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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
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第四十五話 日は入日

「また素振り? もう動いても大丈夫なんだ」


 戸口から現れたウィニーは軽快な足取りで中庭に入ってきた。


「えーっと、身体が鈍ってないかと思ってさ…」


 刀を下して、額にかいた汗を拭う。それが冷汗だとは気付かれないように。


「ふーん、ところでレイってさ」


 ウィニーはレイのすぐ傍まで歩み寄ってから、屈むような姿勢でレイを見上げた。


「――なーんか、隠してない?」


 意表を突いた問いかけにレイの動きが止まった。とっさに何気ない表情を取り繕うが、一瞬見せた動揺をウィニーは見逃さなかった。


「…ほんとに? さっきの食事の時もそうだったけど、なーんかレイに対して父さんとかギアッツ将軍の反応がよそよそしいのよねー?」


 ウィニーは立ち上がり、一歩踏み込んでレイの顔を覗きこんでくる。


 ロベルトからはセント・クレドの件は他言無用と口止めされているが、彼女はすでに霧降谷でのトレンブルとの一件でレイの持つ異能の力に気づいているはずだ。


「父さんに聞いても案の定なんにも教えてくれないし? 急に練武場の魔術障壁をやたら念入りに張り直してるし? 将軍は部屋に籠って武器の手入れしてるみたいだし? レイは妙に真剣な顔で素振りなんかしてるしー? これは何か始まるんじゃないかなーと思うわけよ」


 彼女はこの屋敷で何かが行われようとしているのを察知しているようだった。もともとレイはこういった類の駆け引きは得意ではない。このまま言い逃れできるかという自問に対する答えは初めから出ている。しかし、ウィニーにどこまで教えてよいものかを彼は判断しかねていた。


 それはロベルトとの約束以前に、セント・クレドに関する情報を知ることで、それを狙う者たちの悪意が彼女に及ぶことをおそれたからだ。


 答えあぐねているレイの気持ちを見透かすようにウィニーが言った。


「あのね、私はレイの持ってる力のことなんてのは、どうでものいいの。レイが今朝、言ってくれたじゃない。私がウェルシンガム家の人間だって明かした時に『家柄がどうであれ私には変わりないから気にしない』って。やっぱり身近にいる人たちって皆、私が領主の娘だってことに壁を感じてるのよね。どんなに親密な風を装っても、私の素性を知る後と前とで感じる違いって少なからずあるのよ」


 辺境領主、と政界では蔑まれていても、かなり古い由緒正しき名門の貴族である。彼女がその身分でありながら、格式ばった身なりをせずに砕けた口調で話すのは、身分の壁を作られたくないという心情の表れでもある。しかし、受け手がその意図を汲み取ってくれるとは限らない。


「でも、レイは霧降谷で出会った時から、話してる今も、全く変わりない態度で接してくれてる。だから、私もあなたが何者かなんて気にしない。――助けてもらったお礼もできてないし、何か困ってるなら力になりたいの」


 そう言って両手でレイの右手を握りしめる。上目遣いの潤んだ瞳に、さすがのレイも戸惑いを隠しきれない。


 しかし、狼狽するレイをしばらく見つめていた彼女の表情は、すぐに悪戯気な笑みに変わった。


「――っていうのは表向きの理由。ほんとは自分の家で何か起きようとしてるのに、私だけ知らないってのが気に食わないのよ。……だから、ほんとのこと話てくれるまで離さないわよ?」


 そう言って一段と、握り締めた手に力を入れて顔を近づけてくるウィニーに、レイは諦めた表情で小さく首を横に振った。


「…分かったよ。じゃあ、差し障りのないことだけで良ければ教えるよ」




「ギアッツ将軍と明日決闘するって? うちの練武場で?」


 レイが経緯を話し終わる前に、ウィニーは目を丸くして聞き返してきた。


「それって、もしかしなくても騎士団の入団試験ってことでしょ。すごいじゃない!?」


 彼女が驚くのも無理はない。騎士団にコネのある貴族の子息でさえ、団長自ら入団試験を行うなど聞いたことがないし、もしレイが入団するとなれば、彼女の知る限りでは史上最年少の王国騎士の誕生だ。


「いや、それが入団試験ってわけじゃないんだ。霧降谷で話しただろ? 俺はミクチュアに行きたいんだ。その為にはギアッツ将軍に勝たなきゃいけない。逆に負けたら騎士団に入るって条件なんだ」


 その否定に、ウィニーは首を傾げた。


「はあ? ギアッツ将軍に勝つ? 何言ってんの、その冗談って面白くないわよ」


「冗談だった方がありがたいよ、だから困ってるんだよ…」


 はあ、と返すように溜息をつくレイに、ウィニーはようやく話の合点がいったようで、浅くうなずく。


「あ、悩みってそれのことなわけね。じゃあ、ムリよ無理無理。無理に決まってるじゃない。ギアッツ将軍に勝つなんて、自惚れも大概にしろっての」


「いやそれ俺が取り付けた条件じゃないし…」


 即座に否定してくるウィニーに、無理無理言いすぎだろ、と思ったが言葉にはできにない。それほどに彼とギアッツには誰の目にも明らかな「格」の差がある。ウィニーはレイの弁明など全く耳に入っていない様子で、そのまま話を続ける。


「でも別に勝たなくてもいいじゃない。負けたら騎士団に入れるんでしょ。変な条件だけど何も悪いことないわよ。オークルオーカーの騎士団宿舎ってすごい豪華だし、国内にいれば会えないわけじゃないから、シトリだって悲しまないし。あ、心配しなくても私が連れていってあげるわよ?」


 なぜそこで故郷の幼馴染の名前が出てくるのかレイには理解しかねたが、そのことを問い返すと、いつかのような憐みの視線を浴びそうな気がしたので、あえて触れないでおく。


「でも、そういうわけにはいかない。俺は広い世界を見たいんだ。騎士団に入るのが俺の目標じゃない。それにフレンネルの皆に盛大に見送ってもらったのに、山一つ越えて帰ってきましたじゃあ、恰好がつかないよ」


「…ふーん、レイってやっぱり変わってるわね。普通なら騎士団に入った方が得だと思うけど」


 ウィニーは相変わらず理解しかねるといった表情だが、レイの意気込みは伝わったようだった。


「でも、レイが将軍に勝とうっていうのが本気だとして、私が協力してあげられることってあるのかしら。――あ! 暴発を装って私の太術で援護してあげよっか?」


 そう言えば、霧降谷でカニャッツォを追い詰めたのも、ウィニーとの連携が生きたおかげだった。しかし今度ばかりはそういうわけにはいかない。


「いやそれはダメだろ…、それにウィニーの魔術が将軍に通用するのかよ」


 彼女ももちろん本気ではないらしく、首をかしげて両手を掲げた。


「まず無理でしょうね。隙すら作れそうなイメージが湧かないわ。それにそんなことしたら、父さんが事後対応の心労ストレスでハゲる可能性もあるわね。まあいいけど」


 それはいいのか、と突っ込みたいのを我慢して、レイは再び刀を構えた。


「まあ、そういう事情なんだ。勝てるかどうかじゃなくて、やるかしないんだよ」


 その声色は諦めてはいなかった。素振りを再開したレイを眺めて、ウィニーが半ばあきれ顔で言う。


「やるしかないって言っても、勝てるわけないわよ。助けてあげたいけど、私にできることは――」


 ない、と言いかけて開いたままの口が止まった。少し考えてから、彼女は手を打った。


「いや、…あるわ。私が教えてあげられること。将軍の弱点とか戦い方とか、そういう直接的なことじゃないけど、将軍が知らないことで私が知ってること…」


「――あるのか!? なんでもいい、教えてくれよ」


 その言葉にレイも動きを止めて飛びつく。


「でも、そんなに大したことじゃないし、通用したとしても一回きりよ?」


「一回でも通用する可能性があるなら十分だよ。――で、何なんだ??」


 逆に彼女の方が心配そうな表情だが、レイはお構いなしにウィニーに詰め寄る。彼にすれば藁にもすがる思いだ。


「分かったわよ、教えるからそんなに慌てないで。――それにここじゃ説明できないのよ。とにかくついて来て」


 と、今度はウィニーがレイの手を引っ張って、二人は中庭を後にした。




 慌ただしく駆けていく二人の背中を、ちょうど中庭が見下ろせる二階の部屋の窓辺から見ていた者がいる。


 視線の主は、肩肘をついた手で無精ひげの生えた顎を撫でてから、口腔に溜めていた紫煙を長く吐いた。その表情は期待を込めた笑みが浮かんでいる。


「さぁて、あいつらは何を思いついたのか…。――ま、どっちに転んでも俺にとっては悪いようになりはしねえしな。楽しませてもらうぜ」


 視線を上げると、越えてきた霧降山脈の片隅を、陽が朱色に照らしていた。口の端からたなびいた煙が、斜光を浴びて薄黄ばんだ雲のように山際に流れ、そして部屋の外に出た途端、吹く風にかき消された。


 陽は、沈もうとしている。


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