第三十一話 本領発揮
ウィニーの放った突風は広場の外輪に達した瞬間、さらに周りの空気を巻き込んで強烈な暴風となって地衣樹の森へと吹き付けた。
叩き付けるような風に地衣樹の木々の枝葉が激しく揺さぶられたかと思うと、次の瞬間には固い木繊維の裂ける音とともに根こそぎ地面から引きはがされて、渦を巻きながら数多の礫と裂かれた木片が森の奥へと吹き飛ばされた。
「ちょ…これ、やりすぎじゃないか…」
木々の悲鳴が落ち着くのを待ってから顔を上げたレイは、目の前の風景の変貌に思わず絶句した。
風が通り抜けた後はなぎ倒された地衣樹で埋め尽くされ、一本の道のようにまっすぐな空間が形成されていた。倒壊を免れた鉄刀樹の幹、さらには苔むした石にも針山のように無数に突き刺ささった鋭い木片が、吹き付けた風の威力を物語っている。
「ふふん、言ったでしょ? これが私の太術よ。レイに放ったのなんて半分以下の威力なんだから」
ウィニーは自慢気に胸を張るが、レイの足元からラッヘンが非難の声を上げる。
「もり、こわす、うにー、わるいマギア!」
「いやいや、ラッヘン、これは緊急時だから許されるべきでしょ。――直撃したら死んでるかしらー?」
とっさに弁明するが流石にやりすぎたと思ったのか、ごまかすように話を変えて、森の奥を覗き見る。
「いや、そんなに簡単には終わらせてくれないみたいだ――避けて!」
再び森を覆いつつある霧の奥に金属の煌めきを察知したレイが、ウィニーを後ろから抱えて跳び下がった。霧を裂いて凄まじい速度で伸びてきた何かが、先程までウィニーが立っていた地面を抉り取り、染み苔と土を宙に散らした。
地面に刺さっていたのはいくつもの節に分かれた蛇腹のような金属の刃の連なり。それは鞭のようにしなって向きを変え、再び霧の奥へと巻き戻った。
「おいおい、出合い頭になめた真似してくれるじゃねえかよ、ガキどもが…」
不快な声とともに霧の奥から人影が浮かび上がる。ゆっくりと姿を現したのは身の丈二メートル近い体躯の彫りの深い顔の大男。男が歩くたびにいくつもの金属片を鋲で繋ぎ合わせた袖なしの革鎧がガチャガチャと音を立てる。その下に着込んでいる鎧下が所々茶けているのは染みついた血が乾燥した跡だろうか。それは盛り上がった腕筋で膨れ上がっている。反対に左腕は古びた金属製腕甲で覆われ、その先の手には奇妙な形をした短剣が握られていた。
「さぁて、一応、名乗っておこうか。俺はカニャッツォ・マッシュウ。泣く子も黙るマッシュウ野盗団団長だ。その節は弟が世話になったなぁ」
そう言いながら男は転がった地衣樹の太い幹をわざとらしく派手に踏み砕いて広場の中に足を踏み入れた。
しかし、レイは男が放つ威圧感に怯むことなく、抱えていたウィニーを下すと、観察するように男を見ながら言った。
「あの時の魔術士の兄貴か。兄弟そろってしつこいうえに、覚えにくい名前なんだな」
「泣く子も黙る、って定番すぎてダサいわ。他に気の利いたフレーズ考える脳みそもない程度の野盗ってことかしら?」
ウィニーも先程の攻撃で自分の山羊革のケープの端についた土塊を払いのけながら、平然と言ってのける。
「くくく、なかなか言ってくれやがるじゃねえか。それで威勢張ってるつもりかよ? 残念だが俺は弟と違って、てめえらガキの見え透いた挑発にのってやるほど馬鹿じゃねえんだよ」
一方のカニャッツォも二人の挑発にも動じることなく、逆に楽しげに口の端を歪ませた。
「まぁ、さっきの魔術も剣捌きもガキにしちゃあ大したもんだが―――如何せん相手が悪いってのを分かってねえのはてめえらの方だ」
そして手にした短剣の黒光りする刃をレイの方へと突きつけた。
「俺の要求は分かってんだろ、金髪のガキ。てめえの持ってる古代兵器をよこせ。そうすりゃ、半殺し程度で勘弁してやるよ」
「嫌だね、何で町襲った奴らの要求なんて飲まなきゃならないんだよ。言うことまで兄弟一緒だな」
レイは即座に拒絶の返答をして、腰の鞘から刀を抜いて構える。
「レイが古代兵器? 何言ってんのこいつ。そんなことより、私に得体の知れない霧吸わせて操った挙句、乙女の柔肌傷だらけにしてくれた代償払ってもらってないんだけど?」
ウィニーもカニャッツォに臆した風はなく、不機嫌な表情を崩さぬまま、手を前にかざして魔術構成を展開し始めた。
「くははははは、――そうこなくちゃ面白くねえよなあ…! こっちも新しい相棒が古馴染相手に力を試したくってうずうずしてんだ」
カニャッツォは心底楽しげに大笑いをすると、左手に持った奇妙な短剣をゆっくりと空に掲げた。奇妙な、というのはその剣の刃と鍔の形状。漆黒の金属が幾層にも重なり刀身を構築している。刃幅は二十センチメートルもあり大型剣のそれだが、刃渡りは五十センチメートルもなく、先端は真っ平らで切っ先がない。元も目を引くのは鍔元で、サーベルのような拳当てが前面に付いているのだが、その形は下手な粘土細工のように歪で、先端の細った管のような突起物がいくつも突き出している。
「さあ、思う存分切り刻んで殺れ、――幻霧鞭!」
カニャッツォの声に応じて拳当ての管から一斉に霧が蒸気のように勢いよく噴き出した。霧は瞬く間に彼の身体を覆い隠し、さらには広場に充満しようと広がっていく。
「あの霧、やっぱりあいつの古代兵器か!」
「目の前で見せられて同じ手は食わないわよ! 風よ、起これ!」
ウィニーの起こした突風が霧を吹き飛ばすが、すでにそこにカニャッツォの姿はない。代わりにさらに奥の深い霧から彼女目がけて空気を裂く音ともに伸びてきた黒い刃が襲い掛かる。
「――ウィニー! 下がって!!」
レイはとっさに間に割って入り、刀の腹で黒刃を受け止めた。鋭い金属音と同時に剣圧で踏みしめた足が苔の地面にめり込む。想像以上の圧力に刃を弾き返すのは不可能と判断したレイは、柄をひねって黒刃を跳ね上げ、斜め後方に受け流した。
刃はレイの刀の背を乱暴に引っ掻きながらなおも伸び続け、二人の二メートル程後ろの地面に突き刺さり、その途端に緩んで地面を蛇行しながら霧の中に巻き戻った。
「っく……あいつ霧の中に隠れて攻撃なんて、随分セコイ戦い方するんだな」
広場を囲む地衣樹の森は何事も無かったのように沈黙し、深く重い霧が木々の間からこちらを覗きこんでいる。
「ま、私の太術に真っ向から張り合う馬鹿じゃないってことね。向こうが霧から出てこないのなら、攻撃は私に任せといて。そのかわり防御は頼んだわ」
「でも、あの霧を吸い込んだら厄介だぞ。こんな開けた場所じゃ風で吹き飛ばしてもすぐにまた流れ込んでくるし、どうするんだ?」
加えてあの魔剣の攻撃も強力だ。先程、刀で受け止めた手がまだしびれている。伸びてくる剣のすべてを完璧に捌く自信がない。
「心配ないわ、こうするのよ。――渦巻く砂塵!!」
詠唱と共に足元の小石が浮かび上がった。続いて地面に落ちていた石や地衣樹の枝が吸い寄せられて次々と舞い上がり、彼らの周りを取り囲むように大きな円を描いて飛来し始める。そして十秒も待たぬうちに三人を渦状の風の壁が囲んだ。
「ほんとは砂を巻き上げて目くらましにする術なんだけど、これだけ威力あげれば巻き上げた石とか木片で少しは防壁になるでしょ」
瓦礫はかなりの速度で彼らの周りを旋回している。レイが試しに足元の石をその中に投げ込んでみたが、即座に弾かれて勢いよく地面にめり込んだ。
「おお、これはすごいな! これならなんとかなるかも」
多少視界は悪くなるが、霧が流れ込んでくるよりはまだましだ。
「ラッヘンは私たちの後ろに隠れてて。さあ、今度はこっちから行くわよ!」
ラッヘンはうなずいてウィニーの言う通り、二人の間の足元にそそくさと隠れる。それを確認したウィニーは両手を広げ、四方に魔術構成を展開した。
「鞭打つ鋭刃!!」
大型の真空刃が四方に一瞬で形成され、高速で広場の外に向かって飛ぶ。地衣樹が根元近くを真空刃に真っ二つに断たれて次々に倒壊し、その風圧が辺りの霧を吹き飛ばす。
そこにわずかな人影が浮かび、舌打ちと共に黒刃が霧を裂いて飛んでくるが、瓦礫の風壁が刺突の威力を緩和し、難なくレイの刀がそれを弾き返した。そして刃が伸びきったのを狙ってウィニーが次の太術を放つが、風の刃が届く前に黒刃が凄まじい速さで霧の奥へと巻き戻り、着弾した時にはそこにもうカニャッツォの姿はない。
攻撃と防御、そして反撃。同じような攻防が幾度も繰り返され、バラバラに切断された木片が次第に広場の外周を埋め尽くしていった。
広場の喧噪を外界に感知させないかのように、その上に厚い蓋をした重く深い霧だけが、ゆっくりと彼らの頭上を流れていた。
【用語解説】
『風よ、貪り尽くせ』
術系統:太術
魔力構成:増幅70、操作30
使用者:ウィニー・オーヴァンス
直進する空気の渦を作り出し、周囲のものを巻き込んでなぎ倒す太術。言わば横向きに発生させた疑似竜巻。風圧による吹き飛ばしはもちろん、渦の中を高速で飛来する石や瓦礫が凶器となって襲い掛かる高威力の術。
『渦巻く砂塵』
術系統:太術
魔力構成:増幅40、操作60
使用者:ウィニー・オーヴァンス
自身の周囲の砂を巻き上げて目くらましに用いる太術。しかし、構成に注ぐ魔力を増加させれば、さらに大きな石や瓦礫も巻き上げることが出来、風の防壁としても使える。




