第四十二話 後出しのサイコロ
「まず、このたび娘を助けていただいたこと、各位に厚くお礼申し上げます」
食堂の長テーブルの奥に座った、四十代過ぎの細面に口ひげの男性――リッチモンド・ウェルシンガムが一同の顔を見回した後、深々と頭を下げた。
紅尾鳥の香草焼、豚人参のスープ、バターをたっぷりとかけた蒸かしイモ、そして焼きたての燕麦パン。
「辺境領主の貧相なおもてなしではありますが、思う存分召し上がってください」
リッチモンドはへりくだって言うが、テーブルに並べられた昼食はレイが今まで食べたことのないほど豪華なものだった。
背もたれに簡素な草木の透かし彫りの施された椅子に腰かけているのは、リッチモンド家の面々と、客人として招かれたレイとロベルト、そして騎士団長ギアッツ。
リッチモンドの隣に座っているウィニーは、若草色の簡素なドレスを着て、後ろ髪を後頭部でまとめて束ねており、今までとはずいぶん違う清楚な印象を受ける。
その隣の背の高い、まさに「深窓の令嬢」といった雰囲気の年頃の女性はウィニーの姉のクリスティーナで、母親のカタリナは所用でオークルオーカーにある魔術士同盟支部に出かけており不在であること、そして一家は全員が太術素質を持つ魔術士であるということを、レイはリッチモンドの話から知った。
リッチモンドは娘を助けた恩人の一人が、彼女と大して歳の変わらぬ少年であったことに大いに興味を抱いたようで、家族の紹介の後、開口一番、レイに話しかけた。
「レイモンド君はフレンネルから来たと聞いたが、もしやあの烏丸九郎殿の門下生ではないかね」
彼は九郎と面識があるようで、ウィニーからレイがナカツ剣術の使い手と聞いて、ピンときたらしい。
霧降山脈を越えた隣村にある、この大陸では物珍しい剣術道場のことは、バーサーストの住人なら一度は聞いたことがある。しかし、その道場主がかつて世界三強の一席に列せられたほどの剣豪であることを知る者はほとんどいない。
レイはうなずき、ロベルトとこの街へ向かって霧降街道を進んでいる途中で谷に迷い、カニャッツォと遭遇して戦った経緯を、差し障りのない程度に話した。
しかし、彼は付け加えるのを忘れなかった。
自分は結局負けてしまった、彼女を護れてはいないと。
それを聞いたリッチモンドは、優しく微笑みながら諭すように言った。
「君はまだ若い。すべてを背負い込むにはあまりにも」
「そう卑下にすることは何もないのです。娘は君に命を救われた、そして私も彼女もそれを感謝しています。それだけで十分ではないですか」
穏やかなその言葉に、レイは胸につかえていたものが少し和らいだ気がした。
「――しかし、ディアマン殿がバーサーストにおいでと知っておれば、当方から案内をさせたのですが…」
次にリッチモンドは話をレイからロベルトへと振った。
心底申し訳なさそうな言いぶりだが、これが皮肉を込めた演技でないのなら彼は最たる愚か者だ。
原罪の騎士団員が各国を訪れるのは、そのほとんどが連盟からの密命を受けた古代兵器の回収任務である。国軍の関係者に自分の居所をわざわざ知らせるわけがない。
しかも、ギアッツがフレンネルで野盗団を迎え撃つための作戦を、その情報源であるこの街の統治者である彼は当然把握している。そのタイミングでフレンネルから原罪の騎士団員が連れ出した少年ならば、どういった可能性が考えられるか。
「いやいや、わざわざ貴方のお手を煩わせるほどの用事でもありませんよ」
ロベルトは食事の手を休めることなく、ちぎった燕麦パンの欠片を口の中に放り込みながら、他愛なく答える。
こちらも相当に白々しい受け答えだが、リッチモンドは特に気にした様子もない。ロベルトの反応に手ごたえがないと見るや、早々に料理へと話題を変えた。
「ところで、このスープに入っている根菜――豚人参はご存知ですか? ラテライト大陸では見ないものでしょう。なにせその名の通り植物のくせに、根が豚肉に似た味がするという変わった草でしてね。このあたりでは野原によく見られるので救荒作物にならぬものかと栽培も研究してみたのですが、これがなかなか――」
つまり、彼には察するところがあったのだろう。食事の間、彼が話したのはレイとロベルトばかりで、上官であるギアッツとはほとんど会話がなかった。そして二人の関係や、どこへ行こうとしているかといったことには全く触れなかった。
食事が終わり、二人はロベルトが寝泊まりするために用意された客室に集まっていた。
大世界連盟の要人ということで、リッチモンドも気を使ったのだろう。レイの部屋と違ってここが来賓用の立派な客室であることは、備え付けの調度品や天井の飾りつけを見ればすぐ分かる。
「いやあ、なかなか豪勢な昼飯だったな」
ロベルトが満足気に息を吐いて大きなベッドに腰掛けた。
レイは慣れぬ会食に緊張して最初は食が進まなかったが、食事が進むにつれ慣れも出てきて、件のスープをお代わりし、燕麦パンを四つも食べてしまった。
なにせ彼にとっては霧降谷の底、ラッヘンの棲み家で食べた朝食以来の食事であったから、空腹も頂点に達していた。だが、彼自身、ウィニーを護れたとは思っていないので、お礼の食事という意味合いに戸惑いも多分にあったから、それでもずいぶんと遠慮をしたつもりだった。
しかし、隣の大男はスープを四杯も飲み干したうえに、燕麦パンに至っては十二個も平らげたのだから、それに比べれば自分はまだ慎み深い方だ、と改めて思い直す。さすがのギアッツも最後には半ば呆れた顔で笑いながらその食べっぷりを眺めていた。
レイがこの部屋に来たのは今後の道程について話があるとロベルトが呼んだからだ。
「フレンネルでもそうだが、今回の件も含めてあの野盗団のせいで相当な無駄足を食ってる。早いところミクチュアに向けて明日の朝にでもこの町を出発したい」
霧降谷で濃密な時間を過ごしたおかげで、フレンネルを出立してから随分経ったように感じるが、それはまだ二日前のことだ。ロベルトの言う通り、目指す王都への道程はまだ半歩踏み出した程度しか進んでいない。
「――と言いたいところだが、少し面倒なことになった」
うなずくレイを裏切って、ロベルトがコートのポケットからとりだした煙草を咥えながら言った。
「面倒なことって…?」
いぶかしげに問うレイに、器用に片手で取り出したマッチで火をつけて、一煙を吐いてから言葉を続けた。
「昨晩、お前がまだ寝ている間にギアッツ将軍から話があってな。将軍はお前の剣才を見込んで、王国騎士団に入団させたいらしい」
「えっ、俺が王国騎士団に??」
国家の最高戦力部隊である騎士団にスカウトされるということは、国民にとって大変な名誉だ。正規の入団試験は毎年開催されるが、入隊が許されるのは百人に一人の狭き門である。レイが騎士団にスカウトされたとなれば、町を上げての祝賀会が開かれるだろう。
しかしそれを聞いたレイは浮かない顔をしている。彼にとっては晴れがましい名誉よりも、広い世界を見たいという冒険心の方がはるかに勝っていた。ロベルトもレイの反応は想定済みだったようでそのまま話を続けた。
「しかし、俺はお前をミクチュアに連れていくのが任務だ。当然、そんな要請は受けられないし、遺物管理条約に基づいてお前の身分は既に大世界連盟に帰属していることになっているから、条約を批准しているこの国もそれに従う義務がある。だから、将軍の要請を拒絶するのは簡単なことだ」
ほっと胸を撫で下ろすレイだが、ロベルトの言葉は二転する。
「――だが、遺物管理条約には決定的な『抜け道』がある。それが条約に付けられた『条項』のうちの一つだ」
レイは首をかしげる。国家間の条約に付随された、本条の何十倍にも及ぶ条項の仔細について、民間人が知るはずもない。
「それは『国家の優先権』だ。条項通りに言えば、『新たな古代兵器の資格所持者が、すでに所属国の国家機関に所属している場合、その身分を大世界連盟に帰属させず、そのまま所属国に留める』というものだ」
「これは所属国の有能な人材が連盟に一方的に流出するのを防ぐために作られた条項だが、各国に戦力の囲い込みを一定の裁量で認めるという暗黙の了承でもある。将軍が暗に言っているのは、お前の処遇に関してこの条項を適用させろということだ」
羅列される専門用語にレイは理解がついていけないようで、首をかしげたまま固まって目をぱちくりさせている。
「……要は、後出しの賽子を振らせろと言ってるんだ。お前が先に騎士団に入っていたことにして、連盟は手を引けってな」
しばらくしてようやく合点がいったのか、レイは成程と手を叩いて元の姿勢に戻った。
「そして厄介なことに『炎将』は国益に適うことに関しては手段を選ばない御仁だ。俺がどんなに断っても、お前に対してアプローチや、出国の妨害をしてくるだろう。それこそあらゆる方面からな」
ロベルトの口調は真剣だ。レイが当初、思っていたよりもこの国から出ることは容易でないようだった。
「しかし、こちらとしても今後のことを考えればこの任務にあたって、禍根は残したくない」
そこで言葉を区切って外を見やり、大きく煙を吐いた。紫煙が窓へと流れ、外を吹く風にかき消されたのを見てから、再びレイを見た。
「そこでだ。円満に解決する方法を考えた」
煙草を加えた口の端が大きく上がって、満面の笑みでロベルトは言い放った。
「将軍と戦って勝て。お前の実力をもってミクチュアに行くことを納得させろ」
【用語解説】
『紅尾鳥』
その名の通り、濃い赤色の尾羽を持つキジ目の鳥類。ニワトリほどの大きさで、羽は小さく飛ぶことはあまりせず、森の中を歩き回って虫や木の実などを主食としている。温厚な性格で扱いやすさから古くから家禽とされ、バーサーストでも飼育している家が多い。歩行を主な移動手段としていることから、ももの筋繊維が発達しており、脂の乗った骨付きもも肉はとても美味。
『豚人参』
アイオリス大陸北部に自生するナス科の植物。豊富な脂肪分を太く丸い根茎に蓄えている。加熱すると脂肪分が豚の油脂に酷似した成分に変化することから、豚肉の代用品として主に煮込み料理に使われる。一説には支配者族が遺伝子操作で創り出した植物とも言われ、変種には引き抜く時に奇声を発するという薬草『叫び人参』がある。




