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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
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第三十三話 護りたい

「さあて、このまま一気に片付けてやる」


 カニャッツォは再び魔剣を持った左手を高く掲げる。レイは黒刃の飛来を警戒して構えを上げるが、カニャッツォの手は振り下ろされない。


「――と、弟なら言っただろうが、俺は違う」


 同時に魔剣の拳当ての管から一斉に霧が噴出される。霧はカニャッツォの身体を再び覆い隠し、風の止んだ広場の中をあっという間に満たした。


「俺は知っている。おごりが、予期せぬ敗北をもたらすことをだ。お前の持つ『可能性』を決してあなどりはしねえ。最も確実な方法で仕留めさせてもらおう」


 レイは慌ててアセラス軟膏をたっぷり塗りこんだ防霧マスクを口に当て、頭の後ろで結ぶ。広場を充満した霧は今までのものと比べ物にならないくらい重く濃い。息をするたびにアセラスの芳香が鼻腔を通り抜け、意識を明確にさせるが、それ以上に魔素を含んだ霧が微睡まどろみを誘い、次第に目の前が霞んでくる。


 しかし、混濁していく意識の隅に空気を裂く微かな音を感じ取り、防衛本能がその方向へと重心を移動させた。次の瞬間には目の前の霧を破って伸びた黒刃が迫り来る。


 レイはそれを防ぐべく刀を傾けるが、黒刃は今までの直線的な動きではなく、直前で弧を描くように急旋回し、刀を構えたのとは逆の左腕に側面から襲い掛かった。


 とっさに反対側に身体をよじったが、かすめた刃は上腕を切り裂いて血飛沫が上がる。刃はさらに巻き戻りの反動で蛇行しながら、左足を切り付けて霧の中に消えていった。


 激痛に身体がよろめき、倒れまいと踏みしめた足の傷口から噴き出した血が、新緑の苔を赤く染めた。


「どうした、何を出し惜しみしてやがる! 生身の剣術ごときで勝てるつもりか! 見せてみろ、お前の魔剣を!!」 


 カニャッツォの怒声が深い霧の中で反射して響く。しかし、レイの中のセント・クレドは沈黙したままだ。代わりに微睡まどろみがじわじわと精神を暗闇の縁へと引きずり込んでいく。


 レイは必至で雑念を振り払い、霧の奥を見据えると、右傾ぎ正眼に構えた刀を、脇を締めて身体に引き付けて丹田の前に構え直した。


 烏丸流剣術壱ノ型「真壁まかべ」、防御に特化した構えだ。いかなる達人でも視界に加えて意識まで阻害されれば、瞬間の反応速度は確実に鈍ってしまう。どうしても身体の寸前で攻撃を受けざるを得ない。手元の精密機動性を向上させることで、反応の低下を補おうというのだ。


(今のでも致命傷にはならねえか、やはり油断できねえガキだ…)


 レイを煽ったカニャッツォであったが、本心は少なからず驚いていた。視界は完全に封じた。意識もかなり混濁している筈だ。相棒は確実に脇腹を切り裂いたつもりだが、少年は再び構えを取り直している。


(ならば、これはどうだ!)


 カニャッツォは巻き戻った幻霧鞭ネーベル・パイチェを地面に突き立てた。伸びた刃が地面の中を潜行し、レイの足元へと迫る。そして、土を巻き上げながら真下から襲い掛かった。


 全く予期せぬ地面の下からの攻撃。だが、防御点を身近に置いていたことで、辛うじて刀の柄尻で刃の先端を抑え込んだ。しかし、突き上げる力に耐えきれず、柄を持った両手が跳ね上げられる。


 無防備になった喉元に黒刃が迫るが、とっさに背中を反らす。顔面すれすれを刃が通り過ぎ、右頬の肉を少し裂いた。レイはそのまま、かかとで地を蹴って背中から後ろに倒れこんだ。


 地面から飛び出した刃はそのまま宙に舞い上がり、仰向けに倒れたレイの身体目がけて振り下ろされた。


 横転してかわす余裕はない。仰向けのまま刀の背に右手を添えて横に構え、防御姿勢を取る。瞬きも出来ぬ間に黒刃を受け止めた重い金属音が鼓膜を揺らし、凄まじい衝撃に突き出した両手の肘が下がった。


「ぐおおおおッ…!」


 受け止めた刀の位置が下がったことで、幻霧鞭ネーベル・パイチェの刃がレイの右肩に食い込んで肉をじわじわと裂いていく。レイは激痛に呻きながらも、渾身の力で刀を跳ね上げ、黒刃を押し返した。


 そして刀を振り払った勢いで横転し、よろめきながらも立ち上がる。地面に払い落された黒刃は蛇行しながら地を這って、また深い霧の中へと消えていく。


 左腕、左足、右肩、頬。身体の至る所から流れ落ちる血が止まる様子はない。手足の感覚も少し麻痺している。それは痛みを和らげるための身体の防衛反応なのか、霧による微睡まどろみのせいなのか、もはや区別がつかない。手首を伝う流血が柄を濡らして、手に持った刀が少し滑った。


 レイは慌てて刀を持ち直し、構えを取り直した。解けた意識の糸を束ね、意識を集中させる。


「もう無理よ…、レイだけでも逃げて!」


 気づくとすぐ後ろに伏せていたウィニーが顔を上げて悲痛な声を上げる。彼女もまた深く傷ついている。唯一、負傷していないのはラッヘンだけだが、彼もウィニーのそばで怯えて震えているばかりだ。


「駄目だ! あいつの狙いは俺、巻き込んだのは俺なんだ。見捨てるなんてそんなこと、出来るわけないだろ! 二人とも俺の力で護るんだ、絶対に!!」


 レイは振り返ることなく、霧の奥を睨み付けて叫んだ。


彼はまだ絶望していない。その眼には強い意志の光が宿っていた。


「一度……、一度だけでいいんだ。あいつの懐に飛び込めさえすれば…!」


 そう言うと、何を思ったのか防御の構えを解く。そして逆に、刀を顔の横で大きく振りかぶって構えた。


「……わかった。一度だけ、任せたわよ…」


 ウィニーは理解した。レイの狙いを。そしてその可能性に全てを託した。



(誘いか? 何だ、何を狙ってやがる)


 その行動を霧の中のカニャッツォはいぶかしがる。八相と呼ばれる古流剣術に見られる攻撃に特化した構えだが、あのように大振りに構えたのでは防御が全く出来ない。捨て身の攻撃だとしてもレイの位置からでは遠すぎて届く訳もない。その行動は自暴自棄になったようにしか見えない。


 カニャッツォがバルバリッチャから聞いた少年の古代兵器の特徴は、長大な刀身を持ち、間合い内の空間支配により術を消滅させる魔剣。


 その真の能力は不明だが、いずれにせよ強力な古代兵器であることに間違いない。カニャッツォが警戒するのは、バルバリッチャの腕を斬り落とした、振り落とした刃を空間転移させた能力だ。


 だが、これ程、危機的な状況にもかかわらず、少年が魔剣を使役する様子はない。しかし少年の中に何かがある、という気配を確かに感じる。


 相棒、幻霧鞭ネーベル・パイチェが刃を震わせ、これほどまでに殺意の衝動を煮えたぎらせるのは、間違いなく古代兵器同士の共鳴反応だ。かつて殺し合った古馴染との数千年ぶりの再会が、血で血を洗う太古の戦場の記憶を甦らせ、殺戮兵器としての存在意義をたかぶらせているのだ。


 彼は思慮した結果、一つの結論に達した。


(これだけ煽っても魔剣を使う気配はねえ。ならば、結論は一つしかねえはずだ。こいつは魔剣を持っているが、使いこなせてねえ。いや、精神汚染で暴走もしてねえってことは、資格所持者ですらねえってことだ)


 バルバリッチャとの戦いで魔剣が発現したのは、ただのまぐれだったのだろう。確かなのは現時点で少年が主として認められていないということだ。


 だが、少年の才能を考えれば今後、資格所持者として目覚める可能性はある。


 ならば下手に戦いを長引かせて、その機会をむやみに与えるのは危険だ。ならば早々に、幻霧鞭ネーベル・パイチェの能力を開放した強力な一撃で勝負を決め、その死体から古代兵器を奪えばいい。


「待たせたな、相棒! もう抑える必要はねえ、赴くままに切り刻め!!」


 カニャッツォは心の律を解き、殺意の衝動に身を任せて魔剣を振り下ろした。

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