第四十四話 必勝の秘策
『何とかして接近して、セント・クレドでぶん殴れ』
「―――って言っても、何とか、ってどうやるんだよ…」
自分の部屋に戻ったレイは、ベッドに身を投げながらぶつけどころのない不満を天井に向かって吐いた。
しかし、愚痴を言ったところで状況が変わるわけではない。天井の打ち板の境目をぼんやりと見つめながら、ロベルトの言っていた「秘策」を思い起こす
「ギアッツ将軍の持つ『火刑槍』は二足歩行する蟲の姿をした古代種族『ルベムゥト族』が造りだした古代兵器、本来は磔刑に使われた刑具だ。鋼鉄の外甲殻を持つ彼らを金属の槍で処刑することはできない。火刑槍は、聖銀の穂先内部に仕込まれた燃星晶が発する高熱と炎が、彼らの外甲殻をも貫通して確実に死に至らしめる」
彼は先ず、ギアッツの武器について話をした。
「並の人間なら穂先を高熱にさせて刺突と同時に火傷を負わせるのが精一杯だろうが、完全な資格所持者であるギアッツ将軍が使えば、穂先全体から猛炎を吹き出す長大な炎の槍と化す。通常の射程はおよそ五メートル、噴出する炎の勢いを一点集中させれば、突貫力はさらに増し、攻撃範囲は十メートルを優に超えるだろう。普通の武器で戦っても、炎に阻まれて近づくことすらできない」
火刑槍の指定遺物ランクはB2級だが、それは指定遺物に登録された時の所持者による基準だ。古代兵器の階級は、危険度に対する評価であるが、所持者がその力を扱いきれていないならその真価は分からない。ギアッツ・ヘイダールは三代目の所持者だが、もし彼が最初の登録者だったらAランクに指定されていても不思議ではないだろう。
「――だが、古代兵器は本来、人間のために造られた武器じゃない。つまり、将軍が外甲族でない以上、欠点はある」
「火刑槍は十字架に磔られた動かない受刑者を刺し殺すためのものだ。それも硬い外甲殻を貫くことを目的として、最大限の火力を出すことを主眼に造られている。つまり、あくまで処刑具であって実戦投入を想定された武器ではない。最大の欠点はその重量だ。炭素の筋繊維を持つ外甲族だからこそ扱える重量であって、人間が地上戦で用いるには重すぎるんだ。あれが馬上槍として使われているのも、甲冑装備した徒歩では到底、武器として使うことが出来ないからだ」
聖銀はその特殊な分子構造により比重のかなり小さい軽量化された魔法金属であるが、火刑槍の穂先内部の八割を占めている燃星晶は逆に密度が高く、比重も非常に大きい。
さらに穂先が重いゆえに全体のバランスを取るために柄も長く造られており、その全長は三メートル以上ある。さらに重量は二十五キロもあり、体格の良い大人でも脇に抱えるような格好で穂先を持ち上げるのが精一杯で、そこから攻撃を繰り出すことなど、よほどの修練を重ねないとできないだろう。
この古代兵器が世に知られてから四百年以上経っているにも関わらず、その所持者が三人しかいないことが、その特異性を証明している。
「そして今回の決闘の場所はこの屋敷内の練武場だ。騎馬は使えない。機動力ではお前に間違いなく分がある。セント・クレドを発現させて、火刑槍の炎を無力化することが出来れば、お前にも勝機は見えてくる」
「―――まあ、言ってることは分かるんだけどなあ…」
レイはベッドに寝転んだまま、首に下げた剣を模ったペンダントを目の前にかざした。それは春の日射しを受けて、柔らかな虹色の光沢を放っている。
「こいつを使いこなす、か…」
誰にでもなく呟く。思えば、今まで自分の意思で明確にセント・クレドの力を求めたのは、バルバリッチャとの戦いの中での最初の一回だけだ。霧降谷に転落した時もセント・クレドの発現によって落下の衝撃を和らげたが、あれも自分の意思ではないし、カニャッツォとの戦いでは、その力を頼ろうという気すら起こらなかった。
ロベルトが言うようにレイはまだ、その力を自分のものとして信用しきれていない。セント・クレドもまたレイのことを真の主だとは認めていない。気まぐれな獣を意のままに操るためには、お互いが持つ不信感を取り除かなければならない。
ロベルトから以前教わった、心を静めて理想像を描き行動に重ねる、という方法は古代兵器の制御訓練の一つらしい。それは無意識下でその力を使役する方法だが、反復して刷り込みを行う必要があるから、完全にものにするにはかなりの時間がかかる。
もう一つの方法、直接的に自分の意思で古代兵器を使役するという方法を、彼が教えなかったのは、レイがまだその力を自分のものと認識していなかったこともあるが、それ以上に懸念したのは、先代所持者が暴走した経緯があったからだ。
古代兵器の力を求めるということは、その破壊衝動に精神をさらすということに他ならない。資格所持者としての自覚と強い意志がなければ、精神を獣に食い尽くされ、逆にその意のままに操られてしまう。
「だから俺はミクチュアまでの道中で、徐々にその訓練をしていけばいいと思っていた。だが、今回の一件でその力を狙う連中の嗅覚が思っていた以上に鋭いことを理解した。重ねて言うが、これからもお前はセント・クレドを狙う連中の悪意を受けることになる。それからお前を護るのが俺の任務だが、降りかかる災厄の全てを払いのけることは不可能だ。今のうちに最低限の制御ができるようになっていなければ、この先、危険を冒して旅を続けるのは得策じゃない」
ロベルトは、話をこう締めくくった。
「これはお前自身の問題だ。そして、俺が教えてやれるのは心を静める方法と、意志を明確に持つための説教をくれてやることくらいだ。結局は自分の精神と意志の強さでそいつを調伏するしかない。そして、お前がこの国に留まるという選択をするなら、俺はそれを引き留めはしない。……もう一度よく考えておけ」
王国騎士団に入れば衣食住が保障され名誉も手に入る。だが、そんなものは全く望んでいない。広い未知なる世界への渇望は、安寧の生活を遥かに上回っていた。
まだ旅は始まったばかりだ。こんなところで引き返すわけにはいかない。
意を決してベッドから勢いよく飛び起きる。椅子に立てかけた愛刀を掴んで、窓際に進んだ。そして、開け放たれた窓の枠に手をかけ、そのまま外へと身をひるがえした。
部屋の外は、四方を壁に囲まれた小さな中庭になっていた。庭の隅に植えられた接骨木の葉が緩やかな風に揺れ、四角に切り取られた青空から射しこむ春の陽気が、芝生のぬくもりとなって革の靴底越しに伝わる。
霧降谷で呼びかけた時、セント・クレドは全く反応を示さなかった。それはトレンブルから存在を隠すためだったということだが、今はどうか。
腰に帯びた黒漆鞘から刀を抜く。霧降谷で幾度となく幻霧鞭の刃を受け止めたことで大きく湾曲が生じ、鞘に納まらず抜身で持ち帰えられたが、わずか一晩でその歪みがなくなり元の鞘に納まるようになっていた。
魔法金属である黒耀鋼の刃と打ち合って、刃こぼれ一つしてないのは驚異的なことだ。この刀を打った芦原愚竜坊道興という刀匠が名工だ、と言ったジルの話に偽りはなさそうだった。
レイは正眼に刀を構えた。静かに目を閉じ、深く息を吐く。心の中に水面を思い浮かべ、波紋が収まっていく心象を描く。
風が頬を撫でた。その感触に身をゆだねる。
緩やかに波が静まっていき、やがて心から全ての音が消えた。
静寂の中でレイは「その名」を呼んだ。
瞬間、不意に心の奥底が震える。湧き上がるのは異なる存在感。自分ではないものが、精神の根幹に踏み入れた感覚に、大きな波紋が立った。
それを静めようと大きく息を吐いたが、波紋は波となり、逆巻いて渦のように流れ始めて心はさらに乱れた。
しばらくその違和感にあらがっていたが、心の焦燥は彼の呼吸を徐々に荒くしていった。ついに耐えきれなくなり、レイは目を開けた。
柄を握りしめていた両手はじっとりと湿っていた。背筋にも冷たい汗をかいているのが分かる。
「――まいったな。これは手強そうだ…」
「どーしたの、なにが手強いって?」
呟いて額の汗をぬぐったその背後から、声が響いた。振り向くと、部屋の向かいの壁にある廊下への通用口からウィニーがこちらを覗きこんでいた。
【用語解説】
『指定遺物ランク』
大世界連盟が認知している古代兵器に付けられる危険度の階級。危険度の高いものからA、B、C、Dの4階級、各階級は1~3の段階に分けられ、A級については0~3の段階があり、D級には段階がない。
階級の基準として、D級は「魔法金属で造られた量産されたもの」で指定遺物の半分を占め、危険度が最も低く、申請すれば誰でも所持や売買ができる。
C級は「量産されたもので特殊な能力を持つもの、もしくは一品物で特殊な能力を持たないもの」でC級以上は所持、売買に連盟の認可が必要となる。
B級は「一品物で特殊な能力を持つもの」、A級は「一品物で特殊な能力を持ち、特に殺傷能力の高いもの」
階級は暫定的なものであり、真の資格所持者の出現などにより、危険度が上がったものについては階級が引き上げられることもある。
登録されている指定遺物は約350種あり、階級ごとのおおよその割合はD級50%、C級25%、B級15%、A級10%。
全11階級の最上位であるA0級は、S級あるいは神話級と呼ばれて別格視されており、このランクに指定されている遺物は五指に満たない。




