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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
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第二十五話 霧降谷でつかまえて

 レイが振りかえるとウィニーが肩を落とし、うつむいて立ち止まっていた。手に握られた「一掴みの灯」の光は弱々しく瞬いて今にも消えてしまいそうだ。


「……っつ。大したことないわ。ちょっと集中が切れただけよ」


 レイに気付いて顔を上げて笑うウィニーだが、その顔には疲労の色がありありと見てとれる。


 ウィニーは再び歩き出そうとするが足元の石につまずいてよろめく。レイは慌てて駆け寄って彼女を支えた。そう言えば出会った時から彼女は右足を引きずっていた。魔術の便利さに浮かされてすっかりそのことを忘れて彼女に無理をさせた自分を責めた。


「俺も、もうへとへとなんだ。少し休もう」


 集中して「一掴みの灯」の光を安定させようとするウィニーの手を下げさせて首を振る。


 二人は大きな封鱗木シギラリアの根元に並んで腰を下ろした。灯火が消えてからすぐは辺りは自分の手先も判別できないほどに真っ暗だったが、少し目が慣れてくると闇の奥から溢れだす冷たい夜霧がわずかな風に乗ってゆっくりと木々の間を流れているのが分かるようになった。


「レイはフレンネルから来たって言ってたわね」


 レイの一杯に膨れた背嚢はフレンネルからバーサーストに遣いに行くような装備ではない。


「ああ、武者修行って言ったら大げさだけど……ミクチュアに行くつもりなんだ」


 王都ミクチュアと聞いてウィニーの顔に驚きの表情が表れる。


「本当に? まさか、一人で?」


「いやいや、ミクチュアまで送ってもらう人が一緒にいたんだけどね。霧ではぐれちゃってさ…」


 レイは昼間、ロベルトに動いて道に迷わないよう釘を刺されていたことを思い出して溜め息をつく。彼は今頃どうしているのだろうか。きっと自分を探し回っているに違いない。日も暮れて救援を呼びにフレンネルに戻ったかもしれない。あんなに盛大に見送ってもらった手前、出発してすぐに遭難したなんて町のみんなに知られたら、まったくもって恰好がつかない。


「ウィニーはフレンネルに向かってたって言ってたけど、バーサーストから来たのか?」


 溜め息を誤魔化すようにウィニーの方を向く。しかし、合ったウィニーの視線に一瞬だが動揺の色が浮かんだ。


「…あー、いや別に言いたくないんだったらいいんだ」


 思わず言い直したレイを今度はウィニーが制した。


「変な気遣いはいらないわ。そんな大した理由じゃないのよ。フレンネルに親戚がいてね。そこに向かうところだったのよ」


「親戚…? ウィニーって森の賢者ウッドワイズだよな。ひょっとして、その親戚ってダユ婆さんとシトリのことか?」


 レイがそう思い当たったのはフレンネルの住人の中で、ウッドワイズの血を引くのはブランシー家のシトリだけだったからだ。たしかレイの記憶が間違っていなければ、シトリの亡くなった父親がウッドワイズだったはずだ。


「え、シトリ知ってるの? ―――そーか、小さい町だもんね。この髪の色見れば分かって当たり前か…」


 ウィニーは言いながら深緑色の自分の髪を撫でる。ウッドワイズの血を引く者の特徴として先ず挙げられるのは緑髪。その血が濃いほど髪の緑色も濃くなるという。


「まー、隠しても仕方ないわね。私とシトリの父親が兄弟なの。つまり私はシトリの従姉いとこよ」


 その答えに、世間は案外せまいなーと驚いているレイに追い打ちをかけるようにウィニーは続けた。


「――で、実は家出中なのよ、私」



 ウィニーは隠していた秘密を話して気が緩んだのか、そこから堰を切ったように一気に身の上を話し始めた。


「父親がさ、融通の利かない奴でね。私の実力を認めてくれないの。レイも見たでしょ、私の魔術の威力。封鱗木シギラリアの大木だって真っ二つに出来るのよ。あれのどこが半人前だっていうのよ!」


 容赦なく飛んできた真空刃を思い出したレイの背筋に寒気が走った。それはちょうど頭上の枝から落ちてきた冷たい雫が背中に入ったせいだけではないだろう。


「確かにちょっと手加減できないかもしれないけど、あの馬鹿親父、魔力を垂れ流しにしてるとか言うのよ、酷いでしょ!」


 レイは加減できない所が半人前って意味じゃないのかー、と思ったが火に油を注ぎそうなので口には出さずに適当に相槌を打っておく。


「女々しくチマチマやるのは私の性に合わないのよ。それに私の尊敬する魔術士も言ってるわ。『全ての力を出し切らずに諦めるな』って。――何事にも全力の女の子って素敵だと思わない!?」


「……おおぅ、そう…なのか?」


 その全力とこれは違うんじゃないかー、とまたしても思わず出そうになった言葉を無理やり呑み込む。


「あーあ、私はシトリに愚痴を聞いてもらいにフレンネルに行くのに、レイは武者修行でミクチュアかー、いいなー。何ならこのままレイについてミクチュアまで行っちゃおっかなー」


「ええ!? ま、まずいよ…それは。家の人も心配してるだろうし」


 普通に考えれば年頃の娘が家を出たまま夜になって帰って来ないとなれば、今頃大騒ぎになっているだろう。しかし、ウィニーは平然とした顔で言い返した。


「いまさら心配なんかしてないわよ。――週に一回は家出してるし」


 こいつ常習犯かよ、とレイは心の中で突っ込む。


「まー、私のことは置いといて――」


 心の声が聞こえたのか、はぐらかすように話を断ち切って、レイの正面へとウィニーが体の向きを変える。


「私も思い出したのよ。レイの家ってフレンネルの町はずれにある道場じゃない?」


「おお、もしや俺って有名人なのか!」


 ついに我が武名が霧降山脈を越えてバーサーストまで轟いたか!などと妄想するレイにウィニーが笑いながら返す。


「なわけないでしょー。名前までは聞いてなかったけどシトリが君のことよく話すから、その格好と刀見てそうかなーと思ったのよ」


 シトリの話だと容姿端麗、金髪蒼眼、幼くして剣の達人とかどんな完璧超人かと思ってたけど、恋愛補正は否めないかー。人懐っこいって言うか想像以上に幼い感じがするけど、まー私的にはギリギリ合格点かな。


 そうレイを評点して、その腰に下げられた白い精霊樹の枝を格子状に組み合わせて作られた匂い玉入れを指さす。


「それにその匂い玉入れ。よく見たらシトリが持ってるやつと同じだしね」


「ああ、これは村を出る時にシトリがくれたんだ。あ、そう言えば――」


 レイはふと気になっていたことを思い出した。


「ウィニーは古西語バベルって解るのか?」


「んー? まーだいたい解るわよ。ウッドワイズなら親から習うしね」


 古西語バベル森の賢者ウッドワイズ赤土のラテライト大陸を起源としており、共通語が普及した今ではほとんど話す者はいないが、数百年前まではウッドワイズの公用語であった。また、魔術学がラテライト大陸で成立、発展したことから古い魔術書グリモリウムは全て古西語バベルで書かれており、魔術を習得するための必修言語とも言える。


「――えばー・もーめんと・うぃずゆー、ってどういう意味なんだ?」


「――は、はぁ!? 突然、何言ってんの?」


 レイの思わぬ発言にウィニーは顔を染めて動揺する。それもそのはず、その古西語バベルの意味は『どんな時もあなたと共に』――求愛の台詞だからだ。


「いやさ、旅立つときにシトリに言われたんだけど解らなくてさ。知り合いに聞いても教えてくれないし」


 レイのその答えにウィニーは肩透かしを食らったような唖然とした表情になって、溜め息をついた。


「あー、なるほど。レイってそーゆータイプな訳ね。こんだけ鈍いとなると、シトリも苦労するはずだわ…」


 まあ、シトリもあえて解らないのを承知で言ったんだろうけど、と繰り返して溜め息をつくウィニーを見てレイはますます怪訝な表情になって聞き返す。


「いやだから鈍いって何がさ? 結局どういう意味なんだよ」


「そーゆー所が鈍いって言ってんの。意味は自分で考えなさいよ」


 ウィニーは急激に興味が失せたらしく、詰め寄るレイを適当にあしらう。


「おいおい結局それか! ――あ、そうか。己の心の中に答えはある、みたいな謎かけか?」


 そういえばロベルトのおっさんも何故か一人で納得して満足してたな、と呟くレイに思わずウィニーのツッコミが入る。


「そのシチュエーションでなんでシトリがそんな禅問答の真似事みたいなことするのよ。別れの場面で女が男に言うことなんか必然的に限られてくるでしょーが!」


「だーかーら、それが解らないから教えてくれって―――」


 その時、暗闇の先からかすかに聞こえた音が問い詰めるレイの声を途切れさせた。反射的に傍らにおいてあった刀を拾い上げて中腰に屈む。


「――何か近づいてくる…?」


 ウィニーもすぐにその気配に気付いて表情を引き締める。レイは暗闇の先をじっと見据えたまま答えた。


「ああ、でも多分人じゃない。念のため聞くけど『一掴みの灯』は使えそう?」


 微かに聞こえる下草をかきわける音の大きさからして、それほど大きな生き物ではない。しかし霧ネズミミストリアほど小さな生き物でもなさそうだ。

 レイの知る知識の範囲では霧降谷に生息する肉食獣は大牙猪ガドルホッグくらいで、彼らの活動時間は昼間だ。レイたちにも言えることだが捕食植物が支配する夜の谷を動物が出歩くのは自殺行為に等しい。


 だが、肉食動物ではないからと言って危険性を否定するには不十分だ。先程まで二人とも思わず興奮して結構大きな声で話していたはずだ。しかし、下草をかきわける音は迷うことなく一直線にこちらに向かっている。つまり、音の主は彼らがここに居るのを分かった上で進んできている。


「大丈夫、だいぶ落ち着いたわ。でも、動物ならもっと近づかせてから使った方が目くらましには効果的よ」


 月光すら分厚い霧の層に阻まれて届かない闇の世界で行動する動物は一応に夜目が利く。わずかな光を感知できる視覚の良さを逆手にとって、強烈な発光を浴びせれば驚いて逃げるだろう。ウィニーは小枝を手にして闇の先へと突き出して掲げた。


「じゃあ、まかせる。それでも襲いかかってくるようなら俺がやるよ」


 そう言って鍔元に手をかけるレイを横目にウィニーがうなずく。会話が途切れたのと同時に夜の闇が急に重みを増したように感じた。


 次第に近寄って来る足音に緊張が高まる。二人の視界の奥の闇にうっすらと影が浮かんだ瞬間、凛とした声が響いた。



照らせ、一掴みの灯イグニス・オ・ウィスプ!」


 詠唱と同時に枝の先端に周囲の空気が渦を巻いて集まり、ボッという音と共に強烈な青白い閃光が闇を裂いた。

【用語解説】


大牙猪ガドルホッグ

霧降谷に生息する大型の猪。成体では体高1メートル、体長2メートルを超える個体も存在する。性格は凶暴。肉食で、剣のように真っ直ぐに突き出た牙で獲物を串刺しにする。霧降谷の生態系上位に位置する動物だが、夜の谷においては捕食植物の食料となる。

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