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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
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第三十七話 予期せぬ諍い

「……と、とれんぶる!」


 広場の中央にたたずむドラゴンにラッヘンが、恐る恐るだがしっかりとした声をかけた。


『――おお、小さき人の子らよ。先程は驚かせてしまってすまぬな。いかにも、我はかつて「大公トレンブル」と呼ばれておった者』


「ラッヘン、危ないわ! 離れて!!」


 ドラゴンを警戒してウィニーがラッヘンを呼び止める。


『――いや、誠に申し訳ないことをした。あのようなものを見せられれば怯えてしまうのは無理からぬこと。しかし、何も怯えることはない。我の標的は「古代兵器」のみであるゆえ、小さき人に危害を加えるつもりは毛頭ない』


「れい、なおてない、まだ! なおす、はやく!」


 いた様子でラッヘンが指す方向には、血だまりの中に倒れ伏せたままのレイの姿があった。全身が血の朱色に染まり、ピクリとも動かない。


『うむ? 妙であるな。この場の全員を癒したつもりではあったが……』


 怪訝な声で大公トレンブルがレイに向かって歩みを進める。


『ふむ…これはまずい。肉体が機能を停止して魂がまさに離れんとしておる』


 倒れこんだレイをトレンブルが遥か頭上から見下ろす。深刻な声色にウィニーの顔に悲壮が浮かぶ。


「そんな…、もう手遅れだっていうの…!」


『心配するでない。我が竜語ジブラルはぬしら小さき人が使う真理を欺く術とは違い、真理そのものを使役する法。例え肉体が死していたとしても、魂さえ残っておれば蘇生は容易たやすい』


 トレンブルの身体の周囲に白い霧が湧き起こり、レイへと向かって音もなく流れていき、その身体を優しく包んだ。


悲しみの聖母は立てりスターバト・マーテル…』


 言霊が終わると同時に、レイの身体を包み込んでいた霧が弾け飛んだように一瞬で掻き消えた。レイの投げ出された手が地面を掴み、その上体が起き上る。続いて両足が力強く地を踏みしめ、その身体は完全に立ち上がった。


『――有り得ぬ』


 だが、それを見たトレンブルの口から発せられたのは驚愕の言霊。レイに駆け寄って行ったウィニーとラッヘンも彼の異様な雰囲気に気付いて、思わず足を止めた。


 面を上げたレイの顔は青ざめたままで生気がなく、口の端からは吐血した血の跡が生々しく残っている。開かれた瞳は焦点が定まらず、虚ろで意思が感じられない。そして何より、胸部の中央に開いた魔剣による大きな刺し傷は塞がっておらず、流れ出す血液が麻の服に朱の染みを広げ続けていた。



「私の器に触れるな、下郎」


 無表情のままレイの口から声が発せられた。それはいつもの彼とは全く異なる、一切の感情が感じられない抑揚のない口調。


 言葉が途切れたのと同時に、首から下げられた剣を模した銀のペンダントがまばゆい虹色の光沢を放った。淡い光の粒子がペンダントを中心に一気に溢れ出して、レイの身体を包み込む。


 粒子は胸、脇腹、手足、それぞれの傷口に集まって覆い隠し、その内部に染み込むように消えていき、全ての傷が一瞬で塞がった。


『我が竜語ジブラルを拒絶したうえ、自ら傷を癒しただと…』


 トレンブルが驚愕しているのはその事実だけではない。レイからは今まで感じなかった別の存在感が強烈に立ち上がっている。それはトレンブルが最も忌み嫌う「負の遺産」が放つ異能の力の気配。


『ぬしは―――、いや、その少年の中に入っておる古代兵器。貴様は、誰だ?』


「問答は無用。いさかいも無用」


 トレンブルの問いかけに応えているのはレイではない。彼の心の中にあるもう一つ意思、聖信者セント・クレドの魔剣だ。


『成程、我の支配が器に及ぶのを嫌って表に出たか。やはり我が呼び寄せた時に感じた忌まわしき力は悪童わっぱの魔剣では小さすぎると思うたが、間違いではなかったか。貴様が今まで気配を断っていたのは我をやり過ごすためか』


 トレンブルの口調は先程とは一転して、大気が震えるような圧倒的な威圧感を含んでいる。しかしそのプレッシャーに怯える様子もなく、飄々とセント・クレドは応じる。


「出来ればそうしたかったのだが、厄介事に巻き込まれるのはこの器の因果な宿星か。……隠者は隠者らしく忍んで居れば良い。早々に霧中に消えよ」


『そうはいかぬな。貴様の力は大き過ぎる。我が竜語ジブラルを拒絶する程の力を有し、自ら意思を持つ古代兵器など、我の知る上でも数えるほどしかおらぬ。貴様があの忌まわしき力のいずれかならば――必ず、この場で滅ぼさねばならぬ』


「やれやれ、これだから『復讐狂いウルトル』は性質たちが悪い。こちらは譲歩しているのだが」


 明らかな殺気を含んだ口調にも、セント・クレドは呆れたようにこうべを振って鼻で笑う。


『ほう…、我が忌み名を知れるか。つまり、貴様は同胞はらからの仇。……尚更、生かしては帰さぬ』


 その言葉はトレンブルの感情を決定的に逆撫でしたようだった。トレンブルはその口をレイに向かって大きく開いた。空気が音を立ててその口腔に吸い込まれ、そして凄まじい音量で吠えた。


竜の咆哮ドラゴン・ロアー」は単に音圧による衝撃波を発生させているのではない。それ自体が超高次元の魔術なのだ。


 魔術士が術を発動させる際に呪文詠唱を行うのは、音声を媒体にして意志を魔術構成に乗せるためである。「竜の咆哮ドラゴン・ロアー」も音声、すなわち空気の振動を媒体に竜語ジブラルを標的に伝達させる。


 魔術原理を解明し始祖魔術士と呼ばれたエドワード・グーツムーツは、人の使う魔術「間接的支配」を「人造魔術マギア・ファクトゥス」と名付けたが、古代種族の使っていた高次元の「直接的支配」については、これを「自然魔法マギア・ナチュラリス」と区別して呼んだ。


 「竜の咆哮ドラゴン・ロアー」が魔術と決定的に違うのは、魔術構成を介して現象を誘発させるのではなく、竜語ジブラルにより直接、標的に支配をかけて「破壊」を生み出すという点だ。


 つまり、「壊れる」という意味を持った言霊が「壊れる過程」を無視して「壊れたという結果」を事象として出現させるため、物理法則など一切関係なく、いかなる硬度の物質であれ瞬時に粉砕される。


 これを防ぐには、対象にかけられた支配をさらに強力な支配によって上書きする以外にない。



 大地をも揺るがす咆哮の直後に響き渡ったのは凄まじい轟音。レイの背後にあった地衣樹の森の木々が、文字通り粉々に砕かれて吹き飛んだ音だ。


 竜の咆哮ドラゴン・ロアーはレイ目がけて一直線に苔の地面を抉って吹き飛ばし、後方の森を瓦礫の山へと変えた。だが、その間に立つレイは全くの無傷で顔色一つ変えずに同じ格好のまま、たたずんでいる。


「連れには手出し無用、それが我があるじの意思」


 セント・クレドが竜語の支配を上書きして護ったのはレイの身体だけではない。レイに駆け寄って咆哮の直線上にいたウィニーとラッヘンが、腰を抜かして地面にへたりこんでいるだけで済んでいるのも、彼が竜の咆哮ドラゴン・ロアーによる破壊を拒絶したからだ。


『主――とな。その器はお前を従属し得るか……、ならば双方とも破壊せねばならぬ』


 しかしトレンブルの眼中にはすでにレイ以外の姿は映っていないようだ。周囲に再び濃い霧が湧き起こり、レイに向かって急速に流れ始めた。そしてあっという間に辺りの視界を一面の白で塗りつぶした。


大地へと還れレグタラス・イン・パルビス


 竜語と共に辺りの霧に満たされた空間が弾けた。


我は、禁ずヴィ・トゥ


 すぐさまセント・クレドの発した言葉が、レイの周囲に漂う霧を圧し返した。次の瞬間、霧に包まれていた地面、地衣樹、瓦礫、その全ての姿が溶けるように揺らいだ。そして、風化して朽ちていく砂岩のように輪郭から急速に崩れ落ちて、霧の一部となって吸収されていく。


 霧が晴れた時には、レイの周囲二メートル程を除いた広場の四分の一ほどの範囲が、地面ごと全て消失して、クレーターのような大穴が口を開けていた。


『……物質結合の強制解除すら拒絶するか。ますますこの世に在ってはならぬ力よ。もはや加減はせぬぞ』


 トレンブルはそう言い放つと、その巨体で一層力強く大地を踏みしめ、体勢を低くした。


 同時に、場の空気が一変した。今までとは異質な重く深い霧が至る所から生じて一面に立ち込め、地の奥深くから低い地鳴りが響いて心の芯を揺さぶる。


「――正気か。この谷が消し飛ぶぞ」


 辺りを支配した異様な重圧感。今から起こることを察知したセント・クレドの声色に、わずかだが初めて動揺の色が混じった。


正義、執行すべしフィアト・ユスティティア――たとえ世界滅ぶともぺレート・ムンドゥス


 重く響き渡る竜語に込められているのは、微動だにしない強固な意志と狂気さえ感じる明確な敵愾心。


復讐狂いウルトルめ…。数千年の安らぎも、その凝り固まった石頭をほぐすのには足りなかったか」


 捨てるように言い、一足飛びでしゃがみ込んだウィニーとラッヘンの前に立ちふさがった。


「主の連れよ。大公はいたくお怒りだ。この一帯を無に帰してまで私を滅したいらしい。この背から決して離れるな」


「あ、あんた、一体、誰なの…?」


 セント・クレドがその問いかけに応えることはなかった。荒ぶる賢者の視線を真正面から受け止め、そして笑った。


色無し大公パテル・トレンブルよ、警告は十分にした。そちらがその気なら、される前にすとしよう」


【用語解説】


竜語ジブラル

言霊による世界法則の直接使役を行う、ドラゴン族の用いる高等言語。

表記はラテン語を参考にしています。

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