第十九話 命切
天下に五剣あり。
名物「千人斬り大愚」
名物「菊水竜」
名物「霞残月」
名物「鳴神」
名物「一辿無想」
天上に五剣あり。
名物「天の梯」
名物「仏足石歌」
名物「御霊太刀」
銘「四代木花 打断」
名物「黒羽天魔」
東国ナカツに「天上天下十剣」と呼ばれる十振の刀がある。
いずれも最上大業物に位置付けられる稀代の名刀。その所持者は名物「鳴神」の烏丸九郎をはじめとする名だたる剣豪たち。
その十剣の中に、唯一行方知れずの一振りがある。
それは無銘の太刀。
刀の銘は作者を示すために刀工自身が彫る。銘を茎に入れることを「銘を切る」という。しかし、この太刀には最初から銘がない「生ぶ無銘」。
ナカツの桃散という地に無名の刀工がいた。若いうちから作を重ねるも芽が出ず、次第に生活に困窮し、自分の作が評価されないのは世の中が悪いのだと思い込むようになっていった。
ある時、ついに槌を置く決心をし、最後の作品を打ったところ、これ以上ないという出来の太刀が打てた。だが、疑心暗鬼に陥っていた刀工はその最高傑作も評価されないのではと思い、なかなか銘を切ることができなかった。
銘を切って世に出すべきか否か、刀工は三日三晩悩み続けて、ついに太刀に銘を切ろうとした最中に発狂し、その太刀で腹を切って自害してしまった。
刀工は借金を重ねていたため、なけなしの家財と共にその太刀も高利貸しに回収されたのだが、そんな曰くつきの太刀を買おうという者はなかなかいない。
しかし、世の中には変わった人間、ここでいうなら趣味の悪い人間もいるもので、そういう代物ばかりを蒐集している豪商の耳に「刀工が命で銘を切った太刀」の話が入った。
豪商はその太刀を一目で気に入り、それなりの金額を出して買い取った。そして腰刀にしたいと考えたが、本来、太刀は馬上で使用するもの、長さが八十センチ近くある。持ち歩くには大きすぎた。そのため磨り上げて「刀」にしようと、研ぎ師に預けた。
だが、その太刀が磨り上がることはなかった。磨り上げを依頼した研ぎ師が次々に怪死したのだ。いずれも太刀を磨り上げようとして握り締めたまま死んでいたという。
豪商はそのたびに別の研ぎ師に依頼をしたが、太刀を手にした者はいずれも三日と待たず死んでしまう。ついには誰もその太刀を磨り上げようとしなくなり、豪商の手に返ってきた。だが、その二日後に豪商も急死してしまう。
その後も太刀は持ち主を変える度にその命を奪い続けた。やがて「命を喰らう太刀」の噂は広がり、ついた呼び名が妖刀「命切」。
太刀は持ち主を変えるごとに切れ味が増していき、鉄をも紙のように容易に断つとか、刀掛に置いていたら拵えごと切れて畳に突き刺さっていたとか、真偽を疑うような話がいくつも流れた。
五十余年の時が流れて、妖刀「命切」はナカツの都、波止津の兵庫を管理する二条家の手に渡った。二条家は帝に仕える刀鍛冶の名門で、鍛冶屋剣術の祖流ともいわれる二条流剣術の本家でもあり、同時に刀剣鑑定の家元でもあった。
二条家が太刀に出した鑑定書の終わりにこうある。
『造り、刃文とも凡庸なるが、刀身に鬼気神気あり、人の成すものと評し難し。依りて生ぶ無銘、作を切らず』
この太刀をただものではないと見た二条家の当主は、長らく空白であった「天上五剣」の最後の一振りとして認定。その荒ぶる剣魂を鎮めるために立派な社を建てた。
そして、太刀の名を「命切」から「御霊太刀」と改めて、御神体として社に祀った。その社は「御太刀の社」と呼ばれ、武運長久の神社として広く親しまれた。
しかし、太刀に訪れた平安も束の間であった。社の建立から二十七年後、都で起きたクーデターの混乱の際に、太刀は何者かに社から持ち出されてしまう。
その後の太刀の行方は杳として知れない。幾度となく世界各地で『命を喰らう太刀』の噂話や目撃談が流れたが、いずれもその真偽を確かめようもないものばかりであった。
かくして「御霊太刀」は天上天下十剣の中で唯一、行方知らずの一振りとして東国のみならず世界に広く知られている。
「かっ…はッ…! ヒャ…ハ…久しぶりの飯だからって喰い過ぎだろ、タマぁ」
犬人の男はよめきながらも刀を地に突き立てて辛うじて踏みとどまった。だが、すぐに崩れるように膝をつくと、咳き込む音と共にその口元から血が溢れだして、抑えた指の隙間からぼたぼたと地面に滴り落ちる。
「――く、なん…だ…今のは…!」
犬人の後方にうつぶせに倒れていた黒い女は、霞む意識を辛うじて保ちながら声を上げた。
「ヒャハハ、どうよタマの切れ味はよ…」
黒い女は身体を起こそうとするが、激しい倦怠感と疲労感が肉体への意志の伝達を阻害する。まるで力が吸い取られたかのように、四肢は地面に張り付いて震えるばかりで思うように動かせない。何とか顔だけを起こして、膝をついたまま肩で息をする犬人の背中越しにその向こうを見る。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、巨大な白蝋石の墓石。
だが、それはつい先ほど見た圧し掛かって来る異様な巨躯ではなく、ちょうどその中程から真横に真っ二つに断たれ、その上部がずり落ちて傍らの地面に突き刺さっている。
「…ヒャハ、見ろよ。凍鉄だろうが聖銀だろうが一刀両断だぜ」
落ちた墓石の周りに転がっているのは上半身と下半身に断たれた六体の「禍の記憶」。その断面はまるでバターをナイフで裂いたようになめらかだ。バラバラになった電磁爪の根元がまだわずかに帯電して、接した苔の地面を焼いて細い煙が上がっている。
「――だが、俺も持って行かれ過ぎたようだぜ…ヒャハ」
膝をついたまま刀に寄りかかって力のない声でジャドが嗤う。
「なんだその刀は…。くっ…ジャド、何をした…」
黒い女は再び起き上がろうとするが、身体が少し持ち上がっただけで、やはり先程と同じように力なく地面に崩れ込む。
彼女がふと指先の感覚に違和感を覚えて目をやると、瑞々しかったはずの染み苔が急激に枯れたかのように水分を失い茶けた色に萎びている。犬人の身体を中心に、ちょうど彼女が倒れている場所まで苔の枯死が薄緑色の大地に茶色の円を描いていた。
「ヒャハハ、言ってんだろタマだってよ。そうだな――元、御霊太刀と言やぁ分かるか?」
犬人は顔だけ振り返って嗤う。その身体越しに見える刀の刃が一瞬、大きく鼓動を打ったような感覚がした。
「……御霊太刀、だと。――馬鹿を言うな。お前のそれは刀だろう。あの太刀は磨り上げられないはず」
黒い女は犬人が発したその名に驚愕しながらも、記憶を辿りすぐにそれを否定する。その名は彼女が生まれ育ったインドラ大陸では知らない者はない。人の手で造られながら、その域を凌駕して神格を与えられた驚異の妖刀。目の前で起こったことよりも、先入観がそれを上回るのだ。あんなものがこんなところにあるはずがない、と。
「ヒャハハ、失う覚悟もねえボンクラの研ぎ師じゃあ無理だろうよ。磨り上げたのよ、――俺が。だからこいつはもう御霊太刀じゃねえ、タマさ」
だが、犬人は事も無げに言い放って、よろめきながら立ち上がると突き立てていた刀を引き抜く。
名を呼ばれた刀が呼応するかのようにまた鼓動を打ったような気がした。刀身は異様な鬼気を帯びて周りの大気すら歪めているような錯覚を覚える。先程まで犬人が手にしていた刀と同じものだとは思えない。
「……あの妖刀を調伏したというのか」
黒い女は刀の放つ鬼気に圧倒されながらも辛うじて声を出した。
「ヒャハハ、まあ、そんなところさ」
犬人は口元に垂れた血反吐を手の甲で拭いながら嗤った。そして血振りして納刀する。鞘に収まった途端、重苦しかった周囲の空気が急に緩んだ。黒い女は深く息を吐いた後、憎々しげに呟く。
「では私もそいつに命を喰われたわけか。とんだとばっちりだ」
犬人はその声に一瞬、不思議な顔をして、鞘に収まった愛刀を見下ろした。
「いや、普通は持ち主の命しか喰わねえはずなんだがなあ…」
そして思い出したように嘯く。
「だが、ヒャハハ――、クロも喰われてるところを見ると、気に入られたようだなあ、こいつに」
「訳の分からない冗談を言っている場合か。それよりこの状態をなんとかしろ」
黒い女はまだ起き上がれないようで力なくため息をつく。だが、犬人はそれに構わず話を続けた。
「いいや分かるぜ、俺には。――俺達は似た者同士なんだよ」
言いながら枯れた苔の上に一歩踏み出す。
「餓えてるのさ。クロは金に、俺は闘いに、こいつは命に」
まだ不確かな足取りで「禍」だったものの残骸へと歩み寄る。燃星晶の二つの瞳は完全に光を失って、その青白い頭部に暗紅色が沈んでいる。
「だから、この喉を焼くような強烈な渇きを癒すために、俺達は求め続けなきゃならねえ。例えそれが永遠に癒されることがないことを知りつつもな。それが――」
そこまで言って犬人は声を止めた。立ち込めた霧が彼らの上を再びさらさらと流れ始め、森の静寂があたりを包んだ。犬人はわずかな憂いを含んだ表情で、幾千年の目覚めから解き放たれて二度と覚めることのない眠りについた残骸を見下ろした。
「――それが、我ら求道者の悲しき定め」
犬人とは別の声が霧の壁の奥から響いて、彼らはその方角を振り向いた。
【用語解説】
『桃散』
インドラ大陸ナカツの北部に位置する、刀工集団「桜華衆」を中心とした鍛冶屋町。近隣の港町との地利を生かし、刀剣の貿易にも手を伸ばしており発展が著しい。




