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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
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第三十九話 霧を抜けて

 白霧は地衣樹の森の中へ逃げるように四散して、薄く冷たい霧が広場に残った。


「やれやれ、何とか収まりましたな……」


 ギアッツが風に吹かれてほとんど消えかかった薄霧の端を見つめたまま、構えた火刑槍ステイクの穂先を下した。


 熱気を噴出していた炎勢が急速に衰えて、赤銅色にたぎっていた聖銀ミスリルは地金の白銀へと戻っていく。


「いや、申し訳ない。あの御仁は連盟の管轄ゆえ、将軍の手を煩わせる訳にもいかぬ事情でしたが―――ご助力、痛み入ります」


 ロベルトはギアッツに向いて頭を下げる。


「しかし、あなたがトレンブルに面識があったとは驚きました。しかもなかなか気に入られている様子。元より相性の悪い俺だけでは説得は無理だったでしょう」


 ロベルトの褒め言葉に、赤い顎ひげを撫でながらギアッツは浅く苦笑して頭を振った。


「大公殿はいかなる権力にもなびかぬ孤高の武人。騎士団長たる者が制御できぬ建国以来の『懸念事項』を知らぬのは都合が悪いでしょう―――というのは建前ですが、実は私も昔、無色の隔絶アルト・パテルに捕えられてここへと誘い込まれたことがありましてね」


「ほう、ではトレンブルに挑んで火刑槍ステイクの所持を認めさせたと?」


 確かに鋼板をも貫き通す火刑槍ステイクの火力をもってすれば、媒体である霧を蒸発させて竜語ジブラルの伝達を阻害することが出来る。その点においてはトレンブルにとっては戦いにくい古代兵器であると言える。


 しかし火刑槍ステイクの遺物ランクはB2。高い殺傷能力を持つB階級の中でも中位に位置づけられる。「負の遺産」の破壊に固執するトレンブルがやすやすと人間に所持を認めるとは思えない。


「いや、私の場合は浅知恵を振り絞って持ちかけた『賭け』に勝っただけのこと。本気の大公殿は絶対無敵。火刑槍ステイク、いや、どんな兵器を用いようと人間が勝てる相手ではありません。しかしあの方は真の武人ゆえ、一度交わした誓約は絶対に破らぬ。今回は私との誓約が未だ有効であった、というだけのこと」


 視線の先には竜語が広場の大部分を消失させできた大穴がある。ギアッツはそれを畏怖の表情で眺めたまま言葉を続けた。


「しかし逆に言えば、その少年は私以上に大公殿のお眼鏡に適ったということ。どのような経緯いきさつか非常に興味がありますが…」


 ギアッツは意味深に言葉を切ると、横目でレイとロベルトを交互に見やる。二人の間ではレイの帰属をめぐる駆け引きが始まっていた。ロベルトは口早にギアッツの次の言葉の先を制した。


「――おっと、その話は今するべきことではないのでは。正直、あの頑固者があんなにも易々と引いたのが気にかかる。どこで聞き耳を立てているか分かりませんよ」


 それは含みを持たせたギアッツの言に対する牽制の意味合いも当然ある。しかしロベルトはそれ以上に、言葉通りの懸念を払拭できないでいた。


 いかにトレンブルが自身のプライドにかけて誓約を違えることがないと言っても、「セント・クレド」の名を聞けばそれを覆すことがあるかも知れないからだ。先代所持者の死をもって、連盟がその存在を隠し続けてきた魔剣の名は、賢者の理性をも消し飛ばす禁忌となる可能性がある。


「――失敬、これは軽口であった」


 そしてギアッツもロベルトの言葉に隠された意味を理解した。口から出た謝罪とは反対にその口角がわずかに上がったのは、思惑通りに少年の持つ古代兵器の重要性を確認できたからだ。


 ロベルトは余計な情報を与えざるを得なくなった状況に心の奥で舌打ちをしながら、まだ状況が掴めずに立ち呆然としているウィニーとラッヘンに声をかけた。


「もう大丈夫だ。とんだ災難に巻き込んじまったな」


「それよりレイは大丈夫なの?」


 ウィニーとラッヘンは眠ったままのレイの傍らで不安そうに顔を覗き込んでいる。


「心配ない、一時的に気を失っているだけだ。しばらくすれば目を覚ますさ」


「連盟がどうこう言ってたけどあなたは誰なの?」


「俺の名はロベルト・ディアマン。大世界連盟治安機構に所属している。こいつの保護者みたいなもんだ。君たちは……」


 トレンブルとのやり取りが聞こえていたかもしれないが、本気で原罪の騎士団員ペカド・オリジナルズだとは思われていないだろう。適当に身分をごまかして質問を返す。


「らへん、おれ! ここ、すんでる。ろべると? あだます? おおきい、ひと…?」


 ラッヘンは勢いよく答えたものの、覆いかぶさるようなロベルトの巨体を見上げて圧倒されたのか、少し怯えたような仕草で尻尾の毛を大きく震わせると、そばに立っていたウィニーの脚の裏側に半身を隠した。


「えーっと、私は…」


 言いよどんだウィニーの言葉の続きを近づいてきたギアッツが遮った。


「そちらのお嬢さんは、ウェルシンガム家のご令嬢ではないか」


 横から顔を覗きこまれてウィニーが大袈裟とも思える程、大きく後退りした。その足にしがみついていたラッヘンがバランスを崩して苔の地面に尻餅をついた。


「げ……、な、なななんのことでしょーか!?」


 彼女は明らかに動揺した様子で矢継ぎ早にギアッツの言葉を否定する。


「わわわ私はウィニー・オーヴァンスって名前なんですけど!? そのウルシ何とか家とか全然聞いたことも見たこともないんですけど!?」


 どもりながら、顔を必死に両手で隠すウィニーに平然とギアッツが言い放つ。


「いや、君、リッチの娘のウィニフレッドちゃんだろう」


「――くっ、何でギアッツ将軍に素性ばれてんの!?」


「前に舞踏会で見かけたぞ。その時とはだいぶ印象が違うが……そういえばリッチがお転婆すぎて困ると言っていたな。――ああそうか、また例の家出か。あいつも手を焼くな」


 ウェルシンガム家はバーサーストに居を構える魔術士の一族で、現当主のリッチモンド・ウェルシンガムはエクベルト王国に仕える一流太術士として名高い。


「国軍の長たるもの、将来我が国の戦力になり得る者の目星くらいはつけておくべきものだ。それが有能な部下の息女となれば尚更当然のことだよ」


 だから舞踏会なんか行きたくなかったのにぃー、余計な家庭事情喋ってんじゃないわよぅ、と頭を抱えてうぐうぐ唸っているウィニーを横目に、ロベルトが周囲を見回しながら言った。


「いろいろ事情があるようだが、とにかくここを早く離れよう。日が暮れてまた霧が濃くなるかもしれない。なにより、トレンブルの気が変わらないうちに、さっさと谷から出ないとな」





 一行は広場を囲む地衣樹の森の一角、トレンブルの咆哮で木々がなぎ倒された場所から広場の外へと出た。森の中へ踏み入ると、広場の中より一段と密度の濃い霧が待ち構えていたかのように鬱蒼と茂る木々の間から流れ出して視界を塞いだ。


 霧をかき分けて進むと、折り重なる倒木がちょうど途切れたその延長線上に、元からそこにあったにしては不自然に整備された歩幅ほどの細い道が、真っ直ぐに緩やかな勾配を描いて霧の中に伸びていた。


「さすがに帰り道くらいは用意してくれたようだな」


 まだ眠ったままのレイを背負ったロベルトが、道の先を見つめて呟く。


「しかし、ここが谷の深部だとすれば街道まではかなりの距離があるな。『無色の隔絶』で飛ばしてもらえれば助かるが…」


 ギアッツが頭上を見上げて太陽を探すが、谷を満たした分厚い霧の層に阻まれた日の光がわずかに届くのみで、その位置を把握することはできない。感覚的には昼を過ぎたあたりだろうか。


 海抜五百メートル以上ある尾根の街道まで戻り、バーサーストの町にたどり着くとなると優に夜半を過ぎる。


「そうしてくれれば楽ですが、あの御仁にそこまでの義理はないでしょう。そもそも、あの霧が俺に効くとすればの話ですがね。―――将軍はフレンネルから一人でここに?」


 レイには秘密にしているが、ロベルトは九郎からマッシュウ野盗団を王国騎士団と共にフレンネルで迎え撃つ作戦を聞いている。彼が一つ安堵したのは、ここにギアッツが現れたということは九郎の策が上手くいったということだからだ。


 そして聡明な炎将は野盗団を壊滅させた後、嗅ぎ取った「古代兵器」の存在がフレンネルを離れたことを知り、古代兵器同士の共鳴反応を頼りにここへとやってきたに違いなかった。


 だが、いかに手練れとはいえ国軍の長が護衛も連れずに単独行動するとは考えにくい。ロベルトは彼が霧降街道周辺に騎士団員を配していると踏んでいた。その中には馬を連れた者もいるだろう。それを使えば夜霧が深くなる前に霧降山脈を抜けることが出来る。


 ギアッツはロベルトの的を射た一言からその真意を読み取った様子で、大きく目を見張った。


「ふむ、さすがは連盟の精鋭、頭の回りが速くて助かる。だが、フレンネルから残党狩りに出した兵は、先にバーサーストに向かうように指示している。大公殿の気配を察した以上、部下を無用な危険にさらすわけにもいかないのでね」


「うーん、そうですか…。では暗くなる前に町に着けるように先を急ぐしかないか…」


 見当が外れて腕を組むロベルトの足元から声が響いた。


「あだます、ぎあつ、おれ、してる! ちかみち、かいどうでる!」


 視線を下すと、精一杯背伸びをしたラッヘンが二人を見上げていた。彼の話では谷の中層まで行けば、バーサ-スト寄りの街道へ繋がる近道を案内できるという。



 一行が一時間ほど霧に包まれた細道を進んでいくと、道の両側を取り囲む壁のように密生していた封鱗木シギラリアの並木が徐々に背の高い古代シダの群生に変わってきた。


 そのあたりは見覚えのある風景らしく、ラッヘンが駆け出て先頭を進む。しばらく行くと無根ネナシ綿蔓ワタカズラが幹全体に巻き付いた、ひときわ背の高い封鱗木シギラリアの大樹の根元でラッヘンが立ち止まった。


「ちかみち、ここ!」


 小さな手の指す先には、道と交差するように覆い被さるシダの葉に隠された獣道があった。それは急勾配の斜面を蛇行するように這いながら、谷の上部へと続いている。


 獣道をシダの葉をかき分けてさらに小一時間進むと、突然霧が晴れて視界が広がった。


 森の植生はいつの間にか地衣樹からケヤキやブナなどの被子植物に変わっていた。夕暮れの陽が谷の上方から照り付けて薄霧を茜色に染めている。


「おれ、ここまで。またく、ひどい目にあったクムンクフセ!」


 立ち止まったラッヘンが、目を細めて眉をしかめながら言う。しかし、その言葉は軽い。彼の渋い表情は強い陽の光に慣れていない夜行性の瞳によるものであり、あるいは彼なりの別れの照れ隠しでもある。


 彼は「大冒険」に満足した様子だった。一族の長老でさえ見たことのない「霧降谷の主」に遭遇し、無事に生還したのだから。



 ラッヘンと別れて斜面を登るとすぐに山脈の中腹に近い街道の脇に出ることが出来た。


 一行が霧降街道を下ってバーサーストに着いた時には、陽は完全に西の平原の彼方に沈んで、背後の霧降山脈の頂から昇った大きな月が、薄ら星の瞬く夜空に浮かんでいた。


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