第二十三話 炎将の思惑
フレンネルの郊外、霧降街道から少し離れた林の木々の間から、幾筋もの湿気た灰色の煙が上がっている。その煙に乗って、低く腹の底に響くような声が流れてくる。
「地の十ツ神、天の二ツ神よ。死によって償われし咎人の魂を輪廻の鎖環に今、還さん。――再び世に廻る魂を、在るべき正道へと導き給え……」
四人の従軍僧侶の葬魂唱と共に荼毘に付されているのは、討ち取られたマッシュウ野盗団員の屍。その数は優に二百を超える。
容赦ない騎士団の一斉銃撃から辛うじて生き残った五十余名も、わずかばかりの手当てを受けて縛に付き、護送馬車に詰め込まれている。少なからず傷を負い、首都での断頭刑を待つばかりの彼らの眼に既に生気は無い。
それに比べて騎士団の被害は、偽首領の魔剣で斬られた者を含めても重傷者三名、軽傷者十数名、死者なし。さらに町への損害も、幾つかの商店の看板が野盗団が突入してきた際になぎ倒されて壊れた程度でほぼ皆無であった。
しかしその圧倒的勝利にも、林の入口に張られた天幕の中で机に頬づえを付く騎士団長の表情は晴れぬままだ。
「ヨス、九郎殿を呼んでくれ。話がある」
ギアッツは長考の末、不意に顔を上げて隣に控える射撃部隊長に命じた。次の指示を今か今かと待ち構えていたヨスはすぐさま天幕から飛び出していった。
その背中を頼もしげに赤い顎髭を撫でながら見送ったギアッツだったが、一分も待たぬ間にヨスが何とも言えない表情をして引き返して来たのを見て拍子抜けする。
そのすぐ後ろには、九郎がぴったりと付いてきていた。彼は勝手知ったる友人の家に上がるかのように遠慮なく天幕の垂れ幕を開いて中に入ると、ギアッツの前に机を挟んで腰かけた。そして、にやり笑って言った。
「いつ呼びに来るかと道場で待っていたんじゃが、あまりに催促が来ぬものでな。痺れを切らしてこちらから出向いたのよ」
ギアッツは一瞬、頬の端を歪めたがすぐにいつもの厳格な表情に戻り、九郎に深く頭を下げる。
「この度は見事な計略、このギアッツ・ヘイダール、お見それいたしました。我が国民を守り、さらには王国北部の主要野盗団の殲滅という近年ない程の戦果。騎士団を代表して御礼申し上げます」
「何を今更、町を守れたのは騎士団の力があってこそ。わしも将軍の手際の良さにはつくづく感服しておる」
九郎がギアッツを将軍と称したのは、「軍を将いる」司令官への尊称である。
「とまあ、社交辞令はこのあたりにして、本題は何じゃ。わしを呼びだしたのは謝辞を述べるためだけではあるまい?」
「――それはそうと、九郎殿はこの町で道場を営んでおられるとか。ナカツの帝も認めたという烏丸流。さぞ多くのご子弟がおられるのでしょうな」
本道への標を示した九郎だが、ギアッツはあえてそれに乗らず脇道へと話題を逸らす。彼にとって九郎に話の主導権を握られるのは実に居心地の悪いことだった。
「いや、道楽のようなものじゃ。教えるというのは案外、編み出すよりも難しいようでの。弟子といっても今まで四人しかとったことはない。今、この町におるのは一人じゃ」
それにこの国にはわしの名を知らぬ者も多いしの、と言葉を継いで出された煎茶をすする。
「というても、あれは半人前。型から入ることばかりにこだわっておる未熟な若者よ。将軍のお目に留まるほどではあるまい」
九郎が一人の弟子として語っているのは、レイではなくジルのことである。なぜならレイは既にこの町にはいない。九郎はギアッツの真意を知ったうえで、話をはぐらかしているのだ。
「左様ですか。しかし妙ですな。九郎殿にはお二人の弟子をご指導中と伺いましたが」
ギアッツもそのことに気付きながら、不快感を面には出さず、核心へとにじり寄る。
「ああ、そうであったか。そう言えば昔は二人おったかもしれんのう。何せ老いてくると近時の記憶も曖昧になってのう……」
あからさまに白々しい受け答えに隣で話を聞いているヨスの方がヒヤヒヤしていた。『炎将』と畏れられるギアッツに対してこれだけ不遜な受け答えができるのは、この国内には国王はおろか野盗でさえいないだろう。
しかし、ギアッツは怒りの表情を一片も表さず、逆に諦めたような浅い笑みを浮かべながら頭を振っただけだった。
九郎がギアッツの話をはぐらかしているだけのように聞こえる会話だが、探り合いの中で九郎はちゃんとギアッツの質問に答えを返していた。
つまり、有望なもう一人の弟子は既に町を発った。それはすぐ最近のことであると。そして九郎が本来なら騎士団に提供するべき古代兵器に関する情報をあえておくびにも出さないのは、その古代兵器に連盟が関与する重要な機密が存在するということ。
ギアッツは九郎の応対に呆れたのではなく、探り合いでのこれ以上の情報の引き出しを諦めて頭を振ったのだ。そして彼が打つ次の手は、見返りの提示だ。
「あなたは我らが知り得ぬ情報を持っています。だが裏を返せばそれは我らとて同じ」
突然の話の転換にヨスが戸惑いの表情を見せるが、対面する九郎の視線は急に冴えたものとなってギアッツを捉えていた。
「ここ数ヶ月で気にかかる話が裏社会で流れています。信用に足らぬ噂話程度ですが、それでも王国として聞き流せる類のものではありません」
野盗団に狙われた古代兵器と資格所持者の少年を町から出させたのは、その危険から遠ざけるためであろう。しかし、たった一人で町を発ったとは考えにくい。誰か、それもそれなりの実力者が護衛に付いたはずだ。それが九郎でないのならば、誰か。
傭兵を護衛に雇うのはありがちな話だが、所詮は金の縁。古代兵器に目がくらみ我が物にせんと少年を害するかも知れない。とすれば、九郎が信頼するに足り、かつ実力を備えた条件にあう者は限られてくる。
可能性が一番高いのは、連盟の者。おそらく古代兵器の扱いに長けた治安機構の構成員。
とすればこの時点でギアッツは連盟に一歩以上遅れていることとなる。巻き返しを図る彼が九郎に提示するのは事態の危険性だ。
「流れの武器商人がこの国にやって来たと。それも古代兵器を扱う死の武器商人が」
連盟の指定する遺物の内、自由売買が許可されているのは最下D階級の物のみ。だが、連盟の目を逃れて裏社会の人間を顧客に非合法に指定遺物を取り扱う商人が存在する。当然、社会秩序を根本から覆すその存在をいかなる国家権力も許してはいない。
「カニャッツォは長年の愛剣を造作もなく見殺しにする配下に与えた。これは新たな武器が手に入ったからに他なりません」
ギアッツが警告するのは少年に新たな脅威が迫っているという重大な可能性。築き上げた野盗団と愛剣を捨て駒にするという大きな代償を払ったことから考えても、カニャッツオがそれに代わる何らかの奥の手を隠し持っていることは十分に考えられる。
だが、その新たな事実を突き付けられた後も、九郎の視線に動揺は全くなかった。
「ヘイダール将軍。お主の言わんとすることは理解した。じゃが、それは要らぬ懸念じゃ。レイには既に信頼できる人物がついておるからの」
その返答にギアッツは駆け引きが最初から成立していないことにようやく気付いた。九郎が全く動揺を見せないということは、新たな古代兵器の危険性を考慮しても余りある戦力が少年の護衛に付いているということ。つまり、それはほぼ間違いなく治安機構の戦闘員だ。
「――九郎殿。ちなみにその人物の名は?」
連盟に先手を打たれたか、と頭の中で苦虫を噛み潰しながら一応その者の名を聞いてみる。ギアッツには治安機構にそれなりの人脈がある。自らの知る人物なら、まだ交渉の余地があるかもしれない。
「うむ。ロベルト・ディアマンという」
その回答にギアッツの表情に明らかな驚きが浮かんだ。
「……なるほど、それなりの人物とは見ていましたが、『金剛石』とは。流石は治安機構、抜かりがない。先手どころか鬼手を打たれていたわけですか」
民間人ならいざ知らず、国家の中枢を預るギアッツは「原罪の騎士団」の構成員とその情報は把握している。しかし、まさかその名をこの場で聞くことになろうとは思いもしなかった。
正直なところ、加盟国に対する警察権を持つ原罪の騎士団員が自国に入り込んでいるというのは国側の人間からすれば必ずしも好ましい話ではない。まして軍の最高司令官がその事実を把握できていないとなれば尚更だ。
「いや、連盟とて全ての事態を予見していたわけではない。彼らがお主より先に出会ったのも廻り合わせ、言うならば運命というやつじゃよ」
だが、ギアッツはまだ全てを諦めたわけではない。おそらく「ディアマン」以外の原罪の騎士団員では、帰属に関して交渉の余地はないだろう。国家の代表として派遣され、連盟に仕える彼らは私情を挟んで国家間の余計な揉め事を起こしたくないという事情がある。
しかし「彼」はいずれの国家権力にも属していない。ならば良い答えを引き出せる可能性がある。その為には、まず連盟が執着するその古代兵器の情報を引き出す必要がある。
「しかし、『原罪』を直々に派遣とは、その少年は余程の使い手ですな」
「……ギアッツよ、あらかじめ言っておこう。わしはお主とその類の問答をする気はないぞ。わしの立場を良く知るお主とはな」
なに気なく話題を振ったつもりだったが、九郎からの返答は明確な否定。やはり、この老獪な人物に小細工は通用しない。そのことを理解させられたギアッツは正攻法で攻めることにした。
彼はわざとらしく大きなため息をついて、顔を上げると今までの厳格な『炎将』としての表情を崩し、顎髭を撫でながら冗談めかした口調で九郎に語りかける。
「翁、相変わらず喰えませんな。引退して顔つきは少しは柔らかくなったと思っていましたが」
その明け透けた豹変ぶりに九郎は思わず苦笑する。
「よく言うわ。お主も多少は喰えぬようになったようじゃ。――が、わしから見ればまだまだ青いがのう。言葉の節々に本心が滲み出ておるぞ」
そこで二人は申し合わせたように顔を伏せてお互いに含み笑いをする。
「頭の回りが速いがゆえに全てを一人でこなそうとするのは昔からのお主の悪癖じゃ。それにわしはもう隠居の身、連盟とのしがらみなど気にせずに隣のお若いのにも分かるように話せばよいものを」
突然、話を振られたヨスは露骨に動揺する。彼は今までの険悪な雰囲気が急に和んだ場になった遣り取りの機微が掴めず、狼狽していた。
「いやいや恐縮。翁こそ、ご理解が速くて助かりますな。しかし、昔、散々やり込められた身としてはどうしても警戒が解けませんもので」
さり気なく毒を吐くギアッツ。彼は騎士団長に就任したばかりの頃、資格所持者の帰属を巡って連盟の古代兵器管理の部署に所属していた九郎に苦汁を舐めさせられたことがある。それは今覚えば若気の至りであったと一笑できる類の失態ではあるが、彼の記憶に「烏丸九郎」という人物の名を留めるには十分な出来事であった。
その返しに苦笑する九郎を横目にギアッツは背筋を伸ばし、いつもの厳格な表情に戻って本題を切りだす。
「――では、単刀直入に。バルバリッチャを退けたという、九郎殿の弟子の少年。彼をぜひ、我がエクベルト騎士団にお譲り頂きたい」
気概の籠った九郎を見据える視線には、応としか言わせぬという無言の圧力がある。
「そういうことであろうとは思っておったが……、それにわしが応えることはできん」
しかし、九郎はプレッシャーなどまるで感じていないような素振りで、にべもなく断る。
「確かにレイはわしの弟子じゃ。しかし、あれは既にわしの元から離れておる。手元にあれば昔の好で色よい返事をしたかもしれんがの」
「つまり、その件については良しとも悪しとも言えぬと」
座ったまま机から身を乗り出して詰め寄るギアッツ。しかし、一向に気にした風もなく九郎は首を振る。
「そもそも、わしに同意を求めることからして見当違いというもの」
突き放したようにそっけなく言うが、ギアッツはその言葉の真意を理解していた。
九郎は好きにしろと言っているのだ。自分の関与する問題ではないと。
九郎の真意を引き出したことに満足したギアッツは椅子から腰を上げ、改めて机に両手を付くと宣誓する様に声を大にして言った。
「彼に既に連盟の手が付いていたとしても、この国内に居るうちは我が国民です。我ら騎士団の使命は国民の生命を守ること。悪党の脅威にさらされている国民を連盟のみに任せておく気はありません」
「相変わらずくそ真面目な表面じゃの。そもそも、わしに許可を得ずともレイを取り込むことはできるであろうに」
その大仰な口調と仕草に九郎は呆れたように笑うが、ギアッツは炎将としての固い表情のまま返答する。
「我らは国軍。いかなる不純な動機でも、あくまでも筋は通さねばなりません」
「なるほど、上に立つ身とは不便なことがあるものよのう」
笑いながらうなずく九郎を横目に、隣に待機するヨスに矢継ぎ早に次の指示を出す。次の目的が定まったからには一刻の猶予もない。
「直ちに抜剣部隊の中から精鋭二十名を選抜せよ」
九郎とギアッツの息の詰まる応酬に茫然としていたヨスであったが、その号令にすぐさま反応して姿勢を正す。
「残党狩りだ。首領を討ちそびれては今回の勝利の価値は半減する。日の暮れぬうちに霧降山へと向かう。夜霧の山道だ、防寒着を忘れるな」
戦後処理を終えて平生を取り戻しつつあった陣営が、再び慌ただしい喧騒に包まれていく。
街道を抜ける春風は温もりを急速に失って肌寒さを感じさせる。太陽は今や霧降山脈の稜線に沈もうとして、ひんやりとした山影を彼らの陣営の上に伸ばしていた。
【用語解説】
『葬魂唱』
ジェタクト正教の僧侶が行う鎮魂の儀式。「地の十ツ神、天の二ツ神」とはルーラー族十二賢者の事を表し、死者の魂が正しき者として転生できるようにと祈願する。正教では人は生きている間に必ず咎を持つとされ、死によって現世の咎は償われるとしている。




