第三十二話 魔剣使いカニャッツォ
カニャッツォ・マッシュウは、その粗暴な素振りの奥に知性を隠すことのできる、天性の計略家であった。どのような振る舞いがより効果的に恐怖心を与え、人を支配できるかを、彼は知り尽くしていた。
彼の作り上げたマッシュウ野盗団は、今やこのエクベルト王国北部の裏社会のほとんどを支配しつつあった。
野盗団本体は直接表に出ず、暴力で支配した数多の下位犯罪組織を動かして得た利益を、上納金としてほとんど丸のまま吸い上げる。毛細血管のように末端を拡大していき、犯罪収益をいくつもの組織を経由させて還元することで、真の支配者を分からなくさせる。彼の狡猾さは国家権力さえ長きにわたり欺き続け、マッシュウ野盗団という組織の実力を過小評価させていた。
しかし甘い蜜の季節は終わりを告げようとしていた。決して無能ではないこの国の騎士団は、確実に末端組織を潰して、その上位組織の存在を徐々に解明しつつあった。最近では襲撃対象の商隊も警備を強化し、大きなヤマには野盗団本体が動かざるを得ない状況が続いていた。
危機的ではないが、状況は確実にジリ貧である。カニャッツォはその事態に焦りを感じ始めていた。
そんな折――一人の奇妙な男が、彼のアジトを訪れた。
厳重な警備をすり抜け、誰にも気づかれることなく最深部にある首領の間に侵入してきたその男は、自らを「夢を売る宝石商」だと名乗った。
弟のバルバリッチャは不審な侵入者を排除しようと、すぐさま魔術構成を空間に展開したが、カニャッツォの直感がその行動を制した。
彼は噂を知っていた。古代兵器を扱う「死の商人」が、この国に現れたという噂を。
その男は嫌悪感を催すほど媚びへつらう低姿勢でにじり寄ると、最高に魅惑的な儲け話があると言った。ある町を襲い、そこにある宝石類を男が高く買い取る――という話だった。
しかし、カニャッツォはその話を信じなかった。それはバルバリッチャも同様であったが、弟の場合は話の真意を探ろうとしていた。不機嫌な表情のまま何も返答をしないカニャッツォに、商人はその町に古代兵器があると言い出した。それを聞いたカニャッツォは、相手が交渉のテーブルに着いたことを確信した。
渋る弟をどやして部屋から追い出し、「金ならいくらでも出す。お前の持ってきた品物を買おう」と言ったカニャッツォに対し、商人は道化のように赤く霜焼けた丸い鼻をこすりながら、にたりと笑みを浮かべた。
「金? ……ははは、そんなものは必要ありません。申したでしょう? 私が売るのは『夢』ですよ。金で買える夢など高々知れたものじゃあありませんか」
商人の浮かべた満面の笑みは顔に張り付いた能面のように動かない。ただ不気味に口だけが上下に動き、言葉を続けた。
「あなたには才能がおありです。それを見込んでの取引です。そうですねえ……この子など、あなたにぴったりですよ!」
そう言うと商人は背負った大きな背嚢を下ろし、その中を漁って一本の短剣を取り出した。鞘にも収まっておらず、油染みでくすんだ布が抜き身の刀身に雑多に巻かれているだけ。だが、その姿を見ただけでカニャッツォの心臓が跳ねた。
「お気に召されたご様子で。それでは、お支払いは掛け値なしの一括払い……」
商人は笑みを崩さない。だが、次第にゆっくりとした口調になる。
「あなたの、魂、ではいかがでしょうか――」
その言葉の最後を聞き取る前に思考が大きくぶれて、カニャッツォの耳にはほとんど意味のあるものとして捉えられなかった。だが、ただただ緩慢に動く商人の口と、三日月に歪んだ細い目だけは、嫌にはっきりと認識することができた。
商人は続いて眠気を誘うような契約の口上を、馬鹿丁寧に延々と述べた。その姿は次第に薄れていき、次にカニャッツォの思考が鮮明になった瞬間には、煙のように掻き消えていた。商人の立っていた場所に残っていたのは、漆黒に輝く短剣だけだった。
カニャッツォは夢遊病者のような動作で、その剣を拾った。
短剣の異形な拳当ての裏側には、古代文字で魔剣の銘が彫られていた。それはカニャッツォが読めるはずのない文字だったが、彼にはその意味が理解できた。
「幻と霧を生むもの」
自然と彼の唇がその単語をなぞっていた。そしてそれは、契約の完了を意味していた。
◆
(……あのガキども、侮れねえな)
霧の中に隠れて攻撃の機を伺うカニャッツォは、頭の中で呟く。少女の放つ魔術はいずれも相当の殺傷能力を持ったものだ。風の防壁で威力が半減しているとはいえ、魔剣の攻撃を難なく捌く少年の剣術も驚嘆に値する。
強烈な風が吹き、すぐそばの封鱗木の大木が真っ二つに断たれた。両手を広げたほどの大きさの幹がカニャッツォの頭上に倒れ掛かってくるが、振り上げた魔剣の刃が伸び、大木を串刺しにして遥か後方へ弾き飛ばした。
(逸るんじゃねえよ、相棒)
風圧で薄れた霧の奥に、微かに姿を捉えた少女へ急降下しようとする魔剣の衝動を制止し、その場から大きく横に跳び退く。先程までいた地面が後発の真空刃に抉られるのを横目に、カニャッツォの身体は再び深い霧に包まれた。
カニャッツォは冷静だった。左手の相棒は殺気に滾って目の前の獲物を切り刻もうと、頭の中に軋んだ不協和音を奏でてくる。だが、それを自制する余裕があった。
「幻霧鞭」は、鋼鉄の強度とゴムの伸縮性を併せ持つ魔法金属、黒耀鋼の刃による遠距離攻撃だけでなく、拳当ての管から発生させる幻覚作用のある霧で敵を翻弄する。それまでの彼の愛剣であった「奇術師」の完全上位互換と言える古代兵器だ。
それだけに精神汚染も、奇術師とは比べ物にならない。脳には延々と怨念の呪詛が響き、ハラワタの煮え返るような殺意の衝動が心の底より途切れることなく湧き出してくる。常人ならば手にしただけで発狂し、その破壊衝動の赴くままに殺戮に走ってしまうだろう。
だが、カニャッツォには資格があった。死の商人の見込んだ通り、魔剣の主となる資格が。彼は冷静な思考を保ち、新たな相棒を御していた。
拮抗した戦況にあって勝敗を左右するのは、経験。そして先にしびれを切らしたのは、若く実戦経験の乏しいウィニーだった。
「こっちが押してるけど、あんなに逃げ回られちゃ埒が明かないわね。一気に攻めるわ」
「一気にって、どうやって?」
「逃げられない範囲を攻撃すればいいのよ。……この連携、結構キツイから、あとのフォローよろしくね!」
ウィニーが手を広げると同時に、彼らを包んだ渦巻く砂塵が徐々に外へと広がっていく。
「……暗き風よ!!」
外周を大きくした風の渦が広場の縁に達したその時、ウィニーが魔術構成を変質させた。渦巻いていた風は急にその向きを変え、凍てつく冷気となって広場の外の森へと激しく吹き付ける。
「おお! 俺がくらったやつか!」
「どう? 霧の中に隠れ続けてたら氷漬けになるわよ!」
重い冷気が地衣樹の枝葉を見る見るうちに霜で包み、濃い霧の中に埋もれた幹の表面を濡らす水分は凍って鏡面となる。背の低いシダの葉を伝う雫は氷の粒となり、その重みで葉が伏せ、森の中層の視界が広がった。
「くそッ、小賢しい真似を!」
冷気に耐えかねて、カニャッツォが霧の中から飛び出した。
「そこね! 今度は逃さないわよ――鞭打つ鋭刃!!」
カニャッツォは身をかわしたが完全な回避には至らず、風の刃が魔剣を握りしめた左腕を金属製腕甲ごと切り飛ばした。
カニャッツォは顔を苦痛に歪め、霧の中にうずくまる。勝負は決した――かに見えた。
顔を上げた“カニャッツォ”が嗤った。次の瞬間、顔の中心から波紋が広がるように身体全体が大きく歪み、霧の中に吸い込まれるように掻き消えたのだ。
「残念――幻影だ」
頭の後ろから声が響いた。三人が振り向くと、反対側の森の奥から恐るべき速度で伸びてきた幻霧鞭の黒刃が、すぐそこまで迫ってきていた。それにいち早く気付いたレイがウィニーを突き飛ばす。
だが、それは遅すぎた。黒刃が二人の間を通り抜けるように走り抜ける。レイは辛うじてそれをかわしたが、刃の狙いは最初から彼ではなかった。
ウィニーの身体が鮮血を散らして錐揉みながら宙に舞い、そして鈍い音を立てて地に落ちた。
「うにー!!」
「くそっ!」
ラッヘンとレイが叫びながら、地に伏して動かないウィニーに駆け寄る。地に額を付けて肩を震わせる彼女の脇腹から血が滴り、銀色の山羊革のケープをみるみるうちに深紅に染めていく。
「くははは! やはり分かってねえのはお前たちの方だったな。古代兵器の発生させる霧が、ただの水分の塊なわけがねえだろう」
高笑いしながら、本物のカニャッツォが霧の中から姿を現した。
「――それ以上、寄らないで!!」
ウィニーが近づいてくるカニャッツォに向けて、地に伏せたまま手をかざし、かすれた声で叫ぶ。
「ウィニー、動いちゃ駄目だ!」
レイが彼女の傷を案じてその行動を制するが、ウィニーは苦痛に悶えながらも震える手を下げようとはせず、空間に魔術構成を編み始める。
「近づいたら……撃つわよ。この距離じゃ、避けられないわ……!」
息も絶え絶えに、それでも辛うじて聞き取れる声で警告するウィニーを見て、カニャッツォはせせら笑う。
「おいおい、俺は分かってんだぜ? お前の魔術は凄まじい威力だが、そんな高威力の術を連発して魔力が持つわけがねえ」
「――いや、違うな。はっきりと言ってやろう。お前は魔力制御能力が欠陥してるんだよ。常に最大威力でしか術が撃てねえ。持久戦に持ち込まれりゃ、いずれ潜在魔力を使い切っちまう」
カニャッツォは薄く笑い、地に伏せるウィニーを見下ろすように言葉を続ける。
「こうやって話してる間も、お前の周囲の魔素が急激に減少してるのが分かるぜ。もう大したことはできねえ……まあ、その傷じゃどのみち動けねえだろうがな」
カニャッツォの指摘は的を射ていた。ウィニーの編んだ魔術構成は何の事象も生み出さない。ついに彼女の精神力が切れ、掲げた手は力なく地に落ちた。
「ウィニー、よくやった。ゆっくり休んでくれよ……ラッヘン、これで傷の手当てを頼む」
レイはウィニーの手を握りしめて優しく語りかけると、懐に忍ばせてあったアセラスの軟膏をラッヘンに託す。
そして、大股で近づいてくるカニャッツォの前に立ち塞がった。
「大丈夫だ――俺が、護る」
右傾ぎの正眼に刀を構え、こちらを見据えてくるレイに、正対したカニャッツォは天を仰いで嗤う。同時に勢いよく振るった幻霧鞭の黒刃が伸びてしなり、側面の地面の染み苔を派手に散らした。
「くはははは! ――そうだ。俺が殺りてえのは最初からお前なんだよ……!」
【用語解説】
『幻霧鞭』
自在に伸縮する黒耀鋼の刃と、異形の拳当ての管から幻覚作用のある霧を広範囲に噴出することのできる剣鞭状の古代兵器。
連盟に認知されていないため、正式な階級はないが指定遺物ランクB級に相当する逸品。
なお、その資格所持者は霧の幻覚作用を受けることがない。




