第二十六話 バグミー
視界を埋め尽くす閃光に、猿の叫び声の様な短い悲鳴が響いてレイたちの手前の草むらに何かがパタリと倒れ込んだ。
恐る恐る近寄ったウィニーが「一掴みの灯」で草むらを照らすと、そこに伏していたのは子供ほどの大きさのこげ茶色の毛むくじゃらの生き物だった。いきなりの眩しさに目がくらんで気絶してしまったようだ。
「あっ、こいつバグミーだわ!」
覗きこんだウィニーが小さく叫ぶ。
バグミー族は穴熊を祖とする原始的な小型の人獣で、背丈は人間の幼児ほどしかない。顔の中央と指先以外は体毛で覆われていて、赤い瞳は丸く大きい。白い毛筋が走った平べったい尾が生えていて、その格好は大きめの原猿類を思わせるが、彼らの知能は高く、独自の言語と文字を扱い二足歩行をする。
もともとは平地に穴を掘って暮らしていた種族であるが、彼らがこの谷に住み着いたのは、今から二百四十年前だと彼らの歴史書は記している。この数字はアイオリス大陸北部を蝗の大食害が襲った大飢饉の年とおおよそ一致する。
恐らく彼らの祖先の一団が食料を求めて霧降谷に入り込み、外敵も少なかったためそのまま居ついてしまったのだろう。
バグミーは基本的に夜行性で夜目が利く。夕焼けが谷の霧に映写されて地衣類の森が茜色の影で覆われる時刻になると、巨木の根元に掘った横穴式の住居からぞろぞろと出てきて、主食である山菜やキノコを探しては背中に背負った籠に集めて一団で徘徊する。
「食料調達の途中だったのかな。悪いことしたな」
レイも倒れたバグミーを覗きこんで申し訳なさそうに言う。
「でもこの子、私たちを見つけて近づいてきたみたいだったわよ。」
「バグミーだと分かってたら、声かけてたのになあ…」
気を失っているバグミーは成体のようで、その証に尻尾の白い毛筋が首元まで伸びていた。
バグミー族は背格好に個体差があまりなく、似たような顔つきをしているため個体の見分け方が難しく、他の人種にとっては馬を見比べるようなものであるが、彼は首元に真っ赤なスカーフを巻いていた。
「あー、思い出したわ。この子、『ラッヘン』よ」
それを見つけたウィニーが不意に手を叩いた。
「……『陽気』? なんか聞いたことあるな」
「籠なんかをよく売りに町まで下りてくる、赤いスカーフを巻いた珍しく人懐っこいバグミーよ。バーサーストには週に一度は来るわね。フレンネルには来てないの?」
彼らはどこで覚えたのか人語を理解することが出来る。そこでよっぽど食料に恵まれない場合など、ごくたまにだが、外界では重宝される谷固有の品物を集めて霧降山脈の麓の村に売りに行くこともある。
「ああ! あのバグミーか! そんなに頻繁には来てないけど遠目に見たことはあるよ。なんか町長が書類入れるとか言って葛籠買ってたなあ…」
レイは言いながら町長の部屋の片隅、というか部屋の奥の書類の山の上に無造作に置かれていた大きな葛籠のことを思い浮かべる。あれの中にはちゃんと書類がしまわれていたんだろうか。――いや、あれだけ片づけ無精の町長のことだから、きっと買った時点で満足してしまって中には未だに何にも入ってないんだろうな、と。
バグミー族の細く器用な手先で編まれた籠は水を入れても漏れないほどに精巧なものなのでとても評判がよく、ものによっては金貨一枚ほどの価値が付く。
しかし、彼らの発声器官は人間や他の亜人に比べて未発達で複雑な音節を発声できず、人語の内容は理解していても口から出る言葉はたどたどしいものなってしまうため、高度な交渉を行うことができない。
ただ、それ以前に彼らには金銭欲がないらしく、どんなに上物の編籠でもそれいっぱいの山菜と交換してしまうのだから、種族的に商人としての才覚がないのは確かである。
「…ウゥ、…タ…タア、タタル…」
二人の話し声に気が付いたのか、バグミーは呻きながらゆっくりと起き上った。それから瞼を何度もこすった後、あたりをきょろきょろと見回して、レイとウィニーを視界にとらえると、たどたどしい喋り方で言った。
「――おまえ、ひと、…たち?」
そして、閃光を浴びせられたことを思い出したのか、急に敵対的な視線になって早口で言葉を継いだ。
「おれ、酷い目にあった! わるい、やつ…たち?」
「ううん、違うの。君だったとは思わなくて。大丈夫? 怪我はない?」
心配そうに覗き込むウィニーだったが、バグミーは言葉の意味が解らなかったのか、首をかしげた。
「けがわ…?」
だが、すぐにハッとして近寄るウィニーから後退りする。
「おれ、けがわ、とる? おまえ、わるいやつ…!」
バグミーはそう言うと、四肢を地面について姿勢を低くして尻尾を高く上げ、毛を大きく逆立てる威嚇の構えをとってウィニーを睨み付けた。
「わわわ、どーしよ…盛大に誤解されてるみたい」
バグミーの思わぬ反応に困惑したウィニーはレイの方を振り向いて助けを求める。
「えーと、君ってラッヘンだろ?」
「そう、らへん、おれ。おまえ、だれ…?」
ウィニーと入れ替わりに近寄るレイに、威嚇の構えを保ったままバグミーが返答する。
「俺はレイ――フレンネルから来たんだ。小太りの町長がいる霧降山の北側の町だよ」
フレンネルと町長という言葉にバグミーの短い耳がぴくんと二回動いて、その表情が少し和らいだ。
「首長、にこら、してる。かご、いつも、かう。いい、カモ――ちがう、上客…?」
バグミーは共通語につい本心が出たのか慌てて言い直す。だが、正しい言い方が思い浮かばないのか首をかしげた恰好のまま考え込んでしまった。
一応、彼の警戒を解くことに成功したレイは、ほっと胸を撫で下ろすウィニーに振り向いて親指を立てると、バグミーの前に屈みこんで畳みかける。
「おお、やっぱり町長を知ってるのか。そしてカモなのか。なら話は早いな。俺はニコラとは知り合い――いや、むしろ奴を支配下に置いていると言っても差し支えない男なのだ…」
「…いや、何なのよその設定」
調子に乗ったレイに思わずつっこむウィニーだったが、バグミーは思わぬ食いつきを見せた。
「――ほんと? おまえ、大首長…!?」
「そうだ、フレンネルの、えーとフン…ムグル? ――とは俺のことだ。重大なる任務を帯びてバーサーストに向かってたんだが、悪い霧に惑わされてこんな谷底まで迷い込んでしまったのだよ…」
大きな赤い目をさらに大きく見開いてレイを見上げるバグミー。その視線には畏敬の念が込められていた。
「ウゥ…、おれ、れい、えらいフンムグル、しらなかた…らへん、あやまる」
無礼を働いたのを謝っているつもりなのだろう。バグミーの逆立っていた尻尾がみるみる静まってへたりと地面に垂れ、腰砕けになったような不格好な会釈をする。
「んん?? まあ、気にするなよ。そもそも、こっちが悪かったんだし」
想像以上の好反応にレイ自身が戸惑いながら、バグミーの脇を抱えて身を起させる。
「――すごい、フンムグル、いうこと、ちがう…!」
その行為にさらにバグミーは感動した様子で、輝く視線をレイに向けていた。
「ねえ、この子、レイのこと偉い人だと思い込んでるみたいよ。話には聞いてたけどバグミーってホントに純粋なのね…」
「え、そうか? こいつ言葉の節々に腹黒さ感じるんだけど…」
いたいけな亜人を騙してしまっていることに若干の罪悪を感じるウィニーだが、レイはそうでもないらしい。バグミーはレイに歩み寄って足元に立つと赤い瞳で見上げながら言った。
「おれ、れい、しんじる。マギア、ちがう」
それからレイの股の間からウィニーを覗きこんで、目を細めながら言った。
「やま、わるいマギア、いる。なかま、タアタタル。おまえ…ちがう?」
「マギア…? ああ! 魔術士ね」
バグミー語は古代テオト語を基幹とする古い言語で、同じ言語体系の古西語にも多く見られる言い回しが多く残っている。古西語の心得のあるウィニーは、バグミーが話すたどたどしい共通語の中に時たま混じる古語に聞き覚えがあった。
「私はウィニー、むしろ善い魔術士よ!」
『一掴みの灯』で自分を照らすように高く木の枝を掲げて自信満々に胸を張るウィニーだが、バグミーはレイの脚の後ろに隠れて額にしわを寄せ、猜疑の視線を送る。
「うにー? ほんと、わるいマギア、ちがう…? ひかる、あやしい…」
「ウィニーだっての。レイと私の信用の差は何なのよ…。光るのが怪しいってどーゆーことよ」
憤慨するウィニーにレイが助け舟を出す。
「なあ、ラッヘン。ウィニーは悪いやつじゃないよ。おれもさっき魔術で襲われたけど、根は悪いやつじゃないと思うんだ」
「いやいや、その言い方、余計に話をややこしくしてない!? 私はあの時正気失ってたし、そもそもあの変な霧のせいでしょ!」
抗議するウィニーの言葉に、それまで疑いの視線を向けていたバグミーの小さな耳がぴくんと動くと、ハッと何かに気付いた様子で、垂れていた尻尾がぴんと立った。
「へん、きり…? 色無しの霧…!」
小さく叫んで、ぐいぐいとレイのズボンの裾を引っ張る。
「きけん、きょう、よる。アルトパテル、におう。おれ、いえ、くる!」
バグミーの言葉にレイたちは自分の置かれていた状況を思い出した。
「そういえば俺たち遭難してたんだった。――もしかしてラッヘンは助けに来てくれたのか?」
レイの問いにバグミーは何度も首を縦に振る。あまりに大げさに首を振るので巻いた赤いスカーフがほどけそうになり、それを慌てて結び直してから、大真面目に言った。
「そう! ひと、いる、わかた。おれ、あんぜん、うる。れい、うにー、恩、かう。かご、かう。火薬、かう。おれ、かねもち……!」
顧客を目の前に堂々と対価の皮算用を始めるバグミー。口に小さな両手を当て、くしくしとこもった声で笑う。
彼は慎み深いはずのバグミー族の中では例外的な、商魂たくましい優秀な商人であるらしかった。




