸部に迫る。
――刹那の判断。柄を持つギアッツの手の位置が穂先の根元まで達していないことに気付いたレイは、さらに同じ軌道の三撃目があること察知し、倒れこむような格好で横へと身をひねった。
だが、その動きもギアッツの想定の範囲内だった。槍頭の軌道を勢いのまま上へと突き上げ、踏み出した足を軸に身体を反転させた。穂先はレイの左腕をかすめ、身体の回転と共に後方に長く突き出た柄が、反対に横からレイの足元へと襲い掛かる。
突きをかわしたものの、姿勢を完全に崩されているレイに柄の薙ぎをかわすことは不可能だ。しかし、ギアッツも二歩踏み込んだ分、刀の間合いに入り込んでいる。
レイは右の手首を返し、思い切り地面に刀を突き立てた。柄と刀がぶつかる金属音が響く。遠心力が加わった薙ぎを受け止めきれず、レイの身体は刀ごと押し込まれる。しかし、その反動を利用して体勢を立て直すと、峰に肘を差し込み、両手で撥ね上げて薙ぎを捌いた。
そして大きく踏み込み、ギアッツの無防備な背中へと刀を振り下ろした。
だが、ギアッツの反応はそれをさらに上回る。弾き上げられた柄を瞬時に引き戻すと、全く振り向かずに渾身の振り下ろしを石突の先端一点で受け止めたのだ。さらにその反動で前方へと跳び、レイの間合いの外へ逃れた。
「……驚いたぞ。私の『三重衝』を初見で防ぎきったのは、騎士団にも数人しかいないのだがな。さらにそこから反撃を与えてきたのは君が初めてだ」
向き直り、目を見開いて言うが、声色に動揺は全くない。激しい攻防に呼吸を乱すレイに対峙する彼は、一粒の汗すらかいていない。
「さすがは大剣豪、烏丸九郎の直弟子だ。その年齢で末恐ろしい。――しかし、私が見たいのは君の『剣術』ではない」
ギアッツが霧降谷の深部に駆けつけた時、セント・クレドはすでにロベルトに封じられていたため、その正体を見ていない。
「出し惜しみをしている、と言うわけではないようだ。君の意志と関係なく『隠れている』のであれば、無理矢理でも引きずりだしてやろう」
巨大な聖銀の三角錐が、白銀から赤銅色へと変化していく。その周囲の大気が熱を帯びで陽炎のような揺らめきを纏ったかと思うと、次の瞬間、太い着火音と同時に、穂先全体が火炎に包まれた。
「火刑槍――それが私の『力』の名だ。レイモンド君、君の『力』はなんという名だ?」
問いかけながら、燃え上がる炎槍を構える。レイは無言のまま、正面を見据えて刀を握りしめた。頬を流れ落ちた一筋の汗は立ち込める熱気によるものか、それとも突きつけられた槍先から放たれる圧力によるものか、自分でも分からない。
「大公殿はそれを『人には過ぎたる力』と言った。私の『力』を認めたのは訳が違うのだと。私は一軍の将として、いやそれ以上に、武人を自負する者として、君の『力』を見たい」
それは彼の本心だ。ギアッツはレイの持つ「可能性」を認め、その存在を確信した。だからこそ、火刑槍を開放したのだ。
「私の心の中には声が響いている。火刑槍が君の中に潜む力を喚ぶ声が。君にも当然、聞こえているはずだ」
事実。ギアッツが火刑槍を開放した瞬間、遠吠えのような声がどこからともなく頭の中に響いた。
そして、同時に四肢の先にまで広がる感覚。精神の奥底で起き上がった「別の存在感」に心が震えた。それは昨日、セント・クレドを発現させようとして失敗した時とは、全く異質の強烈な昂揚と闘争心に満ちた違和感。
「未熟な資格所持者ならば、戦いを求めて喚び合う彼らの声に抗うことはできない。――さあ、見せてもらうぞ。君の持つ力を」
【用語解説】
『一角槍術』
風神の大陸の南部で編みだされた長槍術。開祖は不明。およそ五百年前のレクスヴァラ王国建国時に、戦狼騎士団の公式槍術として採用されていることから、その起源はさらに古いと思われる。現在ではアイオリス大陸各国の騎士団で習われており、正式な意味での「騎士」には欠かせない技術となっている。
大規模戦闘における馬上での立ち回りに重点を置いており、地理的に「騎馬戦」が行われることの少なかった他の大陸ではあまり普及していない。
『鉄の扉』
流派:一角槍術
槍を脇に抱え、地面に突き立てた石突きを支点にすることで、あらゆる方向からの攻撃に瞬時に対応する防御の構え。戦場での乱戦を想定した一角槍術ならではの技術。
『三重衝』
流派:一角槍術
槍術における極意の一つ、いわゆる「三段突き」。一撃目と全く同じ軌道で、二撃目の射程に短長の変化をつけることで間合いを錯覚させ、より射程の長い三撃目を必中させる技。
達人の域になると、あまりの速さに三回の突きが一度に繰り出されるのような錯覚に陥るという。
ギアッツの場合、武器が超重量の馬上槍であるため、一瞬三撃というまでの速さはないが、その長さを利用し、回避された場合に反転して柄での足払いに変化させることで、防御を困難にしている。ただし、三撃目に火刑槍の炎を噴出させれば、射程外に逃れることは不可能。




