第二十六話 バグミー
視界を埋め尽くす閃光に、猿の叫び声のような短い悲鳴が響き、レイたちの手前の草むらに何かがパタリと倒れ込んだ。
恐る恐る近寄ったウィニーが「一掴みの灯」で草むらを照らすと、そこに伏していたのは子どもほどの大きさの、こげ茶色の毛むくじゃらの生き物だった。いきなりの眩しさに目がくらんで気絶してしまったらしい。
「あっ、こいつバグミーだわ!」
覗き込んだウィニーが小さく叫ぶ。
バグミー族は穴熊を祖とする原始的な小型の人獣で、背丈は人間の幼児ほど。顔の中央と指先以外は体毛で覆われ、赤い瞳は丸く大きい。白い毛筋が走った平べったい尾を持ち、見た目は大きめの原猿類に近いが、知能は高く、独自の言語と文字を操り、二足歩行で暮らしている。
夜行性で夜目が利き、夕暮れになると巨木の根元に掘った横穴式の住居から群れで出て、山菜やキノコを採って籠に集める。外界には滅多に出ないが、谷固有の品を麓の村へ売りに来ることがごく稀にある――そんな種族だ。
「食料調達の途中だったのかな。悪いことしたな」
レイも倒れたバグミーを覗き込んで、申し訳なさそうに言う。
「でもこの子、私たちを見つけて近づいてきたみたいだったわよ」
「バグミーだってわかってたら、声かけてたのになあ……」
気を失っているバグミーは成体のようで、その証に尻尾の白い毛筋が首元まで伸びていた。
さらに首元には真っ赤なスカーフが巻かれている。
「あー、思い出したわ。この子、『ラッヘン』よ」
それを見つけたウィニーが不意に手を叩いた。
「……『陽気』? なんか聞いたことあるな」
「籠なんかをよく売りに町まで下りてくる、赤いスカーフを巻いた、珍しく人懐っこいバグミーよ。バーサーストには週に一度は来るわね。フレンネルには来てないの?」
「ああ! あのバグミーか! そんなに頻繁じゃないけど、遠目に見たことあるよ。町長が『書類入れる』とか言って、葛籠買ってたなあ……」
レイは町長の部屋の片隅――というか書類の山の上に無造作に置かれていた大きな葛籠を思い出し、内心で苦笑する。あれの中にちゃんと書類が入っていたのかは、かなり怪しい。
バグミー族の細く器用な手で編まれた籠は、水を入れても漏れないほど精巧で評判が良い。ものによっては金貨一枚ほどの価値が付く。
だが彼らは金銭欲が薄いらしく、上物でも籠いっぱいの山菜と交換してしまう。発声器官も人間や他の亜人に比べて未発達で複雑な音節を発声できず、人語の内容は理解していても口から出る言葉はたどたどしいものなってしまうため、高度な交渉を行うことができない。商人としては、致命的に向いていない――はずなのだが。
「…ウゥ、…タ…タア、タタル…」
二人の声に気づいたのか、バグミーは呻きながらゆっくりと起き上がった。瞼を何度もこすり、きょろきょろとあたりを見回す。そしてレイとウィニーを視界にとらえると、たどたどしい喋り方で言う。
「――おまえ、ひと、…たち?」
次いで、閃光を浴びせられたことを思い出したのか、視線が急に敵対的になり、早口で言葉を継いだ。
「おれ、酷い目にあった! わるい、やつ…たち?」
「ううん、違うの。君だったとは思わなくて。大丈夫? 怪我はない?」
心配そうに覗き込むウィニーだったが、バグミーは言葉の意味がわからなかったのか、首をかしげた。
「けがわ…?」
――だが、すぐにハッとして、近寄るウィニーから後ずさる。
「おれ、けがわ、とる? おまえ、わるいやつ…!」
バグミーは四肢を地面につき、姿勢を低くして尻尾を高く上げ、毛を大きく逆立てる威嚇の構えでウィニーを睨み付けた。
「わわわ、どーしよ……盛大に誤解されてるみたい」
困惑したウィニーがレイを振り向く。
「えーと、君ってラッヘンだろ?」
「そう、らへん、おれ。おまえ、だれ…?」
ウィニーと入れ替わりに近寄るレイに、威嚇姿勢のまま返答する。
「俺はレイ。フレンネルから来たんだ。小太りの町長がいる、霧降山の北側の町だよ」
フレンネルと町長という言葉に、バグミーの短い耳がぴくんと二回動き、表情が少し和らいだ。
「首長、にこら、してる。かご、いつも、かう。いい、カモ――ちがう、上客…?」
本心が漏れたのか慌てて言い直すが、適切な言い方が思いつかないらしく、首をかしげたまま固まる。
警戒が解けたのを見て、レイはほっと息を吐き、ウィニーに親指を立てる。
そしてバグミーの前に屈み込むと、畳みかけた。
「おお、やっぱり町長を知ってるのか。そしてカモなのか。なら話は早いな。俺はニコラとは知り合い――いや、むしろ奴を支配下に置いていると言っても差し支えない男なのだ……」
「……いや、何なのよその設定」
思わず突っ込むウィニーをよそに、バグミーは目を輝かせた。
「――ほんと? おまえ、大首長…!?」
「そうだ。フレンネルのフンムグルとは俺のことだ。重大なる任務を帯びてバーサーストに向かっていたのだが、悪い霧に惑わされて、こんな谷底まで迷い込んでしまったのだよ……」
赤い目をさらに大きくして見上げるバグミー。その視線には畏敬が宿っていた。
「ウゥ……おれ、れい、えらいフンムグル、しらなかた……らへん、あやまる」
逆立っていた尻尾がみるみる静まり、へたりと地面に垂れた。腰砕けのような不格好な会釈をする。
「んん?? まあ、気にするなよ。そもそもこっちが悪かったんだし」
想像以上の好反応に戸惑いながらも、レイはバグミーの脇を抱えて身を起こさせる。
「――すごい、フンムグル、いうこと、ちがう…!」
バグミーはさらに感動した様子で、輝く視線をレイに向けた。
「ねえ、この子、レイのこと偉い人だと思い込んでるみたいよ。話には聞いてたけど、バグミーってほんとに純粋なのね……」
「え、そうか? こいつ、言葉の節々に腹黒さ感じるんだけど……」
いたいけな亜人を騙してしまっていることに若干の罪悪を感じるウィニーだが、レイはそうでもないらしい。
バグミーはレイの足元へ寄ると、股の間からウィニーを覗き込み、目を細めて言った。
「やま、わるいマギア、いる。なかま、タアタタル。おまえ…ちがう?」
「マギア……? ああ、魔術士ね」
バグミー語は古代テオト語を基幹とする古い言語で、同じ言語体系の古西語にも多く見られる言い回しが多く残っている。古西語の心得のあるウィニーは、バグミーが話すたどたどしい共通語の中に時たま混じる古語に聞き覚えがあった。
「私はウィニー。むしろ善い魔術士よ!」
自分を照らすように「一掴みの灯」を高く掲げる。だがバグミーはレイの脚の後ろに隠れて、眉間にしわを寄せた。
「うにー? ほんと、わるいマギア、ちがう…? ひかる、あやしい…」
「ウィニーだっての! レイと私の信用の差は何なのよ……。光るのが怪しいって、どーゆーことよ!」
憤慨するウィニーに、レイが助け舟を出す。
「なあ、ラッヘン。ウィニーは悪いやつじゃないよ。おれもさっき魔術で襲われたけど、根は悪いやつじゃないと思うんだ」
「いやいや、その言い方、余計に話をややこしくしてない!? 私はあの時正気失ってたし、そもそもあの変な霧のせいでしょ!」
抗議するウィニーの言葉に、それまで疑いの視線を向けていたバグミーの小さな耳がぴくんと動くと、ハッと何かに気付いた様子で、垂れていた尻尾がぴんと立った。
「へん、きり…? 色無しの霧…!」
バグミーはぐいぐいとレイのズボンの裾を引っ張る。
「きけん、きょう、よる。アルトパテル、におう。おれ、いえ、くる!」
その言葉でレイたちは、置かれていた状況を思い出した。
「そういえば俺たち、遭難してたんだった。――もしかしてラッヘン、助けに来てくれたのか?」
レイの問いに、バグミーは何度も縦に首を振る。あまりに大げさに首を振るので巻いた赤いスカーフがほどけそうになり、それを慌てて結び直してから、大真面目に言った。
「そう! ひと、いる、わかた。おれ、あんぜん、うる。れい、うにー、恩、かう。かご、かう。火薬、かう。おれ、かねもち……!」
顧客を前に、堂々と対価の皮算用を始めるバグミー。口に小さな両手を当て、くしくしとこもった声で笑う。
どうやら彼は、慎み深いはずのバグミー族の中では例外的に――商魂たくましい優秀な商人らしかった。




